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第二章 Redemption -レデンプション-
28
錆びた鉄の匂いが鼻を刺した。
湿った空気が肺にまとわりつき、息をするたびに喉の奥が軋む。
意識がぼんやりと浮上する。
重たい瞼を上げると、薄暗い天井が見えた。
蛍光灯がちらちらと点滅している。
――ここは、どこだ。
身体を動かそうとした瞬間、両手首と足首に強い圧迫感が走る。
荒い縄の感触。
縛られている。
背中の下には冷たいコンクリートの感触があった。
「……っ、く……」
頭の奥がずきずきと痛む。
殴られた箇所が脈を打っている。
「お、こいつやっと目ぇ覚ましたぜ」
若い男の声。
荒っぽく笑うような調子で、どこか軽い。
その声に反応して、数人の足音が近づいてきた。
視界をゆっくり動かすと、
倉庫のような空間――金属製の棚、油の染みた床、崩れた木箱。
そしてその合間に、数人の男が立っている。
どれも見知らぬ顔。
服装はばらばらだが、漂う空気はひとつだった。
悪意の色。
「……ここ、は……」
声を出すと、喉が痛む。
「質問すんのは後だ、じっとしてろ」
無造作に蹴りが入る。
肩口に鈍い衝撃が走り、息が詰まった。
――やばい。
本能がそう告げた。
何をされるかはわからない。
けれど、この空気だけは知っている。
生きたままここを出られる保証はない。
綾辻は、歯を食いしばりながら周囲を見渡した。
暗がりの隅に、古びた作業灯がひとつ。
壁の向こうには扉。
けれど、そこまでの距離は遠い。
雨の音がどこかで響いていた。
屋根を叩くその音が、外の世界がまだ存在していることをかろうじて知らせてくるようだった。
「……心当たりは?」
ひとりの男が言った。
声は低く、どこか楽しんでいるようでもあった。
綾辻は答えなかった。
湿った空気の中で、鉄の臭いと汗の臭いが混ざる。
舌の奥に、鉄の味が広がっていた。
――心当たり。
ありすぎて、どこから数えればいいのかわからない。
沈黙が気に障ったのか、男が近づく。
靴底がコンクリートを軋ませ、綾辻のすぐそばで止まった。
「八木さんを殺ったの、おまえだよな」
その名に、綾辻のまぶたがわずかに動いた。
けれど口は開かない。
目だけが、暗がりの中でゆっくりと男を捉える。
「黙ってんじゃねえよ」
次の瞬間、拳が飛んだ。
頬に衝撃が走り、視界が一瞬白く弾ける。
頭が床にぶつかり、鈍い音が倉庫に響いた。
「答えろって言ってんだろうがッ!」
怒号が、耳の奥を焼く。
もう一度、今度は腹に蹴りが入った。
空気が肺から押し出され、喉の奥で声にならない音が漏れる。
「せっかく娑婆に出たっていうのに……!」
男の声が震えていた。怒りというより、恨みのにじむ声だった。
「八木さんは、おまえに殺されたんだよ!」
吐き捨てるような叫びとともに、拳がまた振り下ろされる。
衝撃のたびに、頭の中がぐらぐらと揺れた。
目の前の世界が、ゆっくりと霞んでいく。
綾辻は、ただ息を乱しながら、
それでも何も言わなかった。
男の声は、低く、ざらついていた。
「見つかった時は、もう……ひどい状態だった。見りゃわかるさ。――おめえのせいだって、みんな言ってる」
綾辻は顔を伏せたまま、息を整える。
「何が目的なんだよ」別の男が吐き捨てるように言った。
「おまえも同じ目に遭わせてやる。そしたら、みんな少しは気が晴れるだろうよ」
脅しの言葉が、押し寄せる波のように何度も繰り返される。
綾辻の胸の奥で、古い痛みがざわつく。
八木の名は、彼の中で刺のように疼いた。
しかし口は利かない。
言葉を返せば、いまここで何かが動き出すことを、体が本能で知っているのだ。
殴る、蹴るといった動作がもう一度起きる。
男たちの怒声、鉄の床に響く足音、綾辻の息づかいが交錯する。
「答えろよ!」と一人が叫び、近づいてきた。
綾辻は歯を食いしばる。
目の端に、外に通じる小さな窓が見えた。淡い雨の光が差し込む。
逃げ道の可能性を探る思考が、しかし縛られた体内でぐるりと空回りする。
湿った空気が肺にまとわりつき、息をするたびに喉の奥が軋む。
意識がぼんやりと浮上する。
重たい瞼を上げると、薄暗い天井が見えた。
蛍光灯がちらちらと点滅している。
――ここは、どこだ。
身体を動かそうとした瞬間、両手首と足首に強い圧迫感が走る。
荒い縄の感触。
縛られている。
背中の下には冷たいコンクリートの感触があった。
「……っ、く……」
頭の奥がずきずきと痛む。
殴られた箇所が脈を打っている。
「お、こいつやっと目ぇ覚ましたぜ」
若い男の声。
荒っぽく笑うような調子で、どこか軽い。
その声に反応して、数人の足音が近づいてきた。
視界をゆっくり動かすと、
倉庫のような空間――金属製の棚、油の染みた床、崩れた木箱。
そしてその合間に、数人の男が立っている。
どれも見知らぬ顔。
服装はばらばらだが、漂う空気はひとつだった。
悪意の色。
「……ここ、は……」
声を出すと、喉が痛む。
「質問すんのは後だ、じっとしてろ」
無造作に蹴りが入る。
肩口に鈍い衝撃が走り、息が詰まった。
――やばい。
本能がそう告げた。
何をされるかはわからない。
けれど、この空気だけは知っている。
生きたままここを出られる保証はない。
綾辻は、歯を食いしばりながら周囲を見渡した。
暗がりの隅に、古びた作業灯がひとつ。
壁の向こうには扉。
けれど、そこまでの距離は遠い。
雨の音がどこかで響いていた。
屋根を叩くその音が、外の世界がまだ存在していることをかろうじて知らせてくるようだった。
「……心当たりは?」
ひとりの男が言った。
声は低く、どこか楽しんでいるようでもあった。
綾辻は答えなかった。
湿った空気の中で、鉄の臭いと汗の臭いが混ざる。
舌の奥に、鉄の味が広がっていた。
――心当たり。
ありすぎて、どこから数えればいいのかわからない。
沈黙が気に障ったのか、男が近づく。
靴底がコンクリートを軋ませ、綾辻のすぐそばで止まった。
「八木さんを殺ったの、おまえだよな」
その名に、綾辻のまぶたがわずかに動いた。
けれど口は開かない。
目だけが、暗がりの中でゆっくりと男を捉える。
「黙ってんじゃねえよ」
次の瞬間、拳が飛んだ。
頬に衝撃が走り、視界が一瞬白く弾ける。
頭が床にぶつかり、鈍い音が倉庫に響いた。
「答えろって言ってんだろうがッ!」
怒号が、耳の奥を焼く。
もう一度、今度は腹に蹴りが入った。
空気が肺から押し出され、喉の奥で声にならない音が漏れる。
「せっかく娑婆に出たっていうのに……!」
男の声が震えていた。怒りというより、恨みのにじむ声だった。
「八木さんは、おまえに殺されたんだよ!」
吐き捨てるような叫びとともに、拳がまた振り下ろされる。
衝撃のたびに、頭の中がぐらぐらと揺れた。
目の前の世界が、ゆっくりと霞んでいく。
綾辻は、ただ息を乱しながら、
それでも何も言わなかった。
男の声は、低く、ざらついていた。
「見つかった時は、もう……ひどい状態だった。見りゃわかるさ。――おめえのせいだって、みんな言ってる」
綾辻は顔を伏せたまま、息を整える。
「何が目的なんだよ」別の男が吐き捨てるように言った。
「おまえも同じ目に遭わせてやる。そしたら、みんな少しは気が晴れるだろうよ」
脅しの言葉が、押し寄せる波のように何度も繰り返される。
綾辻の胸の奥で、古い痛みがざわつく。
八木の名は、彼の中で刺のように疼いた。
しかし口は利かない。
言葉を返せば、いまここで何かが動き出すことを、体が本能で知っているのだ。
殴る、蹴るといった動作がもう一度起きる。
男たちの怒声、鉄の床に響く足音、綾辻の息づかいが交錯する。
「答えろよ!」と一人が叫び、近づいてきた。
綾辻は歯を食いしばる。
目の端に、外に通じる小さな窓が見えた。淡い雨の光が差し込む。
逃げ道の可能性を探る思考が、しかし縛られた体内でぐるりと空回りする。
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