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23 知らされた特別な存在とそのきっかけとなった自分のつぶやき ~エンヤ~
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やっとちゃんと言えた。
連休と週末を使って一緒にいる時間がたくさんあって、ずっと好きだったと言って、他の男のことも嫉妬して、逆に彼女の友達のことも言われて。
勇気をもって誘って、一緒に過ごした夜。
応えてくれた千早ちゃんはあの頃と変わりない、すごく可愛くて大切にしたい存在だった。
母親に連絡したら、何故か声だけでバレた。
千早ちゃんに告白したと、いい返事をもらえたんじゃないかと、そこまではバレた。
それ以上は聞いて来なかったから、そこまでしかバレてないと思いたい。
楽しい思い出もどんどん出来て、また仕事を頑張ろうと思った。
早速午後には彼女のところとの打ち合わせが入ってる。
笑顔が見れると思って気はずかしさも感じながら、でも楽しみにしてたのに。
彼女がまったく元気な笑顔を見せてくれなかった。
すごく暗い表情をしていたのが気になった。
仕事の話をしてる時もそれが気になった。
どうしたんだろう?
昨日の夜は普通だったのに。
体調が悪いのだろうか?
仕事が終わって、帰る時にさりげなく席を見たけど、もういなかった。
帰ったらしい。
夜に電話をしようと思ってた。
会社を出て駅に向かっていたら見覚えのある後姿を見つけた。
ゆっくり歩いてる。
急いで近づいて改札前で声をかけた。
振り向いた顔はやっぱり元気なかった。
食事に誘った。
駅を移動して、簡単に食べれるところで。お酒はなしで。
「美味しいものを食べたら元気になる。」
そう言って、食欲はあるみたいで。
だんだん表情も普通になって来た。
それでもトイレに行って、彼女の元に戻ってきた時に見た一人で立ってる姿が、あの頃のように寂しいって言ってるようで。
一人にしたくないって思った。
あそこではおじいさんとおばあさんがいてくれたけど、今は一人だ。
手をつないで歩きながらそう言って、一緒にいたいと言った。
部屋に帰ってもぼんやりと床を見たり、壁を見てぼんやりしたり。
一緒に暗い部屋で横になっても、何をする気にもなれなかった。
横にいて、自分の体温の温かさを分けるようにくっついて、頭を撫でて、大人しくしていた。
彼女もゆっくり眠っていったみたいだった。
本当にどうしたんだろう?
『言えるのは高森君しかいない。でも今じゃないの。来週まで待って。』
そう言われた。
元気のない理由はあるらしい。
今週中には解決するみたいだった。
週末誘ったけど用事があると言われた。
残念だけど、そう言われたら仕方ない。
すごく来週が待ち遠しくなった。
早く元気になればいい。
元気な笑顔が見たい。
目を閉じながら笑顔を思い出す。
自分が知ってる色んな笑顔を思い出す。
その内に眠ってしまったらしい。
携帯のアラームより先に目が覚めた。
ぼんやり見える時計でもあと少しだけ微睡んでいい時間。
隣ではまだ目が覚めてない彼女が眠っている。
少し開いた距離をつめて寝息を感じるくらい近くに行った。
肩の辺りに寝息を感じながら、彼女の頭に頬を乗せる。
起こさないように、そっと。
背中に手を当てて、頭にキスをする。
頭に頬を擦り付ける。
それくらいは許されるだろう。
あと少しの時間を楽しみたい。
よく眠れて、目覚めは良かった。
ただ、彼女は全くそうじゃなかったらしい。
『ナナオ・・・、くすぐったい。』
すこし甘えるような声が小さく聞こえた。
ナナオ・・・・彼女が寝ぼけて呼んだのは、その名前だった。
少し距離をとった。間違えられたまま近くにいるなんて出来ない。
前に聞いた時に・・・・どんな存在なのか聞いた。
あの時彼氏じゃないって、そう言ったと思った。
でも一緒にいて、ふざけ合うくらいの関係ではあるらしい。
それは何?どんな人?どんな関係?今はどうなってる?
消したくても消せない存在。
離れた状態で体を起こし彼女を見ていた。
携帯が時間を知らせて彼女が手を伸ばす。
同時に目が開いて、ビックリしたみたいだった。
ただ、その後すぐに笑顔になった。
「おはよう。高森君。」
「・・・・おはよう。」
さっきの寝言を聞いてなければ元気になったと、少しは自分が役に立ったかなと、思い違いするくらいの笑顔だった。
でも、きっと全然違うんじゃないだろうかと思った。
それでも何も気がつかないふりして、さっさとベッドから降りた。
バスルームで顔を洗う。
見返してくる自分が元気がなくなった気がする、そんな顔をしていた。
彼女も起きて窓とカーテンを開けて、コーヒーをいれてくれる。
交代で洗面所を使い、昨日のパンを取り出してトースターに入れる。
軽く温めて、お皿に乗せて運ぶ、二人分、うれしい光景のはずなのに。
「高森君、よく眠れた?」
「うん。ぐっすりだった。」
昨日の夜よりは本当に元気そうだ。
「少し元気そうに見える。いい夢見れた?」
「う~ん、覚えてない。でも一緒にいてもらって安心できて、すっかり先に寝ちゃたんだと思う。本当にすぐに記憶がなくなったから。」
「僕が、役に立てたらよかったけど・・・・。」
「うん、ありがとう。本当に。」
食事をして、着替えて、一緒に部屋を出た。
駅までの道、彼女から手をつないでくる。
今朝はそれを素直にうれしいと思えない自分。
まさか一緒にいたことを後悔するなんて思わなかった。
そんな自分の気持ちにまったく気がつくこともなく、電車でくっついて混雑をやり過ごし、会社の駅に着いた。
「じゃあね。」
「うん。」
そこで別れて、あとは夜に何度か、メッセージのやり取りをしただけだった。
週末の用事はそのままらしく、特に誘われることもなかった。
ぼんやりと部屋で過ごしていた。
静かな部屋に電話の音がした。
ちょっとだけ期待して画面を見たら、母親だった。
『可愛い千早ちゃんが帰って来てるみたいだけど。一緒じゃなかったの?』
ビックリした。
あそこに一人で行ったんだ?
まったく言われてない、どうして?
急いで母親に電話した。
「千早ちゃんが帰ってるって、本当?」
『知らなかったの?昨日おじいちゃんに会った時に言われたから、てっきりうちの息子君も一緒だと思ってたのに。一人だったみたいね。さっき楽しそうに子犬と遊んでたわよ。』
それはナナオだと思う。彼女がそう呼んでいた犬だろう。
でもそれは違う人の名前なんだろう。
その誰かを思い出しながらそう呼んでたんだろう。
誰なのか、あれからすごく考えた。
優しく撫でてくれたりするような男の人。
あの頃、あそこにいた同級生じゃない。
あそこにいた人で可能性があるとしたら従兄弟の年上の男の子だろう。
でも犬に名前をつけたら、おじいさんもおばあさんもびっくりだろう。
もう二人の孫のうちの一人の名前なんだから。
そう思ったら違うと思った。
だったら自分の知らない誰かだろう。
どこかで出会って、特別な関係になって、今は少しまた別の関係になってる人。
そういう意味では『他人』とも『無関係』とも言えるけど、元カレとか、昔好きだった人、そう言いたいだろう人。今でも懐かしく思い出して、ちょっとだけ切なくなるくらいかもしれない。
電話で相談は出来る関係だから、まったく縁が切れた訳ではないのかもしれない。
もう、自分にはそれがどんな人で、どこにいるのかも分からない。
あの寝言を聞くまでは自分の知らない彼女の過去の一部だと割りきって思えてたのに。
とっくに切れた電話を持ちながら、ぼんやりしてたけど、その後すぐに心を決めてからは素早かった。
荷物を適当に放り込んで部屋を出た。
実家には手ぶらで帰っても困らないくらいだから。
途中母親に連絡した。
駅まで迎えに来てもらわなくてはいけないから。
早い時間に教えてもらえて良かった。昼過ぎ余裕でたどり着けるだろう。
いきなり自分が行ったら迷惑だろうか?
そんな顔をされるのはつらい。
それならそれですぐに向きを変えて自分の家に戻ろう。
別々に帰ることになってもしょうがない。
その時は諦めよう。
誘われなかった週末は諦めよう。
『来週まで待って。』そう言われた何かを待つしかない。
駅についてロータリーに車を見つけた。
「お帰り。喧嘩したの?」
「ううん。ちょっと元気ない日があったから、二人に会いたくなったんじゃない?」
「そう。」
「さっき子犬と森の方に向かってたけど。」
「そうなんだ。」
会話は続かない。
母親もなんとなく気がついてるのだろう。
否定したけど喧嘩をしたと思ってるかもしれない。
家にも入らずに、荷物をお願いして、森の方へ走った。
携帯を手にして、連絡しようかと何度も思った。
でも、もうここまで来てしまった。
鳥居のところから石段を見上げる。
高い場所に見える鳥居。お社のある所にいるんだろう。
またナナオさんに電話で何か相談してるんだろうか?
それとも神様に?
ゆっくり石段を上がる。
うっすらと声が聞こえて来た。
割りと大きな声で話をしてる。
とても電話とは思えない大きさの声だった。
まさか、そこにいる?
少しまた、石段をのぼり、耳を澄ますと、一人分じゃない声。
誰かと話をしてる、そして『ナナオ』と呼ぶ声も聞こえた。
明るい普通の会話のようにも聞こえる。
一緒に誰かがいるのなら、自分が行くべきではないことは分かってる。
ゆっくり向きを変えて、静かに下りるべきだ。
そう思って、向きを変えて降りようとしたのに。
「ねえ、高森君とだって毎週毎週一緒にいる訳じゃないから。たまには遊びに来てよ。クッションもあのままにしてるよ。ナナオ専用のまま。」
「そんな事言って、いつ部屋にいるか分からないのに。」
「ちゃんと前に教えてくれれば部屋で待ってる。遅くなったら先に入ってていいよ。」
聞こえてきたセリフ、自分のことも教え、それでも一緒にいたいとお願いしてる。
専用のクッション、先に入ってていいって・・・・カギも渡してる?
聞きたくもない、知りたくもないのに、動けない。
またどんな人なんだろうと想像する。
声はそう年上じゃない。
ちょっと上かもしれないくらい、同じくらいか、そんな感じ。
友達じゃないよね。
大学の頃一緒に住んでた?
あの夜が初めてだった、そう言ったのに?
今自分はどんな顔をしてるんだろう。
ゆっくり石段を上がった、二歩くらい。
「こっちに帰ってきて、もうどこにも研修には行かないの?」
「うん、しばらくはこっちにいる。」
「そう、じゃあ、二人をよろしく。喜んだでしょう?」
「ああ、歓迎された。千早が心配して電話してきたって言ってた。」
「だって、本当に帰ったのか、知りたかったんだもん。」
「そう言ったのに。ここに来れば会えるって。」
そんな会話が聞こえてくる。
だから一人で帰ってきたんだ。
ナナオさんに会いに。ナナオさんに会いたくて。
夢に見るくらい、その手に触れてもらいたくて。
やっぱりもうここにはいれない。
二人に背中を向けて石段を降りようとしたのに、急に強い風が下から吹いてきた。
「うわあぁ。」
下りようと足を浮かせたところで、バランスを崩して、声が出た。
何とか転ばずに済んだけど、上を覗いたら、顔を見せた彼女と犬のナナオ。
「高森君・・・・・。」
びっくりした顔をされた。
迷惑そうな顔でもない、困った顔でもない。
そう思える。そう思いたい。
でも二人目の顔は出てこない。
見たい、知りたい、ナナオさん。
『エンヤ、大丈夫?何してるの?』
名前を呼ばれた。
彼女の声じゃなくて、呼ばれたこともない名前の呼び方で。
誰の声だ?
「ナナオ!!」
彼女が犬を呼んだ。
『しょうがないじゃん。いいじゃん、教えても。』
気のせいか?気のせいだろう?でも、なんだ????
今度はハッキリ困った顔をした彼女。
自分と犬を見比べてる。
???
『エンヤ、上がってきたら。いつまでもそこにいるとまた風に吹かれて転ぶんじゃないの?』
あれ?
気のせいだろうか?
見えるはずの人が見えず、聞こえないはずの声が聞こえる。
彼女が石段を下りてきて、呆然とする自分の手を取って、上まで連れて行ってくれた。
その間も視線は犬に。
「ナナオ、ナナオがバラしたんだから、ちゃんと説明してよね。」
彼女がそういう、自分以外の誰かに・・・・そこには犬しかいないけど。
そして視線も明らかに犬に・・・・。
『エンヤ、中学の夏休みの課題の時と、就職が決まった時と、引っ越しっする時、三度ここにきて。お賽銭は一度も投げ入れてない気がするけど。』
そう言って喋ったように見える犬が歩いて、端の狐の隣に座った。
同じ大きさ。
その隣には昔座った手ごろな大きさの石があった。
確かに言われた通り。三度来た。
犬の言う通り‥‥キツネだったのか?
なんだ?
『そして千早と同じ会社に偶然就職することになったから、力を貸してほしいとお願いされまして。』
犬狐がしゃべってる気がする。
『この度エンヤの片思いを成就するために、千早の家の居候になってました。会社にも可愛いマスコットになって一緒に通勤し、一緒に研修を受け、二人のデートにもついて行き。』
「ええっ~。」
それは自分の声じゃなくて、彼女の声だった。
「何?じゃあ研修って、高森君と私のことだったの?」
彼女が座り込んだ、犬狐の前に。
『そうそう。』
明らかに・・・やっぱり、ナナオって・・・・そいつ・・・・・犬狐?
喋ってる・・・。
『だから上手くいってお泊りしたら研修も終わったじゃん。』
そう言ったら彼女の手が犬を叩いた・・・と思ったのに、鳴き声も音もしないで。
「ああ、こんな時だけ、そんな・・・・。」
ヘラッと笑ってるナナオ犬狐。
「だったら最初に教えてくれても良かったのに。全然だったじゃない。」
『何を教えるんだよ?』
「だから、高森君の手伝いが課題だ・・・・て・・・・・・。」
『教えた方が良かった?千早もすぐにその気になって、あっさり研修が終わったかも?』
彼女が黙った。
もう疑う余地もないし、自分の混乱も落ち着いた。
誰も知らない願掛け。
確かに呟きながら狐の頭を撫でてお願いした。
そんなに期待もしてなかったと、今なら言える。
なんで律儀に願い事を叶えてくれたんだろう。
今ならお賽銭を奮発したい。
だけどポケットには携帯しかない。
財布は荷物と一緒に家にある。
喋るんだ・・・・・。
そして居候してまで願いを聞いてくれて、ずっと彼女と一緒にいたらしい。
クッションの事は分かった。
寝言の意味もそれでいいんだろうか?
前の時も彼女とこの犬だけしかいなかった。
てっきり電話で話してるんだと思ってた。
あの時声は聞こえてなかった気がする。
だから電話だと思ったのに。
どうなんだろう?
「大丈夫?高森君。紹介するね、今更だけど、ナナオ。神様の御遣いで未熟者の狐。今は犬に化けてるの。おじいちゃんとおばあちゃんのところに遊びに行ってもらうのに、犬の方がいいし。」
「うん・・・・・。」
「いつもポケットに入れて会社に連れて行ってたから。ペンケースで見たのもこのナナオ。あの最初の時はいつも机の上にいたけど、最近はずっとポケットの中だったの。」
「うん・・・・。」
「ごめんね、内緒にしてて。でも普通信じないよね。」
「うん、そうだね。ここでじゃなきゃ、なかなか信じられない。」
『嘘はついてないよ。』
そう言ってくるりと一回転して、彼女の手の上に乗った小さなマスコット。
確かに見覚えがある。
手を伸ばそうとしたら、風が来て、気がついたらくるりと元の犬に戻ってた。
もう信じるしかない。
「なんで『ナナオ』君なの?」
そう聞いたらおかしそうに彼女が笑う。
『勝手に千早がつけた。』
ナナオが答えて、口を開いた彼女がもっと面白そうな顔をした。
「あとでね。」小さく囁いた彼女。
ナナオは知らんぷりだ。
「この間、朝早く目が覚めた時に、頭を撫でてたら『ナナオ、くすぐったい。』って。千早ちゃんがそう言ってたから・・・・てっきり・・・・・。」
彼女がビックリした顔をして、赤くなった。
『千早、いくら寂しいからって、俺とエンヤを間違えたら失礼だろう。』
「知らないもん。」
「まあ、仲良しでいいけど。そんなにエンヤに撫でられて気持ち良かったんならしょうがないか。」
膨れた顔になる彼女が自分を見たのにすぐに視線を逸らした。
さっきより赤い顔になってる。
ナナオがぴょんと飛び上がりこっちに来た。
ビックリしたけど感じたのは風だけだった。
肩にいるはずなのに、重さを感じない。
『ナナオって名前の知り合いは千早にはいないよ。』
わざわざ耳元でささやかれたと思ったら、もう肩からいなくなっていた。
やっぱり風が吹いただけだった。
前にもそう言えばそんな事があった。
彼女と話をするきっかけが掴めなかったとき。
会社の廊下で、後ろからすごい風を感じたと思ったら、彼女が自分に向かってよろめいてビックリしたことがあった。
ナナオをみたらウィンクを器用にされた。
出来るんだ・・・ウィンク。
じゃなくて、なんとなく、あの時もそうだったのかもしれないと思った。
それは後で彼女に聞こう。
なんで僕の願い事を聞いてくれる気満々なのに、僕じゃなくて彼女の部屋に居候したんだろう?
そんな事まで気になった。
やっぱり可愛い女の子の方が良かった?
それとも彼女は特別な存在だった?
何か神様に近い存在なのか、普通の犬の声も聞こえる特殊な何かを持っているとか?
後は、なぜだろう?
考えても分からない事はついさっきまでの悩みとは全然違う。
結果、どうでもいい。
願い事を聞いてくれただけでもお賽銭奮発の感謝レベルだから。
明日ちゃんと持ってこようと思う。
ふわりと足元から風が吹き上げた。
優しい風だ。
昔からよく吹いていた気がする。
気がついたらナナオがいなくなっていた。
「あ、ナナオ・・・・。」
彼女も気がついた。
「もう遅いから、じゃあ、また明日。午後には帰るから、遊びに来てね。待ってるからね。」
そう言って端の『おとうと犬さん』を撫でる彼女。
当たり前のように。
立ち上がった彼女と手をつないで石段を下りた。
一番下まで行って見上げたら、そこにいる気がした、でもいなかった。
二人で森を出て、家に帰る。
もういい。何でナナオなのか、いいや。
わざわざ耳元で教えてくれたんだから。
自分の願い事を聞いてくれた神様の御遣い様を疑うなんてしない。
いつの間にかすっかり夕方になっていた。
彼女と二人でおじいさんとおばあさんにも挨拶をして、また明日遊びに来ると言って自分の家に帰った。
彼女の何倍もここに暮らしてきたのに、他にももっと長く暮らしてる大人もいるのに、今までそんな不思議な話は聞いたことがない。
内緒にしてる誰かがいるのだろうか?
何で彼女はすんなりとナナオの声が聞こえて、信じられたんだろう。
不思議なことだけど、なんとなく分かる気もした。
小さかった彼女があそこで寂しい思いをこらえきれずにつぶやいたとしたら、きっと神様だって思いが募るだろう。何か力になってあげようと思ったかもしれない。
それが自分の願い事を叶えることとぴったり重なったのはたまたまなんだろう。
森はひっそりと夜をまとい黒い影でしかなくなった。
ナナオも今頃役目を終えてほっとしてるだろうか?
本当に時々遊びに来てくれればいい、僕もそう思った。
明日たっぷりのお賽銭を入れながら、再会を約束して欲しい。
不思議な喋る狐犬の友達がいてもいいじゃないか。
そんな特別が二人には普通だったとしてもいいじゃないか、そう思ったから。
『千早ちゃん。また、明日。お休み。』
自分のメッセージがすぐ近くにいる彼女に届くのが見えるような、そんな夜だった。
『また明日いろいろと教えるね。楽しみにしててね。お休み。』
彼女の笑顔を思い出して、不思議な一日を終わりにした。
これからだって何度も一緒にここに帰ってくると思う。
そのたびにあそこに行くんだろう。
自分達がもっともっと大人の顔をしても、ナナオはあのままで、昔のことまで知られてるって分かったら、大人のふりなんてできないかも。
あそこでは刻が止まったように、変わらず優しい風が吹くのだろう。
二度も乱暴に転ばされそうになったことは忘れよう。
本当に転がりそうだったら、きっと助けてくれる風も吹いただろうから。
携帯を握りしめたまま、そんな事を思いながら、眠った。
すごく懐かしい夢を見た。
小さな手をつないで、自分が可愛い女の子にスコップを持たせて、砂場に向かってる。
あの頃の記憶だろうか?
忘れてた、あの最初の日、何をして遊んだんだろう?
声をかけたことまでで記憶はなくなってる。
本当に一緒に砂場で山でも作ったんだろうか?
お城だろうか?
それとも犬を?
いつかもっと忘れたシーンを思い出したい。
話しはしなくても結構よく視界に入れていたから。
こっそり近くにいたこともあるんだから。
新しい思い出が出来ても、その特別感は少しも色褪せない。
僕の大切な女の子、それは絶対変わることはないと思う。
そう思って浮かんんだ彼女の肩にはナナオが乗っていた。
小さくて変わりないあの姿のまま。
やはり変わらない笑い顔で。
風が吹いた気がした。
いつでも会える場所がある。
きっと、ずっとずっと変わらないんだろう。
また会いに来ればいい。二人で。
またね。
終わり
連休と週末を使って一緒にいる時間がたくさんあって、ずっと好きだったと言って、他の男のことも嫉妬して、逆に彼女の友達のことも言われて。
勇気をもって誘って、一緒に過ごした夜。
応えてくれた千早ちゃんはあの頃と変わりない、すごく可愛くて大切にしたい存在だった。
母親に連絡したら、何故か声だけでバレた。
千早ちゃんに告白したと、いい返事をもらえたんじゃないかと、そこまではバレた。
それ以上は聞いて来なかったから、そこまでしかバレてないと思いたい。
楽しい思い出もどんどん出来て、また仕事を頑張ろうと思った。
早速午後には彼女のところとの打ち合わせが入ってる。
笑顔が見れると思って気はずかしさも感じながら、でも楽しみにしてたのに。
彼女がまったく元気な笑顔を見せてくれなかった。
すごく暗い表情をしていたのが気になった。
仕事の話をしてる時もそれが気になった。
どうしたんだろう?
昨日の夜は普通だったのに。
体調が悪いのだろうか?
仕事が終わって、帰る時にさりげなく席を見たけど、もういなかった。
帰ったらしい。
夜に電話をしようと思ってた。
会社を出て駅に向かっていたら見覚えのある後姿を見つけた。
ゆっくり歩いてる。
急いで近づいて改札前で声をかけた。
振り向いた顔はやっぱり元気なかった。
食事に誘った。
駅を移動して、簡単に食べれるところで。お酒はなしで。
「美味しいものを食べたら元気になる。」
そう言って、食欲はあるみたいで。
だんだん表情も普通になって来た。
それでもトイレに行って、彼女の元に戻ってきた時に見た一人で立ってる姿が、あの頃のように寂しいって言ってるようで。
一人にしたくないって思った。
あそこではおじいさんとおばあさんがいてくれたけど、今は一人だ。
手をつないで歩きながらそう言って、一緒にいたいと言った。
部屋に帰ってもぼんやりと床を見たり、壁を見てぼんやりしたり。
一緒に暗い部屋で横になっても、何をする気にもなれなかった。
横にいて、自分の体温の温かさを分けるようにくっついて、頭を撫でて、大人しくしていた。
彼女もゆっくり眠っていったみたいだった。
本当にどうしたんだろう?
『言えるのは高森君しかいない。でも今じゃないの。来週まで待って。』
そう言われた。
元気のない理由はあるらしい。
今週中には解決するみたいだった。
週末誘ったけど用事があると言われた。
残念だけど、そう言われたら仕方ない。
すごく来週が待ち遠しくなった。
早く元気になればいい。
元気な笑顔が見たい。
目を閉じながら笑顔を思い出す。
自分が知ってる色んな笑顔を思い出す。
その内に眠ってしまったらしい。
携帯のアラームより先に目が覚めた。
ぼんやり見える時計でもあと少しだけ微睡んでいい時間。
隣ではまだ目が覚めてない彼女が眠っている。
少し開いた距離をつめて寝息を感じるくらい近くに行った。
肩の辺りに寝息を感じながら、彼女の頭に頬を乗せる。
起こさないように、そっと。
背中に手を当てて、頭にキスをする。
頭に頬を擦り付ける。
それくらいは許されるだろう。
あと少しの時間を楽しみたい。
よく眠れて、目覚めは良かった。
ただ、彼女は全くそうじゃなかったらしい。
『ナナオ・・・、くすぐったい。』
すこし甘えるような声が小さく聞こえた。
ナナオ・・・・彼女が寝ぼけて呼んだのは、その名前だった。
少し距離をとった。間違えられたまま近くにいるなんて出来ない。
前に聞いた時に・・・・どんな存在なのか聞いた。
あの時彼氏じゃないって、そう言ったと思った。
でも一緒にいて、ふざけ合うくらいの関係ではあるらしい。
それは何?どんな人?どんな関係?今はどうなってる?
消したくても消せない存在。
離れた状態で体を起こし彼女を見ていた。
携帯が時間を知らせて彼女が手を伸ばす。
同時に目が開いて、ビックリしたみたいだった。
ただ、その後すぐに笑顔になった。
「おはよう。高森君。」
「・・・・おはよう。」
さっきの寝言を聞いてなければ元気になったと、少しは自分が役に立ったかなと、思い違いするくらいの笑顔だった。
でも、きっと全然違うんじゃないだろうかと思った。
それでも何も気がつかないふりして、さっさとベッドから降りた。
バスルームで顔を洗う。
見返してくる自分が元気がなくなった気がする、そんな顔をしていた。
彼女も起きて窓とカーテンを開けて、コーヒーをいれてくれる。
交代で洗面所を使い、昨日のパンを取り出してトースターに入れる。
軽く温めて、お皿に乗せて運ぶ、二人分、うれしい光景のはずなのに。
「高森君、よく眠れた?」
「うん。ぐっすりだった。」
昨日の夜よりは本当に元気そうだ。
「少し元気そうに見える。いい夢見れた?」
「う~ん、覚えてない。でも一緒にいてもらって安心できて、すっかり先に寝ちゃたんだと思う。本当にすぐに記憶がなくなったから。」
「僕が、役に立てたらよかったけど・・・・。」
「うん、ありがとう。本当に。」
食事をして、着替えて、一緒に部屋を出た。
駅までの道、彼女から手をつないでくる。
今朝はそれを素直にうれしいと思えない自分。
まさか一緒にいたことを後悔するなんて思わなかった。
そんな自分の気持ちにまったく気がつくこともなく、電車でくっついて混雑をやり過ごし、会社の駅に着いた。
「じゃあね。」
「うん。」
そこで別れて、あとは夜に何度か、メッセージのやり取りをしただけだった。
週末の用事はそのままらしく、特に誘われることもなかった。
ぼんやりと部屋で過ごしていた。
静かな部屋に電話の音がした。
ちょっとだけ期待して画面を見たら、母親だった。
『可愛い千早ちゃんが帰って来てるみたいだけど。一緒じゃなかったの?』
ビックリした。
あそこに一人で行ったんだ?
まったく言われてない、どうして?
急いで母親に電話した。
「千早ちゃんが帰ってるって、本当?」
『知らなかったの?昨日おじいちゃんに会った時に言われたから、てっきりうちの息子君も一緒だと思ってたのに。一人だったみたいね。さっき楽しそうに子犬と遊んでたわよ。』
それはナナオだと思う。彼女がそう呼んでいた犬だろう。
でもそれは違う人の名前なんだろう。
その誰かを思い出しながらそう呼んでたんだろう。
誰なのか、あれからすごく考えた。
優しく撫でてくれたりするような男の人。
あの頃、あそこにいた同級生じゃない。
あそこにいた人で可能性があるとしたら従兄弟の年上の男の子だろう。
でも犬に名前をつけたら、おじいさんもおばあさんもびっくりだろう。
もう二人の孫のうちの一人の名前なんだから。
そう思ったら違うと思った。
だったら自分の知らない誰かだろう。
どこかで出会って、特別な関係になって、今は少しまた別の関係になってる人。
そういう意味では『他人』とも『無関係』とも言えるけど、元カレとか、昔好きだった人、そう言いたいだろう人。今でも懐かしく思い出して、ちょっとだけ切なくなるくらいかもしれない。
電話で相談は出来る関係だから、まったく縁が切れた訳ではないのかもしれない。
もう、自分にはそれがどんな人で、どこにいるのかも分からない。
あの寝言を聞くまでは自分の知らない彼女の過去の一部だと割りきって思えてたのに。
とっくに切れた電話を持ちながら、ぼんやりしてたけど、その後すぐに心を決めてからは素早かった。
荷物を適当に放り込んで部屋を出た。
実家には手ぶらで帰っても困らないくらいだから。
途中母親に連絡した。
駅まで迎えに来てもらわなくてはいけないから。
早い時間に教えてもらえて良かった。昼過ぎ余裕でたどり着けるだろう。
いきなり自分が行ったら迷惑だろうか?
そんな顔をされるのはつらい。
それならそれですぐに向きを変えて自分の家に戻ろう。
別々に帰ることになってもしょうがない。
その時は諦めよう。
誘われなかった週末は諦めよう。
『来週まで待って。』そう言われた何かを待つしかない。
駅についてロータリーに車を見つけた。
「お帰り。喧嘩したの?」
「ううん。ちょっと元気ない日があったから、二人に会いたくなったんじゃない?」
「そう。」
「さっき子犬と森の方に向かってたけど。」
「そうなんだ。」
会話は続かない。
母親もなんとなく気がついてるのだろう。
否定したけど喧嘩をしたと思ってるかもしれない。
家にも入らずに、荷物をお願いして、森の方へ走った。
携帯を手にして、連絡しようかと何度も思った。
でも、もうここまで来てしまった。
鳥居のところから石段を見上げる。
高い場所に見える鳥居。お社のある所にいるんだろう。
またナナオさんに電話で何か相談してるんだろうか?
それとも神様に?
ゆっくり石段を上がる。
うっすらと声が聞こえて来た。
割りと大きな声で話をしてる。
とても電話とは思えない大きさの声だった。
まさか、そこにいる?
少しまた、石段をのぼり、耳を澄ますと、一人分じゃない声。
誰かと話をしてる、そして『ナナオ』と呼ぶ声も聞こえた。
明るい普通の会話のようにも聞こえる。
一緒に誰かがいるのなら、自分が行くべきではないことは分かってる。
ゆっくり向きを変えて、静かに下りるべきだ。
そう思って、向きを変えて降りようとしたのに。
「ねえ、高森君とだって毎週毎週一緒にいる訳じゃないから。たまには遊びに来てよ。クッションもあのままにしてるよ。ナナオ専用のまま。」
「そんな事言って、いつ部屋にいるか分からないのに。」
「ちゃんと前に教えてくれれば部屋で待ってる。遅くなったら先に入ってていいよ。」
聞こえてきたセリフ、自分のことも教え、それでも一緒にいたいとお願いしてる。
専用のクッション、先に入ってていいって・・・・カギも渡してる?
聞きたくもない、知りたくもないのに、動けない。
またどんな人なんだろうと想像する。
声はそう年上じゃない。
ちょっと上かもしれないくらい、同じくらいか、そんな感じ。
友達じゃないよね。
大学の頃一緒に住んでた?
あの夜が初めてだった、そう言ったのに?
今自分はどんな顔をしてるんだろう。
ゆっくり石段を上がった、二歩くらい。
「こっちに帰ってきて、もうどこにも研修には行かないの?」
「うん、しばらくはこっちにいる。」
「そう、じゃあ、二人をよろしく。喜んだでしょう?」
「ああ、歓迎された。千早が心配して電話してきたって言ってた。」
「だって、本当に帰ったのか、知りたかったんだもん。」
「そう言ったのに。ここに来れば会えるって。」
そんな会話が聞こえてくる。
だから一人で帰ってきたんだ。
ナナオさんに会いに。ナナオさんに会いたくて。
夢に見るくらい、その手に触れてもらいたくて。
やっぱりもうここにはいれない。
二人に背中を向けて石段を降りようとしたのに、急に強い風が下から吹いてきた。
「うわあぁ。」
下りようと足を浮かせたところで、バランスを崩して、声が出た。
何とか転ばずに済んだけど、上を覗いたら、顔を見せた彼女と犬のナナオ。
「高森君・・・・・。」
びっくりした顔をされた。
迷惑そうな顔でもない、困った顔でもない。
そう思える。そう思いたい。
でも二人目の顔は出てこない。
見たい、知りたい、ナナオさん。
『エンヤ、大丈夫?何してるの?』
名前を呼ばれた。
彼女の声じゃなくて、呼ばれたこともない名前の呼び方で。
誰の声だ?
「ナナオ!!」
彼女が犬を呼んだ。
『しょうがないじゃん。いいじゃん、教えても。』
気のせいか?気のせいだろう?でも、なんだ????
今度はハッキリ困った顔をした彼女。
自分と犬を見比べてる。
???
『エンヤ、上がってきたら。いつまでもそこにいるとまた風に吹かれて転ぶんじゃないの?』
あれ?
気のせいだろうか?
見えるはずの人が見えず、聞こえないはずの声が聞こえる。
彼女が石段を下りてきて、呆然とする自分の手を取って、上まで連れて行ってくれた。
その間も視線は犬に。
「ナナオ、ナナオがバラしたんだから、ちゃんと説明してよね。」
彼女がそういう、自分以外の誰かに・・・・そこには犬しかいないけど。
そして視線も明らかに犬に・・・・。
『エンヤ、中学の夏休みの課題の時と、就職が決まった時と、引っ越しっする時、三度ここにきて。お賽銭は一度も投げ入れてない気がするけど。』
そう言って喋ったように見える犬が歩いて、端の狐の隣に座った。
同じ大きさ。
その隣には昔座った手ごろな大きさの石があった。
確かに言われた通り。三度来た。
犬の言う通り‥‥キツネだったのか?
なんだ?
『そして千早と同じ会社に偶然就職することになったから、力を貸してほしいとお願いされまして。』
犬狐がしゃべってる気がする。
『この度エンヤの片思いを成就するために、千早の家の居候になってました。会社にも可愛いマスコットになって一緒に通勤し、一緒に研修を受け、二人のデートにもついて行き。』
「ええっ~。」
それは自分の声じゃなくて、彼女の声だった。
「何?じゃあ研修って、高森君と私のことだったの?」
彼女が座り込んだ、犬狐の前に。
『そうそう。』
明らかに・・・やっぱり、ナナオって・・・・そいつ・・・・・犬狐?
喋ってる・・・。
『だから上手くいってお泊りしたら研修も終わったじゃん。』
そう言ったら彼女の手が犬を叩いた・・・と思ったのに、鳴き声も音もしないで。
「ああ、こんな時だけ、そんな・・・・。」
ヘラッと笑ってるナナオ犬狐。
「だったら最初に教えてくれても良かったのに。全然だったじゃない。」
『何を教えるんだよ?』
「だから、高森君の手伝いが課題だ・・・・て・・・・・・。」
『教えた方が良かった?千早もすぐにその気になって、あっさり研修が終わったかも?』
彼女が黙った。
もう疑う余地もないし、自分の混乱も落ち着いた。
誰も知らない願掛け。
確かに呟きながら狐の頭を撫でてお願いした。
そんなに期待もしてなかったと、今なら言える。
なんで律儀に願い事を叶えてくれたんだろう。
今ならお賽銭を奮発したい。
だけどポケットには携帯しかない。
財布は荷物と一緒に家にある。
喋るんだ・・・・・。
そして居候してまで願いを聞いてくれて、ずっと彼女と一緒にいたらしい。
クッションの事は分かった。
寝言の意味もそれでいいんだろうか?
前の時も彼女とこの犬だけしかいなかった。
てっきり電話で話してるんだと思ってた。
あの時声は聞こえてなかった気がする。
だから電話だと思ったのに。
どうなんだろう?
「大丈夫?高森君。紹介するね、今更だけど、ナナオ。神様の御遣いで未熟者の狐。今は犬に化けてるの。おじいちゃんとおばあちゃんのところに遊びに行ってもらうのに、犬の方がいいし。」
「うん・・・・・。」
「いつもポケットに入れて会社に連れて行ってたから。ペンケースで見たのもこのナナオ。あの最初の時はいつも机の上にいたけど、最近はずっとポケットの中だったの。」
「うん・・・・。」
「ごめんね、内緒にしてて。でも普通信じないよね。」
「うん、そうだね。ここでじゃなきゃ、なかなか信じられない。」
『嘘はついてないよ。』
そう言ってくるりと一回転して、彼女の手の上に乗った小さなマスコット。
確かに見覚えがある。
手を伸ばそうとしたら、風が来て、気がついたらくるりと元の犬に戻ってた。
もう信じるしかない。
「なんで『ナナオ』君なの?」
そう聞いたらおかしそうに彼女が笑う。
『勝手に千早がつけた。』
ナナオが答えて、口を開いた彼女がもっと面白そうな顔をした。
「あとでね。」小さく囁いた彼女。
ナナオは知らんぷりだ。
「この間、朝早く目が覚めた時に、頭を撫でてたら『ナナオ、くすぐったい。』って。千早ちゃんがそう言ってたから・・・・てっきり・・・・・。」
彼女がビックリした顔をして、赤くなった。
『千早、いくら寂しいからって、俺とエンヤを間違えたら失礼だろう。』
「知らないもん。」
「まあ、仲良しでいいけど。そんなにエンヤに撫でられて気持ち良かったんならしょうがないか。」
膨れた顔になる彼女が自分を見たのにすぐに視線を逸らした。
さっきより赤い顔になってる。
ナナオがぴょんと飛び上がりこっちに来た。
ビックリしたけど感じたのは風だけだった。
肩にいるはずなのに、重さを感じない。
『ナナオって名前の知り合いは千早にはいないよ。』
わざわざ耳元でささやかれたと思ったら、もう肩からいなくなっていた。
やっぱり風が吹いただけだった。
前にもそう言えばそんな事があった。
彼女と話をするきっかけが掴めなかったとき。
会社の廊下で、後ろからすごい風を感じたと思ったら、彼女が自分に向かってよろめいてビックリしたことがあった。
ナナオをみたらウィンクを器用にされた。
出来るんだ・・・ウィンク。
じゃなくて、なんとなく、あの時もそうだったのかもしれないと思った。
それは後で彼女に聞こう。
なんで僕の願い事を聞いてくれる気満々なのに、僕じゃなくて彼女の部屋に居候したんだろう?
そんな事まで気になった。
やっぱり可愛い女の子の方が良かった?
それとも彼女は特別な存在だった?
何か神様に近い存在なのか、普通の犬の声も聞こえる特殊な何かを持っているとか?
後は、なぜだろう?
考えても分からない事はついさっきまでの悩みとは全然違う。
結果、どうでもいい。
願い事を聞いてくれただけでもお賽銭奮発の感謝レベルだから。
明日ちゃんと持ってこようと思う。
ふわりと足元から風が吹き上げた。
優しい風だ。
昔からよく吹いていた気がする。
気がついたらナナオがいなくなっていた。
「あ、ナナオ・・・・。」
彼女も気がついた。
「もう遅いから、じゃあ、また明日。午後には帰るから、遊びに来てね。待ってるからね。」
そう言って端の『おとうと犬さん』を撫でる彼女。
当たり前のように。
立ち上がった彼女と手をつないで石段を下りた。
一番下まで行って見上げたら、そこにいる気がした、でもいなかった。
二人で森を出て、家に帰る。
もういい。何でナナオなのか、いいや。
わざわざ耳元で教えてくれたんだから。
自分の願い事を聞いてくれた神様の御遣い様を疑うなんてしない。
いつの間にかすっかり夕方になっていた。
彼女と二人でおじいさんとおばあさんにも挨拶をして、また明日遊びに来ると言って自分の家に帰った。
彼女の何倍もここに暮らしてきたのに、他にももっと長く暮らしてる大人もいるのに、今までそんな不思議な話は聞いたことがない。
内緒にしてる誰かがいるのだろうか?
何で彼女はすんなりとナナオの声が聞こえて、信じられたんだろう。
不思議なことだけど、なんとなく分かる気もした。
小さかった彼女があそこで寂しい思いをこらえきれずにつぶやいたとしたら、きっと神様だって思いが募るだろう。何か力になってあげようと思ったかもしれない。
それが自分の願い事を叶えることとぴったり重なったのはたまたまなんだろう。
森はひっそりと夜をまとい黒い影でしかなくなった。
ナナオも今頃役目を終えてほっとしてるだろうか?
本当に時々遊びに来てくれればいい、僕もそう思った。
明日たっぷりのお賽銭を入れながら、再会を約束して欲しい。
不思議な喋る狐犬の友達がいてもいいじゃないか。
そんな特別が二人には普通だったとしてもいいじゃないか、そう思ったから。
『千早ちゃん。また、明日。お休み。』
自分のメッセージがすぐ近くにいる彼女に届くのが見えるような、そんな夜だった。
『また明日いろいろと教えるね。楽しみにしててね。お休み。』
彼女の笑顔を思い出して、不思議な一日を終わりにした。
これからだって何度も一緒にここに帰ってくると思う。
そのたびにあそこに行くんだろう。
自分達がもっともっと大人の顔をしても、ナナオはあのままで、昔のことまで知られてるって分かったら、大人のふりなんてできないかも。
あそこでは刻が止まったように、変わらず優しい風が吹くのだろう。
二度も乱暴に転ばされそうになったことは忘れよう。
本当に転がりそうだったら、きっと助けてくれる風も吹いただろうから。
携帯を握りしめたまま、そんな事を思いながら、眠った。
すごく懐かしい夢を見た。
小さな手をつないで、自分が可愛い女の子にスコップを持たせて、砂場に向かってる。
あの頃の記憶だろうか?
忘れてた、あの最初の日、何をして遊んだんだろう?
声をかけたことまでで記憶はなくなってる。
本当に一緒に砂場で山でも作ったんだろうか?
お城だろうか?
それとも犬を?
いつかもっと忘れたシーンを思い出したい。
話しはしなくても結構よく視界に入れていたから。
こっそり近くにいたこともあるんだから。
新しい思い出が出来ても、その特別感は少しも色褪せない。
僕の大切な女の子、それは絶対変わることはないと思う。
そう思って浮かんんだ彼女の肩にはナナオが乗っていた。
小さくて変わりないあの姿のまま。
やはり変わらない笑い顔で。
風が吹いた気がした。
いつでも会える場所がある。
きっと、ずっとずっと変わらないんだろう。
また会いに来ればいい。二人で。
またね。
終わり
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