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85 《番外編》天使は悪女に恋をする⑤
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突然の求婚に驚いたエリザベートは、淑女らしくない声を上げた。
(そんな様子も可愛らしいと感じてしまうのだから、僕は思った以上に彼女を好いているのかもな)
ジェレミーは心の中で小さく笑った。
だが、次第に冷静さを取り戻したエリザベートは、先日の茶会で虐めっ子ボス令嬢に向けたのと同じ、冷めた眼差しをジェレミーに向ける。
「公爵令嬢との縁をご希望でしたら、私ではご期待には添えないと思いますよ。
同じ様なお申し込みは、以前他の方からも頂きましたが、皆様、結局は目論見が外れたと辞退なさいました」
「他の男と僕を一緒にしないで頂きたい」
彼女の置かれている状況を考えれば、無理も無い反応なのかもしれないが、ジェレミーは少しムッとして反論した。
「事実を述べたまでです。
私は両親とも兄とも不仲ですので、公爵家の後ろ楯は無いも同然なのです。
家同士の縁を望むのでしたら、異母妹のアニエスに求婚なさった方がよろしいかと」
「自分で言うのも何ですが、僕はデュドヴァンの嫡男です。
好きでもない女性と婚姻をしてまで、公爵家如きの威光を手に入れる必要は有りません」
ジェレミーの言葉に、エリザベートは顎に手を添えて考え込む様な仕草をした。
「……それもそうですわね。では、何が目的なのですか?」
先程迄の厳しい表情を少しだけ和らげたエリザベートは、不思議そうに首を傾げる。
「貴女を好きになったからです」
「………………………は?
えっっ? 何? 好っ……、いや、えぇぇっ!?」
少し長めの沈黙の後、漸くジェレミーの言葉の意味を理解したらしいエリザベートは、酷く動揺し、挙動不審になった。
(やっぱり、可愛い)
彼女の頬が真っ赤に染まるのを見て、ジェレミーは思わず微笑む。
「何かの冗談、ですか?」
「いいえ。こんな趣味の悪い冗談は言いませんよ。
それにしても、惚れた女性に他の女性との縁を勧められるとは、夢にも思いませんでした」
「それは……、大変、失礼致しました。
ですが、信じられないのも当たり前ではないですか?
デュドヴァン様と私は、クラスメイトではありますが、先日のお茶会の時まではお話しした事も無かったですし……」
「そうですね。
実を言うと、あの時の貴女の勇姿に惹かれてしまったのです。
まだ芽生えて日が浅い、淡い想いではありますが、近い将来、僕は貴女の事をもっと深く愛する様になると確信しています」
「未来は誰にも分かりませんよ」
「自分の事は自分が一番分かっています。
僕の全てを賭けても良いですよ」
「……お言葉はありがたく頂戴しますが、婚姻は無理だと思いますよ。
ウチに来た条件の良い相手との縁談は、全て妹に回されます。
私と貴方との婚姻は、絶対に父が許しません」
「その心配は必要ありません」
そう言ったジェレミーは、一枚の書類をエリザベートに差し出した。
それを見た彼女は、弾かれた様に顔を上げる。
「これは……」
「どうやって入手したかは、聞かないで頂けるとありがたいです」
その書類は、家長が未成年の自分の子供の婚姻を許可する際に、婚姻届と共に提出しなければならない物だ。
既にラマディエ公爵はサイン済みで、印も押されており、嫁ぎ先の名前を記入するだけの状態になっている。
そう、これは、公爵の執務机の引き出しから拝借した物。
以前は貴族令嬢の婚姻には、本人が成人している場合でも家長の許可が必要だった。
だが、数年前に法改正があり、『男女共に、婚姻が可能な年齢である十四歳から成人と見做される十八歳までの期間のみ、家長の許可が必要』と改められた。
つまりは、エリザベートが成人すれば、父の許可が無い相手にも自分の意思だけで嫁ぐ事が可能となるのだ。
公爵は、そうなる前に彼女を自分の都合の良い相手に売ろうと考えていたらしく、その為に予め書類を用意しておいたのだろう。
執務室にあった開封済みの手紙の中には、金だけはあるが評判が最悪な家との縁談に関する物が複数あった。
そこから推測すると、現在、候補となっている相手は三人ほど居たらしく、公爵は何処に娘を売るか決めかねていた為、嫁ぎ先のみ空欄になっていたみたいだ。
もう少し動くのが遅かったらと考えると、ゾッとする。
だが、この書類は公爵を脅して作成させるか、それとも偽造するかと考えていたので、手間が省けて良かったとも言える。
「改めて、僕の妻になってくれませんか?
貴女が僕の事をただの同級生としか思っていないのは分かっています。
直ぐに想いを返してくれとは言いません。
ですが、貴女の父親が選ぶ相手よりは、僕の方が百倍マシなつもりです。
貴女が嫌がる事は決してしないと約束します。
だから、どうか僕の手を取って下さい」
自信満々に見えるジェレミーだが、エリザベートに差し出したその手は、ほんの少し震えている。
「分かりました。よろしくお願いします」
エリザベートは迷いながらもジェレミーの手を取った。
ジェレミーは漸く緊張を解いて、ホッと胸を撫で下ろした。
「ああ……良かった」
「ですが、私の実家は、貴方の家に迷惑をかけるかもしれません」
「その件ですが、貴女はラマディエ公爵家をどうするべきだと思いますか?
完全に潰して、貴女を攫う事も可能ですし、もしもご家族に対する情が残っているのなら、もう少し穏便に解決する事も出来ます」
ジェレミーのその問いに、エリザベートは迷う事無く答えを出した。
「潰して下さい。遠慮無く。
婚家に迷惑を掛けるのは、私の本意ではありません」
「了解しました」
エリザベートの決意を秘めた表情を見て、ジェレミーは笑みを深めた。
「ですが、無茶な事はなさらないで下さいね」
エリザベートのその忠告に若干の後ろめたさを感じたジェレミーは、誤魔化す様に曖昧な笑みを浮かべながら、冷めた紅茶を飲み干した。
それから更に数日後の夕刻、王都の外れにある、森の中にひっそりと佇む大きな建物には、顔を隠した大勢の貴族や、金持ちの商人達が集まっていた。
彼等には、素行に問題があるという共通点がある。
屋根の上に身を隠していたディオンは、天窓を小さく開き、建物の中にラマディエ公爵のピンバッジをポイッと投げ入れた。
今日、この建物の中に入るのは少々危険な為、数日前に天窓の鍵をこっそり壊しておいたのだ。
「全く、人使いが荒いよねぇ。
わざわざ王都まで呼び出して、情報収集だけでなく、こんな仕事までさせられるなんてさぁ。
まあ、他でも無いミシェルからもお願されたら聞かない訳には行かないけど……。
後で甥っ子クンには文句を言ってやらなきゃ」
ディオンはブツブツと独り言を呟きながら、誰の目にも留まる事無く、深い森の奥へと姿を消した。
(そんな様子も可愛らしいと感じてしまうのだから、僕は思った以上に彼女を好いているのかもな)
ジェレミーは心の中で小さく笑った。
だが、次第に冷静さを取り戻したエリザベートは、先日の茶会で虐めっ子ボス令嬢に向けたのと同じ、冷めた眼差しをジェレミーに向ける。
「公爵令嬢との縁をご希望でしたら、私ではご期待には添えないと思いますよ。
同じ様なお申し込みは、以前他の方からも頂きましたが、皆様、結局は目論見が外れたと辞退なさいました」
「他の男と僕を一緒にしないで頂きたい」
彼女の置かれている状況を考えれば、無理も無い反応なのかもしれないが、ジェレミーは少しムッとして反論した。
「事実を述べたまでです。
私は両親とも兄とも不仲ですので、公爵家の後ろ楯は無いも同然なのです。
家同士の縁を望むのでしたら、異母妹のアニエスに求婚なさった方がよろしいかと」
「自分で言うのも何ですが、僕はデュドヴァンの嫡男です。
好きでもない女性と婚姻をしてまで、公爵家如きの威光を手に入れる必要は有りません」
ジェレミーの言葉に、エリザベートは顎に手を添えて考え込む様な仕草をした。
「……それもそうですわね。では、何が目的なのですか?」
先程迄の厳しい表情を少しだけ和らげたエリザベートは、不思議そうに首を傾げる。
「貴女を好きになったからです」
「………………………は?
えっっ? 何? 好っ……、いや、えぇぇっ!?」
少し長めの沈黙の後、漸くジェレミーの言葉の意味を理解したらしいエリザベートは、酷く動揺し、挙動不審になった。
(やっぱり、可愛い)
彼女の頬が真っ赤に染まるのを見て、ジェレミーは思わず微笑む。
「何かの冗談、ですか?」
「いいえ。こんな趣味の悪い冗談は言いませんよ。
それにしても、惚れた女性に他の女性との縁を勧められるとは、夢にも思いませんでした」
「それは……、大変、失礼致しました。
ですが、信じられないのも当たり前ではないですか?
デュドヴァン様と私は、クラスメイトではありますが、先日のお茶会の時まではお話しした事も無かったですし……」
「そうですね。
実を言うと、あの時の貴女の勇姿に惹かれてしまったのです。
まだ芽生えて日が浅い、淡い想いではありますが、近い将来、僕は貴女の事をもっと深く愛する様になると確信しています」
「未来は誰にも分かりませんよ」
「自分の事は自分が一番分かっています。
僕の全てを賭けても良いですよ」
「……お言葉はありがたく頂戴しますが、婚姻は無理だと思いますよ。
ウチに来た条件の良い相手との縁談は、全て妹に回されます。
私と貴方との婚姻は、絶対に父が許しません」
「その心配は必要ありません」
そう言ったジェレミーは、一枚の書類をエリザベートに差し出した。
それを見た彼女は、弾かれた様に顔を上げる。
「これは……」
「どうやって入手したかは、聞かないで頂けるとありがたいです」
その書類は、家長が未成年の自分の子供の婚姻を許可する際に、婚姻届と共に提出しなければならない物だ。
既にラマディエ公爵はサイン済みで、印も押されており、嫁ぎ先の名前を記入するだけの状態になっている。
そう、これは、公爵の執務机の引き出しから拝借した物。
以前は貴族令嬢の婚姻には、本人が成人している場合でも家長の許可が必要だった。
だが、数年前に法改正があり、『男女共に、婚姻が可能な年齢である十四歳から成人と見做される十八歳までの期間のみ、家長の許可が必要』と改められた。
つまりは、エリザベートが成人すれば、父の許可が無い相手にも自分の意思だけで嫁ぐ事が可能となるのだ。
公爵は、そうなる前に彼女を自分の都合の良い相手に売ろうと考えていたらしく、その為に予め書類を用意しておいたのだろう。
執務室にあった開封済みの手紙の中には、金だけはあるが評判が最悪な家との縁談に関する物が複数あった。
そこから推測すると、現在、候補となっている相手は三人ほど居たらしく、公爵は何処に娘を売るか決めかねていた為、嫁ぎ先のみ空欄になっていたみたいだ。
もう少し動くのが遅かったらと考えると、ゾッとする。
だが、この書類は公爵を脅して作成させるか、それとも偽造するかと考えていたので、手間が省けて良かったとも言える。
「改めて、僕の妻になってくれませんか?
貴女が僕の事をただの同級生としか思っていないのは分かっています。
直ぐに想いを返してくれとは言いません。
ですが、貴女の父親が選ぶ相手よりは、僕の方が百倍マシなつもりです。
貴女が嫌がる事は決してしないと約束します。
だから、どうか僕の手を取って下さい」
自信満々に見えるジェレミーだが、エリザベートに差し出したその手は、ほんの少し震えている。
「分かりました。よろしくお願いします」
エリザベートは迷いながらもジェレミーの手を取った。
ジェレミーは漸く緊張を解いて、ホッと胸を撫で下ろした。
「ああ……良かった」
「ですが、私の実家は、貴方の家に迷惑をかけるかもしれません」
「その件ですが、貴女はラマディエ公爵家をどうするべきだと思いますか?
完全に潰して、貴女を攫う事も可能ですし、もしもご家族に対する情が残っているのなら、もう少し穏便に解決する事も出来ます」
ジェレミーのその問いに、エリザベートは迷う事無く答えを出した。
「潰して下さい。遠慮無く。
婚家に迷惑を掛けるのは、私の本意ではありません」
「了解しました」
エリザベートの決意を秘めた表情を見て、ジェレミーは笑みを深めた。
「ですが、無茶な事はなさらないで下さいね」
エリザベートのその忠告に若干の後ろめたさを感じたジェレミーは、誤魔化す様に曖昧な笑みを浮かべながら、冷めた紅茶を飲み干した。
それから更に数日後の夕刻、王都の外れにある、森の中にひっそりと佇む大きな建物には、顔を隠した大勢の貴族や、金持ちの商人達が集まっていた。
彼等には、素行に問題があるという共通点がある。
屋根の上に身を隠していたディオンは、天窓を小さく開き、建物の中にラマディエ公爵のピンバッジをポイッと投げ入れた。
今日、この建物の中に入るのは少々危険な為、数日前に天窓の鍵をこっそり壊しておいたのだ。
「全く、人使いが荒いよねぇ。
わざわざ王都まで呼び出して、情報収集だけでなく、こんな仕事までさせられるなんてさぁ。
まあ、他でも無いミシェルからもお願されたら聞かない訳には行かないけど……。
後で甥っ子クンには文句を言ってやらなきゃ」
ディオンはブツブツと独り言を呟きながら、誰の目にも留まる事無く、深い森の奥へと姿を消した。
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