盤上に咲くイオス

菫城 珪

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王都編5 毒華の覚悟

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王都編5  毒華の覚悟
 
 共に食事をし、真名を許し合ってから俺達はぽつぽつと今後についての話し合いを始めた。
 ユリシーズから告げられたのは王都からの連絡と大差はなかったものの、内々で決められた事や一部しか知らない情報についてはいくつか新しいものがあった。
 一つが王太子ライドハルトの処遇について。
 彼の暴挙から始まった一連のトラブルの責を問い、立太子は一旦白紙に戻されるそうだ。ライドハルト自身は事情聴取の為に王太子用の屋敷に蟄居状態でステラや周囲との交流は断たれている。
 継承権の剥奪までいかなかったのはリンゼヒースの意見も大きいらしい。そもそもリンゼヒースは王位につきたくない奴だ。ユリシーズが退位するにあたって一時的に王位を引き継ぐものの、あくまでも長子の子が継ぐべきだと言っているようだ。そんなのはどうせ建前で、王族として縛られるよりも自分は臣下としてある程度自由に動いて国を支えたいというのが本音だな。
 実際、リンゼヒースの気質的にもその方が物事は上手く回る筈だ。ユリシーズもその辺を解っているから敢えて白紙に戻す事で留めたんだろうな。
 ライドハルト自身の罰についてもサディアスに作ってもらった資料を提出すればある程度は軽くなる筈だ。ステラとの交流が絶たれれば、『恋風の雫』の効果も薄れるだろう。そこから先はライドハルト自身の努力次第だな。
 これはまあ想定内だ。次にユリシーズが切り出したのがラドミール・マチェイ・ミナルチークの動向について。
「ミナルチーク伯爵は君の帰還に随分と焦っているようだな」
 侍従が用意したチョコレートを口に運びながらユリシーズが呟く。
「それはそうでしょうね」
 追い出した筈の宰相の罪を捏造した筈が多くの者から反発を招いて国政を乱した上に、聖女候補の養女は全く研鑽を積まずにやりたい放題。おまけにこの大陸一番の大国に喧嘩を売り、その相手からは謝罪を拒絶され、籠絡した筈の高位貴族子息達は離れていき…。
 どう見たって詰みだろうに。さっさと諦めて投了してくれれば話も早いんだが、しぶとさだけは常人以上の連中だし自身の進退がかかってくるとなれば敵もそう簡単には諦めないだろう。
 窮鼠猫を噛む。そんな状況にならなければ良いが…。
「どうやらタチの悪い連中と手を組もうとしているようだね」
「……朱凰の者達でしょうか」
「流石、耳が早いな」
 楽しそうに笑いながら指先が弄ぶのは真っ赤に熟れた苺だ。ユリシーズの指先が果肉の一部を潰したのか、甘酸っぱい香りがする。
「追い詰められ、焦って手を組む相手を間違えるとは愚かな事だ。彼等が堕ちる所まで堕ちるのも近いだろう」
 弱みを見せたが最後、腑まで貪られる。
 それがこの大陸での朱凰のイメージだ。実際、そうやってかの国は海を越えたこの大陸にまで進出して来ている。
 ローライツ王国の属国ではないものの、別の国に属していた小国はそうして食い尽くされた。今その国の王座にいるのは朱凰の傀儡だ。
 彼等はそうして足場を作りながら虎視眈々と勢力を広げる機会を狙っている。万が一にでもミナルチーク側が勝利を収めたら、その弱みを利用されてあっという間に国が乗っ取られるだろう。
 嘲笑うユリシーズは弄んでいた苺を摘みあげると口に運んだ。齧り取られた苺から赤い雫が一つ滴り落ちて、テーブルに掛けられていた真っ白なテーブルクロスを汚す。
 まるでこれから先の暗示だな。
 多かれ少なかれ、血は流れるだろう。
「俺」はそれを受け入れる覚悟を決めなければ。
 そして、出来る限り流れるであろう血を少なくしたい。甘い考えだと思われるだろうが、これだけは「俺」も「私」も譲れない。
「……君はどうするつもりだい?」
 ユリシーズは俺の覚悟を知りたいのだろう。夜明けの太陽のような色をした瞳が真っ直ぐに俺を見つめている。
「相手方が悪役をお望みならその通りになってやろうかと」
 赤みがかった金色の瞳を真っ直ぐに見つめ返しながら自身の考えを伝える。
「ほう?」
 目を細めるユリシーズは楽しそうだ。同じく振り回された身として、これからの展開で少しは彼の溜飲も下がればいいが。
「これまで私は誠意を持って接すれば相手にもその思いが伝わると信じておりました。時に対立する事はあれど、共に手を取り合ってより良い国の為に歩んでいけるようになるのだと。されど、それは甘い考えでした。彼等は増長し、私利私欲の為に権力を、そして王威を自らの手にしようとまでしています。……一介の貴族が抱くには過ぎたその願望は粛清の理由には十分でしょう?」
 軽く首を傾げながら問い掛ければ、ユリシーズがゆっくりと頷く。
 ファンタジーの世界らしく、この国での国王の権力は絶大なものだ。
 正しくその力を振るえば国は栄えるだろうが、使い方を誤ればこれ以上ない凶器になる。己の欲しかない奴等が王権など握ったらどうなる事かなんて火を見るより明らかだ。
「レヴォネ家は父セオドアの代からこの国に長年巣食ってきた害虫共を駆逐してきました。しかし、志半ばで父は身罷り、私は自身の甘さ弱さ故に此度は相手方に足元を掬われ、結果国政を乱す事になってしまいました。今一度機会を頂けるのであれば、次こそは完膚なきまで踏み潰してやります。セイアッド・リア・レヴォネは悪辣であると言うのならば、彼等が望むように奸悪の毒となりましょう」
 権力の一極化が良い事とは思わないが、相手が私利私欲に塗れて無益に足を引っ張る連中なら話は別だ。
 害悪は早急に排除して正常化しなければ。
 邪魔するものは踏み潰してその屍の上で嗤ってやろう。
 それが悪だと呼ぶなら好きに呼ぶが良い。俺はこの国に暮らす多くの者の為に、俺にしか出来ないやり方で戦うだけだ。
 セイアッドは名家レヴォネの当主であり、隣国で大陸一大国のラソワからの支持がある。国内でも有数の公爵家スレシンジャー家の後ろ盾も得た。宰相という権限も決して弱くない。
「私」にとってはしがらみやら何やらでなかなか踏ん切りが付かなかった事も「俺」なら容赦無く切り捨てられるだろう。貴族社会に縁遠い「俺」はそれまで積み上げられてきた事実だけで相手を断ずる事が出来る。
 例え祖先が救国の忠臣であれど、今現在国を乱す奸臣と堕ちているならば国には必要無い。こう言った取捨択一は生まれてからずっと貴族社会に浸かってしがらみに縛られて生きてきた「私」には難しい事だろう。
 セイアッドが舐められ、セオドアが恐れられる理由はこういう甘さにあったのだろう。セオドアは問答無用で国に不利益を齎すものを斬り捨ててきた。優しさなんていえば、聞こえはいいが結局それがセイアッドの甘さであり弱点となっていた。
 セオドアには信者のような妄信的な協力者が大勢いたし、国や自らに対して不利益を齎すものに容赦しなかった。セオドアの奮った粛清の嵐にこれまで甘い蜜を吸ってきた連中は恐れ慄き、多くの者が繁栄を約束された地位を失い、惨めに暮らす事となった。
 その者達が抱える憎悪はそのままレヴォネ家に対する敵意となって向けられ、セオドアが亡くなった後はセイアッドに降り注いだ。
 若くして経験も足りぬままに宰相を継いだセイアッドは明確な後ろ盾が分かりにくく、また凡ゆる意味で青かったのだろう。結果、相手の敵意をまともに受け止めて痩せ細るまで激務に追われ、良いように弄ばれて冤罪まで吹っ掛けられた上に追い出されそうになったのだ。
 これまでの「私」ならば、きっと立ち向かう事も出来ず、失意に暮れていたのかもしれない。だが、今は違う。俺には報いなければならない者達が沢山いる。
 手を差し伸べてくれた者。
 信じて背を押してくれる者。
 王都で声を挙げてくれた者。
 セイアッドを愛してくれる者達の為に。
「俺」は立ち向かわなければならない。
 良く似た美貌を持っていてもセオドアはまるで鋭い名刀のような冴えた魅力と行動力の持ち主だった。触れ方を間違えれば怪我をする、されど心惹かれずにいられない存在。
 民を、国を深く愛し。国や民に仇成すものには苛烈に奮うローライツの月の剣。
 そんなセオドアのようになれたら、なんて「私」は思っていたようだが良くも悪くもお坊ちゃんだった「私」には難しかったのだろう。
 彼は人の善性を心から信じていたから。
 世の中に汚い事があるのは知っていても実際にその悪意に触れる機会が少なかった。どんな者でも誠意を持って接すれば、いつかは心を開いてくれると愚かにも信じていた。だからこそ、あの夜の断罪に、それから続く周囲の裏切りにセイアッドの心は耐えられなかったのかもしれない。
 だが、「俺」は違う。表面上良い人に見えても心の中がドス黒く醜い人がいる事も、人間誰しも多かれ少なかれ悪意を抱えている事を知っている。
「私」が性善説を信じるならば、「俺」は性悪説を信じよう。
 向けられる悪意が如何なるものであろうと、俺は決して屈しない。この国と国に生きる全ての者達に報いる為に最期の瞬間まで戦い続けるつもりだ。
 そんな覚悟が伝わったのか、ユリシーズが満足そうに大きく頷いた。
「……そうか。ならば、人事や爵位は君の采配に任せよう。例え貴族であれど、国に仇成す者ならば遠慮無く斬り捨てると良い。明日付けで王命を出す」
 あっさりと言われた言葉に思わず思考が止まり掛ける。
 良いのだろうか。そんなに簡単に重要な事を言い渡して。
 この世界の常識として貴族の地位はそう簡単には揺らがない。男爵や子爵などの下位貴族なら貴族に課せられる税が払えなかったり、品位が保てずに平民になる事もままある。しかし、金銭的に立ち行かなくなったり、重大な違反行為があったとしても高位貴族は降爵…要するに爵位が下げられたり、領地替えで済まされる事が多い。
 国家転覆を目論んだ者や王族や他貴族に対する暗殺までいけば爵位剥奪や国外追放、事によっては死罪も有り得るが、逆に言えばそこまでしない限りは貴族の地位はそれなりに保たれるものだ。
 その特権を、ユリシーズは俺の采配だけで取り上げても良いと言っている。
「……よろしいので?」
 流石に震えそうになった声で尋ねれば、ユリシーズは夜明けの太陽のような瞳を細めながら悪戯っぽく笑った。
「君の尊厳を踏み躙り、国を乱した者達だ。存分に可愛がってやると良い」
 悪役になるんだろう?とにこやかに告げられては反論も出来ない。思っていたよりもなんかこう、ノリが軽い。ユリシーズは本来こういう性格なのかもしれないな。
 俺が好きにして良いと言うのは渡りに船なんだが、こんなにあっさり行くとは思っていなかったのでなんだか拍子抜けだ。問題提起して、貴族会議で正当に追い落とすつもりだったんだが、そんな手間を踏まなくていいのは有難いと言えば有り難いんだが…俺の独断だけでそんな重大な事を決めて本当にいいのか?
 信頼の証なんだろうが、プレッシャーがヤバい…!
「ただ、大勢の敵を作る事になるぞ」
 軽く痛み始めた胃を摩っていると申し訳無さそうにユリシーズは視線を下げて俯いてしまった。俺に背負わせる事を気にされているのだろう。
 だが、それは既に覚悟している。如何なる悪意の嵐が吹き荒れようともそれを叩き伏せて国を蝕む者を排除する。それが「俺」の役割だ。
「望む所です。……陛下の方こそ宜しいのですか?」
 俯いた王に静かに問う。これだけで何の事なのかわかっているだろう。
 リンゼヒースとの話し合いで既にユリシーズの意向は聞いている。
 ユリシーズはリンゼヒースに王位を譲って退位するつもりだ。ライドハルトが引き起こした問題やこれから起きるであろう騒乱の、凡ゆる責任を背負って王座を退く気でいる。
 重荷を背負わせてしまうというならセイアッドよりもユリシーズの方だろう。歴史に残されるのはこの騒動の末に責任を取って退位したという話だ。
 後の世の人間が見て、ユリシーズの事をどう評するのか。そんなの考えなくても分かる。
「ああ、それでいいんだ。……私はもう疲れてしまった。少し、休みたい」
 諦念に満ちた呟きは重く物悲しい。
 それ程まで彼が追い詰められていた事に胸が痛む。同時に事が終わったら絶対に領地に遊びにきてのんびり好きに過ごして貰おうと心に決める。
「アシェル、これからは私にも担わせて欲しい。貴方だけが全て背負う必要は無い」
 敢えて気安い話し方をすれば、ユリシーズの表情が綻ぶ。
「ありがとう、リア。とても心強い」
 親友に良く似た笑い方をする男は、それはそれは嬉しそうに呟いた。
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