愛の物語を囁いて

ひなた翠

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無慈悲な相手

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 先生との電話が終わり、僕はよろよろと回転椅子に倒れ込むように座った。

『俺の言うことを実行してくれ』

 先生の言葉が脳裏で再生される。

 僕は携帯を握りしめたまま、学校の教科書類が並んでいる本棚を茫然と眺めた。

 英先生との接点を全て消去するなんて……。

 僕は携帯の電話帳を開き、先生のアドレスを引きだした。

『まず俺のアドレスを消去しろ』

 消去したくない。これを消してしまったら、僕は先生と連絡が取れなくなってしまう。先生と話が出来なくなる。

 声が聞きたいときに、先生の声を聞けない。

 嫌だよ。先生のアドレスを消すなんて。

 でも先生と約束したから。やらなくちゃ。

 僕はアドレスの消去ボタンに指を置く。『消去しますか?』という問いかけに、心の中で「嫌です」と答えながら、目をつぶってボタンを押した。

 30秒ほど目を閉じたままやり過ごす。

 これで目を開ければ、先生のアドレスは綺麗に消えているだろう。

 開けたくない。目を開いて、現実を見たくない。それでも次の作業がある。僕は目を開けなくちゃ。

 ゆっくりと瞼を持ち上げて携帯を見つめる。

 電話帳にいれていた先生のアドレスは、すっかり消えていた。

 次にやるべきことは、履歴の消去。アドレスから消えても、履歴で番号がわかってしまう。だからそれも消すように言われた。

 僕は震える指で、先生の履歴を全て消去した。

 携帯の中に、先生の痕跡が消えた。

 僕はもう……これで、先生と連絡が取れない。

 先生も、僕と同じように全て消去するって言っていた。だから、僕たちは連絡を取り合うことはもうないんだ。

 先生の声が聞きたくても、僕は先生と話しができない。

 僕は携帯を机に投げると、顔を伏せた。目頭が熱くて、涙がじわじわと溢れてくる。

 ただアドレスを消しただけ。学校に行けば、先生に会える。声が聞きたいなら、学校に行けば聞けるじゃないか!!

 それに僕たちの関係を消去したわけじゃない。

 先生が僕を想ってくれてて、僕も先生が大好きな事実は変わらない。

 僕がやったのは、ただ携帯のアドレスを消しただけに過ぎないんだ。

 先生と別れたわけじゃない……だから、泣くようなことじゃないはず、なんだ。

「じゃあ、どうしてこんなに苦しいんだよぉ」

 僕はパジャマの胸倉をつかむと、嗚咽を漏らして涙を流した。

 苦しいよ。辛いよ。

『志望校もかえてくれ。第一希望だった大学を第三志望に移動して、この前切り捨てた地方の大学二つを第一、第二に書き直して提出してくれ』

 書き直して、地方の大学に受かってしまったらどうするの?

 僕は先生と離れてしまう。ただでさえ、今は先生と一緒に居られないのに。

 大学生になっても、遠距離で会えない生活になるなんて嫌だよ。

 先生、僕は先生の傍で生きていきたいんだ。どうしたら、僕は先生の傍にいけるの?

 僕たちの関係はこのまま、消えてしまいそうで怖いよ。

 このまま『さよなら』なんて、絶対嫌だよ。

『最後に、もう俺のアパートには絶対に来るな』
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