いとしのわが君

ナギ

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幻獣がいない

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 ここしばらく、幻獣の気配がない。
 ブランシュはそのことに気付くととても楽しい気持ちになった。
 けれどそれは最初の1日目は、だった。2日目にはどうしたのかしら、と少し気になり。3日目には何かあったのかしら、と心配になった。
 毎日話しかけてきた存在がいない。それはあの幻獣の声を最初に聞いてから初めてのことだった。
 心にざわつくものが、生まれている。
 しかし、これはこれで好都合かなとも、この三日間の事を振り返って思った。
 ブランシュは学園の生徒から妬みを受けていた。最初は珍しい転入生とちらちらみられており、この学園には三つの派閥があるとそれぞれから声をかけられた。
 それはどの派閥に入るのかという勧誘だった。
 ブランシュは曖昧に誤魔化せばよかったものを、どこも選ばないと公衆の面前で告げてしまった。貴族の社会にもう少し踏み込んでいればどうするのが問題がないか理解しうまくかわせたのだろうが、ブランシュは引きこもっていた。
 人との付き合いは下手だったのだ。ここで、断るまでならよかったのだがさらに踏み込んでそんな派閥など馬鹿らしいとまで言ってしまったのだ。
 それをきいた三人の王子たちがまた面白がって、直接会いに来たのだから妬み嫉みは一気に募った。
 そして嫌がらせが始まった。ブランシュにしてみればかわいいものだなというくらいだったので特に気にはしなかったが、幻獣が見ていたなら怒っただろう。
 しかし、その発言の嫌がらせが悪化することがあったのだ。
 三人の王子たちが声をかけてくる。それもしつこいほどに。
 これは口説かれているのだろうか、とブランシュは考えてみたが、面倒になって考えることを放棄した。
 授業にでれば彼らと会う。
 だから今日もさぼろうとブランシュは校舎に背を向けた。
 そう思ったのは、先程水をかけられたからだ。朝食をとろうとした食堂で、ピッチャーに入った水をばしゃりと。
 泥水などではない、濡れただけだ。乾けば問題ないが、それは朝食をとる気も、教室に向かう気もなくすには十分だった。
 人気のない方に自然と足は向き、あのレンガの建物にたどり着く。
 今日も入口の鍵は閉まっている。しかし、少し高いところにある窓が開いていた。
 背伸びをすれば中が見える。そこはどうやら、図書館のような場所らしい。
 どんな場所なのか知ることかできてブランシュは少し楽しい。
 そのまま、少し行儀が悪いかしらと思いつつ腰を下ろした。
 土の上に腰を下ろすのは久しぶりだ。
「はぁ……いやがらせなんて子供みたいな……もう寮の部屋に引きこもろうかしら」
 ひとりごちながら濡れた髪を引っ張る。風が吹けば少し肌寒いような気もしないでもない。
「今度同じことされたらやり返してやるわ。ピッチャーでばしゃっと2発よ! ……くしゅっ! うう、けどさすがに体を拭かずにきたのは馬鹿だったわ」
「ははっ、勇ましいことで」
「!?」
 突然の声は頭の上から。
 窓の中からだ。誰か中に、いるらしい。
「びしょ濡れらしいな。少しそこで待て」
 響くのは落ち着いた男の声。この声は聞いたことはないとブランシュは思う。
 何者かはわからないが敵意は感じない。ブランシュがそこでじっとしていると使えとばかりにタオルが視界の中に映った。
「ありがとう。お返しは何もできないわよ」
「そんなのは求めていない。遠慮なく使え」
 苦笑するような声色。ブランシュはタオルを受け取り、髪を拭く。
「あなたがどちら様か、お尋ねしても?」
「尋ねてもいいが、答えるとは限らない」
「答えたくないのね、聞かないわ」
 ブランシュは、わたしに名を教えて知り合うと面倒なことに巻き込まれるとわかっているのだろうなと、思う。
 確かに、気まぐれかもしれないが優しさを向けてくれた人を巻き込むのはいただけない。
 そう、思ったのだが。
「……困っているなら助けることはできるが」
 その言葉はブランシュのことを知っており向けられたものなのだと感じた。
 しかしそれにからかうようなものや、だまそうとするような。そういった嫌なものは無い。
 真摯なものだとブランシュは感じた。
「名乗れないのに?」
「名乗ると、逆に俺が君を巻き込む」
 ブランシュはなるほど、と思う。
 顔の見えない窓際の男は、逆に巻き込むと言った。
 巻き込まれるではなく。
 つまり、この国の王子たちがブランシュをつついているこの状況をさらにややこしくしてしまう。
 そういう立ち位置の人間なのだと察した。
「本当に、どうしてもどうにもならない。そんな時はお願いするわ」
「ああ」
「けど、名前がないと不便よ! わたしはあなたを、窓際さんと呼ぶわ」
「……その口ぶりは、またここにきて俺と話す、ということか?」
「ええ。わたしといまのところ、日常会話してくれるのは食堂のおばさまたちと、残念ながらあの王子たちだけなの」
 実際は、あとひとり。顔は知らないが話しかけてくるものもいるが今は除外とブランシュは思う。
「あとひとりくらい増えてもいいかなと思ってたのよ」
「俺はいつもここにいるわけじゃない」
「逆にいつもいたら怖いわ」
「たまたま、いたときなら君の気の済むまで話し相手になろう」
 仕方ないというような声色。しかし、楽しそうでもある。
 ブランシュは名乗っていなかったわねと名を紡ごうしたのだがそれは制された。
 自分だって窓際さんだ。君もあだ名にしようと。
「可憐で素敵な呼び名を考えてね」
「窓際さんの君がそれを言うのか……」
「だってわたしは、女の子よ」
 どうしてそこにつながるのかわからないと窓際さんは言う。
 すぐには思いつかないから、考えておくよと。
 そう、窓際さんが返したところでくぎゅうと。かわいらしい音が鳴った。
 それはブランシュの体が空腹を訴えるもの。
「……あ、朝ごはんを……食べてないからよ」
「なら食べに行くと言い。今はもう誰もいないだろうさ。食堂は、この建物の裏手から細い道がある。それを辿ればいい」
 そんな道があったの、とブランシュは瞬く。道と言っても俺が作った獣道だと窓際さんは笑う。
 ブランシュは使わせていただくわと告げ、タオルは今度返すわと言う。
 そのまま返してくれて良いと窓際さんは言うのだがブランシュとしては認められない。
 次の機会にと約束して裏手に回った。
 その姿が見えなくなって、窓際さんとブランシュが呼んだ男は笑い零した。
「なかなか言うやつだな。この国の王子たちが本気かどうかはわからないが」
 あいつらにやるのはもったいないなと言葉続いた。
 余裕の笑み浮かべる窓際さんは、他国からの留学生だった。
 隣国の王の妾腹の子。優秀ではあるが、頭の回転はそんなによろしくない。王位などの揉め事を厭うて今は国を離れている。という事になっているのだ。実際は、彼を王にすべく暗躍している者たちがいるのだが。
 そして、知っているのだ。
 放っていた間諜より、ブランシュが幻獣に気に入られていることを。
 それが大いに役に立つ力であることを。
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