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突然召喚されて、魔王に出会った。そして、告られた。
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東雲叶太、ごくごく普通の高校生。オタク。
そんな俺は今窮地に立たされている。家に帰る途中突如とても強い光に包まれたと思ったら、何故か森の中にいた。
訳がわからなすぎて暫く呆然としていた。けれど今は、ジリジリと目の前の獣から距離をとっている。
黒いモヤに包まれた、とても大きな狼みたいなやつ。これ、絶対日本に居ないだろ。高さが2メートルくらいあるぞ。
「ぐるるるる…」
「っ…」
恐ろしい唸り声を上げる獣は、俺の事を鋭く睨みつけている。
言い表せない重圧を感じ、冷や汗がぶわりと溢れ出た。やばい、本当に殺される。
じわり、じわりと後ずさるけど、いつの間にか背中が木に付いていた。こんな見知らぬ森の中、訳もわからず走り出したとしてもこの獣から逃げ切れる自信などない。
そもそも俺は足が早い訳じゃないし、体力だって人並み程度だ。全力で走ったとしても精々10分持てば上出来だろう。
獰猛な光を宿す赤い瞳から、何故か目が逸らせない。
そうこうしている内に、獣が先に動いた。勢いよく地を蹴り飛び上がると、俺に襲いかかってくる。
咄嗟に両目を瞑り衝撃に耐えた。どうか、食べるなら頭から一思いに行ってくれ!
ふわりと宙に浮く感覚。驚いて目を開ければ、俺は襟足を獣に咥えられ持ち上げられていた。
「…はっ?え?何!?」
驚きすぎて間抜けな声が出る。然し次の瞬間、ドォン!メリメリメリィッと大きな音が響いた。
音の発生源に目を向けると、獣よりも一回りほど大きな二足歩行の豚のようなナニカがいた。あれってもしかして、よくファンタジー物に出てくるオークか?
その豚の化け物は、さっきまで俺が居た木を薙ぎ倒していた。もしかして、この狼のような獣は俺の事を助けてくれた?
獣はオークを一瞥した後、勢いよく走り出す。俺はどうする事も出来ないまま、ただただ運ばれていった。
◇
「へぶっ!」
ベシャリ、突然地面に落とされ情けない声が出る。強かに打ちつけた鼻を押さえながらゆっくりと起き上がった。
目の前に広がる、綺麗な泉。底まではっきりと見えるくらい透き通った綺麗な水に、思わず見惚れてしまう。
ドサリ、突然聞こえた何かが落ちる音に慌てて振り返った。先程まで物凄い速度で走っていた獣は、何処か苦しそうに蹲っていた。
俺は獣医でもなんでもないし、獣が倒れている原因は分からない。だけど、獣に敵意が無いことだけは分かる。
「…ぐるるる」
「う、唸らないでくれよ…俺も、君に敵意なんてないんだ。さっきは、助けてくれてありがとう」
恐る恐る近寄ると、威嚇するように唸られる。正直とっても怖いけど、やっぱり敵意なんて感じなかった。
怯えながらも感謝の意を伝えれば、獣は一瞬呆けたように黙った後そっぽを向いてしまった。此方の言葉を理解しているような行動に、それなりの知性を持ち合わせているんだと理解する。
こんなに賢いなら、無闇に俺を傷付けないんじゃないか。そんな淡い期待を抱き、そろりそろりと少しずつ近寄る。
一瞬だけこっちに視線を寄越したが、すぐどうでも良さそうに逸らされた。どうやら、近づいても良いらしい。
「随分苦しそうだけど、毒でも食らったのか?」
「……」
獣のすぐ横に座り込み、問いかける。喋れないのは分かっているが、心配せずにいられない。
さっきから呼吸が明らかに早いんだ。何処となく苦しそうだし、獣に纏わりつく黒いモヤが増えているような気もする。
これがラノベの世界だったとしたら、瘴気とか呪いとかに侵されているんだろう。俺の勝手な想像だけど、この黒いモヤは悪いもののような気がするんだ。
パタパタと手で仰ぎ、モヤを軽く飛ばす。何してるんだと言わんばかりの胡乱な視線に、首を傾げた。
「黒いもやもや払ってんの。なんかこれ、よくない気がするし…もしかして、見えてない?」
「わふ」
見えん、そう言わんばかりの返事に目を見開く。そうか、獣からしたら何もない空間を突然仰ぎ出した変人に見えてんのか。
先ほどの視線の真意に納得する。どうやら、獣本人…本獣?には見えてないらしい。
でも、俺が払った事によりもやもやは少しだけ薄くなっていた。そんな簡単に消えるのもおかしい気はするけど、まぁ事実消えてるしなぁ。
深く考えるのはやめよう。取り敢えず、もう少しだけ仰いでみる事にする。
「…おぉ、殆ど消えた」
仰ぎ続ける事数分。獣の身体を覆うように発生していたもやもやは、8割ほど消えていた。その結果獣の身体も楽になったのか、驚いたように目を瞬かせている。
まるで人間みたいな反応が少し可愛くて、思わず笑ってしまった。
そんな俺の反応が不服だったのか、すぐにじとりとした視線を向けられる。軽く唸られたけど、既に恐ろしさは微塵もなかった。
そっと背中に手を伸ばし、毛並みに沿うように撫でてやる。特に文句も言われなかったので、そのままふわふわとした手触りを堪能した。
まだ少しだけ黒いもやもやは残っている。これだけは俺の力じゃ払えなかった。あぁ、無力だなぁ。
俺がこの獣を浄化してやれれば良かったのに。少しでも、元気になってくれますように。
そう願った瞬間、獣の身体が眩く光だす。驚いて咄嗟に目を瞑り、両腕で顔を隠して光から目を守る。
徐々に光が弱まっていくのを待ち、大丈夫そうだと確認してから腕を外す。さっきまで目の前にいた獣は、居なくなっていた。
代わりに、漆黒の髪に赤い瞳のイケメンがいた。彼は自身の両手を驚いたように見つめながら固まっている。
「…あの、えーっと…」
「はっ…すまない、余りにも突然の事で動揺していた。まず、此度は私を蝕んでいた瘴気を払ってくれた事感謝する」
恐る恐る声を掛ければ、漸く我に返ったらしい彼が頭を下げる。
あ、やっぱりあれ瘴気だったんだとか、物凄いイケメンだなぁとか色々な考えが浮かぶけど全部飲み込んだ。
というか、飲み込まざるを得なかった。その次に発した彼の言葉が、あまりにも衝撃的だったから。
「私の名はオリオン。この世の人間達には魔王と呼ばれる、魔界を統べる長だ」
異世界にやってきて、初エンカウントしたのが魔王でした。俺はもう、駄目かもしれない。
◇
あの後オリオンさんに連れられ、俺は魔界に保護された。
どうやら俺は、とある人族の国の魔術師が召喚術を行使した事でこの世界に来てしまったらしい。本来ならば召喚術は世の理を壊してしまう可能性のある超危険な術なので、禁止されているとの事。
というのも召喚された異世界人は何かしらの強大な力を持っているので、戦争の道具として使われるのが多いのだそう。
そして、異世界人が振るう力は国一つを簡単に滅ぼしてしまうらしい。怖すぎる。
「だが時折、人族同士の禁忌を破り己が利益の為だけに異世界人を召喚する国もある。全く、愚かだよ」
そう言って笑うオリオンさんは、何処か寂しげだった。もしかしたら彼は、人族と何かがあったのかもしれない。
とまぁそんな訳で、俺は安全の為にも魔界に厳重保護されたのである。因みに居心地めちゃくちゃ良い。
俺の世話係をしてくれているレインさんは、銀髪に羊のようなくるんとした角を持つ美人さんだ。魔族には性別の概念が曖昧な種族もいるらしく、レインさんも無性別だという。見た目は男性寄り。
そんなレインさんと親交を深めつつこの世界の歴史なども学ぶ。ファンタジーな世界だけあって、色々と面白い。
オリオンさんも仕事の合間に顔を出して一緒にお茶してくれたりと、とても快適な生活を送っている。が、俺には一つだけ心配事があった。
そう、元の世界の家族である。ちょっと諸事情で仲が悪いが、俺が消えたとなったら大騒ぎするかもしれない。
その事をレインさんに相談したら、とても申し訳なさそうに謝られた。
「カナタ様、申し訳ありません…召喚術で此方の世界に召喚する事は出来ても、元の世界に戻る術は解き明かされてないのです」
「あ、いえ。それは全然良いんです…寧ろ、はっきり言って貰えて助かりました。踏ん切りがつきます」
戻れないなら戻れないで、良い。本当に家族か?って思うくらい仲が悪いし、特に仲のいい友人もいない。
寧ろこっちの世界の方が馴染んでいる気がする。自惚れでなければ、オリオンさんは俺をとても大事に扱ってくれてるし…俺も、何だかんだで彼と離れたくない。
彼と家族、どっちかを選べと言われたら彼を選ぶだろう。多分だけど、俺はややオリオンさんに依存している気がある。
よく無い事だと思いつつ、こんなに大事にされた経験がないのでどんどん好きになってしまう。案外自分がチョロくて少し心配になる。
「良かったです。帰りたいと仰られたら、魔王様はきっと…」
そう中途半端に言葉を切ったレインさんに首を傾げると、気にしないでください!と大きな声を出されてしまった。
余りにも慌てるもんだから、咄嗟に頷いて見せる。俺の様子に明らかにホッとしたレインさんに、余計に疑問が深まっていく。
魔王様は、きっと…その言葉の続きは何だろうか。幾ら考えても思いつかなくて、そのうち考えるのをやめてしまった。
…俺が帰りたいと言ったら、オリオンさんは引き止めてくれるだろうか。
◇
「カナタ、君を私の伴侶に迎えたい」
ピンク色の可愛らしい花で出来た巨大な花束が喋った。違う、巨大な花束を持ったオリオンさんに告白された。
最早花束の所為で顔が見えない、何だこの状況。見かねたレインさんが彼から花束を奪い取った。
そんなレインさんの行動に、オリオンさんは首を傾げるばかりだ。薄々感づいてたけど、オリオンさんは大分天然である。
それはさておき、今彼は何と言った?俺を、伴侶に迎えたい?それってつまり、プロポーズ?
突然の告白に頭が混乱する。だって今まで、口説き文句の一つだって聞いた事がない。
「カナタ、やはり私では駄目だろうか…」
動きが完全に止まってしまった俺を見て勘違いをしたらしいオリオンさんが、あからさまにしょぼくれている。ぺたんと垂れた耳と尻尾が見えそうだ。
いや、駄目とか嫌とかそんなんじゃないけど。というか寧ろ、喜んでしまっている自分もいる。
訳も分からない異世界で一人放置されて、イケメンで優しくてとっても強い人に保護されたら惚れないやつなんて居ないだろう。それに俺は、両性愛者だ。
同性だからっていう嫌悪感もない。なんなら俺は、魔界に骨を埋めるつもりだった。
「駄目、とかじゃないです。嬉しいんですけど、そもそもオリオンさんって俺の事好きだったんですか?」
「なっ…そんな、私のアプローチは何も伝わって居なかったのか…」
どうやら彼なりにアプローチはしてくれていたみたいだ。まぁ、俺に心当たりは全くないんだけど。
ほら、レインさんもやれやれみたいな顔してる。
オリオンさんってば天然に加えて不器用なのかな?それでいて魔王でイケメンで優しいって属性過多だよ。
オリオンさんはしゃがみ込んで指先で床にぐるぐると円を描き出してしまった。これは、完全に拗ねている。
この人可愛いなぁ、もう。優しく頭を撫でていると、オリオンさんは嬉しそうに笑った。
「オリオンさんの伴侶に選ばれるなんて、嬉しいです。でも本当に俺で良いんですか?」
「勿論だ!私の伴侶は、カナタしか居ないと思っている…カナタはとても優しく、強い。カナタに助けられたあの日から、私はカナタの事を愛おしく思っている」
ぎゅっと両手を握りしめられ、ルビーのような瞳が俺を真摯に見つめる。
想像していたより何倍も力の籠った返事が返ってきて何だか照れ臭い。
そっか、そんなに俺の事を好きでいてくれてたのか…じわじわと、顔に熱が集まっていく。きっと俺、今頃耳まで真っ赤だろうな。
俺より大きくて筋張ってて、男らしい手を緩く握り返す。するとオリオンさんは、心底嬉しそうに蕩けた笑みを浮かべてくれた。
そんな可愛らしい表情に、どきどきと胸が高鳴る。あぁ、いつの間にかこんなにもオリオンさんを好きになってしまってたんだな。
前の世界でも恋をする事は時々あった。けど、何故だか違和感があって結局告白なんてする前に好きという感情が消えてしまっていた。自分は理想が高すぎるんだろうか、そう悩んだときもあったけど、きっと俺はオリオンさんに出会う為に生まれたんだなぁ。
そんなメルヘンチックな事を考えてしまうくらい、この人が好きだ。きっとこの世界に来た時最初に出会ったのも、運命的な何かなんだろう。
「オリオンさん、不束者ですが宜しくお願いします」
「…あぁ、勿論だ。生涯をかけてカナタを幸せにすると誓う」
そう言って笑ったオリオンさんは、この世の何よりも美しく輝いていた。
そんな俺は今窮地に立たされている。家に帰る途中突如とても強い光に包まれたと思ったら、何故か森の中にいた。
訳がわからなすぎて暫く呆然としていた。けれど今は、ジリジリと目の前の獣から距離をとっている。
黒いモヤに包まれた、とても大きな狼みたいなやつ。これ、絶対日本に居ないだろ。高さが2メートルくらいあるぞ。
「ぐるるるる…」
「っ…」
恐ろしい唸り声を上げる獣は、俺の事を鋭く睨みつけている。
言い表せない重圧を感じ、冷や汗がぶわりと溢れ出た。やばい、本当に殺される。
じわり、じわりと後ずさるけど、いつの間にか背中が木に付いていた。こんな見知らぬ森の中、訳もわからず走り出したとしてもこの獣から逃げ切れる自信などない。
そもそも俺は足が早い訳じゃないし、体力だって人並み程度だ。全力で走ったとしても精々10分持てば上出来だろう。
獰猛な光を宿す赤い瞳から、何故か目が逸らせない。
そうこうしている内に、獣が先に動いた。勢いよく地を蹴り飛び上がると、俺に襲いかかってくる。
咄嗟に両目を瞑り衝撃に耐えた。どうか、食べるなら頭から一思いに行ってくれ!
ふわりと宙に浮く感覚。驚いて目を開ければ、俺は襟足を獣に咥えられ持ち上げられていた。
「…はっ?え?何!?」
驚きすぎて間抜けな声が出る。然し次の瞬間、ドォン!メリメリメリィッと大きな音が響いた。
音の発生源に目を向けると、獣よりも一回りほど大きな二足歩行の豚のようなナニカがいた。あれってもしかして、よくファンタジー物に出てくるオークか?
その豚の化け物は、さっきまで俺が居た木を薙ぎ倒していた。もしかして、この狼のような獣は俺の事を助けてくれた?
獣はオークを一瞥した後、勢いよく走り出す。俺はどうする事も出来ないまま、ただただ運ばれていった。
◇
「へぶっ!」
ベシャリ、突然地面に落とされ情けない声が出る。強かに打ちつけた鼻を押さえながらゆっくりと起き上がった。
目の前に広がる、綺麗な泉。底まではっきりと見えるくらい透き通った綺麗な水に、思わず見惚れてしまう。
ドサリ、突然聞こえた何かが落ちる音に慌てて振り返った。先程まで物凄い速度で走っていた獣は、何処か苦しそうに蹲っていた。
俺は獣医でもなんでもないし、獣が倒れている原因は分からない。だけど、獣に敵意が無いことだけは分かる。
「…ぐるるる」
「う、唸らないでくれよ…俺も、君に敵意なんてないんだ。さっきは、助けてくれてありがとう」
恐る恐る近寄ると、威嚇するように唸られる。正直とっても怖いけど、やっぱり敵意なんて感じなかった。
怯えながらも感謝の意を伝えれば、獣は一瞬呆けたように黙った後そっぽを向いてしまった。此方の言葉を理解しているような行動に、それなりの知性を持ち合わせているんだと理解する。
こんなに賢いなら、無闇に俺を傷付けないんじゃないか。そんな淡い期待を抱き、そろりそろりと少しずつ近寄る。
一瞬だけこっちに視線を寄越したが、すぐどうでも良さそうに逸らされた。どうやら、近づいても良いらしい。
「随分苦しそうだけど、毒でも食らったのか?」
「……」
獣のすぐ横に座り込み、問いかける。喋れないのは分かっているが、心配せずにいられない。
さっきから呼吸が明らかに早いんだ。何処となく苦しそうだし、獣に纏わりつく黒いモヤが増えているような気もする。
これがラノベの世界だったとしたら、瘴気とか呪いとかに侵されているんだろう。俺の勝手な想像だけど、この黒いモヤは悪いもののような気がするんだ。
パタパタと手で仰ぎ、モヤを軽く飛ばす。何してるんだと言わんばかりの胡乱な視線に、首を傾げた。
「黒いもやもや払ってんの。なんかこれ、よくない気がするし…もしかして、見えてない?」
「わふ」
見えん、そう言わんばかりの返事に目を見開く。そうか、獣からしたら何もない空間を突然仰ぎ出した変人に見えてんのか。
先ほどの視線の真意に納得する。どうやら、獣本人…本獣?には見えてないらしい。
でも、俺が払った事によりもやもやは少しだけ薄くなっていた。そんな簡単に消えるのもおかしい気はするけど、まぁ事実消えてるしなぁ。
深く考えるのはやめよう。取り敢えず、もう少しだけ仰いでみる事にする。
「…おぉ、殆ど消えた」
仰ぎ続ける事数分。獣の身体を覆うように発生していたもやもやは、8割ほど消えていた。その結果獣の身体も楽になったのか、驚いたように目を瞬かせている。
まるで人間みたいな反応が少し可愛くて、思わず笑ってしまった。
そんな俺の反応が不服だったのか、すぐにじとりとした視線を向けられる。軽く唸られたけど、既に恐ろしさは微塵もなかった。
そっと背中に手を伸ばし、毛並みに沿うように撫でてやる。特に文句も言われなかったので、そのままふわふわとした手触りを堪能した。
まだ少しだけ黒いもやもやは残っている。これだけは俺の力じゃ払えなかった。あぁ、無力だなぁ。
俺がこの獣を浄化してやれれば良かったのに。少しでも、元気になってくれますように。
そう願った瞬間、獣の身体が眩く光だす。驚いて咄嗟に目を瞑り、両腕で顔を隠して光から目を守る。
徐々に光が弱まっていくのを待ち、大丈夫そうだと確認してから腕を外す。さっきまで目の前にいた獣は、居なくなっていた。
代わりに、漆黒の髪に赤い瞳のイケメンがいた。彼は自身の両手を驚いたように見つめながら固まっている。
「…あの、えーっと…」
「はっ…すまない、余りにも突然の事で動揺していた。まず、此度は私を蝕んでいた瘴気を払ってくれた事感謝する」
恐る恐る声を掛ければ、漸く我に返ったらしい彼が頭を下げる。
あ、やっぱりあれ瘴気だったんだとか、物凄いイケメンだなぁとか色々な考えが浮かぶけど全部飲み込んだ。
というか、飲み込まざるを得なかった。その次に発した彼の言葉が、あまりにも衝撃的だったから。
「私の名はオリオン。この世の人間達には魔王と呼ばれる、魔界を統べる長だ」
異世界にやってきて、初エンカウントしたのが魔王でした。俺はもう、駄目かもしれない。
◇
あの後オリオンさんに連れられ、俺は魔界に保護された。
どうやら俺は、とある人族の国の魔術師が召喚術を行使した事でこの世界に来てしまったらしい。本来ならば召喚術は世の理を壊してしまう可能性のある超危険な術なので、禁止されているとの事。
というのも召喚された異世界人は何かしらの強大な力を持っているので、戦争の道具として使われるのが多いのだそう。
そして、異世界人が振るう力は国一つを簡単に滅ぼしてしまうらしい。怖すぎる。
「だが時折、人族同士の禁忌を破り己が利益の為だけに異世界人を召喚する国もある。全く、愚かだよ」
そう言って笑うオリオンさんは、何処か寂しげだった。もしかしたら彼は、人族と何かがあったのかもしれない。
とまぁそんな訳で、俺は安全の為にも魔界に厳重保護されたのである。因みに居心地めちゃくちゃ良い。
俺の世話係をしてくれているレインさんは、銀髪に羊のようなくるんとした角を持つ美人さんだ。魔族には性別の概念が曖昧な種族もいるらしく、レインさんも無性別だという。見た目は男性寄り。
そんなレインさんと親交を深めつつこの世界の歴史なども学ぶ。ファンタジーな世界だけあって、色々と面白い。
オリオンさんも仕事の合間に顔を出して一緒にお茶してくれたりと、とても快適な生活を送っている。が、俺には一つだけ心配事があった。
そう、元の世界の家族である。ちょっと諸事情で仲が悪いが、俺が消えたとなったら大騒ぎするかもしれない。
その事をレインさんに相談したら、とても申し訳なさそうに謝られた。
「カナタ様、申し訳ありません…召喚術で此方の世界に召喚する事は出来ても、元の世界に戻る術は解き明かされてないのです」
「あ、いえ。それは全然良いんです…寧ろ、はっきり言って貰えて助かりました。踏ん切りがつきます」
戻れないなら戻れないで、良い。本当に家族か?って思うくらい仲が悪いし、特に仲のいい友人もいない。
寧ろこっちの世界の方が馴染んでいる気がする。自惚れでなければ、オリオンさんは俺をとても大事に扱ってくれてるし…俺も、何だかんだで彼と離れたくない。
彼と家族、どっちかを選べと言われたら彼を選ぶだろう。多分だけど、俺はややオリオンさんに依存している気がある。
よく無い事だと思いつつ、こんなに大事にされた経験がないのでどんどん好きになってしまう。案外自分がチョロくて少し心配になる。
「良かったです。帰りたいと仰られたら、魔王様はきっと…」
そう中途半端に言葉を切ったレインさんに首を傾げると、気にしないでください!と大きな声を出されてしまった。
余りにも慌てるもんだから、咄嗟に頷いて見せる。俺の様子に明らかにホッとしたレインさんに、余計に疑問が深まっていく。
魔王様は、きっと…その言葉の続きは何だろうか。幾ら考えても思いつかなくて、そのうち考えるのをやめてしまった。
…俺が帰りたいと言ったら、オリオンさんは引き止めてくれるだろうか。
◇
「カナタ、君を私の伴侶に迎えたい」
ピンク色の可愛らしい花で出来た巨大な花束が喋った。違う、巨大な花束を持ったオリオンさんに告白された。
最早花束の所為で顔が見えない、何だこの状況。見かねたレインさんが彼から花束を奪い取った。
そんなレインさんの行動に、オリオンさんは首を傾げるばかりだ。薄々感づいてたけど、オリオンさんは大分天然である。
それはさておき、今彼は何と言った?俺を、伴侶に迎えたい?それってつまり、プロポーズ?
突然の告白に頭が混乱する。だって今まで、口説き文句の一つだって聞いた事がない。
「カナタ、やはり私では駄目だろうか…」
動きが完全に止まってしまった俺を見て勘違いをしたらしいオリオンさんが、あからさまにしょぼくれている。ぺたんと垂れた耳と尻尾が見えそうだ。
いや、駄目とか嫌とかそんなんじゃないけど。というか寧ろ、喜んでしまっている自分もいる。
訳も分からない異世界で一人放置されて、イケメンで優しくてとっても強い人に保護されたら惚れないやつなんて居ないだろう。それに俺は、両性愛者だ。
同性だからっていう嫌悪感もない。なんなら俺は、魔界に骨を埋めるつもりだった。
「駄目、とかじゃないです。嬉しいんですけど、そもそもオリオンさんって俺の事好きだったんですか?」
「なっ…そんな、私のアプローチは何も伝わって居なかったのか…」
どうやら彼なりにアプローチはしてくれていたみたいだ。まぁ、俺に心当たりは全くないんだけど。
ほら、レインさんもやれやれみたいな顔してる。
オリオンさんってば天然に加えて不器用なのかな?それでいて魔王でイケメンで優しいって属性過多だよ。
オリオンさんはしゃがみ込んで指先で床にぐるぐると円を描き出してしまった。これは、完全に拗ねている。
この人可愛いなぁ、もう。優しく頭を撫でていると、オリオンさんは嬉しそうに笑った。
「オリオンさんの伴侶に選ばれるなんて、嬉しいです。でも本当に俺で良いんですか?」
「勿論だ!私の伴侶は、カナタしか居ないと思っている…カナタはとても優しく、強い。カナタに助けられたあの日から、私はカナタの事を愛おしく思っている」
ぎゅっと両手を握りしめられ、ルビーのような瞳が俺を真摯に見つめる。
想像していたより何倍も力の籠った返事が返ってきて何だか照れ臭い。
そっか、そんなに俺の事を好きでいてくれてたのか…じわじわと、顔に熱が集まっていく。きっと俺、今頃耳まで真っ赤だろうな。
俺より大きくて筋張ってて、男らしい手を緩く握り返す。するとオリオンさんは、心底嬉しそうに蕩けた笑みを浮かべてくれた。
そんな可愛らしい表情に、どきどきと胸が高鳴る。あぁ、いつの間にかこんなにもオリオンさんを好きになってしまってたんだな。
前の世界でも恋をする事は時々あった。けど、何故だか違和感があって結局告白なんてする前に好きという感情が消えてしまっていた。自分は理想が高すぎるんだろうか、そう悩んだときもあったけど、きっと俺はオリオンさんに出会う為に生まれたんだなぁ。
そんなメルヘンチックな事を考えてしまうくらい、この人が好きだ。きっとこの世界に来た時最初に出会ったのも、運命的な何かなんだろう。
「オリオンさん、不束者ですが宜しくお願いします」
「…あぁ、勿論だ。生涯をかけてカナタを幸せにすると誓う」
そう言って笑ったオリオンさんは、この世の何よりも美しく輝いていた。
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