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第2章 これは生き残りのゲーム(2日目)

2ー7 恋人たち1

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「恋をしなさい」
 母はいつも言った。

「学生時代の恋愛ほど素敵なものはない」
 父や兄と言った男たちがいないのを見計らい、昔の彼氏とデートで行った場所してもらったことを自慢する。コマラも姉も飽き飽きで肩をすくめた。
「恋愛と結婚は別。インドの女なら皆弁えていること」
 だからこそ結婚前の恋愛は素晴らしい! 構わず母は主張した。
 コマラにはピンとこなかった。
 映画でシャー・ルク・カーンとディーピカーが恋に落ちれば素敵だなあと思うくらいだ。
「嫌だね! この子シャールクとデートする気でいるよ!」
 理想が高すぎると遊びに来ていた伯母も笑った。
「コマラは純情だから、そんなに勧めて変な男に引っ掛かったら困るわ」
 伯母が言う。と母は結婚とは神様への誓い、夫婦は神様が結びたもうもの。神聖な絆の間だけで許されることを迫る男性とは付き合ってはいけない、と恐い顔を作った。
 もっとはっきり言えばいい。
 コマラは結婚前にそういうことをするふしだらな女ではない。
「後はお酒を勧める男は絶対駄目。そうなったらなりふり構わず走って逃げてきな!」
 伯母が付け加えた。
 遊び人のガーラブやラケーシュ・ヴィノードたちが年を誤魔化して入ったクラブでナンパして飲んでいる話は耳にしている。ああ如何にもと納得した。

 ヤトヴィックとは国語ヒンディー語の課題提出のグループで一緒になった。
 ナラヤンがいたので課題自体は楽勝だった。
 スター男子三人組のうち、クリケットにカバディにサッカーとスポーツ万能のアッバース、成績が不動のトップであるのみならず頼りがいがあり、教室にいるだけで明るくなるような存在のスティーブンと比べれば彼は地味だ。
 だがナラヤンは我が国インドの文化を愛していて古典やヒンドゥーについては恐ろしく詳しい。また女子の間で噂されているのだが実は一番顔が良い。端正という少し古めかしい言い方が似合う整い方だ。
 という訳で他の女子たちはナラヤンと近づける機会に喜んでいたようだが、コマラはヤトヴィックに興味を持った。視点が違う、と思った。
「何を調べているの」
 聞くと
「本」
 と一言返ってきたが突っ込むと、
「図書館を使っている」
 と答えてくれた。

「皆ネットに頼り過ぎな気がする」
 彼の方法を教えてもらった後、図書室から降りる階段で話した。
「ナラヤンはいいんだ。あいつはよく知ってるから、根拠はどこにあるかネットで確認するだけでいいと思う。おれは知らないから、もっと広いところから探さないと……」
 最初に地図を見て現在位置を確認する。だから本だ、と彼は言った。

 課題が終わっても学校近くのコーヒーショップで、モールでと個人的に会った。
 数回目の時、モール外周のテラスを歩きながら尋ねた。
「私たちどんな感じ?」
「わからない」
 答えに落胆する。
「ただ、おれは好きだ」
 足を止め、こちらをまっすぐに見つめた。
「私も好き」
 言ってから急に恥ずかしくなって顔を伏せた。
 今まで胸をよぎったことのない感情が押し寄せた。
 吹く風に木の葉が舞い上がり足元で踊るのが映画のようだった。


 父が厳しいから、と家族や学校の子に見つからなそうな場所を選んでデートをした。
 これは本当だ。個人的に男の子と会っていると知られたらただではすまない。一方母は彼氏が出来たら連れて来いと言っていた。家に来たら歓待するだろう。そして高校を卒業したなら、
「あの子とは別れた? 大学ではまた別の恋をしなさい」
 と言うに違いない。
 だから言えなかった。

 インドでは恋愛と結婚は別。
 結婚は先祖と未来それぞれに責任を負う一族繁栄への義務。「結婚出来る」相手は限られている。
 その範囲内ー親戚との会合や法要で会った人などーなら恋に落ちても親を通せば結婚させてもらえる可能性は高い。
 だがヤトヴィックは「結婚出来る」相手ではない。

 彼の顔を見ることがなく、話も出来ない人生など耐えられるのだろうか。
 試験までの1ヶ月は共に試験勉強に集中しよう、とふたりで決めている。
 進学に大きく影響する州の試験だから当然だ。だがひと月ですら想像するだけできついのに、別れる選択はあるのだろうか。

「私はインドの女にはなれないのかな……?」



〈注〉
・シャー・ルク・カーン インドのトップスター、三カーンのひとり。
・ディーピカー ディーピカー・パードゥコーン ボリウッドの人気女優
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