盤上に咲くイオス

菫城 珪

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王都編86 混沌の宴会

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王都編86  混沌の宴会

「まさかリアがあんなに泣くと思ってなかった」
 楽しそうに茶化してくる兄のような男はケラケラ笑いながらその瞳と良く似た色の赤ワインを煽った。普段ならもうちょっと上品に飲めと注意するところだが、この場が既に無礼講になって久しいので文句は飲み込んだ。
 ガーランドとレヴォネの家人が入り混じった宴会会場は酒が入り、カオスの様相を呈している。そして、俺はそれにちょっと疲れていた。
 まずは中央付近。「坊ちゃんがやっとご自分の幸せを掴まれて……!」と感極まっておいおい泣いているアルバートの肩を叩きながら宥めているセレドニオとマカリオの姿がある。
 アルバートは先代…セオドアの代からレヴォネ家に仕えている最古参の家人の一人だ。更にはアルバートの家自体がレヴォネ家が興った時からずっと仕えてくれているから先祖代々世話になっている。必然的にセレドニオやマカリオとも交流があるし、俺の事は実の息子のように可愛がってくれている。時折辛辣だが冷静沈着に、当主として未熟な俺を献身的に支えてくれている男だ。
 それが人目も憚らず男泣きである。セイアッドの父母の葬儀でも泣いているのを見たことなどないのに。あと、坊ちゃんって呼ぶのはやめて欲しいな。
 そして、次に会場右側。こちらはエルカンナシオンと兄嫁であるナタリーナ、他にうちの侍女長マーサを筆頭に数人の侍女やメイドがいる。
 身分云々についてはキャスリーンのようなやらかしをやる馬鹿でない限りはレヴォネとガーランド両家では基本的に問題にならない。なので、面子に関しては一旦スルーだ。ツッコミたい気持ちはとてもあるが。問題はそこで上がっている議題である。
 ずばり俺達の婚礼衣装について、だ。
 気が早い!まだ婚約した当日!!式の日取りどころかやるかどうかも決めてない!!!
 そう言ったら「何言ってるの。やるに決まってるでしょ」と女性陣に一刀両断された。ぐぬう、俺が当事者だよな!?
 そもそもの話だ。この国で男性同士が結婚する場合、そんなに大々的に式を挙げる者達は少ない。神殿で親族を集めて女神を前に誓いを立てて身内だけで軽い宴会をする程度だ。派手な式を挙げる者もいるにはいるが少数派なわけで、俺も簡単なのでいいやーなんて軽い気持ちでいた。そして、そう思っている事を話したらめっちゃ怒られた。それはもう烈火の如く怒られた。
 曰く、「侯爵家同士の、しかも宰相と騎士団長が式を挙げないなんて!」だとか「ご自身のお立場分かってるんですか! どれだけの者がお二人の晴れ姿に思いを馳せているか……!!」だとか「心配ばかり掛けているんだからちょっとくらい親孝行してちょうだい!」だそうだ。もう好きにして欲しい。
 最後に会場左側。ここではオルテガがうちの家人と激論を交わしていた。
 議題が何かといえば、多分俺の扱いについて、である。懇々と話し合いをしているようだが、声が小さくてあんまり聞こえない。聞こえないが端々に聞こえてくる単語が不穏だ。知らない方が幸せだろうから聞かないでおこう。そっと目を逸らす。
「いやー、愛されてるね?」
 揶揄うダーランの脇に軽く肘鉄をおみまいしてやる。嬉しいんだが、ちょっぴりありがた迷惑なんだよなぁ。
「でも、リアにはこれくらいしないと分からないでしょ」
 心を読んだようなダーランの一言が容赦無く刺さる。はい、全くもってその通りです。
 俺の考えを読んでいるであろう男はカラカラ笑って懐に手を入れた。愛用の長キセルでも出すのかと思っていたが、懐から取り出してこちらに差し出されたのは小さな木製の箱だ。
「婚約祝いにあげる」
 そう言って笑うダーランはとても嬉しそうだった。少し震える手で受け取って小箱を開ければ、中に入っていたのは見事な細工が施された深緑色の石だ。これは翡翠だろうか。所々濃淡があるが、それもまた味になっている。
 緻密な図案で彫り込まれているのは細長い体躯をした龍。ドラゴンではなく、東洋の龍だ。こちらを睨み付けるような眼差しは力強く、今にも動き出しそうな精巧さ。一目で素晴らしい品だとわかる。
「俺の国でのお守りだよ。その石は前に教えた五徳を象徴する石で、魔除けとか健康長寿にご利益があるんだってさ」
 この大陸では高品質な翡翠は産出されない。出るのは色味の薄く濁ったものばかりで、屑石の代表みたいな言われ方をしている。ここまで透明感のある澄んだ深緑色の物はまず見かける事すらない筈だ。それこそ海を隔てた大陸…朱凰国のある大陸では翡翠は珍重されているらしいが、それらの国々とこの大陸とでは交易らしい交易も少ない。
「それにしても翡翠なんて良く手に入ったな」
「父さんの形見の石だよ」
「は……?」
 ダーランの言葉が一瞬飲み込めなくて思わず間抜けな声が漏れた。そして、一拍置いてから血の気が引く。
 ダーランの父親の形見。話を聞いて思わず血の気が引く。そんな大切なものになんて事を!
「全部じゃないって! 半分は俺が持ってるから! これ見て!」
 俺の様子に慌てたのか、そう言ってダーランが腰に下げていた飾り紐を持ち上げて見せる。そこには紅い房飾りがついた同じ色味の石があった。ただ、そこに彫り込まれていたのは龍ではなく鳥だ。長い首をした鳥で大きく翼を開き、長く立派な尾羽が続いている。日本でいうなら鳳凰だろう。
 鳳凰は俺の龍と対になるような方向を向いている。どうやら、元の石を二つに割ってそれぞれに龍と鳳凰を刻んだらしい。
 丸ごと渡された訳ではない事に少しホッとした。流石に祝いの品として貰うには重過ぎる。
「リアになら全部あげても良かったんだけどね。それだけだとなんか癪だから」
 そう言いながらダーランがちらりと見るのはオルテガだ。
「可愛い弟に1番近い場所を取られるんだからこれくらいの意趣返しはしたって良いだろ」
 悪戯っぽく笑うダーランは少しばかり寂しそうに見えた。そんな彼の様子に、またじわりと視界が滲む。
 セイアッドにとってダーランは欠かせない存在だ。父を亡くし、母を亡くしてからもずっと傍で支えてくれた兄であり親友。
 そんな人からこんな贈り物を貰ったらそれは泣けるだろう。
「あーあー、また泣いて。目玉溶けちゃうな」
「泣いてない……」
 抱き締められて子供をあやす様に背中を撫でられる。ダーランの服から優しく香るのはお香の様な香りだ。懐かしい香りに包まれながらぐずっていれば、ほんの少しだけダーランの背中も震えていた。
「おめでとう、リア。幸せになるんだよ」
「……ありがとう」
 微かに濡れる肩口には気が付かないふりをして、俺達は暫く強く抱き合ったのだった。


 宴も終わってオルテガの部屋に戻る。
 なんだかふわふわしていてあんまり実感がない。そもそもプロポーズを受けてから婚約の宣誓までが早過ぎて現実を噛み締める時間が足りないと思うんだ。
「リア」
 ベッドの縁に座ってぼんやりしていると、オルテガに優しく名を呼ばれた。のろのろと顔を上げれば、グラスを持ったオルテガが隣に座る。
「蜂蜜酒だ。酒精は軽いものだから」
 そう言って渡されたグラスの中には黄金色の液体が揺れていた。ふんわりと香るのは濃い蜂蜜の香りだ。
「乾杯」
 そう言ってオルテガは俺のグラスに軽くぶつけるとこくりと飲み下して見せた。俺も口を付ければ、とろりとした蜂蜜の甘さにスパイスが合わさった爽やかな風味がする。蜂蜜酒を初めて飲んだが、想像していたよりも飲み易い。もっと甘くてくどいのかと思っていた。
「美味しいな。初めて飲んだ」
「領では作らせているんじゃなかったか?」
「機会がなくて味見した事がないんだ。今度飲んでみようかな」
 地熱を利用した温室で養蜂もしているから蜂蜜もレヴォネの名産だ。それに伴って色々加工品も作っている。しかし、蜂蜜酒だけはまだ作り始めて日が浅く、その頃には忙殺されて俺が飲んだ事がない。
 思えば、忙しさにかまけて色々な事を蔑ろにしていたのだと気が付かされる。支えてくれる領地の者達やダーランが優秀だから破綻していないだけだ。これからは気を付けなければ。
 不意に、大きな手が頬を撫でる。熱いその感触が心地良くて頬を擦り寄せれば、オルテガが笑う気配がした。
「明日目元が腫れないといいな」
 指先でそっと撫でられるのは目元だ。既にちょっと違和感があるから今のうちに冷やすなりなんなりしておいた方が良いのかもしれない。
「我ながらあんなに泣くとは思わなかった……」
 うんざりと呟けば、頬から手が離れてそっと肩を抱き寄せられる。近くなる熱が心地良くて、いつもしていた様に彼の肩に頭を預けた。少し懐かしいこの体勢。肩に回る腕がなければ、「俺」が涼介に許してもらっていた体勢に似ている。
「……お前は、というよりお前達だな。二人とももう少し自分の感情を出す様にした方が良い。独りで何もかもを抱え込まず、俺達にも分けてくれ」
「うん」
 甘やかに頬を撫でてくれる指先に、素直に応える。そうだ、これからは独りではない。
「フィン、涼介。俺達はどちらも人に甘える事が苦手だ。また独りで抱えていたら叱ってくれ。これからもずっと傍に居て欲しい」
「勿論だ。……愛してる、もう二度とお前の手を離さない」
 強く抱き締めてくれる腕に体を預けて、俺もいつの間にかグラスを取り上げられて空いていた腕を広い背中に回す。大好きな匂い、安心する温もり。ここが、俺の居場所なのだと無条件に思える場所だ。
「なんかまだあんまり実感が湧かないんだ。色々な展開が早過ぎて。お前の婚約者になれたんだよなぁ」
 改めて口にしてじわりと湧き上がる歓喜。嗚呼、これは「私」の感情だ。涙が止まらなかったのはきっと「私」も泣いていたから。
「嬉しい。ずっと夢だったんだ。でも、「私」は叶わないと諦めていたから」
 胸の内から突き上げてくる感情のままに言葉を紡ぐ。「私」の想いがオルテガに伝わるように。
「嬉しくて堪らないんだ。これからは私がお前を独占出来る。私だけのフィンだ」
「リア……」
 察したのか、オルテガが少し体を離して俺の顔を覗き込んで来る。泣きそうなその顔に、ちくりと胸が痛む。「俺」が涼介に会えたように、早く「私」に会わせてあげたいな。
「俺も嬉しい。今幸せで堪らないんだ。お前はとても魅力的だからいつも誰かに奪われるのではないかと不安だった。でも、今日からは俺だけがお前の伴侶だ」
 こつりと額を擦り合わせながらオルテガが切なげに言う。嬉しくてうれしくて、本当に夢を見ているみたいだ。
 一つでも歯車が狂っていたら、こんな未来は訪れなかった。こんな風に想いを交わして幸福に溺れる事なんて出来なかった筈だ。
 視線が絡み、自然と唇が重なる。いつもの様に与えられる優しい口付けは軽くて、少しだけ物足りない。そんな欲が顔に出ていたのか、オルテガが小さく苦笑する。
「これ以上は我慢が出来なくなりそうだからダメだ」
 自分で今日はしないと散々念を押してしまった手前、軽々しく先を強請れない。我慢出来る訳ないのに。
「あーもう! 早く全部終わらせたい!」
 ヤケになって仰向けにベッドに倒れ込んだ。優しく体を受け止めてくれる柔らかなマットからもオルテガの匂いがする。…くそ、寝転がったのは失敗だったな。
 少しくらいゆっくり噛み締めたいのに、状況がそれを許してくれないのが口惜しい。思うように振る舞えない事を不満に思っていれば、オルテガが隣に寝そべる。そのままそっと抱き寄せられるから大人しく身を任せれば、宥める様に優しく髪を撫でられた。
「……王都の近くにガーランド家が持っている小さな屋敷があるんだ。この騒動にケリがついたら休みを取って過ごそう。誰にも邪魔されずに、二人きりで」
 耳元で低い声が念を押す様に告げる。それだけで背筋にぞわぞわと甘い痺れが奔り、思わず身を捩った。
「ん……」
「朝から晩までお前を貪るんだ。此処を穿って、俺で満たしたい」
 指先で腹をなぞられてぴくりと体が跳ねる。そこで得られる悦楽を思い出して、思わず胎がきゅうと切なくなった。
「ばかっ……何を言って……!」
 悪態をつくが、それも一瞬だった。爛々とした黄昏色の瞳とばっちり目が合ってしまったからだ。思わずひゅっと息を呑む。
「……涼介の記憶から面白い知識を得たんだが、真咲の世界には長く時間を掛けて交わる方法があるんだな」
 必死に耐えているのだろう。唸る様な声音で告げられた話に、俺はポカンとしてしまう。
「な、何の話……?」
 マジでいきなり何の話だ。それより何より目がヤバい。いっそこの場で襲われておいた方が良い気すらする!
 本能的に危惧を感じて咄嗟に身を引こうとするが、もう遅かった。がっつり腰に腕が回っている。
「ぽりねしあんせっくす……? というのか。した事はあるのか?」
 オルテガの口から飛び出た単語に唖然とする。
 ポリネシアンセックス。聞いたことだけはあるが、詳しくは知らない。確か、何日も時間を掛けて愛撫だけして…それで最終日にもゆっくり交わる、だったような?
 突然とんでもない事を言われて混乱している俺を他所にオルテガがゆっくり体をなぞり始める。
「こ、こら! するとは言ってないぞ!! んん……っ」
 慌てて触れる手を捕まえて押し留めようとするが、もう遅かった。
 体を起こそうとするのに、いとも簡単に柔らかなベッドにぐいと押さえ付けられる。そして目の前には爛々と目を輝かせる獣だ。貪るように口付けられて感じたとろりとした蜂蜜の甘さに追加で思い出した事が一つある。
 確かハネムーン…いわゆる蜜月の起源は蜂蜜酒だった気がする。細かい理由は忘れたが、一つに滋養強壮にいいからって理由があった様な…。もしかしなくても、コイツ、はなから何もかも狙っていたのでは?
 そんな俺の疑問はあっという間に熱に飲まれていったのだった。
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