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181 終わらない夢・前《教皇》
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王宮の敷地内にある地下牢に、教皇は収監されている。
一日三度の食事が支給される以外、ここに人が訪れる事は滅多に無い。
窓が無いこの部屋は昼間でも真っ暗で、魔道具のランプの薄明かりが無ければ何も見えない程である。
太陽の光を感じられないせいか、時間の感覚が徐々に曖昧になってきていた。
(ここへ入れられて、何日経ったのだろうか?)
自分の刑罰が『鞭打ち百回と毒杯』と決まった事は、数日前に、食事を届ける騎士から伝えられていた。
ギギィィーーッと耳障りな音を立てながら、錆びた鉄の扉が開く。
(さっき昼食を食べたと思ったが、もう夕食の時間なのか?)
教皇はボンヤリとした頭で、そんな事を考えた。
黴臭い籠った空気が少しだけ入れ替わり、甘い香水の香りが仄かに漂う。
鉄格子の向こうに姿を現したのは、王太子夫妻と近衛騎士と侍女であった。
「臭いわね」
ポツリとそう言った王太子妃は、白いレースのハンカチで鼻と口を押さえ、眉根を寄せた。
王太子妃は侍女と共にその場に留まり、男性達だけが鉄格子の内側に入ってくる。
だが、教皇の視線は格子の向こうに釘付けになったまま。
大きな腹を抱える王太子妃だが、凛としたその佇まいは神々しいまでに美しかった。
(やっぱり、良い女だな)
「見るな。穢れる」
地を這う様な声が響いたと同時に、腹にドゴッと強い衝撃が加わり、壁際まで吹っ飛んだ。
王太子妃マーガレットを舐める様に眺めていた教皇は、サディアスからの強烈な回し蹴りを喰らったのだ。
「グハッ……ゴホッ……」
サディアスは、冷たい床に倒れたままで咳き込む教皇に冷ややかな眼差しを投げながら、「やれ」と、言葉少なに騎士へ指示を出す。
(とうとう鞭打ちが始まるのか?)
そう考えて身構えた教皇だが、近付いてきた騎士が手にしていたのは、鞭ではなかった。
ガシャンと音がして、腕に大きく重い金属の輪が取り付けられる。
「腕輪……?」
装飾品にしては重過ぎるが、銀色に光るその腕輪には繊細な模様が彫られており、赤く輝く大粒の石が幾つか嵌め込まれている。
「外そうとしても無駄だぞ。
王家の血を引く者にしか、取り外しは出来ないのだからな」
サディアスのその言葉に、『きっと、どうしても外したくなる様な物なのだろう』と察して、ジワリと嫌な汗が滲む。
顔色が悪くなった教皇を見て、マーガレットがフフッと小さな笑い声を零した。
「それ、『永遠の夢』って通称で呼ばれているんですって。
ロマンティックでしょう?」
「…………永遠の、夢……?」
通称だけを教えられても、その意味は全く分からない。
これは何なのか?
自分は何をされてしまったのか?
グルグルと考えている内に、いつの間にか、男性陣も鉄格子の向こうに出ていた。
「では、良い夢を」
満足そうな笑みを残して、マーガレットが踵を返すと、他の者達も彼女を追う様にして出て行った。
鉄の扉が軋みながらゆっくりと閉じられ、牢の中には静寂が戻ってきた。
何が起こるのかビクビクしながら過ごしたが、暫くは何も起こらなかった。
(一体なんなんだ? ただの脅しか?)
腕輪はちょっと重くて邪魔だったが、徐々に重さにも慣れて、その存在が気にならなくなった。
それが効力を発揮したのは、粗末な夕食を食べた後、教皇が硬いベッドで眠りに就いてからだった。
夢の中で、彼はなんとなく見覚えのある森の中にいた。
「ここは何処だ?」
自分が何故森の中に居るのか思い出せなくて、木漏れ日の道をトボトボと歩いていると、透明な水を湛えた美しい湖が彼の眼前に姿を現した。
「ああ、そうか……」
ここは、子供の頃に父が持っていた別荘の裏にあった森だ。
そう思い出したその時、ドンッともの凄い力で背中を押され、目の前の湖に落ちた。
湖水は思った以上に冷たく、着水した瞬間、心臓がギュッと音を立てて縮んだ気がした。
足に水草が絡み付いて思う様に動かせない。
必死に藻搔いて水面に頭を出すと、死んだ筈の幼い弟が水際に佇み、無邪気な笑みを浮かべてこちらに手を振っているのが見えた。
「た、助けっ……!」
なんとか湖の縁に泳ぎ着き、弟に助けを求める様に手を伸ばす。
幼いままの姿の弟に、現在の姿の自分を引っ張り上げる力などある筈もないが、そんな事さえ思い付かないくらいに切羽詰まっていた。
「兄上」
ニコニコと微笑みながら、手を伸ばし返してくれる弟。
その小さな手に縋ろうとしたが……。
弟の手は教皇の後頭部をガッと乱暴に掴んで、子供とは思えない力強さで彼の顔を水中に沈めた。
驚きつつもなんとか息を止めたが、それも直ぐに限界となり、口から大きな気泡がゴボッと漏れ出た。
凄い勢いで、口の中に水が入ってくる。
死に物狂いで顔を上げても、余裕の微笑みを浮かべた弟の手が何度でも彼を水に沈める。
その異様な状況が、死への恐怖を更に加速させた。
やがて体が芯から冷え切って、手足を動かす事さえ出来なくなった。
肺の中まで冷たい水に浸食され、胸に鋭い痛みが走る。
痛い。苦しい。息が出来な……。
「フフッ……。ウフフ。アハハ」
子供の無邪気な笑い声が響く中、力尽きた教皇は暗い湖の底へと沈んで行った。
「ゲホッ、ゴホッ!!」
大きく咳き込みながら目を覚ました教皇は、路地裏の様な所に寝かされていた。
「ゆ、夢か?」
夢とは思えない位に、リアル過ぎる痛みと苦しさだった。
胸に手を当てると、壊れそうな位に心臓がバクバク動いている。
だが、その心音に『生きている』という事を実感して、教皇は安堵の息を吐き出した。
トントンと肩を叩かれて初めて、自分の隣に付き添っている女の存在に気付いた。
異国の出身なのか、黒髪黒目で浅黒い肌をした、エキゾチックで美しい女だった。
「お前が私を助けたのか?」
「……」
女は小さく首を傾げてニッコリと微笑む。
何処かでチリンと鈴の音がした。
一日三度の食事が支給される以外、ここに人が訪れる事は滅多に無い。
窓が無いこの部屋は昼間でも真っ暗で、魔道具のランプの薄明かりが無ければ何も見えない程である。
太陽の光を感じられないせいか、時間の感覚が徐々に曖昧になってきていた。
(ここへ入れられて、何日経ったのだろうか?)
自分の刑罰が『鞭打ち百回と毒杯』と決まった事は、数日前に、食事を届ける騎士から伝えられていた。
ギギィィーーッと耳障りな音を立てながら、錆びた鉄の扉が開く。
(さっき昼食を食べたと思ったが、もう夕食の時間なのか?)
教皇はボンヤリとした頭で、そんな事を考えた。
黴臭い籠った空気が少しだけ入れ替わり、甘い香水の香りが仄かに漂う。
鉄格子の向こうに姿を現したのは、王太子夫妻と近衛騎士と侍女であった。
「臭いわね」
ポツリとそう言った王太子妃は、白いレースのハンカチで鼻と口を押さえ、眉根を寄せた。
王太子妃は侍女と共にその場に留まり、男性達だけが鉄格子の内側に入ってくる。
だが、教皇の視線は格子の向こうに釘付けになったまま。
大きな腹を抱える王太子妃だが、凛としたその佇まいは神々しいまでに美しかった。
(やっぱり、良い女だな)
「見るな。穢れる」
地を這う様な声が響いたと同時に、腹にドゴッと強い衝撃が加わり、壁際まで吹っ飛んだ。
王太子妃マーガレットを舐める様に眺めていた教皇は、サディアスからの強烈な回し蹴りを喰らったのだ。
「グハッ……ゴホッ……」
サディアスは、冷たい床に倒れたままで咳き込む教皇に冷ややかな眼差しを投げながら、「やれ」と、言葉少なに騎士へ指示を出す。
(とうとう鞭打ちが始まるのか?)
そう考えて身構えた教皇だが、近付いてきた騎士が手にしていたのは、鞭ではなかった。
ガシャンと音がして、腕に大きく重い金属の輪が取り付けられる。
「腕輪……?」
装飾品にしては重過ぎるが、銀色に光るその腕輪には繊細な模様が彫られており、赤く輝く大粒の石が幾つか嵌め込まれている。
「外そうとしても無駄だぞ。
王家の血を引く者にしか、取り外しは出来ないのだからな」
サディアスのその言葉に、『きっと、どうしても外したくなる様な物なのだろう』と察して、ジワリと嫌な汗が滲む。
顔色が悪くなった教皇を見て、マーガレットがフフッと小さな笑い声を零した。
「それ、『永遠の夢』って通称で呼ばれているんですって。
ロマンティックでしょう?」
「…………永遠の、夢……?」
通称だけを教えられても、その意味は全く分からない。
これは何なのか?
自分は何をされてしまったのか?
グルグルと考えている内に、いつの間にか、男性陣も鉄格子の向こうに出ていた。
「では、良い夢を」
満足そうな笑みを残して、マーガレットが踵を返すと、他の者達も彼女を追う様にして出て行った。
鉄の扉が軋みながらゆっくりと閉じられ、牢の中には静寂が戻ってきた。
何が起こるのかビクビクしながら過ごしたが、暫くは何も起こらなかった。
(一体なんなんだ? ただの脅しか?)
腕輪はちょっと重くて邪魔だったが、徐々に重さにも慣れて、その存在が気にならなくなった。
それが効力を発揮したのは、粗末な夕食を食べた後、教皇が硬いベッドで眠りに就いてからだった。
夢の中で、彼はなんとなく見覚えのある森の中にいた。
「ここは何処だ?」
自分が何故森の中に居るのか思い出せなくて、木漏れ日の道をトボトボと歩いていると、透明な水を湛えた美しい湖が彼の眼前に姿を現した。
「ああ、そうか……」
ここは、子供の頃に父が持っていた別荘の裏にあった森だ。
そう思い出したその時、ドンッともの凄い力で背中を押され、目の前の湖に落ちた。
湖水は思った以上に冷たく、着水した瞬間、心臓がギュッと音を立てて縮んだ気がした。
足に水草が絡み付いて思う様に動かせない。
必死に藻搔いて水面に頭を出すと、死んだ筈の幼い弟が水際に佇み、無邪気な笑みを浮かべてこちらに手を振っているのが見えた。
「た、助けっ……!」
なんとか湖の縁に泳ぎ着き、弟に助けを求める様に手を伸ばす。
幼いままの姿の弟に、現在の姿の自分を引っ張り上げる力などある筈もないが、そんな事さえ思い付かないくらいに切羽詰まっていた。
「兄上」
ニコニコと微笑みながら、手を伸ばし返してくれる弟。
その小さな手に縋ろうとしたが……。
弟の手は教皇の後頭部をガッと乱暴に掴んで、子供とは思えない力強さで彼の顔を水中に沈めた。
驚きつつもなんとか息を止めたが、それも直ぐに限界となり、口から大きな気泡がゴボッと漏れ出た。
凄い勢いで、口の中に水が入ってくる。
死に物狂いで顔を上げても、余裕の微笑みを浮かべた弟の手が何度でも彼を水に沈める。
その異様な状況が、死への恐怖を更に加速させた。
やがて体が芯から冷え切って、手足を動かす事さえ出来なくなった。
肺の中まで冷たい水に浸食され、胸に鋭い痛みが走る。
痛い。苦しい。息が出来な……。
「フフッ……。ウフフ。アハハ」
子供の無邪気な笑い声が響く中、力尽きた教皇は暗い湖の底へと沈んで行った。
「ゲホッ、ゴホッ!!」
大きく咳き込みながら目を覚ました教皇は、路地裏の様な所に寝かされていた。
「ゆ、夢か?」
夢とは思えない位に、リアル過ぎる痛みと苦しさだった。
胸に手を当てると、壊れそうな位に心臓がバクバク動いている。
だが、その心音に『生きている』という事を実感して、教皇は安堵の息を吐き出した。
トントンと肩を叩かれて初めて、自分の隣に付き添っている女の存在に気付いた。
異国の出身なのか、黒髪黒目で浅黒い肌をした、エキゾチックで美しい女だった。
「お前が私を助けたのか?」
「……」
女は小さく首を傾げてニッコリと微笑む。
何処かでチリンと鈴の音がした。
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