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王都編87 不本意な小休止
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王都編87 不本意な小休止
翌日、散々弄ばれた俺は疲労困憊で仕事をしていた。なんかもっとこう、緩く触れ合うみたいなのじゃなかっただろうか。絶対なんか違う。
俺の知識もぼんやりしたものなので良く分からない。ヘドヴィカなら知っているかもしれないが、怖くて聞けない。何を言われるか分からないからな。
せかせか働いているルファスの様子を見ながら思わず溜め息が零れる。なんだろう、この疲労感は。これが週末まで毎日続くのか?
「セイアッド様、何だか顔色が悪くありませんか?」
「ん……昨夜あんまり眠れなかったから」
心配そうに声を掛けてくれるルファスに歯切れ悪く答える。ところが、途端に彼の表情が曇っていた。
「少しお休みになった方が良いのでは……。それでなくとも色々あったのですから」
そう言いながら俺からペンと書類を取り上げると、彼はさっさと応接セットのソファーへと俺を誘導する。普段ならば抵抗するなり何なりするが、ルファスに顔色の悪さを指摘された事で自覚が出たのか少し熱っぽい気がしたので大人しく従っておく。
二人掛けのソファーに座って息をつくと横になれとルファスに急かされた。そんなに顔色が悪いんだろうか。
「典医を呼んでもらいますから大人しくしていてくださいね」
言い置いた彼は急ぎ足でドアの方へと向かう。今はヘドヴィカやモーリス、他の文官も席を外しているから護衛で立っている騎士に頼みに行ったのだろうか。予想通りに彼は直ぐに戻ってきた。
「直ぐに来て頂きます。今日はこのままお休みしてお屋敷に戻って頂いても構いませんが」
「平気だ。まだ休む訳には」
とんでもない事を言い出すので慌てて起き上がろうとするが、肩を押されて制される。目の前には深い青色の瞳を吊り上げた美青年だ。
「悪い癖ですよ、何でもかんでも独りで背負い込むのは! 良いから典医の先生が来るまで大人しく寝ていてください」
「……分かった」
鬼気迫る勢いに思わず頷いて大人しく横になって目を閉じた。言われて自覚してくるとじわじわと体調の悪さを自覚する。そうか、熱がある時の感覚だ。
目を閉じていると、ルファスが室内を忙しく行き来している音と気配がする。ダウンしている場合じゃないんだがルファスの言う通り色々あった。有りすぎた。
王都追放と「俺」の意識が覚醒してからここ数ヶ月、領地から着々と謀略を巡らせ、王都に戻ってからも全力で駆け抜けて。慣れない事も沢山して、これから先に起こるであろう事に向けて奔走する日々。多分、疲れていたのだろう。
ふぅと小さく息を吐き出すと、俺はソファーに体を預けた。
それから暫しして、俺は誰かにそっと揺り起こされて目が覚めた。
「お休みのところ申し訳ない。診察させて頂きますぞ」
「ロフェー殿……」
見覚えのある白髪長髯の老人に、俺は体を起こそうとしてそっと制される。寝ていろということらしい。
王城には幾人かの典医…要するに王族を診る医者が属しているが、今この場にいるロフェーはその中でもトップに立つ男だ。ついでに以前自分に治癒魔法を掛けて魔力中毒に陥った際に治療してくれた男でめちゃくちゃ叱られた老公である。
「全く、貴殿はいつも無茶ばかりしなさる。少しはご自分を労って頂かねば」
小言をくれながら俺の手を取ると、ロフェーがゆっくりと魔法を発動する。治癒に特化した水魔法の一つで、患者の体内に微量の魔力を流す事でその状態を診察するらしい。
同じく水属性の魔法を使えるが、セイアッドは怪我を治すタイプの治癒魔法や鎮痛・鎮静が得意だ。戦闘向きなものとしては一時的に基礎能力を上げるバフと相手の攻撃を防ぐバリアあたりだろうか。医療に特化した魔法を覚えようとも思ったんだが、学生時代に友人達に振り回されてタイミングを逃したままだ。
そんな事を考えているうちに診察が終わったらしい。体内を巡っていた魔力がゆっくりと失せていく。
「ふむ、ただの疲労ですな。大事をとって今日はお休みになった方が良いでしょう」
「まだ仕事が」
「この爺の言う事が聞けませぬか、レヴォネ殿。陛下に上奏しても良いのですよ」
「ぐ……分かりました」
ユリシーズに話が行ったら間違いなく大事にされる。それでなくとも話題の人状態なのでこれ以上世間を騒がせるのは遠慮したい。
ルファスに馬車の仕度を頼めば、彼は直ぐに部屋から出て行く。ドアが閉まったところでロフェーがじっと俺を見ている事に気が付いた。
「ロフェー殿?」
「ああ、不躾に申し訳ない。すっかり色艶が良くなった様で驚いておりました。以前の貴殿はそれはもう最高に不健康でしたからな」
愛の力ですな、と言いながら鷹揚に笑う老医の台詞に思わず顔が熱くなる。わざわざロフェーが来たのは揶揄い半分なのかもしれない。
「意地の悪い」
「この歳になると若い者を揶揄って遊ぶのも楽しみの一つでの。レヴォネ殿は実に揶揄い甲斐があって良い」
楽しそうに自らの白いアゴ髭を撫で付けるロフェーとは裏腹に、俺は嬉しくない評価をもらって何とも複雑な胸中である。ただ、揶揄い半分ではあるものの、本当に心配してくれていたんだと思う。彼は「私」の時から何かと小煩いほどに声を掛けて心配してくれた一人だったから。
「これを機に無理はおやめなさい。何事も程々が一番ですぞ」
「……はい」
しっかり太い釘を刺す事は忘れずに、お大事にと言い残してロフェーは立ち上がったのだった。
……ふわりと頭を撫でられてゆっくり意識が浮上していく。
まだ覚醒しきらなくてふわふわした思考の中で、頬を撫でてくれるものが気持ち良くて擦り寄せて甘えてみる。ああ、気持ち良いな。
「……リア」
低くて優しい声が呼ぶ。同時に、額に何か柔らかいものが降ってきた。温かくて大好きな匂いがする。それだけで幸せな気分になれる。
「少し水を飲もう。起きられるか?」
優しく促す声に従ってのろのろとベッドから体を起こす。体が熱っぽくて気怠い。どうやらまだ熱は下がりきっていないようだ。帰ってからオルテガの部屋で寝ていたんだが、どれくらい経っているんだろうか。
差し出されるグラスを受け取って一口飲む。ふんわりと柑橘の香りと蜂蜜の甘さがする水は良く冷やされていて心地良い。
喉が渇いていた事を自覚してごくごくと飲み下すと、思わずホッと息が零れた。冷たい水のおかげか、少し楽になった気がする。
「大丈夫か?」
心配そうにこちらを覗き込むのは申し訳なさそうなオルテガだ。彼もいつの間にか帰ってきたようだ。どうやら昨日の事に責任を感じているらしい。
そういえば、前にも似たような事があったな。あの時も良く冷えた柑橘の果汁が入った水を用意してくれたっけ。
「ああ。ロフェー殿が言うにはただの疲労らしい。少し寝れば治るよ」
「すまない、無理をさせたな」
抱き締めてくれる腕に身を任せながら首を横に振る。多分、ちょっと気が抜けたんだと思う。色んな事を一気に駆け抜けて一番の目標だった事を成し遂げたのだから。
オルテガの広い背中に腕を回し、体に頬を擦り寄せる。俺の方が少し体温が高いからか、いつものような熱さは感じないのが少し寂しい。
「今何時頃だ?」
「午後三時を過ぎた辺りだ。腹が減ったなら何か食事を用意する」
オルテガの熱を堪能しながら訊ねれば、思ったより時間が遅かった。どうやら帰ってから爆睡をきめていたらしい。途端に思い出したようにぐうと腹が鳴るからちょっと恥ずかしかった。
「何か食べたい物はあるか?」
「ボカディージョがいい。卵とチーズのやつ」
「本当にそれが好きだな」
「良いだろう? ガーランド家のは特別美味しいんだ」
我儘を言えば、耳元でくすくすという忍び笑いがする。仕方ないだろう、ガーランド家のボカディージョが大好物なんだから。
パリパリに焼かれたバケットにトロトロチーズがたっぷり入ったオムレツが挟まったサンドイッチだ。美味しいに決まっている。
急かすように再び腹が鳴るのを聞いて、オルテガがのそりと体を起こした。
「出来たら直ぐに持ってくるからもう少し休んでいてくれ」
「ん」
こくこくと頷きながら俺は眠気に任せて再びベッドに潜り込む。オルテガが吟味に吟味を重ねて選んだとあってこのベッドの寝心地は最高なのだ。それにオルテガの匂いもするしな。
直ぐにやって来た睡魔に身を任せながら目を閉じる。もう少し休んだらまた忙しくなるのだろう。
…少ししてオルテガが戻って来た。
果実を絞ったジュースと出来立てのボカディージョを携えて、だ。空腹に任せて挨拶もそこそこにボカディージョに齧り付く。熱々のオムレツからはとろりとたっぷりのチーズが溢れてきた。うーん、やっぱり美味いな。
ボカディージョを食べているとオルテガから書類の入った封筒を幾つかベッドに置かれた。
聞けば、ルファスが纏めてくれたミナルチーク派の不正の記録やその証拠、それからヘドヴィカからはステラの証言を上手く作って書類を纏めてくれたようだ。
特にステラの存在はミナルチークにトドメを刺す為に必要な必殺の刃だが、下手するとこちらの身を滅ぼしかねない諸刃の剣だ。
ステラ自身の意思で行って来た行動を、ミナルチーク単独の蛮行にする為には嘘も誤魔化しも必要だ。後でしっかり目を通して内容に矛盾や不備がないか確認するとしよう。
それから、オルテガからは宮廷貴族達が組織している自警団の汚職を告発する書面だ。どうやらかなりやりたい放題だったようで、積年に積もり積もった証拠が山の様にあるらしい。
貴族会議でこいつを叩き付ければ、ミナルチーク派は当然反論してくるだろう。しかし、彼等のやり口は非常に稚拙で連携が取れていない。
それに、俺が貴族への介入権を得て不正を摘発し、既に幾つもの家を追い遣った事でその勢力も風前の灯だ。今回の騒動で廃爵や降爵になる家はバーリリーン伯爵家以外にも多数出た。領地持ちもいるが、特にまともな家が少なかった宮廷貴族は容赦無く潰したので三分の一程潰す事になっている。
これまで散々弱い者達を甚振り、甘い蜜を吸ってのうのうと暮らして来た連中だ。そのツケをしっかり払って貰わなくては。
かなり乱暴に事を進めたので連中には相当恨まれているだろう。だが、彼等には俺以外に手ぐすね引いて待っている連中がいる。
俺が彼等から恨みを買っているように、彼等もまた数多の恨みを買っているのだ。それも、俺なんかよりずっと怖い連中だ。
宮廷貴族達は長らく権力を盾にいろんな悪さをやらかして来た。後ろ暗い生き方をしている者の中にも宮廷貴族達に擦り寄り、ダニの様に寄生して美味しい思いをしてきた連中も大勢いる。しかし、今回の事で彼等の多くは摘発され、檻の中か多額の罰金や賠償金を払う羽目になった。
ハイエナの様にたかり、蛇の様に執念深い連中だ。それまで身を守っていた権力が失せたら行き場を無くした元貴族達は格好の餌食だ。捕まったら最後、一体どんな目に遭うんだろうな?
結局、朱凰の第三皇子の足取りは未だに掴めないままなのは口惜しいが、ミナルチークを始末するには十分な手札が揃ったと思う。
ボカディージョを食べ終わって一息つく。やっぱりガーランド家のシェフが作る料理は美味しい。うちの料理人には敵わないが、ガーランド家もご飯が美味しいのだ。特にこのボカディージョは最高だ。
食べ終わって満足感に浸っていると、不意に髪を撫でられた。髪の間を指が通り抜けていくその感触が心地良くて目を閉じる。気持ち良さから思わず欠伸まで漏れてしまう。まだまだ寝れそうだな。
「確認は夜にして、もう少し休んでおいた方が良い」
「これ以上寝たら夜眠れなくなりそうなんだが……」
昼夜逆転してしまう。とはいえ、疲れているのも事実ではある。横になっているだけでも違うだろう。ここは大人しく横になっておこう。熱も下がってないしな。
そう言い訳しながら横になれば、寝かし付けるようにオルテガが添い寝して抱き締めてきた。安心出来る寝床に大好きな人。これで寝るなという方が無理だ。
やがて、俺の意識はゆっくりと眠りの淵へと戻っていった。
翌日、散々弄ばれた俺は疲労困憊で仕事をしていた。なんかもっとこう、緩く触れ合うみたいなのじゃなかっただろうか。絶対なんか違う。
俺の知識もぼんやりしたものなので良く分からない。ヘドヴィカなら知っているかもしれないが、怖くて聞けない。何を言われるか分からないからな。
せかせか働いているルファスの様子を見ながら思わず溜め息が零れる。なんだろう、この疲労感は。これが週末まで毎日続くのか?
「セイアッド様、何だか顔色が悪くありませんか?」
「ん……昨夜あんまり眠れなかったから」
心配そうに声を掛けてくれるルファスに歯切れ悪く答える。ところが、途端に彼の表情が曇っていた。
「少しお休みになった方が良いのでは……。それでなくとも色々あったのですから」
そう言いながら俺からペンと書類を取り上げると、彼はさっさと応接セットのソファーへと俺を誘導する。普段ならば抵抗するなり何なりするが、ルファスに顔色の悪さを指摘された事で自覚が出たのか少し熱っぽい気がしたので大人しく従っておく。
二人掛けのソファーに座って息をつくと横になれとルファスに急かされた。そんなに顔色が悪いんだろうか。
「典医を呼んでもらいますから大人しくしていてくださいね」
言い置いた彼は急ぎ足でドアの方へと向かう。今はヘドヴィカやモーリス、他の文官も席を外しているから護衛で立っている騎士に頼みに行ったのだろうか。予想通りに彼は直ぐに戻ってきた。
「直ぐに来て頂きます。今日はこのままお休みしてお屋敷に戻って頂いても構いませんが」
「平気だ。まだ休む訳には」
とんでもない事を言い出すので慌てて起き上がろうとするが、肩を押されて制される。目の前には深い青色の瞳を吊り上げた美青年だ。
「悪い癖ですよ、何でもかんでも独りで背負い込むのは! 良いから典医の先生が来るまで大人しく寝ていてください」
「……分かった」
鬼気迫る勢いに思わず頷いて大人しく横になって目を閉じた。言われて自覚してくるとじわじわと体調の悪さを自覚する。そうか、熱がある時の感覚だ。
目を閉じていると、ルファスが室内を忙しく行き来している音と気配がする。ダウンしている場合じゃないんだがルファスの言う通り色々あった。有りすぎた。
王都追放と「俺」の意識が覚醒してからここ数ヶ月、領地から着々と謀略を巡らせ、王都に戻ってからも全力で駆け抜けて。慣れない事も沢山して、これから先に起こるであろう事に向けて奔走する日々。多分、疲れていたのだろう。
ふぅと小さく息を吐き出すと、俺はソファーに体を預けた。
それから暫しして、俺は誰かにそっと揺り起こされて目が覚めた。
「お休みのところ申し訳ない。診察させて頂きますぞ」
「ロフェー殿……」
見覚えのある白髪長髯の老人に、俺は体を起こそうとしてそっと制される。寝ていろということらしい。
王城には幾人かの典医…要するに王族を診る医者が属しているが、今この場にいるロフェーはその中でもトップに立つ男だ。ついでに以前自分に治癒魔法を掛けて魔力中毒に陥った際に治療してくれた男でめちゃくちゃ叱られた老公である。
「全く、貴殿はいつも無茶ばかりしなさる。少しはご自分を労って頂かねば」
小言をくれながら俺の手を取ると、ロフェーがゆっくりと魔法を発動する。治癒に特化した水魔法の一つで、患者の体内に微量の魔力を流す事でその状態を診察するらしい。
同じく水属性の魔法を使えるが、セイアッドは怪我を治すタイプの治癒魔法や鎮痛・鎮静が得意だ。戦闘向きなものとしては一時的に基礎能力を上げるバフと相手の攻撃を防ぐバリアあたりだろうか。医療に特化した魔法を覚えようとも思ったんだが、学生時代に友人達に振り回されてタイミングを逃したままだ。
そんな事を考えているうちに診察が終わったらしい。体内を巡っていた魔力がゆっくりと失せていく。
「ふむ、ただの疲労ですな。大事をとって今日はお休みになった方が良いでしょう」
「まだ仕事が」
「この爺の言う事が聞けませぬか、レヴォネ殿。陛下に上奏しても良いのですよ」
「ぐ……分かりました」
ユリシーズに話が行ったら間違いなく大事にされる。それでなくとも話題の人状態なのでこれ以上世間を騒がせるのは遠慮したい。
ルファスに馬車の仕度を頼めば、彼は直ぐに部屋から出て行く。ドアが閉まったところでロフェーがじっと俺を見ている事に気が付いた。
「ロフェー殿?」
「ああ、不躾に申し訳ない。すっかり色艶が良くなった様で驚いておりました。以前の貴殿はそれはもう最高に不健康でしたからな」
愛の力ですな、と言いながら鷹揚に笑う老医の台詞に思わず顔が熱くなる。わざわざロフェーが来たのは揶揄い半分なのかもしれない。
「意地の悪い」
「この歳になると若い者を揶揄って遊ぶのも楽しみの一つでの。レヴォネ殿は実に揶揄い甲斐があって良い」
楽しそうに自らの白いアゴ髭を撫で付けるロフェーとは裏腹に、俺は嬉しくない評価をもらって何とも複雑な胸中である。ただ、揶揄い半分ではあるものの、本当に心配してくれていたんだと思う。彼は「私」の時から何かと小煩いほどに声を掛けて心配してくれた一人だったから。
「これを機に無理はおやめなさい。何事も程々が一番ですぞ」
「……はい」
しっかり太い釘を刺す事は忘れずに、お大事にと言い残してロフェーは立ち上がったのだった。
……ふわりと頭を撫でられてゆっくり意識が浮上していく。
まだ覚醒しきらなくてふわふわした思考の中で、頬を撫でてくれるものが気持ち良くて擦り寄せて甘えてみる。ああ、気持ち良いな。
「……リア」
低くて優しい声が呼ぶ。同時に、額に何か柔らかいものが降ってきた。温かくて大好きな匂いがする。それだけで幸せな気分になれる。
「少し水を飲もう。起きられるか?」
優しく促す声に従ってのろのろとベッドから体を起こす。体が熱っぽくて気怠い。どうやらまだ熱は下がりきっていないようだ。帰ってからオルテガの部屋で寝ていたんだが、どれくらい経っているんだろうか。
差し出されるグラスを受け取って一口飲む。ふんわりと柑橘の香りと蜂蜜の甘さがする水は良く冷やされていて心地良い。
喉が渇いていた事を自覚してごくごくと飲み下すと、思わずホッと息が零れた。冷たい水のおかげか、少し楽になった気がする。
「大丈夫か?」
心配そうにこちらを覗き込むのは申し訳なさそうなオルテガだ。彼もいつの間にか帰ってきたようだ。どうやら昨日の事に責任を感じているらしい。
そういえば、前にも似たような事があったな。あの時も良く冷えた柑橘の果汁が入った水を用意してくれたっけ。
「ああ。ロフェー殿が言うにはただの疲労らしい。少し寝れば治るよ」
「すまない、無理をさせたな」
抱き締めてくれる腕に身を任せながら首を横に振る。多分、ちょっと気が抜けたんだと思う。色んな事を一気に駆け抜けて一番の目標だった事を成し遂げたのだから。
オルテガの広い背中に腕を回し、体に頬を擦り寄せる。俺の方が少し体温が高いからか、いつものような熱さは感じないのが少し寂しい。
「今何時頃だ?」
「午後三時を過ぎた辺りだ。腹が減ったなら何か食事を用意する」
オルテガの熱を堪能しながら訊ねれば、思ったより時間が遅かった。どうやら帰ってから爆睡をきめていたらしい。途端に思い出したようにぐうと腹が鳴るからちょっと恥ずかしかった。
「何か食べたい物はあるか?」
「ボカディージョがいい。卵とチーズのやつ」
「本当にそれが好きだな」
「良いだろう? ガーランド家のは特別美味しいんだ」
我儘を言えば、耳元でくすくすという忍び笑いがする。仕方ないだろう、ガーランド家のボカディージョが大好物なんだから。
パリパリに焼かれたバケットにトロトロチーズがたっぷり入ったオムレツが挟まったサンドイッチだ。美味しいに決まっている。
急かすように再び腹が鳴るのを聞いて、オルテガがのそりと体を起こした。
「出来たら直ぐに持ってくるからもう少し休んでいてくれ」
「ん」
こくこくと頷きながら俺は眠気に任せて再びベッドに潜り込む。オルテガが吟味に吟味を重ねて選んだとあってこのベッドの寝心地は最高なのだ。それにオルテガの匂いもするしな。
直ぐにやって来た睡魔に身を任せながら目を閉じる。もう少し休んだらまた忙しくなるのだろう。
…少ししてオルテガが戻って来た。
果実を絞ったジュースと出来立てのボカディージョを携えて、だ。空腹に任せて挨拶もそこそこにボカディージョに齧り付く。熱々のオムレツからはとろりとたっぷりのチーズが溢れてきた。うーん、やっぱり美味いな。
ボカディージョを食べているとオルテガから書類の入った封筒を幾つかベッドに置かれた。
聞けば、ルファスが纏めてくれたミナルチーク派の不正の記録やその証拠、それからヘドヴィカからはステラの証言を上手く作って書類を纏めてくれたようだ。
特にステラの存在はミナルチークにトドメを刺す為に必要な必殺の刃だが、下手するとこちらの身を滅ぼしかねない諸刃の剣だ。
ステラ自身の意思で行って来た行動を、ミナルチーク単独の蛮行にする為には嘘も誤魔化しも必要だ。後でしっかり目を通して内容に矛盾や不備がないか確認するとしよう。
それから、オルテガからは宮廷貴族達が組織している自警団の汚職を告発する書面だ。どうやらかなりやりたい放題だったようで、積年に積もり積もった証拠が山の様にあるらしい。
貴族会議でこいつを叩き付ければ、ミナルチーク派は当然反論してくるだろう。しかし、彼等のやり口は非常に稚拙で連携が取れていない。
それに、俺が貴族への介入権を得て不正を摘発し、既に幾つもの家を追い遣った事でその勢力も風前の灯だ。今回の騒動で廃爵や降爵になる家はバーリリーン伯爵家以外にも多数出た。領地持ちもいるが、特にまともな家が少なかった宮廷貴族は容赦無く潰したので三分の一程潰す事になっている。
これまで散々弱い者達を甚振り、甘い蜜を吸ってのうのうと暮らして来た連中だ。そのツケをしっかり払って貰わなくては。
かなり乱暴に事を進めたので連中には相当恨まれているだろう。だが、彼等には俺以外に手ぐすね引いて待っている連中がいる。
俺が彼等から恨みを買っているように、彼等もまた数多の恨みを買っているのだ。それも、俺なんかよりずっと怖い連中だ。
宮廷貴族達は長らく権力を盾にいろんな悪さをやらかして来た。後ろ暗い生き方をしている者の中にも宮廷貴族達に擦り寄り、ダニの様に寄生して美味しい思いをしてきた連中も大勢いる。しかし、今回の事で彼等の多くは摘発され、檻の中か多額の罰金や賠償金を払う羽目になった。
ハイエナの様にたかり、蛇の様に執念深い連中だ。それまで身を守っていた権力が失せたら行き場を無くした元貴族達は格好の餌食だ。捕まったら最後、一体どんな目に遭うんだろうな?
結局、朱凰の第三皇子の足取りは未だに掴めないままなのは口惜しいが、ミナルチークを始末するには十分な手札が揃ったと思う。
ボカディージョを食べ終わって一息つく。やっぱりガーランド家のシェフが作る料理は美味しい。うちの料理人には敵わないが、ガーランド家もご飯が美味しいのだ。特にこのボカディージョは最高だ。
食べ終わって満足感に浸っていると、不意に髪を撫でられた。髪の間を指が通り抜けていくその感触が心地良くて目を閉じる。気持ち良さから思わず欠伸まで漏れてしまう。まだまだ寝れそうだな。
「確認は夜にして、もう少し休んでおいた方が良い」
「これ以上寝たら夜眠れなくなりそうなんだが……」
昼夜逆転してしまう。とはいえ、疲れているのも事実ではある。横になっているだけでも違うだろう。ここは大人しく横になっておこう。熱も下がってないしな。
そう言い訳しながら横になれば、寝かし付けるようにオルテガが添い寝して抱き締めてきた。安心出来る寝床に大好きな人。これで寝るなという方が無理だ。
やがて、俺の意識はゆっくりと眠りの淵へと戻っていった。
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