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第十七話 勉強開始
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■ブラハルト視点■
エルミーユ嬢から大切な話を聞いた日の夜中、俺は就寝前の日課である紅茶を嗜みながら、小さく息を漏らした。
虐待をされていたのは、薄々わかっていたこととはいえ、改めて本人の口から真実を聞かされると、ショックが隠し切れない。
だが、それ以上に……ワーズ家に対しての怒りが収まらない。
「自分の子供に対して、なんて仕打ちをするんだ……くそっ!」
沸々と湧きあがる怒りを、机に拳を振り下ろすことで発散する。
俺が怒ったところで、過ぎてしまった過去を変えることも、エルミーユ嬢の心と体の傷を癒すことは出来ないのはわかっている。
それでも……俺はどうしても、自分の怒りを抑えることが出来そうもなかった。
「自分の勝手で子供を作り、その子供を虐げ、道具のように扱うだなんて、言語道断だ! それに、好きで記憶力がいいわけでもないのに……! そもそもバケモノとは何事だ!? どうしてそれを立派な才能であり、個性だと認めない!?」
「まったく、最低な人間もいるものですね。あ、もう一杯いかがですか?」
「……ああ、いただくよ。ありがとう、マリーヌ」
マリーヌは、眉間に深いシワを刻み込みながら、俺の愛用のカップに紅茶を注いでくれた。
ちなみに、エルミーユ嬢から聞いたことは、既にマリーヌに共有している。これに関しては、エルミーユ嬢から事前に話しても良いという許可を貰っている。
「ふう……少し落ち着いたよ。そうだ、マリーヌに一つ頼みたいことがある」
「なんでしょう?」
「エルミーユ嬢に、勉強を教えてあげてほしいんだ」
「それは構いませんが、一つ条件があります」
「条件だって?」
こほんっと咳ばらいをしてから、マリーヌはその条件とやらを話し始めた。
「坊ちゃまは、奥様であるエルミーユ様に対して、少々他人行儀過ぎます」
「まあ、まだ出会ってから間もないからな……他人行儀になるのは当然だろう」
「それはそうですが、それではいつまで経っても親密になれません。いくら愛さないと言っても、もう少し親しく接するべきです」
「そ、そういうものなのか?」
恋愛経験が無い俺にはよくわからないが、俺の倍以上は生きているマリーヌの言葉なのだから、きっとそうなのだろう。
「というわけで……明日から、もう少しエルミーユ様と親しくお話してください。それが条件です」
「わかった。なるべく善処してみる」
「善処もなにも、私と話している時のようにすればいいだけですよ」
「……それは、失礼じゃないだろうか?」
いくら相手が妻であるエルミーユ嬢とはいえ、まだ付き合いが浅い相手に、生まれた時から付き合いがあるマリーヌと同じように接するのは、無理があるとしか思えない。
しかし、これをしないとマリーヌに教師を引き受けてもらえない……気が進まないが、何とか善処してみよう。
****
「ではエルミーユ様、楽しく勉強しましょうか!」
翌朝、今日は一人で朝食をいただいた私は、早速勉強の場を設けてもらった。目の前には、教科書とノート、そして筆記用具が置いてある。
「あの、マリーヌが教えてくださるのですか?」
「そうですよ。昨晩坊ちゃまから事情を聞いた時に、教師を頼まれたんです。これでも私は、どこに行っても教師が出来るくらいには、学力があるのです」
マリーヌって、そんなに凄いお方だったのね! そんなお方に教えてもらえるなんて、私はとても幸運だわ。
「では、まず文字の勉強からしましょうか」
「わかりました! あの、早速中を見てもいいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
私のために用意してくれた、子供用の可愛らしい教科書をワクワクしながら開くと、そこには沢山の文字と、可愛らしいイラストが描かれていた。
ああ、どうしよう! まだ教科書を開いただけなのに、ワクワクしすぎて興奮が抑えられないわ!
「とても可愛い教科書ですね」
「小さい子供が、最初に文字に触れるのに使う教科書ですからね。まずは初歩の初歩からやってみましょう。ということで……教科書の裏に、エルミーユ様の名前を書く欄があるので、書いてみましょう。私がお手本を見せますから、一緒に書いてみてください」
「はい!」
マリーヌは、真っ白な紙に羽ペンを走らせて、文字を書いた。
なるほど、どれがどういうふうに読むのかはわからないけど、私の名前はこんな文字なのね。
「これがエ、次がルです」
「なるほど……エ、ル、ミー、ユ……どうでしょうか?」
「完璧です! では、今度はノートの方に、何度か書いて練習してみましょう」
「わかりました。ふふっ……エルミーユ……エルミーユ……!」
自分でも、きっとだらしない笑みを浮かべているなと思いつつ、何度も何度も自分の名前を書いた。
文字を書くのって、こんなに楽しくて素敵なことなのね!
「うふふふ……あ、申し訳ございません! 楽しくてつい……」
「何を言っているのですか。楽しいなら、気にせずに楽しくやればいいんですよ」
「マリーヌ……ありがとう存じます」
「どういたしまして。では、どんどんやりましょう!」
「はい! 次は、ブラハルト様とマリーヌの名前は、どう書けばいいのか教えてください!」
「坊ちゃまと私の名前は、こう書くのですよ」
「なるほど……!」
――その後も、私は終始ワクワクしながら、マリーヌと一緒に文字の勉強をした。
人の名前や花の名前、屋敷にある物の名前を例にして、どんどんと文字の知識を蓄えていく。それがとても快感で……気づいたら、数時間も経過していた。
「坊ちゃまから事前に伺ってはおりましたが、今日教えたことを全て覚えてしまうとは……本当に素晴らしい才能ですね」
「素晴らしい……? マリーヌは、私の頭を気味悪がらないのですか?」
「思いませんよ? それはエルミーユ様の凄い才能であり、個性ですからね。坊ちゃまも、同じことを言っていましたよ」
「…………」
才能、個性……そんなことを言われたのは、生まれて初めてだ。
ずっとバケモノ扱いされて、気味悪がられていたから、褒められたのがとても嬉しい……どうしよう、嬉しすぎて涙が零れそう。泣いたら心配をかけてしまうから、我慢しないと……。
「え、エルミーユ様? 大丈夫ですか? なにかお気に触ることを言ってしまいましたか?」
……あ、もう涙溢れてたみたい……。
「だ、大丈夫ですわ。とても暖かい言葉をいただけたので、つい感極まってしまって」
「エルミーユ様……よければ、これを使ってください」
「ありがとう存じます、マリーヌ」
私はマリーヌが差し出してくれたハンカチを受け取る。それとほとんど同じタイミングで、部屋の扉がノックされた。
「はーい、どちら様ですかー?」
「ブラハルトだ」
「あらあら、坊ちゃまでしたか。どうぞー」
部屋の中に入ってきたブラハルト様は、私のことを見るや否や、目を丸くさせた。
「どうした、なぜ泣いている!? マリーヌ、彼女に何があった!?」
「大丈夫ですよ。ちょっと嬉しいことがあっただけですよね、エルミーユ様?」
「はい。私の頭のことを褒めてもらえたので、それが嬉しくて泣いてしまったんですの」
「なるほど、そうでしたか……ごほん。あー……エルミーユ、今朝は一緒に食事が出来なかったから、昼食は一緒に食べないか?」
「えっ……?」
ほんの少しだけ目を泳がせるブラハルト様の言葉遣いが、以前と変わっていることに気づくのに、時間はいらなかった。
「急にどうされたのですか?」
「昨晩、結婚したのだからもう少し親しく話せとマリーヌに言われてな。家の人間に話す時のような呼び方と話し方にしてみたんだが……」
「まあ、そうでしたのね。ぜひ今後ももそうしていただけると、とても嬉しく存じますわ」
親しく話してもらえると、私もアルスター家の一員として迎え入れてもらえたんだって気がして、とても嬉しく思えるわ。
「わかったよ、エルミーユ」
「はい、ブラハルト様。ふふっ……あ、失礼しました」
「謝る必要は無い。とても良い笑顔だ。そうやって笑顔でいる方が、エルミーユには似合っている」
「そ、そんなお言葉は、私には勿体ないですわ」
ブラハルト様に褒められた私の胸は、またしても大きく跳ねた。
先日も同じようになったけど、一体この胸の高鳴りの正体はなんだろうか……? 全く嫌では無いのだけど、経験が無いから不思議な感じだわ。
「そうだ、名前は書けるようになったか?」
「はい、バッチリですわ」
「それじゃあ、この書類にサインしてくれるか?」
ブラハルト様が差し出したものは、婚姻届だった。既に書類には、必要事項が書かれているようだ。
「この国の人間は、どんな身分の人間でも、結婚する時はこれを書いて、国に提出するのが義務付けられているんだ。ここに名前を書くところがあるから、サインしてほしい」
「そうでしたのね。わかりましたわ」
言われた通りに、自分の名前を書く場所にサインをする。
まだ勉強を始めたばかりだから仕方ないのかもしれないけど……私の字、かなり汚いわね……勉強だけじゃなくて、綺麗な字を書く練習もしないといけないわね。
「ありがとう。本来なら、貴族は結婚を記念してパーティーを開くが、諸々の事情で控えることにした」
「そうなのですね。わかりましたわ」
別にパーティーを開いて誰かに祝福されたいとは思わない。ブラハルト様と結婚をして、二人で静かで穏やかな生活が出来れば、それでいいもの。
エルミーユ嬢から大切な話を聞いた日の夜中、俺は就寝前の日課である紅茶を嗜みながら、小さく息を漏らした。
虐待をされていたのは、薄々わかっていたこととはいえ、改めて本人の口から真実を聞かされると、ショックが隠し切れない。
だが、それ以上に……ワーズ家に対しての怒りが収まらない。
「自分の子供に対して、なんて仕打ちをするんだ……くそっ!」
沸々と湧きあがる怒りを、机に拳を振り下ろすことで発散する。
俺が怒ったところで、過ぎてしまった過去を変えることも、エルミーユ嬢の心と体の傷を癒すことは出来ないのはわかっている。
それでも……俺はどうしても、自分の怒りを抑えることが出来そうもなかった。
「自分の勝手で子供を作り、その子供を虐げ、道具のように扱うだなんて、言語道断だ! それに、好きで記憶力がいいわけでもないのに……! そもそもバケモノとは何事だ!? どうしてそれを立派な才能であり、個性だと認めない!?」
「まったく、最低な人間もいるものですね。あ、もう一杯いかがですか?」
「……ああ、いただくよ。ありがとう、マリーヌ」
マリーヌは、眉間に深いシワを刻み込みながら、俺の愛用のカップに紅茶を注いでくれた。
ちなみに、エルミーユ嬢から聞いたことは、既にマリーヌに共有している。これに関しては、エルミーユ嬢から事前に話しても良いという許可を貰っている。
「ふう……少し落ち着いたよ。そうだ、マリーヌに一つ頼みたいことがある」
「なんでしょう?」
「エルミーユ嬢に、勉強を教えてあげてほしいんだ」
「それは構いませんが、一つ条件があります」
「条件だって?」
こほんっと咳ばらいをしてから、マリーヌはその条件とやらを話し始めた。
「坊ちゃまは、奥様であるエルミーユ様に対して、少々他人行儀過ぎます」
「まあ、まだ出会ってから間もないからな……他人行儀になるのは当然だろう」
「それはそうですが、それではいつまで経っても親密になれません。いくら愛さないと言っても、もう少し親しく接するべきです」
「そ、そういうものなのか?」
恋愛経験が無い俺にはよくわからないが、俺の倍以上は生きているマリーヌの言葉なのだから、きっとそうなのだろう。
「というわけで……明日から、もう少しエルミーユ様と親しくお話してください。それが条件です」
「わかった。なるべく善処してみる」
「善処もなにも、私と話している時のようにすればいいだけですよ」
「……それは、失礼じゃないだろうか?」
いくら相手が妻であるエルミーユ嬢とはいえ、まだ付き合いが浅い相手に、生まれた時から付き合いがあるマリーヌと同じように接するのは、無理があるとしか思えない。
しかし、これをしないとマリーヌに教師を引き受けてもらえない……気が進まないが、何とか善処してみよう。
****
「ではエルミーユ様、楽しく勉強しましょうか!」
翌朝、今日は一人で朝食をいただいた私は、早速勉強の場を設けてもらった。目の前には、教科書とノート、そして筆記用具が置いてある。
「あの、マリーヌが教えてくださるのですか?」
「そうですよ。昨晩坊ちゃまから事情を聞いた時に、教師を頼まれたんです。これでも私は、どこに行っても教師が出来るくらいには、学力があるのです」
マリーヌって、そんなに凄いお方だったのね! そんなお方に教えてもらえるなんて、私はとても幸運だわ。
「では、まず文字の勉強からしましょうか」
「わかりました! あの、早速中を見てもいいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
私のために用意してくれた、子供用の可愛らしい教科書をワクワクしながら開くと、そこには沢山の文字と、可愛らしいイラストが描かれていた。
ああ、どうしよう! まだ教科書を開いただけなのに、ワクワクしすぎて興奮が抑えられないわ!
「とても可愛い教科書ですね」
「小さい子供が、最初に文字に触れるのに使う教科書ですからね。まずは初歩の初歩からやってみましょう。ということで……教科書の裏に、エルミーユ様の名前を書く欄があるので、書いてみましょう。私がお手本を見せますから、一緒に書いてみてください」
「はい!」
マリーヌは、真っ白な紙に羽ペンを走らせて、文字を書いた。
なるほど、どれがどういうふうに読むのかはわからないけど、私の名前はこんな文字なのね。
「これがエ、次がルです」
「なるほど……エ、ル、ミー、ユ……どうでしょうか?」
「完璧です! では、今度はノートの方に、何度か書いて練習してみましょう」
「わかりました。ふふっ……エルミーユ……エルミーユ……!」
自分でも、きっとだらしない笑みを浮かべているなと思いつつ、何度も何度も自分の名前を書いた。
文字を書くのって、こんなに楽しくて素敵なことなのね!
「うふふふ……あ、申し訳ございません! 楽しくてつい……」
「何を言っているのですか。楽しいなら、気にせずに楽しくやればいいんですよ」
「マリーヌ……ありがとう存じます」
「どういたしまして。では、どんどんやりましょう!」
「はい! 次は、ブラハルト様とマリーヌの名前は、どう書けばいいのか教えてください!」
「坊ちゃまと私の名前は、こう書くのですよ」
「なるほど……!」
――その後も、私は終始ワクワクしながら、マリーヌと一緒に文字の勉強をした。
人の名前や花の名前、屋敷にある物の名前を例にして、どんどんと文字の知識を蓄えていく。それがとても快感で……気づいたら、数時間も経過していた。
「坊ちゃまから事前に伺ってはおりましたが、今日教えたことを全て覚えてしまうとは……本当に素晴らしい才能ですね」
「素晴らしい……? マリーヌは、私の頭を気味悪がらないのですか?」
「思いませんよ? それはエルミーユ様の凄い才能であり、個性ですからね。坊ちゃまも、同じことを言っていましたよ」
「…………」
才能、個性……そんなことを言われたのは、生まれて初めてだ。
ずっとバケモノ扱いされて、気味悪がられていたから、褒められたのがとても嬉しい……どうしよう、嬉しすぎて涙が零れそう。泣いたら心配をかけてしまうから、我慢しないと……。
「え、エルミーユ様? 大丈夫ですか? なにかお気に触ることを言ってしまいましたか?」
……あ、もう涙溢れてたみたい……。
「だ、大丈夫ですわ。とても暖かい言葉をいただけたので、つい感極まってしまって」
「エルミーユ様……よければ、これを使ってください」
「ありがとう存じます、マリーヌ」
私はマリーヌが差し出してくれたハンカチを受け取る。それとほとんど同じタイミングで、部屋の扉がノックされた。
「はーい、どちら様ですかー?」
「ブラハルトだ」
「あらあら、坊ちゃまでしたか。どうぞー」
部屋の中に入ってきたブラハルト様は、私のことを見るや否や、目を丸くさせた。
「どうした、なぜ泣いている!? マリーヌ、彼女に何があった!?」
「大丈夫ですよ。ちょっと嬉しいことがあっただけですよね、エルミーユ様?」
「はい。私の頭のことを褒めてもらえたので、それが嬉しくて泣いてしまったんですの」
「なるほど、そうでしたか……ごほん。あー……エルミーユ、今朝は一緒に食事が出来なかったから、昼食は一緒に食べないか?」
「えっ……?」
ほんの少しだけ目を泳がせるブラハルト様の言葉遣いが、以前と変わっていることに気づくのに、時間はいらなかった。
「急にどうされたのですか?」
「昨晩、結婚したのだからもう少し親しく話せとマリーヌに言われてな。家の人間に話す時のような呼び方と話し方にしてみたんだが……」
「まあ、そうでしたのね。ぜひ今後ももそうしていただけると、とても嬉しく存じますわ」
親しく話してもらえると、私もアルスター家の一員として迎え入れてもらえたんだって気がして、とても嬉しく思えるわ。
「わかったよ、エルミーユ」
「はい、ブラハルト様。ふふっ……あ、失礼しました」
「謝る必要は無い。とても良い笑顔だ。そうやって笑顔でいる方が、エルミーユには似合っている」
「そ、そんなお言葉は、私には勿体ないですわ」
ブラハルト様に褒められた私の胸は、またしても大きく跳ねた。
先日も同じようになったけど、一体この胸の高鳴りの正体はなんだろうか……? 全く嫌では無いのだけど、経験が無いから不思議な感じだわ。
「そうだ、名前は書けるようになったか?」
「はい、バッチリですわ」
「それじゃあ、この書類にサインしてくれるか?」
ブラハルト様が差し出したものは、婚姻届だった。既に書類には、必要事項が書かれているようだ。
「この国の人間は、どんな身分の人間でも、結婚する時はこれを書いて、国に提出するのが義務付けられているんだ。ここに名前を書くところがあるから、サインしてほしい」
「そうでしたのね。わかりましたわ」
言われた通りに、自分の名前を書く場所にサインをする。
まだ勉強を始めたばかりだから仕方ないのかもしれないけど……私の字、かなり汚いわね……勉強だけじゃなくて、綺麗な字を書く練習もしないといけないわね。
「ありがとう。本来なら、貴族は結婚を記念してパーティーを開くが、諸々の事情で控えることにした」
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