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訪れた訪問者
しおりを挟む「桜子様!桜子様!」
春の日差しが心地よく差し込む中庭で、微睡んでいた桜子は静かに瞼を開ける。
「桜子様!どこにおいでなさいますか、桜子様!」
(・・・・・・騒々しい。)
まだ少し重い瞼を擦りながら、身体をお越し仕方なく声のする方へと足を向ける。
恥じらいもなく声を張り上げ、桜子を探すのは女中頭のツユだ。
ツユがああして大声で桜子を呼ぶときは桜子が見つかるまで探し続けるときだ。
いつもなら早々に逃げ出すのだが、今日ばかりは許されない理由があった。
「そんな大声を出さなくてもここにいる。」
乱れた髪を手でとかしながら、牡丹の木の合間をぬって姿を見せる。
土埃で汚れた着物を叩く姿は年頃の娘にあるまじき光景だが桜子は気にも留めない。
「桜子様!!まぁまぁ、何てお姿を!今日は東條様がお見えになる大切な日ではありませんか!あぁ、御髪もこんなに汚れて・・・・・・お召替えも、直ぐに変わりをご用意いたします。」
桜子を見るや否や顔を顰め、窘めるツユに桜子の口から鬱冷なため息がこぼれる。
(この姿でよかろうに)
桜子の思いとは裏腹に、ツユに連れられた着替え部屋では部屋一面に広げられた着物が桜子を出迎えた。
部屋の隅には女中が数人待機しており、頭のてっぺんからつま先までそれはそれは念入りに整えられる。
心なしか女中たちの顔がいつもより強張っている。
「適当に整えてくれればそれでいい。」
あまりの念の入れように嫌気がさした桜子は、興味がなさそうに一瞥する。
そんな桜子を見て怒気をはらんだ顔で捲し立てるのは女中頭のツユだ。
「何をおっしゃいますか!今日はあれほど、大切な日ですからお部屋で大人しくするようにとお願い申し上げたではありませんか!!それをまた、華族のご令嬢である貴女様が中庭で昼寝など恥を知りなさい!!いいえ、いいえ、本来女人がそのようなはしたない事をするなどもってのほか!!ああ、ツユは奥様に合わせるお顔がございません!!あんな姿をもし東条様がご覧になって縁談が流れてしまったら、桜子様だけではなくこの花篭家の名折れ。お上から頂いた爵位も返上しなければいけなくなりまする。」
(私としてはそうなれば儲けものだな)
今にも泣き崩れそうな勢いのツユに、冷ややかな視線を送り声をかけることもなく桜子は部屋を後にする。
後ろからツユや女中達から桜子を呼び止める声が聞こえたが、振り返ることなく中庭が見える回廊へと足を進める。
中庭と呼ぶには広大過ぎる日本庭園には桜やアザレヤなど春を告げる花々が見事に咲き乱れていた。
年頃の娘ならばその美しさに心を奪われるであろう光景とは裏腹に桜子の心は憂鬱だった。
今から顔を見合わせる相手の事を思うと、今からでも逃げ出したくて仕方がないのだ。
(五年ぶりに会う許婚など他人も同然でわないか)
今日で桜子は十四の歳を迎える。
本来ならば、今日は学友と銀座を周り日がな一日を過ごすはずだったのだだが、それが叶わないと知ったのは昨晩の事である。
夕餉を終え父親の書斎に呼ばれた桜子は自分の耳を疑った。
父親の口から許婚の言葉が出てきたのだ。
許婚の存在は薄っすらと認識はしていたが最後に会ったのは五年も前の話である。この五年間、桜子から文を取ることもなく相手からも何の音沙汰もなかったものだから、桜子の中では勝手に流れた話だと思い込んでいたのだ。
それがどうしたことか、父親と相手方は五年前からずっと連絡を取り合っていたというではないか。
桜子が年頃になるまでは一切の関わりを経つと双方の話し合いの元、取り決めたというのも寝耳に水である。
『お前もそろそろ準備をしないとな』と数日前に嫌な笑みを浮かべた父親に言われた言葉が頭をよぎる。
先ほどまで憂鬱が勝っていたのだが、次第に沸々と怒りがこみあげてくる。
(私に隠れてコソコソと!なぜそのような卑怯なものと婚姻しなければならんのだ!)
桜子が年頃になるまではと、距離をとったのはひとえに相手側の思いやりなのだが、自分の知らぬところで勝手に取り決めが交わされていたこと自体、気ぐらいの高い桜子にとってはただの傲慢でしかなく耐え難いものだった。
(それも、こんな前日になって押しかけてくるなど無礼にもほどがある!!)
無論、許婚が桜子の誕生日に出向くことは何ヵ月も前から決まっていた事である。
それを自前に伝えなかったのは両家の大事な日に逃げ出されては困るからだ。
桜子の父は自分の娘の性格をよく理解していた。もちろん、女中や家人達もだ。
と、言ってもひた隠しにしていた訳ではない。数日前からは呉服屋や商人が慌ただしくのこの家に出入りしていたのだ。それらは全て、桜子の花嫁道具を揃えるために呼んだ者達だ。
桜子がもう少し周りに気をつかい色恋沙汰に敏感であったなら、このような事にはならなかったのだろう。だが、生憎そっち方面は壊滅的と言っていいほど疎かった。
行き場のない憤りを持て余す中、不意に桜子に影が差し掛かる。
何事かと振り向けば、すぐ後ろに見慣れぬ軍服を纏った男がただずんでいた。
―――――――
深く軍帽を被っているせいもあり男の表情をよむことが出来ない。
だが、あまりの至近距離にたまらず一歩後ずさる桜子に男の腕が静かに伸びた。
(誰だこの男は!)
伸びてきた腕を思わず叩き落としてしまった桜子は、反射的に払いのけてしまったことを直ぐに後悔した。
軍服の胸元に光る数々の賞牌が男がただ者でないことを物語っていたからだ。
(この男、・・・・・・階級もちか!?)
たとえ華族であっても軍人に手をあげる事は決して許されない。
いかなる非が彼らにあろうともだ。
「ああ、怖がらせてしまいましたか。貴女の髪に桜の花びらがついていましたので、つい。すみません。」
叩き落とされた事など気にとめる様子もなく、もう一度桜子の元に腕を伸ばし花びらをとって見せる男に桜子の顔が歪む。
「おや、美しい顔が崩れてしまいましたね。はは、だが・・・・・・思った以上に美しくお育ちになられておいでで嬉しい限りです。」
男の口から出た言葉に桜子は憤慨する。
(なんなんだこの男は!初対面の人間に、なぜ私の顔をとやかく言われなければならないんだ!?そもそもこの男は誰だ!?)
困惑する桜子とは裏腹に人当りの良い笑みを浮かべる男は、まるで勝手知ったる家のように中庭へと足を踏み入れる。
「あぁ、この庭園はいつ見ても実に立派だ」
庭園を見つめる男の目はまるで、愛しいものを見つめるかのように暖かい眼差しだった。
そんな男の姿に一瞬目を奪われた桜子だったが、気をふるいたたせる。
(どこの誰かも分らぬ者に家の中を好き放題動き回られては困る。不埒な輩なら尚更だ。一体、家人たちは何をしている)
未婚の女性に許しもなく触れるなど、決して許される事ではない。ましてや自分は華族の令嬢なのだ。そこらへんの小娘と同等に扱われるなど我慢ならないと、先ほど自分が働いた非礼を棚に上げ目の前の男に鋭い眼差しを向ける。
声を荒げ、男に問いただそうとしたときだった。
慌ただしくこちらにかけてくる足音が聞こえた。
「東条様!!こちらにおられましたか!出迎えもせず申し訳ありません。」
男を見るや否や、床に頭をつけ許しを請うツユの姿に桜子は目を見張る。ツユだけでなく後からやってきた他の女中たちも深々と揃って頭を下げる。
女中たちのそんな姿を初めて見た桜子は驚きのあまりその場から動けなくなってしまう。
「あぁ、お気になさらないでください。約束の時間より早くついてしまったのはこちらですから。せっかくなので庭園を散策させて頂いていたのですよ。いや~いつ見ても本当に素晴らしい。きちんと手入れされている草木を見るのは本当に気分がいい。」
男はそう言うと再び桜子の元へと歩みよる。
「皆さん顔を上げてください。貴女方のお姫ひいさんがびっくりしていますよ」
桜子の元へと歩み寄った男は自然な動作で桜子の手をとる。
目線を合わせるためにかかんだ男は、優しい笑みを浮かべ桜子に話しかけた。
「お久しぶりです、桜子さん。貴方の許婚の東条明仁とうじょうあきひとと申します。以後お見知りおきを。」
明治二十六年春、この日桜子は生涯を共に過ごすことになる許婚と再会を果たしたのだった。
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