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闇の魔女には戻れない
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選べなんて、なんて酷い男だろう。
少女はそう思った。
もう、選ぶ余地などないではないか。
この身体は、あの闇を拒んでしまった。
闇の魔女として、こんなこと有り得ない。
「こんなの……ひどい……」
なんて酷い『物語』だろう。
闇の魔女として生まれた生きた少女にとって、それはあんまりな終わり方だった。
少女はデュクスの胸板に手を突き、その腕から抜け出した。
ふらつく足を叱咤して立ち上がり、膝を折ったままのデュクスと、黒髪の男を睨みつける。
「こんなの、私は認めない……!」
認めてはいけない。
自分は闇の魔女なのだ。
誰が何と言おうが、その事実は変わらない。
それすら拒んでしまったら、今まで闇の魔女として生き滅んでいった者たちはどうなるのだろう。
その闇の魔女のために命を捧げられた哀れな魂たちはどこへ行くのだろう。
「リリィベル……」
「私はそんな名前じゃない!」
「いいや、あなたは――キミは、リリィベルだ」
「違う! 私に名前なんか必要ない!!」
ボロボロと、瞳から涙が零れる。
呼ぶな、そんな名前は知らない、と少女はデュクスを拒絶する。
「私からすべてを奪って、私に名を与えて、今度は何のつもりなの!? 千年前、あなたは誰のせいで死んだか忘れたの!?」
少女はかつて一人の青年を身分不相応にも愛してしまった。
もしもあのとき、少女が青年に恋などしなければ、彼が来ることを願い待たなければ、今世で多くの者たちが死ぬこともなかったかもしれない。
あの黒い塊はこの国の民だった者たちの魂だ。
少女を崇め、称えた、愚かな者たちの穢れた魂。しかしそれでも、憎めない者たちのソレだ。
「私からすべてを奪って、あのときの復讐をする? 闇の魔女ではなくなれば、こんな身体、単なる器だものね!」
「リリィベル。私は――」
「もう何も言わないで!!!」
わかっている。
彼にそんなつもりなどないことなど。
だがしかし、それをどうやって受け入れられようか。
一体、どれだけの時間を『闇の魔女』として過ごしたと思っているのだろう。
それ以外の生き方など知らない。
既にこの世界の理が変わってしまったとしても、それを受け止めきれない。
彼の言う通り『ただの少女』になったとして、それからどうしろというのか。
闇の魔女という鎖から解き放たれてしまったら、少女はもう少女ではなくなってしまう。
それが、怖かった。
「もうキミは、『闇の魔女』には戻れない」
「…………」
「気づいているんだろう? キミを『闇の魔女』と崇拝した者たちは、もうひとりもいない。キミは――もうこの世界では『リリィベル』と呼ばれ、人々から愛される存在になっている」
静かに立ち上がったデュクスは、素肌を晒している彼女に自分のマントを巻き付けた。
「千年もの時を経て、世界を覆う魔力がその言霊を受け入れた。その魔力ももう弱まりつつある。今、キミがそれを受け入れなければ、世界から魔力が失われた後、『闇の魔女』へその身を捧げた贄たちは、それこそ行き場を失う」
こんな外堀の埋め方など最悪だ。
巻きつけられたマントごと自分を抱きしめ、デュクスに背を向ける。
そのとき、ふわり、と先ほど膝の上に落ちてきた古ぼけた紙が足先に触れた。
そこには小さな文字が書かれている。
『私が愛した地下牢の中で咲く一輪の小さな花の幸せを願って、この呪いを残す』
所々擦れていたが、そこにはそう書かれていた。
少女の瞳から、新たな涙が零れ落ちる。
その文字を誰が書いたのか、わかるはずがないのに、わかってしまう。
こんな呪い、あってたまるか。
こんな優しい呪いが、呪いのわけがない。
これは祝福だ。
たったひとりの、魔力を持たない青年が残した、少女への祝福である。
自らの命と輪廻を、ここにかけたのだろう。
人々は悲恋を好む。約束を残し、離れ離れとなったふたりの切なくも悲しい恋を心から慈しむよう、その詩を不思議な雰囲気を持つ黒髪の吟遊詩人に謡わせ、そして世界に広めたのだろう。
「愛していた……ですって……」
そんな言葉、一度も言ってもらえなかった。
彼には婚約者がいたはずだ。
他の女に心がありながら、こんな滑稽な言葉を残すなど、それを祝福として残すなど、馬鹿にされたものだ。
「かつての私も、あなたを愛していたんだ」
デュクスの言葉に、少女は「嘘だ」と叫んだ。
「あなた、婚約者がいたでしょう!」
「それはキミのことだ」
「嘘!」
「私は当時、自分にあるすべての権力を行使して、戦争に勝利した後、あなたを妻として迎え入れられるよう王に進言し、その条件として提示された間者としての成果を残した」
けれどそれが叶うことはなかった。
自国にも間者がおり、騎士のひとりが闇の魔女と通じていると気づかれてしまったのだ。
そのため、殺された。
「私は当時、国王の六番目の息子、という身分だった。だがその扱いは酷くてな。大した力も持ってなかったのに、無理矢理、上の兄たちに騎士にされ、敵国に放り込まれた」
闇の魔女について探ってこいと、無理難題を突き付けられたとき、それは『死んで来い』という意味だと悟った。
少女と初めて出会ったとき、彼は死を覚悟していたのだ。
だから少女をひと目見た瞬間、思っていたものとは違う可憐な娘に、無垢なその笑顔に、自分と似た境遇であるのに、地下牢という暗い闇の中に捕らわれていた彼女に心惹かれたのだ。
「あのとき、私はあなたに想いを伝えられなかった。ただ一度、抱きしめることしかできなかった」
彼女が地下牢に閉じこもり、闇の魔女として生きることを自分の役目だと思っている以上、何も持たないただの人間だった青年にはそれを覆せるだけのものがなかったのだ。
闇の魔女は人々の思いや想像を具現した存在であり、闇の魔女はそれに忠実に従っている。
いつでも世界を滅ぼせる闇の魔女が、いつまで経ってもその力を使わないのは、人々がそれを望まないからだ。
だが、いつかそうなればいい、と望む者たちもいる。
その身勝手な幾重にも重なり合い鎖となった有象無象な想いが少女を地下牢へと繋ぎ、地下深くへと閉じ込めた。
そこから彼女を出すためには、その有象無象をどうにかしなければならない。
そこで第六王子は、当時流行していた吟遊詩人の詩を頼った。
この詩を広めてほしいと、手記という名の自分たちの物語を託した。
その相手が、不思議な雰囲気とその透明な歌声で人々から称賛されていた黒髪の吟遊詩人だったのだ。
自分が殺されることは、既に知っていた。
あのとき地下牢に来たのは、第六王子を疎んでいた兄たちの部下と、それに協力していた敵国の者たちだ。
第六王子は、祖国に――血を分けた兄に売られたのだ。
少女と別れた後、殺されてやるつもりだった。魔力を持たない青年でも、多くの憎悪をその身に一身に受ければ、その一瞬だけ魔力を得ることができる。
その瞬間を計算に入れた上の捨て身の『呪い』だった。
だが彼等は地下牢まで押しかけてきて、第六王子の首を取りにきたのだ。
気付いたときには既に遅く、せめてその瞬間を見せないよう、少女の目を手のひらで覆った。
「嘘だと思うなら、フィーに過去を見せてもらえばいい」
「…………」
「あいつは過去の真実をすべて見せられる力を持っている」
「――……どうして、今更……」
「こんな風に、キミに選択を迫るつもりなど、最初はなかったんだ。キミが自らの意思で『闇の魔女』ではない、普通の少女になる道を選べるよう、もう自由であることにキミが納得して気づいてくれるよう導くつもりだった」
それがセルジュの介入のせいで厄介なことになり、結果、こんなことになってしまった。
こればかりは悔やまずにはいられない。
クリストフェルの言った通りだ。
最初から、全部洗いざらい話してしまえばよかったのだ。
デュクスの無駄な想いが――あの時の自分ではなく、今の自分を好きになってほしいという思いが邪魔をして、結局彼女を苦しめることになったのだ。
「……あの人は、私を愛してくれていたのね」
ぽつりと、少女は呟く。
「――ねぇ」
「……なんだ?」
「私を、殺してほしいの」
「…………」
「千年間、ずっとあの人のことだけを考えて生きてきた。あの人が残してくれた一番大切なものを忘れて生かされてきた。もうこんな思いはたくさんよ」
少女はデュクスを振り返る。
「あの人に報いるためにも、今度は殺してほしいわ」
満面の笑みを浮かべて、少女はそう言った。
今ならもう、できるのでしょう? 少女は言外にそう尋ねる。
「…………」
「私が望む幸せは、あの人の元へ行くことよ」
嘘だった。
彼の思いや命を賭けてやってくれた数々のことに報いたい気持ちは確かにあるが、少女はあの青年の元へはいけない。
目の前のデュクスがあの青年の生まれ変わりだからではない。
やはり少女は、こんなときも『闇の魔女』なのだ。
だが今までとは違う。
自分が最後の『闇の魔女』だ。
だからこそ、彼の手を取ることは許されない、許せない。
自分ひとりが幸せを手に入れるなど、あってはいけないのだ。
多くの人々を不幸にした。
多くの人々の命を無駄にした。
当たり前のようにあった魔力がなくなりつつあるからこそ、終止符を打たなければ。
これが、世界を終わらせることができる『闇の魔女』の最初で最後の大仕事だ。
「――本当に、それがキミにとっての幸せであるなら、キミはあの時、あの空間から出られなかったはずだ」
「…………」
「闇の魔力が、キミを拒んだ。もうキミは『闇の魔女』ではなくなったんだ。それなのにすでにいない存在のために、自分を犠牲にする必要はない」
リリィベル。
デュクスは優しく少女の名を呼ぶ。
「この名前に込められた意味は、あなたに幸せが訪れますように、だ。本当にキミにとっての幸せが死であるなら、キミは――ここにはいないんだよ」
「…………」
少女がこの名を受け入れたとき、頭の中にはデュクスの姿が浮かんでいた。彼の傍にいたい、彼の元へ行きたいと、そう願った。
否、リリィベルの名が世界に浸透していく中、すでに世界からも外堀を埋められていたのだ。
千年の長い時を経て、かつて恋した青年の生まれ変わりであるデュクスと出会ったこと。
これは偶然ではない。
闇の魔女として長い時を生き、そして最後の『闇の魔女』となった少女へ、世界の理から贈られた祝福だ。
「キミの幸せは、どこにある?」
静かにデュクスが尋ねてくる。
その青い双眸は、どこか悲し気で――。
躊躇いながらも伸ばされたその手は、少し震えていた。
「私は、キミの幸せにはなれないか?」
どうか選んでほしい。
そんな声が、聞こえた気がした。
「……キミを、愛している。千年前の私より、今の私の方がずっと、ずっと……」
悲痛なデュクスのその声に、少女はそっぽを向こうとした。
「リリィベル……」
デュクスが少女を呼ぶ。
「答えてくれ」
その声に、その名に込められた思いに、少女は抗えなかった。
伸ばされた手に、手が伸びてしまう。
そして握りしめられた手から、彼の体温が伝わって来た。
それがたまらず愛おしい。
もっと触れたくて、だが、躊躇った。
「――私、穢れてるから」
「なに?」
「あなたに触れてもらう資格、ないから……。その名にも、相応しくない……」
「――何があった?」
ずっと忘れていた悪寒がゾクリ、と背筋を伝う。
リリィベルなどという名こそ、少女が闇の魔女であろうとなかろうと、相応しくない。
それに気づいてしまったら、少女は居ても立ってもいられなかった。
デュクスに掴まれた手を引き、身体を離そうとする。
だが、それは彼の手の力の強さに阻まれた。
「あいつに――セルジュに何をされた?」
デュクスの声音がきつくなる。
少女は押し黙り、答えることを放棄した。
それで彼には、多少なりとも伝わってしまったのだろう。
「――くそっ、あの野郎、余計な置き土産を残していきやがって……! さっさと殺しておけばよかった」
物騒な台詞をぼそりと呟いたデュクスの声は、少女には届かなかった。
だがしかし、デュクスの傍でふたりを見守っていた地獄耳の吟遊詩人にはしっかりと聞こえている。
やれやれ、と吟遊詩人は静かにその場を後にした。
「こんな結末では、詩にはできませんね」
くすくすと笑う吟遊詩人は、瞬きの後、霧のように消えていった。
少女はそう思った。
もう、選ぶ余地などないではないか。
この身体は、あの闇を拒んでしまった。
闇の魔女として、こんなこと有り得ない。
「こんなの……ひどい……」
なんて酷い『物語』だろう。
闇の魔女として生まれた生きた少女にとって、それはあんまりな終わり方だった。
少女はデュクスの胸板に手を突き、その腕から抜け出した。
ふらつく足を叱咤して立ち上がり、膝を折ったままのデュクスと、黒髪の男を睨みつける。
「こんなの、私は認めない……!」
認めてはいけない。
自分は闇の魔女なのだ。
誰が何と言おうが、その事実は変わらない。
それすら拒んでしまったら、今まで闇の魔女として生き滅んでいった者たちはどうなるのだろう。
その闇の魔女のために命を捧げられた哀れな魂たちはどこへ行くのだろう。
「リリィベル……」
「私はそんな名前じゃない!」
「いいや、あなたは――キミは、リリィベルだ」
「違う! 私に名前なんか必要ない!!」
ボロボロと、瞳から涙が零れる。
呼ぶな、そんな名前は知らない、と少女はデュクスを拒絶する。
「私からすべてを奪って、私に名を与えて、今度は何のつもりなの!? 千年前、あなたは誰のせいで死んだか忘れたの!?」
少女はかつて一人の青年を身分不相応にも愛してしまった。
もしもあのとき、少女が青年に恋などしなければ、彼が来ることを願い待たなければ、今世で多くの者たちが死ぬこともなかったかもしれない。
あの黒い塊はこの国の民だった者たちの魂だ。
少女を崇め、称えた、愚かな者たちの穢れた魂。しかしそれでも、憎めない者たちのソレだ。
「私からすべてを奪って、あのときの復讐をする? 闇の魔女ではなくなれば、こんな身体、単なる器だものね!」
「リリィベル。私は――」
「もう何も言わないで!!!」
わかっている。
彼にそんなつもりなどないことなど。
だがしかし、それをどうやって受け入れられようか。
一体、どれだけの時間を『闇の魔女』として過ごしたと思っているのだろう。
それ以外の生き方など知らない。
既にこの世界の理が変わってしまったとしても、それを受け止めきれない。
彼の言う通り『ただの少女』になったとして、それからどうしろというのか。
闇の魔女という鎖から解き放たれてしまったら、少女はもう少女ではなくなってしまう。
それが、怖かった。
「もうキミは、『闇の魔女』には戻れない」
「…………」
「気づいているんだろう? キミを『闇の魔女』と崇拝した者たちは、もうひとりもいない。キミは――もうこの世界では『リリィベル』と呼ばれ、人々から愛される存在になっている」
静かに立ち上がったデュクスは、素肌を晒している彼女に自分のマントを巻き付けた。
「千年もの時を経て、世界を覆う魔力がその言霊を受け入れた。その魔力ももう弱まりつつある。今、キミがそれを受け入れなければ、世界から魔力が失われた後、『闇の魔女』へその身を捧げた贄たちは、それこそ行き場を失う」
こんな外堀の埋め方など最悪だ。
巻きつけられたマントごと自分を抱きしめ、デュクスに背を向ける。
そのとき、ふわり、と先ほど膝の上に落ちてきた古ぼけた紙が足先に触れた。
そこには小さな文字が書かれている。
『私が愛した地下牢の中で咲く一輪の小さな花の幸せを願って、この呪いを残す』
所々擦れていたが、そこにはそう書かれていた。
少女の瞳から、新たな涙が零れ落ちる。
その文字を誰が書いたのか、わかるはずがないのに、わかってしまう。
こんな呪い、あってたまるか。
こんな優しい呪いが、呪いのわけがない。
これは祝福だ。
たったひとりの、魔力を持たない青年が残した、少女への祝福である。
自らの命と輪廻を、ここにかけたのだろう。
人々は悲恋を好む。約束を残し、離れ離れとなったふたりの切なくも悲しい恋を心から慈しむよう、その詩を不思議な雰囲気を持つ黒髪の吟遊詩人に謡わせ、そして世界に広めたのだろう。
「愛していた……ですって……」
そんな言葉、一度も言ってもらえなかった。
彼には婚約者がいたはずだ。
他の女に心がありながら、こんな滑稽な言葉を残すなど、それを祝福として残すなど、馬鹿にされたものだ。
「かつての私も、あなたを愛していたんだ」
デュクスの言葉に、少女は「嘘だ」と叫んだ。
「あなた、婚約者がいたでしょう!」
「それはキミのことだ」
「嘘!」
「私は当時、自分にあるすべての権力を行使して、戦争に勝利した後、あなたを妻として迎え入れられるよう王に進言し、その条件として提示された間者としての成果を残した」
けれどそれが叶うことはなかった。
自国にも間者がおり、騎士のひとりが闇の魔女と通じていると気づかれてしまったのだ。
そのため、殺された。
「私は当時、国王の六番目の息子、という身分だった。だがその扱いは酷くてな。大した力も持ってなかったのに、無理矢理、上の兄たちに騎士にされ、敵国に放り込まれた」
闇の魔女について探ってこいと、無理難題を突き付けられたとき、それは『死んで来い』という意味だと悟った。
少女と初めて出会ったとき、彼は死を覚悟していたのだ。
だから少女をひと目見た瞬間、思っていたものとは違う可憐な娘に、無垢なその笑顔に、自分と似た境遇であるのに、地下牢という暗い闇の中に捕らわれていた彼女に心惹かれたのだ。
「あのとき、私はあなたに想いを伝えられなかった。ただ一度、抱きしめることしかできなかった」
彼女が地下牢に閉じこもり、闇の魔女として生きることを自分の役目だと思っている以上、何も持たないただの人間だった青年にはそれを覆せるだけのものがなかったのだ。
闇の魔女は人々の思いや想像を具現した存在であり、闇の魔女はそれに忠実に従っている。
いつでも世界を滅ぼせる闇の魔女が、いつまで経ってもその力を使わないのは、人々がそれを望まないからだ。
だが、いつかそうなればいい、と望む者たちもいる。
その身勝手な幾重にも重なり合い鎖となった有象無象な想いが少女を地下牢へと繋ぎ、地下深くへと閉じ込めた。
そこから彼女を出すためには、その有象無象をどうにかしなければならない。
そこで第六王子は、当時流行していた吟遊詩人の詩を頼った。
この詩を広めてほしいと、手記という名の自分たちの物語を託した。
その相手が、不思議な雰囲気とその透明な歌声で人々から称賛されていた黒髪の吟遊詩人だったのだ。
自分が殺されることは、既に知っていた。
あのとき地下牢に来たのは、第六王子を疎んでいた兄たちの部下と、それに協力していた敵国の者たちだ。
第六王子は、祖国に――血を分けた兄に売られたのだ。
少女と別れた後、殺されてやるつもりだった。魔力を持たない青年でも、多くの憎悪をその身に一身に受ければ、その一瞬だけ魔力を得ることができる。
その瞬間を計算に入れた上の捨て身の『呪い』だった。
だが彼等は地下牢まで押しかけてきて、第六王子の首を取りにきたのだ。
気付いたときには既に遅く、せめてその瞬間を見せないよう、少女の目を手のひらで覆った。
「嘘だと思うなら、フィーに過去を見せてもらえばいい」
「…………」
「あいつは過去の真実をすべて見せられる力を持っている」
「――……どうして、今更……」
「こんな風に、キミに選択を迫るつもりなど、最初はなかったんだ。キミが自らの意思で『闇の魔女』ではない、普通の少女になる道を選べるよう、もう自由であることにキミが納得して気づいてくれるよう導くつもりだった」
それがセルジュの介入のせいで厄介なことになり、結果、こんなことになってしまった。
こればかりは悔やまずにはいられない。
クリストフェルの言った通りだ。
最初から、全部洗いざらい話してしまえばよかったのだ。
デュクスの無駄な想いが――あの時の自分ではなく、今の自分を好きになってほしいという思いが邪魔をして、結局彼女を苦しめることになったのだ。
「……あの人は、私を愛してくれていたのね」
ぽつりと、少女は呟く。
「――ねぇ」
「……なんだ?」
「私を、殺してほしいの」
「…………」
「千年間、ずっとあの人のことだけを考えて生きてきた。あの人が残してくれた一番大切なものを忘れて生かされてきた。もうこんな思いはたくさんよ」
少女はデュクスを振り返る。
「あの人に報いるためにも、今度は殺してほしいわ」
満面の笑みを浮かべて、少女はそう言った。
今ならもう、できるのでしょう? 少女は言外にそう尋ねる。
「…………」
「私が望む幸せは、あの人の元へ行くことよ」
嘘だった。
彼の思いや命を賭けてやってくれた数々のことに報いたい気持ちは確かにあるが、少女はあの青年の元へはいけない。
目の前のデュクスがあの青年の生まれ変わりだからではない。
やはり少女は、こんなときも『闇の魔女』なのだ。
だが今までとは違う。
自分が最後の『闇の魔女』だ。
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自分ひとりが幸せを手に入れるなど、あってはいけないのだ。
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「…………」
「闇の魔力が、キミを拒んだ。もうキミは『闇の魔女』ではなくなったんだ。それなのにすでにいない存在のために、自分を犠牲にする必要はない」
リリィベル。
デュクスは優しく少女の名を呼ぶ。
「この名前に込められた意味は、あなたに幸せが訪れますように、だ。本当にキミにとっての幸せが死であるなら、キミは――ここにはいないんだよ」
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否、リリィベルの名が世界に浸透していく中、すでに世界からも外堀を埋められていたのだ。
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躊躇いながらも伸ばされたその手は、少し震えていた。
「私は、キミの幸せにはなれないか?」
どうか選んでほしい。
そんな声が、聞こえた気がした。
「……キミを、愛している。千年前の私より、今の私の方がずっと、ずっと……」
悲痛なデュクスのその声に、少女はそっぽを向こうとした。
「リリィベル……」
デュクスが少女を呼ぶ。
「答えてくれ」
その声に、その名に込められた思いに、少女は抗えなかった。
伸ばされた手に、手が伸びてしまう。
そして握りしめられた手から、彼の体温が伝わって来た。
それがたまらず愛おしい。
もっと触れたくて、だが、躊躇った。
「――私、穢れてるから」
「なに?」
「あなたに触れてもらう資格、ないから……。その名にも、相応しくない……」
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デュクスの声音がきつくなる。
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それで彼には、多少なりとも伝わってしまったのだろう。
「――くそっ、あの野郎、余計な置き土産を残していきやがって……! さっさと殺しておけばよかった」
物騒な台詞をぼそりと呟いたデュクスの声は、少女には届かなかった。
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