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二、異邦人
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ルーカスが一人で寝始めて、2週間が経った。
大通りの一角に建つレンガ作りの建物の中は、アルコールと煙の臭いで満ちていた。昼間から杯を傾ける男たちの笑い声が響き、床には乾いたパン屑とこぼれた酒が散らばっている。その喧騒の中に、ルーカスの姿があった。
扉をくぐった途端、酒の入った男たちが軽口を投げてくる。
「おいルーカス、久しぶりじゃねぇか。一杯やれ」
ルーカスは苦笑しながら、差し出されたジョッキを持つ男の腕をそっと捉え、椅子に座らせた。その仕草は慣れたもので、相手も「へっ」と笑って酒を口に戻す。
受付に顔を出すと、見慣れた女性が笑顔を向けた。
「こんにちは」
「あら、ルーカス。久しぶりね」
彼女は掲示板に張り付けていた紙をとり、ルーカスへと見せる。
「ちょうどいいところに来たわ。あなたに頼みたい依頼があるの」
差し出された紙には、旅人の案内と書かれていた。一週間ほど街を共に巡り、宿泊や食事の手配、文化の説明などを請け負うという内容だった。
ルーカスは紙を見つめたまま、しばし黙り込む。以前も、領主関係者の視察に付き添ったことがあった。けれど、あのときは形式的な案内で、心を動かすような会話はしなかった。
「俺で大丈夫かな」
受付嬢はルーカスの外見をみて、うなずいた。
「えぇ、あなたがこの国で一番適任だと思うわ」
気を取りするルーカスを、受付嬢は半ば強引に奥の部屋へと案内した。
重い扉の向こうには、煙草の匂いと古びた書類の香りの入り混じった空気が漂っている。部屋の中にはルーカスよりも一回り大きなギルドマスターが座っている。彼の向かいに座る青年の外見を見て、ルーカスは息を呑んだ。
青年の肌は雪のように白く、髪は光を受けて銀色に輝いている。その姿はまるで鏡の中の自分のようだった。彼の記憶の中で、自分と同じ色を持つ人間は母親ただ一人だった。胸の奥が締め付けられるように痛む。
「おぉ、ルーカス。よく来たな」
ギルドマスターが笑いながら立ち上がり、ルーカスの肩を軽く叩く。そして声を潜めるようにして言った。
「今回の客だがな、かなり遠い国から来てるらしい。ササトゥール語ってのを話すんだ」
聞き慣れない単語に、ルーカスは首を傾げた。
「俺も詳しくは知らん。ただ、お前に似てるだろ。もしかしたら同じ土地の血かもしれん。一度、話せるか試してみてくれ」
ルーカスは促されるまま椅子に腰を下ろす。
目の前の青年は、じっと彼を見つめ返していた。
「こんにちは」
ルーカスはいつもの言葉で挨拶した。隣のギルドマスターが小声で「ティテマさんだ」と教えてくれたので、名前を付け加える。
「こんにちは、ティテマさん」
その瞬間、ティテマの表情がぱっと輝いた。彼は何かを早口でまくし立てるようにササトゥール語で話し始めた。その声は、どこか懐かしい旋律のように耳に響く。ティテマが勢いのまま立ち上がり、ルーカスも彼と同じように立ち上がる。すると、何のためらいもなく、ティテマは彼を抱き寄せた。ティテマは嬉しそうに何度も言葉を重ねる。
ルーカスは軽くティテマを押し、互いの顔を確認できる距離を取ると、自身を指さし、ゆっくりと言葉にする。
「ルーカス、……よろしく」
ティテマは一瞬息を呑み、それから歓喜の声をあげた。彼の言葉は早口で、まるで滝のように溢れ出したが、聞き取れるはずもないルーカスは、きれいな愛想笑いを返す。
ギルドマスターが咳ばらいをし、紙束を整えて依頼の詳細を読み上げていく。その中で、ルーカスの耳がある一文にぴくりと反応した。
「一緒の部屋に泊まるんですか」
思わず問い返したルーカスに、マスターは肩をすくめた。
「条件のひとつにあるんだよ。どうも、話し相手でも欲しいらしい」
ルーカスは思わずティテマへ視線を送る。その意味を察したのか、カバンを開け、中からカードのようなものや、異国の装飾が施された駒などを取り出して机に並べた。
「遊びたいんですかね」
ティテマの瞳は無垢に輝いていて、その光は九歳の少年を思わせる。ルーカスは一瞬ためらい、やがて小さく息を吐いた。
「……わかりました」
マスターは満足げにうなずき、契約書を差し出した。ルーカスはペンを取り、紙の端に名を記す。サインの音が静かな部屋に響いた瞬間、マスターはティテマに向かい笑顔で親指を立てた。意味を理解した彼は、弾んだ声で「よろしく、ルーカス」と微笑んだ。
二人はギルドを後にし、あらかじめ用意されていた宿へ向かった。
東街の王宮外壁の近くにそびえる白壁の建物。この街では珍しい石造建築で、窓枠に金の縁取りが施されている。通りを歩く者たちが振り返るほどの豪奢さに、ルーカスは思わず足を止めた。
扉をくぐると、外とはまるで別世界の空気が流れている。厚い絨毯の上を歩くたび、靴底が柔らかく沈み込む。花の香りを混ぜた香水が漂い、天井には見たことのない細工のランプが光を落としていた。
ティテマは特に感動する様子もなく、荷物を置くとすぐに窓際に歩み寄り、外を見つめている。ルーカスは周囲を見回し、重厚な調度品や真新しい寝具を眺めながら口が開いた。ルーカスが彼を見ると、彼の視線は窓の外に向けられており、高い外壁の奥にそびえる王宮の塔が見えた。
「王宮、気になる」
ルーカスの問いに、ティテマは小さく頷いた。
「百五十六年前。アデル王国は、この地に降り立ったアデル王が建国したんだよね」
その言葉に、自分よりもこの国のことを知っているのではないかと黙り込んだ。
振り返った彼の瞳は先ほどの明るさはなく、深く澄んでいて、どこか探るような真剣さがあった。
「ルーカスは、いつからこの国にいるの」
「……十年前」
その返事は、自分でも驚くほど乾いていた。
ティテマはその影を感じ取ったのか、それ以上は何も言わなかった。代わりに、少し笑ってルーカスの手を取る。
「何か食べよう」
ティテマに手を引かれて宿を後にした。
大通りはいつも通り賑わいを見せており、鍋をかき混ぜる音、パンを裂く音、笑い声と呼び込みの声が絶えず行き交う。昼時の飲食店からは様々な香辛料と焼けた肉の香りが入り混じって漂っていた。
ティテマは初めて見る光景に目を丸くし、屋台の列を見回しながら何かを早口で話し出した。意味は分からなくても、その抑揚には確かな好奇心がにじんでいる。
「ご兄弟、初めて見るわ」
肉の串焼きを売る中年の女性が、油の跳ねる音の合間に声をかけてきた。
「いや、兄弟じゃないよ」
ルーカスは笑顔で答える。ティテマの視線が串焼きに興味を示しているのを見て、ルーカスは一本買い、差し出した。
「食べる、かな」
ティテマはしばらく動かなかった。見知らぬ食べ物に警戒しているようにも見える。ルーカスは小さく笑い、わざとゆっくりと肉を噛んでみせる。彼は串刺しに顔を近づけて、一口だけかじった。
「……おいしい」
その言葉はたどたどしく、それでも真っ直ぐに響いた。ルーカスはティテマに笑みを返して、色々な店を回り出した。
橙色の夕日が街を染めたころ。大通りの中央にある噴水から、二つの影が並んで伸びていた。人通りが減り、風が水面を揺らす。二人はこの国では使われない言語で話す。すれ違う人々は、二人の白い髪と異国めいた美しさに一瞬足を止め、名残惜しそうに振り返った。
言葉が途切れ、静寂が訪れる。ティテマは王宮の塔を、ルーカスは噴水の縁を見つめた。
「……文字」
ルーカスの呟きに、噴水の縁に刻まれた、擦れた古い刻印を見たティテマが顔色を変えた。噴水に彫刻された文字を見つめるため、膝をつき、噴水の縁を指でたどる。
「……」
ルーカスはそっと立ち上がり、周囲を見回す。陽が沈みかけ、通りの明かりがひとつ、またひとつ灯り始めていた。
「ティテマ、帰ろう。あぶない」
少しの間、ティテマは動きを止めていたが、ゆっくりと立ち上がる。噴水の周りを一周すると、ルーカスの元へ駆け寄った。
二人は夕暮れの大通りを並んで歩き出す。背後では、噴水の水音が静かに彼らの後ろで響いていた。
宿の扉を開けた瞬間に、湯気をまとった温かな香りが二人を迎えた。
卓上には、彩りよく盛り付けられた夕飯が並んでいる。淡いスープの湯気がゆらゆらと立ち上り、焼き立ての肉に浮かぶ油が灯りを受けてきらめいている。ルーカスは、思わず喉を鳴らした。彼の普段の食事は干し肉や柔らかくないパンのような質素なものばかりで、これほど手の込んだ料理を見るのは久しぶりだった。ルーカスは席につくと、すぐにフォークを手に取り、夢中で口に運ぶ。柔らかい肉のうまみが舌に広がり、思わず目を閉じて味わう。一方、ティテマはパンを一切れだけ千切って口に含み、静かに咀嚼した。
食事の途中、ルーカスが明日のことを思い出したように顔を上げる。
「明日、噴水行く」
ティテマはうなずき、口を開いた。
「文字の彫られたものは、ほかにもあるのかな」
噴水の彫刻すら今日知ったばかりのルーカスは肩をすくめる。
「ギルドマスター、知っているかも」
食事を終えた二人はそれぞれの部屋へ戻り、身を清めた。清らかな湯気がまだ漂う中、ティテマは鞄を開けて中を整理している。ルーカスはふわりと沈み込むベッドに身を委ねて、その柔らかさに顔をほころばせていた。
ティテマの整理が終わったタイミングで、ルーカスは窓の外を指さした。王宮の塔がうっすらと影のように浮かび上がっている。
「ティテマ、行きたい」
その問いに、ティテマは笑いながら答えた。
「もちろん行きたい。けれど、行けないだろう」
ルーカスは自慢げな顔を向ける。
「近く、行ける。明日は特別」
ティテマの目が輝く。
「そういう日があるんだね」
二人はそのまま、明日の計画を立てながら夜を過ごした。
夜明け前、窓の隙間から淡い光が差し込み、ルーカスは目を覚ました。
隣のベッドではティテマが静かな寝息を立てている。その穏やかな音に懐かしさを感じる。そっと起き上がり、腕をあげて体を伸ばす。ゆっくりと下げた手を後頭部に滑らせてから首の後ろを触った。そこには、かさぶたになりかけた4つの小さな痕がある。触れると、鈍い痒みが走った。
少年が存在した証しを辿るように、血の結晶を指の腹で撫でる。
「……痒いの」
声のする方へ振り返ると、ティテマが目を開けてこちらを見ていた。
ルーカスは少し恥ずかしそうに笑い、視線を落とす。
「少し、痛い」
ティテマは立ち上がると、ルーカスの背後に回り、首筋を覗き込んだ。
「噛み跡みたいだ」
「噛まれた。痛かった」
ルーカスは優しい声色で話した。
ティテマの指がそっとうなじをなぞった。ルーカスの体が一瞬震えたのを感じる。ティテマは指を離し、許可なしに触れたことを謝る。
「もう少し、触れてもいい」
少しの間を置き、ルーカスはゆっくりとうなずいた。指の腹を首の骨に沿って滑らせ、中央で止まる。もう一度下へ、そしてまた上へと繰り返した。
「何、あるの」
ルーカスが尋ねると、「首の骨」と答えてティテマは微笑んだ。やがて自身のベッドに腰を掛け、鞄から紙束を取り出す。何かの記録を残すために、ペンを走らせた。
ルーカスは、さっき触られたあたりを自分で確かめる。うなじの中央付近に触れる指先には、柔らかく熱を持った感触だけが残った。
大通りの一角に建つレンガ作りの建物の中は、アルコールと煙の臭いで満ちていた。昼間から杯を傾ける男たちの笑い声が響き、床には乾いたパン屑とこぼれた酒が散らばっている。その喧騒の中に、ルーカスの姿があった。
扉をくぐった途端、酒の入った男たちが軽口を投げてくる。
「おいルーカス、久しぶりじゃねぇか。一杯やれ」
ルーカスは苦笑しながら、差し出されたジョッキを持つ男の腕をそっと捉え、椅子に座らせた。その仕草は慣れたもので、相手も「へっ」と笑って酒を口に戻す。
受付に顔を出すと、見慣れた女性が笑顔を向けた。
「こんにちは」
「あら、ルーカス。久しぶりね」
彼女は掲示板に張り付けていた紙をとり、ルーカスへと見せる。
「ちょうどいいところに来たわ。あなたに頼みたい依頼があるの」
差し出された紙には、旅人の案内と書かれていた。一週間ほど街を共に巡り、宿泊や食事の手配、文化の説明などを請け負うという内容だった。
ルーカスは紙を見つめたまま、しばし黙り込む。以前も、領主関係者の視察に付き添ったことがあった。けれど、あのときは形式的な案内で、心を動かすような会話はしなかった。
「俺で大丈夫かな」
受付嬢はルーカスの外見をみて、うなずいた。
「えぇ、あなたがこの国で一番適任だと思うわ」
気を取りするルーカスを、受付嬢は半ば強引に奥の部屋へと案内した。
重い扉の向こうには、煙草の匂いと古びた書類の香りの入り混じった空気が漂っている。部屋の中にはルーカスよりも一回り大きなギルドマスターが座っている。彼の向かいに座る青年の外見を見て、ルーカスは息を呑んだ。
青年の肌は雪のように白く、髪は光を受けて銀色に輝いている。その姿はまるで鏡の中の自分のようだった。彼の記憶の中で、自分と同じ色を持つ人間は母親ただ一人だった。胸の奥が締め付けられるように痛む。
「おぉ、ルーカス。よく来たな」
ギルドマスターが笑いながら立ち上がり、ルーカスの肩を軽く叩く。そして声を潜めるようにして言った。
「今回の客だがな、かなり遠い国から来てるらしい。ササトゥール語ってのを話すんだ」
聞き慣れない単語に、ルーカスは首を傾げた。
「俺も詳しくは知らん。ただ、お前に似てるだろ。もしかしたら同じ土地の血かもしれん。一度、話せるか試してみてくれ」
ルーカスは促されるまま椅子に腰を下ろす。
目の前の青年は、じっと彼を見つめ返していた。
「こんにちは」
ルーカスはいつもの言葉で挨拶した。隣のギルドマスターが小声で「ティテマさんだ」と教えてくれたので、名前を付け加える。
「こんにちは、ティテマさん」
その瞬間、ティテマの表情がぱっと輝いた。彼は何かを早口でまくし立てるようにササトゥール語で話し始めた。その声は、どこか懐かしい旋律のように耳に響く。ティテマが勢いのまま立ち上がり、ルーカスも彼と同じように立ち上がる。すると、何のためらいもなく、ティテマは彼を抱き寄せた。ティテマは嬉しそうに何度も言葉を重ねる。
ルーカスは軽くティテマを押し、互いの顔を確認できる距離を取ると、自身を指さし、ゆっくりと言葉にする。
「ルーカス、……よろしく」
ティテマは一瞬息を呑み、それから歓喜の声をあげた。彼の言葉は早口で、まるで滝のように溢れ出したが、聞き取れるはずもないルーカスは、きれいな愛想笑いを返す。
ギルドマスターが咳ばらいをし、紙束を整えて依頼の詳細を読み上げていく。その中で、ルーカスの耳がある一文にぴくりと反応した。
「一緒の部屋に泊まるんですか」
思わず問い返したルーカスに、マスターは肩をすくめた。
「条件のひとつにあるんだよ。どうも、話し相手でも欲しいらしい」
ルーカスは思わずティテマへ視線を送る。その意味を察したのか、カバンを開け、中からカードのようなものや、異国の装飾が施された駒などを取り出して机に並べた。
「遊びたいんですかね」
ティテマの瞳は無垢に輝いていて、その光は九歳の少年を思わせる。ルーカスは一瞬ためらい、やがて小さく息を吐いた。
「……わかりました」
マスターは満足げにうなずき、契約書を差し出した。ルーカスはペンを取り、紙の端に名を記す。サインの音が静かな部屋に響いた瞬間、マスターはティテマに向かい笑顔で親指を立てた。意味を理解した彼は、弾んだ声で「よろしく、ルーカス」と微笑んだ。
二人はギルドを後にし、あらかじめ用意されていた宿へ向かった。
東街の王宮外壁の近くにそびえる白壁の建物。この街では珍しい石造建築で、窓枠に金の縁取りが施されている。通りを歩く者たちが振り返るほどの豪奢さに、ルーカスは思わず足を止めた。
扉をくぐると、外とはまるで別世界の空気が流れている。厚い絨毯の上を歩くたび、靴底が柔らかく沈み込む。花の香りを混ぜた香水が漂い、天井には見たことのない細工のランプが光を落としていた。
ティテマは特に感動する様子もなく、荷物を置くとすぐに窓際に歩み寄り、外を見つめている。ルーカスは周囲を見回し、重厚な調度品や真新しい寝具を眺めながら口が開いた。ルーカスが彼を見ると、彼の視線は窓の外に向けられており、高い外壁の奥にそびえる王宮の塔が見えた。
「王宮、気になる」
ルーカスの問いに、ティテマは小さく頷いた。
「百五十六年前。アデル王国は、この地に降り立ったアデル王が建国したんだよね」
その言葉に、自分よりもこの国のことを知っているのではないかと黙り込んだ。
振り返った彼の瞳は先ほどの明るさはなく、深く澄んでいて、どこか探るような真剣さがあった。
「ルーカスは、いつからこの国にいるの」
「……十年前」
その返事は、自分でも驚くほど乾いていた。
ティテマはその影を感じ取ったのか、それ以上は何も言わなかった。代わりに、少し笑ってルーカスの手を取る。
「何か食べよう」
ティテマに手を引かれて宿を後にした。
大通りはいつも通り賑わいを見せており、鍋をかき混ぜる音、パンを裂く音、笑い声と呼び込みの声が絶えず行き交う。昼時の飲食店からは様々な香辛料と焼けた肉の香りが入り混じって漂っていた。
ティテマは初めて見る光景に目を丸くし、屋台の列を見回しながら何かを早口で話し出した。意味は分からなくても、その抑揚には確かな好奇心がにじんでいる。
「ご兄弟、初めて見るわ」
肉の串焼きを売る中年の女性が、油の跳ねる音の合間に声をかけてきた。
「いや、兄弟じゃないよ」
ルーカスは笑顔で答える。ティテマの視線が串焼きに興味を示しているのを見て、ルーカスは一本買い、差し出した。
「食べる、かな」
ティテマはしばらく動かなかった。見知らぬ食べ物に警戒しているようにも見える。ルーカスは小さく笑い、わざとゆっくりと肉を噛んでみせる。彼は串刺しに顔を近づけて、一口だけかじった。
「……おいしい」
その言葉はたどたどしく、それでも真っ直ぐに響いた。ルーカスはティテマに笑みを返して、色々な店を回り出した。
橙色の夕日が街を染めたころ。大通りの中央にある噴水から、二つの影が並んで伸びていた。人通りが減り、風が水面を揺らす。二人はこの国では使われない言語で話す。すれ違う人々は、二人の白い髪と異国めいた美しさに一瞬足を止め、名残惜しそうに振り返った。
言葉が途切れ、静寂が訪れる。ティテマは王宮の塔を、ルーカスは噴水の縁を見つめた。
「……文字」
ルーカスの呟きに、噴水の縁に刻まれた、擦れた古い刻印を見たティテマが顔色を変えた。噴水に彫刻された文字を見つめるため、膝をつき、噴水の縁を指でたどる。
「……」
ルーカスはそっと立ち上がり、周囲を見回す。陽が沈みかけ、通りの明かりがひとつ、またひとつ灯り始めていた。
「ティテマ、帰ろう。あぶない」
少しの間、ティテマは動きを止めていたが、ゆっくりと立ち上がる。噴水の周りを一周すると、ルーカスの元へ駆け寄った。
二人は夕暮れの大通りを並んで歩き出す。背後では、噴水の水音が静かに彼らの後ろで響いていた。
宿の扉を開けた瞬間に、湯気をまとった温かな香りが二人を迎えた。
卓上には、彩りよく盛り付けられた夕飯が並んでいる。淡いスープの湯気がゆらゆらと立ち上り、焼き立ての肉に浮かぶ油が灯りを受けてきらめいている。ルーカスは、思わず喉を鳴らした。彼の普段の食事は干し肉や柔らかくないパンのような質素なものばかりで、これほど手の込んだ料理を見るのは久しぶりだった。ルーカスは席につくと、すぐにフォークを手に取り、夢中で口に運ぶ。柔らかい肉のうまみが舌に広がり、思わず目を閉じて味わう。一方、ティテマはパンを一切れだけ千切って口に含み、静かに咀嚼した。
食事の途中、ルーカスが明日のことを思い出したように顔を上げる。
「明日、噴水行く」
ティテマはうなずき、口を開いた。
「文字の彫られたものは、ほかにもあるのかな」
噴水の彫刻すら今日知ったばかりのルーカスは肩をすくめる。
「ギルドマスター、知っているかも」
食事を終えた二人はそれぞれの部屋へ戻り、身を清めた。清らかな湯気がまだ漂う中、ティテマは鞄を開けて中を整理している。ルーカスはふわりと沈み込むベッドに身を委ねて、その柔らかさに顔をほころばせていた。
ティテマの整理が終わったタイミングで、ルーカスは窓の外を指さした。王宮の塔がうっすらと影のように浮かび上がっている。
「ティテマ、行きたい」
その問いに、ティテマは笑いながら答えた。
「もちろん行きたい。けれど、行けないだろう」
ルーカスは自慢げな顔を向ける。
「近く、行ける。明日は特別」
ティテマの目が輝く。
「そういう日があるんだね」
二人はそのまま、明日の計画を立てながら夜を過ごした。
夜明け前、窓の隙間から淡い光が差し込み、ルーカスは目を覚ました。
隣のベッドではティテマが静かな寝息を立てている。その穏やかな音に懐かしさを感じる。そっと起き上がり、腕をあげて体を伸ばす。ゆっくりと下げた手を後頭部に滑らせてから首の後ろを触った。そこには、かさぶたになりかけた4つの小さな痕がある。触れると、鈍い痒みが走った。
少年が存在した証しを辿るように、血の結晶を指の腹で撫でる。
「……痒いの」
声のする方へ振り返ると、ティテマが目を開けてこちらを見ていた。
ルーカスは少し恥ずかしそうに笑い、視線を落とす。
「少し、痛い」
ティテマは立ち上がると、ルーカスの背後に回り、首筋を覗き込んだ。
「噛み跡みたいだ」
「噛まれた。痛かった」
ルーカスは優しい声色で話した。
ティテマの指がそっとうなじをなぞった。ルーカスの体が一瞬震えたのを感じる。ティテマは指を離し、許可なしに触れたことを謝る。
「もう少し、触れてもいい」
少しの間を置き、ルーカスはゆっくりとうなずいた。指の腹を首の骨に沿って滑らせ、中央で止まる。もう一度下へ、そしてまた上へと繰り返した。
「何、あるの」
ルーカスが尋ねると、「首の骨」と答えてティテマは微笑んだ。やがて自身のベッドに腰を掛け、鞄から紙束を取り出す。何かの記録を残すために、ペンを走らせた。
ルーカスは、さっき触られたあたりを自分で確かめる。うなじの中央付近に触れる指先には、柔らかく熱を持った感触だけが残った。
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