魔王様の瘴気を払った俺、何だかんだ愛されてます。

柴傘

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瘴気を払ってくれたのは、この世の何よりも大切な人。

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 ある日魔界に大量の瘴気があふれ出し、私はその瘴気に包まれ獣となってしまった。

 瘴気が発生した原因は、一つしかない。人族の何処かの国が、禁止されている異世界召喚の術を行ったのだ。恐らくだが、最近きな臭くなっている帝国が犯人だろう。
 獣とは言え魔族の長、理性もあればある程度の力も残っている。私を止めようとするレインを振り切り、召喚された異世界人を救い出すため人族の住む大陸へと向かった。

 然し、大陸に降り立った後私の体調が急変した。身体は熱を持ち、息も苦しい。今まで平気だったのは、魔界の大気中に含まれている魔力のお陰だったらしい。

 こんな調子では異世界人を探すどころではない。その前に、私の身が瘴気に犯され知性のない魔物となってしまう。
 私のような魔力の強い者が魔物となれば、国の一つや二つ滅ぼしてしまうだろう。それに、魔界の住人たちも混乱する。今この場で、魔物になるわけにはいかない。

 そう思い魔界に帰ろうとした時、不思議な魔力を感じた。半ばつられるようにそちらへ向かうと、不思議な服を着た少年と青年の間のような年頃の男が立っていた。

 間違いない、この魔力の流れは異世界人だ。恐らくだが、召喚術を行使する魔術師の実力が足りずに召喚する座標がずれてしまったんだろう。
 彼は私の姿を見た後、怯えたようにじわじわと後ずさっていく。仕方のない事ではあるが、怯えた顔をされると少々心にくるものがある。なるべく怯えさせないように努めるものの、彼の背後から異様な気配を感じた。

 獣となった私よりも、一回りほど大きい魔物化したオーク。思わず警戒する唸り声を上げた後、彼の服を咥えて走り出す。

 あのオークを倒す事は大した労力ではないが、異世界人にそんなグロテスクな現場を見せる訳にはいかない。
 以前保護した異世界人の中には、魔物を殺す現場を見て心を病んだ者もいた。出来るだけ彼らには、心穏やかに過ごしてほしいのだ。

 然し次第に、私の体調が悪化してきてしまった。綺麗な泉まで辿り着いた後、少々乱雑に彼を放る。

 申し訳ないとは思ったが、このまま彼を巻き込んで倒れ私の下敷きにするよりかはマシだろう。彼は打ちつけた鼻を押さえながら私を振り返った。
 そんな彼は、あろう事か私に近寄ってこようとする。いけない、異世界人にとって瘴気がどのように作用するのかが分からない今、不用意に近付ける訳にはいかない。

 彼を怖がらせるのは本意ではないが、態と怒ったように唸り声を上げた。

「…ぐるるる」
「う、唸らないでくれよ…俺も、君に敵意なんてないんだ。さっきは、助けてくれてありがとう」

 そう言った彼の手は、微かに震えていた。きっと、恐怖で竦む心を奮い立たせているんだろう。

 そんな健気な姿に、私の身体から力が抜けていく。何故だかは分からない。だが、彼は瘴気に触れても大丈夫なような気がしたのだ。
 訳がわからずに顔を逸らすと、近くにいた彼の気配が揺らいだ。私のすぐ隣までやってきた彼は、

「随分苦しそうだけど、毒でも食らったのか?」
「……」

 何と説明したら良いのやら。然し、今の私では喋る事もままならない。

 答えられないという意思表示をする為、黙ったままちらりと視線を向ける。そもそも彼自身も返事を貰うつもりは無かったようで、特に何も言われなかった。
 すると彼は暫く虚空をじっと見つめた後何かを追い返すように手をパタパタと動かし始める。

 余りにも不審な行動をじっと見つめていれば、私の視線の意図を理解していないのか小首を傾げた。

「黒いもやもや払ってんの。なんかこれ、よくない気がするし…もしかして、見えてない?」
「わふ」

 彼の問い掛けに答えるように一声鳴く。見えない、そう言うように。

 すると彼は私の返答に驚いたのか、驚いたように目を見開く。幼さの残る顔立ちのそんな表情は、とても愛らしい。
 瘴気は本来、視認できない。私やレインのような力の強い魔族は、空気の淀みとして捉えられる。一般的な魔族はその淀みすら感じ取れない。
 歴代魔王の中には、魔眼という特殊な目を持って生まれた魔王も居る。その魔眼持ちの魔王は瘴気を黒い霧のような状態で視認する事ができたらしい。

 然し、異世界人が魔眼を持っていたという文献はない。異世界人はその強さと特殊性から召喚した国が秘匿する事が多かった。故に、そもそもの文献も少ないんだろう。

「…おぉ、殆ど消えた」

 彼の小さな呟きが聞こえる。どうやら私は、大分長い事考え込んでいたらしい。

 そう言われれば、さっきとは比べ物にならないくらい調子がいい。まだ全快とは言えないが、八割程は回復しているようにも感じる。
 ふとそこで、思い出す。過去に二人ほど存在が確認された異世界人の能力を。確か女性は聖女、男性は聖人と呼ばれていた。…つまり、目の前の彼は聖人の可能性が高いという事になる。

 聖女、聖人は祈りの力で瘴気を浄化出来る唯一の存在だ。対価は、己の命。命を以って世界を浄化し、慈しむ。

 そんな事、させてたまるか。此方の住人の勝手な都合で呼び出し、命を使えだと?馬鹿馬鹿しい。彼にも命があって、心がある。この事は完全に隠し通し、彼を絶対に守ってやらねばならない。
 そう決意を改めていれば、何かがおかしかったのか彼はくすくすと笑い始めた。それ程気を許してくれるのは有り難いが、少々複雑だ。

 文句を言うように軽く唸ってみるものの、私は怖くないと察してしまったんだろう。穏やかな表情で、私の背を撫で始めてしまった。

 心を許してもらえず病んでしまうよりはずっと良いが、些か不満もある。私はちゃんと知性も理性も持ち合わせているので、愛玩されるのは本意ではない。
 然しまぁ、良いか。そう思ってしまうくらいには彼に好意を抱いてしまった。毛並みに沿うように撫でる掌が、存外心地よかったのもそれに拍車をかけたのかもしれない。彼の生涯を見守りたいと、半ば無意識に考えていた刹那。

 突如、私の身体が強い光を放つ。一瞬で気怠さが吹き飛び、身体の形も変わり始める。

「…あの、えーっと…」
「はっ…すまない、余りにも突然の事で動揺していた。まず、此度は私を蝕んでいた瘴気を払ってくれた事感謝する」

 恐る恐る此方を伺う声にはっとする。突然瘴気が全て払われ、人型に戻った身体をまじまじと見ていたから。

 あぁ、私の仮説は当たってしまった。彼は異世界から召喚された聖人だ。恐らく、どの国も彼を喉から手が出るほどに欲しがるだろう。彼を巡って、戦争が起きたって可笑しくない。
 その前に、私が保護しなければ。魔界は魔族と共に居なければ入る事が出来ない。仮に入ってこれたとて、私が拒否してしまえば追い出す事も可能だ。彼にとって、一番安全なのは魔界に他ならない。

「異世界人様、どうか私と共に魔界まで来て頂けないだろうか」

 そっと手を取ってそう懇願すれば、彼は酷く動揺していたようだった。はて、私は何か変な事でも言ってしまったのだろうか?

 ◇

「陛下!陛下大変です!」

 異世界人…カナタを保護してから暫くが経った。彼は文句も言わず日々平穏に過ごしている。

 そんなある日の真夜中、カナタに付かせている部下のレインが私の執務室に慌てて駆け込んできた。ふむ、カナタは今頃寝付いたのか。随分と夜更かしだな。
 そんな事を暢気に考えていれば、レインがバンッと勢いよく机を両手で叩く。おい、茶がこぼれるだろう。

 カタカタと揺れるカップを持ち上げていれば、レインは私を呆れたような目で見ていた。

「陛下、何を暢気な事をなさってるんですか!カナタ様が元の世界の話を持ち出したというのに!」
「あぁ、カナタの暮らしていた国はニホンと言うらしい。そこでは魔法は存在せず、デンキを通してキカイを動かして…」
「違います!カナタ様が、家族の事を気になさっておられるんです!帰る方法はないのかと…!」

 レインの切実な声に、雷に打たれたような衝撃が走る。カナタが、帰る?どこに?ニホンに?

 …元の世界に、カナタが帰りたがっている?
 事実に気づいた瞬間、私は思わず立ち上がっていた。駄目だ、帰るなんて。でも元の世界に帰るほうが、カナタにとって幸せなのだろうか?魔界で私たちと暮らすより、本当の家族の下へ…そんな事、考えるまでもないというのに。
 然しどうしようもなく嫌だ、カナタと離れたくない。私の傍で、ずっと穏やかに笑っていて欲しい。

 不意に見せる幼い笑顔も、穏やかに景色を眺める顔も…優しく、私の名前を呼ぶ声も。

「…あぁ、そうか。私はカナタの事が…」

 今ようやく理解した。私は、カナタの事がどうしようもなく愛おしい。

 彼の全てを手に入れたい、私の全てを捧げたい…この魔界全てを放り出してでも、ずっとずっとカナタの傍にいたい。
 どくどくと心臓が早鐘を打ち、カナタへの愛おしさが止め処なく溢れ出てくる。今までこんなにも誰かを思った事がないから、戸惑いも少なからず存在する。

 でもそれ以上に今すぐカナタを抱き締めたい。あぁ、今すぐカナタの顔が見たい。

「お待ちください陛下、今は真夜中です!カナタ様はぐっすりお休みになられてます!…っオリオン!」
「はっ…そうだな、今は駄目だ。レイン、明日の朝私はカナタに求婚する!そうだ、花束を作らねば!」
「オリオン、待ちなさい!オリオン!!!」

 私はレインの制止を振り切り、庭園の庭師の暮らす小屋へと全力で走った。

 ◇

「なーんて事もありましたねぇ…あの時のオリオンは、本当に大暴走してました」
「む、何か変なところがあったか?私はカナタに対して全力だっただけだ」
「えぇ、それはもう…全力過ぎて、誰も止められませんでしたよ。ねぇ、カナタ様?」

 同意を求めるように問い掛けた後、レインが真っ白な花束を墓標に供える。この下には、カナタが安らかに眠っている。

 私がカナタに出会ってから数十年、カナタは特に大きな病気を患うことなく安らかに老衰で眠りについた。
 彼の死は、魔界全土に伝わった。彼の墓参りに訪れる魔族を後を絶たず私たちも大忙しで、漸く終わった頃には彼の死から数年が経過してしまっていた。

 その間に魔王の座も部下に譲り、引継ぎ等の面倒な事も終わらせている。これで私は、晴れて自由の身になった。

「オリオン、本当に行くんですか?この術式は完全ではないですし、貴方が消滅する事だってありえるのに」
「何、問題ないさ。私が消えたとしてもこの世に未練はない。寧ろ、成功すれば儲けものよ」

 心配そうに此方を見つめるレインに、悪戯な笑みを向ける。既に術者は準備していて、私が赴くだけだ。

 愛しい愛しいカナタ。私の憶測が正しければ、今度は私がそっち側へと渡れるはずだ。
 そしたらまた出会いから始め、結ばれよう。万が一そちらに行けなかったとしても、カナタが死んでしまったこの世に未練は一つもない。

 全て君に会うために、準備は整えてある。あとはもう、術式を起動させるだけだ。

「…カナタ、未来永劫君だけを愛している」

 カナタの墓標に囁いた言葉は、彼の元へと届いてくれただろうか?
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