禁じられた運命の香り〜白銀の研究者と翡翠の王子〜

ひなた翠

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第五章:抗えない運命の番

主治医の困惑

 ドアが開く音が聞こえて、一人分の足音が近づいてきた。

 女性オメガ医師のエレノア先生だった。三十代半ば、優秀な医師らしいと聞いている。先生が代わりの医師として推薦し、父が許可をだした人だ。一度だけ検診をしたときに会ったが、物腰の柔らかい人で、優しく診てくれた。
 でも、今の僕に必要なのはエレノア先生じゃない。

「殿下、失礼します」

 エレノア先生が、ベッドの下で丸くなっている僕に近づいた。床に倒れたまま、身体を丸めて震えている僕を見て、エレノア先生の顔が曇った。手際よく診察が始まって、脈を測られ、額に手を当てられ、瞳孔を確認された。

「ヒート……ですね」
 エレノア先生も動揺しながら診断結果を告げた。

 初めてのヒートから、僕は周期がズレることなくきていたのだから、エレノア先生も驚いているのだろう。
 先生の一通りの診断を終えると父と母が部屋に駆け込んできた。父の足音が重く響いて、母の息が荒かった。

「どういうことだ? まだ三週間しか経っていないぞ」
 父の怒りが声に滲んでいる。

「生活リズムが変わったために、ヒートの周期が狂ったのでしょう」
 エレノア先生が説明をする。それくらいしか要因が思い当たらない。

 先生にもう会えないという絶望に、身体が反応してしまったのだろう。本能が生殖の危機を感じて、身体をヒート状態にしたように思う。

 ヒートになれば――感情など置き去りにして嫌でも求めてしまうから。

「すぐに抑制剤を……」
 エレノア先生が、医療鞄から注射器を取り出した。

「先生、僕……薬が効かなっ」
「カルテにあったので、最初から一番強いのを持ってきています。だから大丈夫ですよ」

 エレノア先生が僕の頭を撫でてくれた。安心してね、という言葉が聞こえてきそうだ。

(一番、強い薬……)

 先生は使うのをすごく嫌がっていた。強制力が一番強いから、身体にもそれ相応の負担がかかる。「リエルの身体に負担がかかるものは使いたくない」って話してくれていた。

 ルナには何の躊躇いもなく、打つのにって反論したら、「彼女にはその選択肢しかないから」と答えていた。
 あの時は、薬を使わなくても先生が僕のヒートを鎮めてくれる道があった。

(今の僕には――ルナと同じで選択肢がない)

 強い薬しか、この欲望を抑えられない。
 父と母がベッドの近くで見守るなか、僕は抑制剤の注射を打つことになった。

「これで、楽になりますよ」

 エレノア先生が微笑んで、僕の腕を優しく掴んだ。冷たいアルコール綿で拭かれて、針が刺さる感触があった。
抑制剤の液体が体内に入ってくるのがわかる。

(本当にこれで効くのだろうか)
 僕はベッドの下で身体をさらに小さく丸めると、止まらない震えに耐えた。

 ――二十分が経過した。

 時計の音が響いて、秒針が刻々と時を刻んでいく。

(何も変わらない)

 身体は相変わらず熱くて、下腹部の疼きも収まらなかった。孔が疼いて、愛液が止まらなくて、先生を求めて身体がまだ泣いていた。

(全然、楽にならない)

 やっぱり僕の身体は、薬が効かないんだ。

「おかしいですね……」
 エレノア先生が困惑した顔をした。何度もカルテを確認して、僕の様子を観察している。

「もうとっくに、効いているはずなのに」
「効いて、ないです……。全然――楽に、なりません……」

(先生がほしい。先生に抱かれたい)

 口から勝手に溢れてしまいそうで、僕は唇をぐっと噛み締めた。愛液で濡れたズボンが、さらに絨毯へと濃いシミを作っていく。

(つらい……こんな自分、嫌だ)

「もっと強いものを打てないのか」

 父がエレノア先生に言葉を投げる。何もできずに苛立っているのが伝わってくるが、イライラするくらいなら、ラインハルト先生を呼んでほしいと思ってしまう。

「これが一番、強いものです。前任者の医師から以前使用して効果のなかった抑制剤のリストをもらっていましたので。すごく詳しく丁寧にアリエル様を診ていたようです。大切にされていたのが伝わってくる」

 前任者とはラインハルト先生のことだ。
 診察のたびに、視線を合わなくていつも悲しく思っていた。先生が見つめているのはカルテばかり。

 診察が終わっても、カルテに書き込んで僕を見ようともしない――そう傷ついていたけれど、先生は僕の身体について、きちんとカルテに書き残してくれていたんだ。

 エレノア先生が思わず「大切にされていた」と言葉を漏らすくらいに。

(嬉しい)
 やっぱり僕は、先生が好きだ。先生じゃなきゃ……無理。

「ふん」
 父が不機嫌に鼻息を荒くした。ラインハルト先生の話題を出されて、さらに機嫌が悪くなったようだった。

「ならもう一回打て」
「駄目です。インターバルが必要です。最低八時間は開けないと」

 エレノア先生がきっぱりと断る。

「そんなに! こんなに苦しんでいるのにか! 八時間も耐えされるのか」
 父が怒鳴った。声が部屋中に響いて、僕の身体がびくりと震えた。

(だから言ったじゃん)

 僕には薬が効かなくて、効くのは先生のだけって。先生が運命の番だって。

「父上、エレノア先生を責めないでください。僕のヒートは薬が効かないんです」

 僕はベッドの下で丸まった状態のまま、父に言った。エレノア先生のせいじゃない。僕の身体がおかしいんだ。先生に抱かれないと、僕の熱はひかない。

「どうして……」
 エレノア先生が動揺した声で呟いた。

「こんな患者、見たことがありません」
 医師として、対処法がわからないことに困惑しているのが分かった。

「前任者のカルテに事細かに書かれてあったのだろ! なにか手立てはないのか」

 父が怒鳴る。手立てが一つしかないって、父だって知っているのに。どうしてもその方法以外で、乗り越えたいという意志が伝わってきた。

「それが――」

 エレノア先生が、持っていたカルテをめくって確認した。ページをめくる音が聞こえる。

「『抑制剤は効果なし』とだけ……」
 エレノア先生の声が小さくなった。

「事細かにカルテには書いてあるのだろう? 対処法くらい書いてあるだろ!」
「何も記載がありません」

 エレノア先生の声が震えた。父の気迫に、先生が怯えているようだ。

「前任者は、どうやってヒートを抑えていたんでしょう……」
 エレノア先生の疑問に、僕は答えられなかった。

 先生に抱かれて、一晩中愛し合って、ヒートを鎮めていたなんて、言えない。より強くなる症状に、僕は身体を小さく丸めるしかできなかった。

「くそっ」

 父が吐き捨てた。何も手立てがないまま、時間だけが過ぎていく。僕の苦しみは増していくばかりだ。
 ちょうど三十分が過ぎたところで、父の隣にいた母が動いた。

「ユーリ?」

 父が呼び止めるのも聞かずに、母が僕のもとに来て優しく抱きしめてくれた。温かい腕が、僕を包み込んでくれる。

 ふわりと先生の匂いがした。
 冬の森のような、冷たく鋭い香り。先生の香りだ。母の服に、先生の香りが染み込んでいた。

(なんせ……先生の匂いがするの?)

「母上?」
 僕は驚いて母を見上げた。

「ラインハルト先生から、抑制剤が効かなかったらこれを飲んでほしいって」
 母が小さな小瓶を差し出した。透明な液体が入った小瓶だった。

(先生の――薬)

「先生が?」
 僕の声が震えた。先生が、僕のために薬を作ってくれたんだ。

「それでも駄目だったら、死刑覚悟でここに来るって」
 母の言葉に、僕の心臓が激しく跳ねた。

「それは……駄目! 絶対」

 僕は首を左右に振った。先生を危険に晒すわけにはいかない。たとえこれを飲んで、効かなかったとしても僕は普通に戻ったふりをしないと。

(平気なふりをしなくちゃ。先生に迷惑はかけられない)

 僕は震える手で小瓶を受け取ると、一気に飲み干した。苦い液体が喉を流れ、胃に落ちていく。
 僕は母の腕から出ると、必死にベッドに這い上がった。手足に力が入らなくて、何度も滑り落ちそうになりながらも、やっとベッドに横になる。

 先生の薬を飲んでから、数分で呼吸が楽になり、何をしても止まらなかった震えが落ちついた。霞がかっていた意識もかなりクリアになる。

 ただ身体の熱さと疼きは軽減されていなかった。まだ熱くて、まだ苦しくて、先生を求めて身体の奥から愛液が溢れ出てきていた。
 母が父の隣に戻ると、父が低い声で訊ねた。

「何を飲ませた?」
 父が母を睨んでいる。琥珀の瞳が、怒りに燃えていた。

「さあ?」
 母が知らないふりをした。わざとらしく首を傾げている。

「ユーリ!」

 父の怒鳴り声が部屋中に響いて、エレノア先生が怯えた表情で後ずさった。父の気迫に全く動じない母がすごい。

 母が父を睨みつける。翡翠色の瞳が、怒りに燃えていた。いつもは優しい母が、こんなに怒った表情を見せるなんて珍しい。

「あなたのかつての友人からです! 抑制剤を打って三十分しても効果がないときは、飲ませてほしいと言ってた。それで無理なら、打つ手はないって。アリエルのヒートがどれくらい続くかは未知数で、体力が落ちている今、万が一もあると――」

 母が視線を逸らして、目に涙を浮かべた。

「その可能性がある以上、僕はシオンに憎まれようが怒鳴られようが、このままアリエルが苦しんでいるなら、僕の判断で、僕の友人を呼びますから。彼も死刑覚悟で来るって言ってましたし」

 母が言い切った。強い口調だった。息子を守るために、夫に逆らう覚悟を決めた――そんな表情をしていた。
「駄目っ! 絶対呼ばないで。平気だから、ほら……全然! 先生の薬、効いてるっ……よ」

 僕は必死に起き上がって笑顔を見せようとした。

(先生を呼ばないで)

 危険な目に晒したくない。僕は一人で乗り切るんだ。

 でも、身体が言うことを聞かなかった。急激な眩暈が襲ってきて、世界がぐるぐると回った。力が抜けて、ベッドに倒れ込んでいく。

(あれ……みんなの声が遠い)
 意識が暗闇に沈んでいって、僕は気を失った。
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