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ありし日の想い
しおりを挟む勢いのまま座敷を飛び出した桜子は、治まらぬ興奮を抱え自室へと早足で駆け込む。
物凄い形相で部屋に駆け込んだ桜子を見掛けた女中達は何事かと顔を見合わせるが、固く閉ざされた戸からその日、桜子が出てくることはなかった。
―――――――
座敷に取り残された敏正と明仁は互いに目を合わせ、苦笑を漏らした。
「いや、申し訳ない。あれにはつい先日まで見合いの話をしていなくてな。少し時間はかかるかもしれんが言い聞かせておく。わざわざ脚を運んでもらったのに十分な持て成しもせず、早々に部屋に引き上げるとは…………困ったものだ」
眉間に皺を寄せ大きく息を吐き出す敏正の姿に、日頃から桜子に手をやいている様子が伺えた。
「随分可愛いらしいではないですか。あの反応を見れば、色恋沙汰に疎くていらっしゃるようで。変な虫がついておらず安心いたしました。些か苛め過ぎてしまったようですが。」
本来見合いの席で、あのように暴言を吐き出し退室するなど許される行為ではないのたが、先に非礼な言動を働いたのは明仁達であることを彼は十二分に理解していた。
「ときに、近々商談で私は外国に行かなくてわならなくてね。しばらくの間、屋敷を開ける予定なのだよ。屋敷には家人や女中も多いが些か心伴い。そこでだ、しばらく屋敷に滞在しないかね。軍人の君が入れば他の者も心強いだろう。私が戻るまでの間に少しは桜子との距離も縮められよう。どうかね。」
今までの人当たりの良い雰囲気とは一変し、有無を言わせない視線が明人を捉える。
いくら女中や家人がいるといえど、未婚の令嬢がいる家に上がり込むなど無礼でないかと一瞬思考したが、当主からの許しを得ており許嫁という立場なら問題ないかと考え直す。
本来許嫁とは婚約者の前の段階であるため、いつ破談になってもおかしくないのだ。その為、慎重に行動しなければならないのだが、桜子を逃すつもりのない明人にとっては関係のないことである。
だが、それは相手方も同じだったようだ。一度でも未婚の男女が一晩を共にしたとなれば、本人達にその気がなくとも双方に責が問われるのは避けられないことである。桜子がこの縁談を拒もうと明人の元に嫁ぐほかないだ。
それが分からない男ではないだろうに、この話を持ち掛けてきたという事はひとえに自分の娘を手籠めにしみせろと言っているようなものだ。
敏正の思惑に明仁の口元に冷ややかな笑みが浮かぶ。
「お受けいたしましょう。父には私から話を通しておきます。」
明人の言葉を聞くと満足そうに頷き、敏正は女中たちを呼びつけた。
ほどなくして運ばれてきた食事に手を付けながら、敏正に注がれた酒を流し込む。程よい酒気を帯びるなか、明仁は先ほど座敷を飛び出していった少女に思いを馳せる。
(初めて顔を見合わせた時も、ああして私に睨みをきかせていたな。)
そう、それは初めて彼女と出会った日のことだ―――――
――――――
明仁が父、東条昭文とうじょうてるふみに見合いの話を持ちかけられたのは十六になる年の初夏のことだった。
東条家は明治維新の功績が認められ伯爵の爵位を賜った華族であるが、旧華族に言わせれば由緒も何もないパッとでの成り上がりだった。そんな東条家の次男坊として生をうけたのが明仁である。
明仁は驚くほど聡明だった。文武共にその才は長男を上回っており、それに加え母親譲りの美貌が彼を放っておきはしなかった。出来る次男と凡人の長男。跡取りに相応しいのは長男ではなく次男ではないかと囁かれ始めた頃、父がこの縁談を持ち掛けてきたのだ。何でもお相手は旧家の令嬢らしく、旧華族との繋がりを作っておきたかった東条家にとって申し分のない相手だった。明人自身と言えば、適当に家が当てがった女を娶るのだろうと悟っていたため、特に何かを言うこともなく大人しく縁談を受け入れた。
本来なら長男が受けるべき身分の高い相手ではあったのだが、一人娘と言うことで次男の明仁が婿養子として家に入れば相手方も安心だろうと話がまとまったのだ。
とんとん拍子に進んでいた縁談相手がまだ、十もいかぬ少女と知ったときには少し顏を顰めはしたものの、歳が開いている許婚などそう珍しくもないと思い直し沈黙を守った。
新華族の東条家にとって、旧華族の令嬢との婚約は直ぐにでも進めたかったのだが何分相手が幼すぎた。
明仁自身が士官学校に通う学生だったこともあり、正式な婚約は許婚殿が年頃になるまで先延ばしにされることとなった。
せめて顔合わせだけでも済ませておこうと、昭史に連れられ嫁ぎ先へ挨拶に訪れた時には吐いた息が白く染まるほど季節は移り替わりを見せていた。
縁談にさほど興味がなかった明人が許婚の令嬢が侯爵の一人娘であることを知ったのは、自身の家よりも幾分立派な屋敷に通されてからの事だ。
中庭と呼ぶには広大すぎる日本庭園や多くの家人達が明人を出迎えた。その際、一度も将来自分の妻になる娘には会っていない。
許婚殿の父親の話によると、今回の縁談に腹を立て籠っているのだとか。今すぐどうこうなるわけではないが、中々に自尊心が高い相手であることが窺えた。
そんな許婚殿と顔を見合わせたのは、屋敷に招かれてから三日目の事だった。
早朝の鍛錬のために中庭に足を踏み入れようとした明仁の耳に聞きなれない音が届く。
美しい庭園へと目を向けるとそに一人の少女が鞠をついていた。
(あぁ、彼女が・・。)
まだ幼さが残る顔立ちではあったが、遠目にもその顔が整っているのが伺えた。鞠をつく度に腰まで切り揃えられた艶やかな黒髪は儚げに揺れ、真紅の振袖からは白い腕を覗かせていた。
鞠を受けては突き返す。そんな少女をしばらく見つめていると、ふと少女の手が止まった。
「あっ・・・」
少女の手で受け止められなかった鞠が、明仁の足元へと転がって行く。
明仁は自分の足にコツンとあたった鞠に手を伸ばす。金や銀、華やかな刺繍糸がその鞠がいかに高価なものかを物語っていた。
少女へと視線を向ける。少女も明仁に気付いたのだろう。
切れ長の目に、鮮やかな赤い唇。子どもには似つかわしくない意志の強そうな瞳が真っ直ぐ明仁を見つめていた。
まるで作り物の日本人形のようだと明仁は思った。
明仁はあまり物事に関心を持つ性格ではなかったが、目の前にいる少女はそれほどまでに美しかった。
「・・・・・・返して」
鈴のようなか細い声と共に差し出された手は青白く小刻みに震えている。
無理もない。雪解けにはまだ遠く、今もしんしんと音もなく白い衣が降り続いている中、上着も羽織らず鞠をついていたのだ。身体はきっと冷え切っているだろう。
「・・・中に、屋敷に入らないのか。」
そっと手を差し伸べれば少女はその手を一瞥し背を向けた。
「・・・戻りたいなら、お一人でお戻りになればよろし。」
少女の口から出た言葉は明仁に対する拒絶の言葉だった。
その強気な姿勢に明仁の目がすっと細められる。
この少女は自分が思っているよりも聡いのかもしれない。
そう明仁は思わずにはいられなかった。
「・・・君が嫌がろうと何も変わらない。」
明仁の言葉に少女は一瞬目を見開く。
明人が言わんとしていることが少女には理解できたのだろう。
だが、すぐにその表情は消え、切れ長の目がこれでもかと言うほど吊り上る。
「たかが軍人風情が何を偉そうに!」
まるで今にも噛み付かんと言うばかりに怒りをぶつけてくる少女に明仁は小さく笑みを零す。
あぁ、やはり彼女が・・・・・・。
「何が可笑しい!」
彼女は分かっているのだろうか。何故それほどまでに腹を立てているのかを。自分自身が気付かないうちに認めてしまっている事を。どれだけ強気な態度をとろと、悟ってしまった明仁の前では無意味だ。
「これからは軍人の時代だ。君の父さんは良い買い物をした」
「なっ、」
「自分が売られたのを認めたくないか。だが、君は売られた。」
明仁の言葉に少女の美しい顔にありありと激情の色が浮かぶ。
東条家のような成り上がりと呼ばれる華族が旧華族との繋がりを欲するように、旧家族の中にも新家族との繋がりを求める者もいるのだ。明治維新以降、軍人は無視できぬ存在になりつつある。陸軍と海軍が牽制しあう中、いつ火の粉が飛び散ってくるとも限らない。それならば、身内に軍の関係者を引き入れ内から守りに入ろう考える者がいてもおかしくはない。現に少女の父親はそれを望んだ。
明仁の家は少女の爵位より下ではあるが、それよりも得るものが大きいと判断されたのだろう。
伯爵の次男である明人は、爵位こそは継ぐことはないが軍の中でそれなりの地位を約束された令息である。
「っつ・・言われなくとも分かっている!!」
少女はそう叫ぶと踵を返し屋敷の方へと駆けていく。その小さな背中を明仁は黙って見送る。
子ども相手に大人げないことを言ってしまったことは理解していたが、言わずには入れなかったのだ。
あまりにも真っ直ぐに自分を見つめてくるあの瞳を歪ませたくなった。
明仁は自身が気付かぬ内に年端もいかぬ少女に欲情したのだ。
自信の中に芽生えた感情を自覚したのはそれからしばらく経ってからのことだが、それ以降少女と顏を合わせることはなった。
ーーーーーーー
それから数年、陸軍大学校に進んだ明仁は多忙を極めていた。胸元には陸軍中尉の証である階級章が輝いていた。階級章を抱いた顔立ちに少年だった面持はなく、そこには日の本を背負う一人の青年がいた。そんな明人の元に一通の文が届く。
忘れかけていた熱が小さく明仁の中で動き出した。
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