あやかし甘味堂で婚活を

一文字鈴

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一皿目 採用試験と練り切り

その9 また明日と海鮮南瓜鍋 

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「鬼之丞ちゃん、どうぞ」

 菜々美がハンカチを差し出すと、どう使うのか迷ったようで、鬼之丞はハンカチをテーブルの上に広げ、すみっこでごしごしと顔を拭うと、自分の体より大きなハンカチをえいしょ、えいしょと畳み直そうとしている。
 その姿もとても愛らしくて、にっこり笑ってみていた菜々美の耳元で、咲人が低く囁いた。

「鬼之丞の母親は体調を崩している。父親は少しわけありで、あの子は不安なのだろう。俺は店があるから、あまり構ってやれなかった。菜々美が来てくれるのはとても助かる」
「そうですか。あやかしも人間と同じで、家族を大切に思っているんですね」
「もちろんだ。心の中は人間と同じだ」

(あやかしの心は、人間と同じ……)

 菜々美はぐっと拳を握りしめた。
 心の奥底にある、あやかしは人間に害を与えるのだという絵本の中の話や伝承が、ゆっくりと霧散していく。

 
「菜々美、そろそろ――」

 鬼之丞をカウンターに下ろした咲人が何か言いかけた直後、ガラガラッと勢いよく扉が引かれ、「咲人くん、少し早いけど来ちゃった」と言いながら、若い女性が入ってきた。
 色が抜けるように白く、妖艶な雰囲気の美女だ。長く艶やかな黒髪をさらりと掻き上げ、駅前にいる普通のOLの服装をしている。

(この人もあやかし……?)

 人間にしか見えなくて、菜々美は目をまたたかせた。咲人が困ったように口を開く。

瑠璃るり、すまない、これから急いで準備をする。蘭丸が二階にいるから、お前も上がって待っていてくれ」
「うん。ごめんね。定休日だし、用があると言ってたのに、あたしの誕生日のお祝いをお願いしちゃって……って、ちょっと待って? 咲人くん、その女の子は誰?」

 瑠璃という美女が口に手を当て、菜々美を凝視している。

「あっ、もしかしてこの子が……」
「新しいスタッフだ。明日から店を手伝ってくれる」

 菜々美はあわてて挨拶する。

「明日からお世話になります。桃瀬菜々美です。よろしくお願いします」

 お辞儀をする菜々美と咲人を交互に見つめ、瑠璃は大きくため息をついた。

「そう、あなたが……よさそうな子ね、咲人くん」
「ああ。和菓子の腕もいいし、我々あやかしについての理解も早かった」

 瑠璃は満面の笑みを浮かべ、菜々美の手を握った。氷のような彼女の手の冷たさに、菜々美は思わず息を呑む。

「あたしはこの『甘味堂夕さり』の常連客で、雪女のあやかしの瑠璃といいます。よろしくね、菜々美ちゃん」
「よ、よろしくお願いします」

(常連客の瑠璃さんは、雪女のあやかしなんだ……)

 雪女は東北や北陸などの雪国に多くの伝承が伝わっており、その起源は古く、室町時代の『宗祇諸国物語』にも記述があることを、菜々美はぼんやりと思い出した。

 冷気を漂わせながら瑠璃が二階へ上がると、咲人は菜々美の方を見た。

「バタバタしてすまない。菜々美、明日からお願いできるか?」
「はい……!」
「それじゃあ、狭間の場所まで送って行く。鬼之丞も一緒に来るか? 蘭丸や瑠璃と一緒に、お留守番しているか?」
「ボクもパパといっとに、ななたんおくって行くー」
「ありがとう、鬼之丞ちゃん」

 菜々美はそっと鬼之丞の髪を撫でた。鬼之丞を肩に乗せた咲人が雑木林前まで送ってくれる。
 彼の後を歩きながら、菜々美は狭間をゆっくりと見渡した。
 大きな和風の屋敷がたくさん並んでいて、レストランだったりマッサージ店だったり温泉旅館だったりスポーツセンターだったり、人界で頑張っている妖怪たちの憩いの施設だとわかった。
 午後の陽射しが照り付ける中、ぬるい風が吹き抜けて、街路樹の葉を揺らす。じきに朱色の橋の前まで来た。

「ここを渡って雑木林を抜ければ、大元神社の裏参道へ出る。そこからは帰れるだろう?」
「はい。ありがとうございます」

 陽射しが川面に反射して煌めく中、咲人と鬼之丞の声が響いた。

「菜々美、また明日、店で会おう」
「ななたん、またあしたー」
「鬼之丞ちゃん、咲人さん、また明日!」

 菜々美は大きく手を振ると、朱色の橋を渡って行く。
 ――また明日。
 その言葉に、あたたかな気持ちと嬉しさが、胸の奥からじわじわと込み上げてくる。

(すごい。夢みたい……)

 人界に紛れて暮らすあやかしたちのための『甘味堂夕さり』で採用された。狭間の世界が存在しているなんて知らなかった。
 耳朶のピアスに触れると、咲人や鬼之丞、蘭丸の顔が浮かぶ。
 そっと頬をつねると痛くて、そのことが嬉しい。
 菜々美はため息をついて前を向き、雑木林の中を小走りに駆け抜けていく。じきに目の前に見慣れた大元神社の裏参道が広がった。

「よし、頑張ろう……!」

 自分を鼓舞するようにつぶやき、帰宅するとすぐに着替えて、腕まくりをする。
 そろそろ早出当番の母が帰宅する時間だ。菜々美は手際よく夕食の用意を始めた。

 保育士の母は、日々子供たちを散歩に連れて行ったり外遊びをしたりするので、疲労回復できるよう、海鮮南瓜鍋かいせんかぼちゃなべを作ることにした。
 たこやエビは肝機能の高め、スタミナをアップさせるタウリンが、南瓜は血行を促進し披露物質の排出を促すビタミンEが豊富だ。食べやすく切って、しょうゆ味で煮込む。
 それから胡瓜を小口に薄く刻み、軽く塩を振って揉み、茹でた蛸を削ぎ切りしたものを合わせ、三杯酢で和えたものを作った。
 味見すると、あっさりして美味しい。母の智子は辛子酢味噌につけて食べるのが好きなので、忘れずに用意しておく。
 それから熱々のフライパンで厚い箇所に切れ目を入れて開き、厚みを均等にした鶏肉に焦げ目をつける。皮がぱりっと焼けたら肉全体に手作りのタレを回しかけて、鶏肉の照焼を作った。
 水菜に塩抜きしたじゃこを和えたサラダを作り、いつもより少しだけ豪華な、採用が決まったお祝いの夕食が完成した。
 じきに車が駐車場へ停まる音がして、母の足音が近づいてくる。採用になったことは、メールで知らせてある。
 菜々美は玄関で立って待った。扉が勢いよく開いて母の智子が駆け込んでくる。

「ただいま! 菜々美ちゃん、再就職おめでとう!」
「お母さん……!!」

 菜々美と智子は抱き合って喜んだ。二人で夕食をいただいていると、母は目を潤ませていた。
「ああ、美味しい海鮮南瓜鍋だったわ。菜々美ちゃんの作るお料理は本当に美味しい。甘味堂でのお仕事もきっとうまくと、母さん信じているわ。よかった、本当に……」

 涙を拭うように目を擦っていると思ったら、母はテーブルに突っ伏してうとうとしながら眠ってしまった。お祝いだからと、滅多に飲まないビールを飲んだので、酔ってしまったようだ。

「母さん、こんなところで寝たら風邪をひくよ」
「ん――、少し、だけ……。ふふ、よかったね、菜々美ちゃん」

 よほどうれしいのだろう、笑顔のまま「よかったぁ」と繰り返している母の顔を見て、菜々美は切なくなった。

「母さん……」

 父が事故で亡くなったのは、まだ菜々美と美月が生まれる前だと聞いている。それからずっと女手ひとつで双子を育ててくれた母のことを、菜々美は心から尊敬している。
 その母がこんなに喜んでくれた。それだけで嬉しくて、本当にありがたいと思う。

 菜々美は幸せな気持ちで、その夜ぐっすり眠った。

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