あやかし甘味堂で婚活を

一文字鈴

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四皿目 どら焼きと離婚寸前の夫婦

その9 マリナの眠り

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「夫は今夜も、あの女性の家に泊まるのかしら……」

 ぽつりつぶやいたマリナは、辛そうに胸に手を当て、嫉妬を抑えようとしている。菜々美は彼女が気の毒で、夫に対する怒りがふつふつと湧いていたが、どうすることもできない。

「……菜々美、夕食を作るから手伝ってくれ。マリナと蘭丸は鬼之丞と遊んでいてくれ」

 咲人の言葉に頷き、鬼之丞と過ごしているうちに、ようやくマリナは笑顔を見せるようになった。
 夕食はマリナの好物だという海鮮丼と鶏唐揚げで、マリナと鬼之丞、蘭丸と菜々美たちみんなで食べたあと、広い檜風呂に順番に入った。寝間着として、涼しげな麻の単衣を貸してもらった。

「かーちゃ、ねむねむ……ねんねする」

 鬼之丞は母がいる嬉しさにはしゃぎ、夜になると眠たいと目をこすりだした。

「ええ、お休みなさい、鬼之丞。ごめんね、あたしは水中で休むから、咲人くんと寝てくれる?」
「あいっ、かーちゃ。ボク、いい子でねんねしゅるから、しんぱいしないで」
「鬼之丞……」

 マリナは鬼之丞に頬ずりし、寝かせる。その間に咲人が檜風呂に水を張った。

「マリナ、水風呂の準備ができた」
「ありがとう、咲人くん。それでは鬼之丞をよろしくお願いします。菜々美ちゃん、蘭丸くん、今日は本当にありがとうございました。お休みなさい」

 一礼すると、マリナは浴室へ向かった。

「あの……マリナさん、本当に水風呂の中で寝るんですか?」
「大丈夫だ。マリナは水風呂で寝ると、疲れが取れるらしい」
「お湯じゃなくて水に一晩って、風邪をひいたりすんじゃ……大丈夫でしょうか」
「心配いらない。人魚とはそういうものだ」

 咲人はそう言ったが、一応、着替えの浴衣を持って、様子を見に浴室へ声をかける。しかし返事がない。

「マリナさん? 大丈夫ですか?」

 耳を澄ますが、物音ひとつせず、静まり返っている。夫の愛人が押しかけてきた直後の、マリナの意気消沈した様子を思い出し、菜々美は不安になった。

「あの……開けますよ?」

 お風呂の半透明の引き戸を開け、中を覗いた菜々美は、手で口を押さえた。
 三人くらいが余裕で横になれるほど広い檜風呂に水が張られ、水の中で、マリナが目を閉じていた。きれいな裸体の上半身は、胸の前で手を組み、足の代わりに鱗が生えた魚の背びれに繋がっている。

「マリナさん……? 大丈夫ですか?」

 冷水の中に手を入れ、マリナの肩に触れる。彼女の体も驚くほど冷たい。
 水中は体温が下がりやすい。それにマリナは呼吸をしていなかった。
 心配になり、菜々美は急いで浴室を出て、咲人へ報告する。

「マ、マリナさんの体が、水死体みたいに、冷たくなっているんです。呼吸ができないのかもしれません」
「大丈夫だ。人魚は水中の生活が主で、陸上で吸った空気を肺に長時間溜めて、無呼吸で水中に浸かっておける。もし呼吸が苦しくなったら、顔を出して空気を吸うだろう。疲れを取るのは水中のほうがいいはずだ。心配することはない」
「そ、そうなんですか。わかりました。すみません……」

 無事のようで、菜々美は安堵した。

「鬼之丞ちゃんは、水の中で寝ないのですね」
「ああ、父親に似たのだろう」
「ん……かーちゃ……、かーちゃ……」

 クッションの上でくぅくぅと寝ていた鬼之丞が、寝言で母を呼んだ。もこもこ動き出し、起きてしまいそうになったので、咲人がそっと抱き上げる。

「寝かしつけてくる」

 そう言った咲人は、美麗な顔を鬼之丞に近づけ、小さな声で子守り歌を歌いながら、部屋へ出ていく。

(不思議な子守り歌……それにしても、咲人さんは鬼之丞ちゃんのことが可愛くて仕方がないんだ……)

 皆、鬼之丞とマリナの幸せを願っている。
 鬼之丞の実父が、マリナを悲しませ、不義理をしていることを考えると、胸が痛んだ。

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