瞼を閉じれば煌めく星

小山田 華

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7.レジスさんと私(前)

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 ラーラさんが結婚して隣町に移った後、私がクリスタルディ家に行くことが減り、代わりにソフィさんの所へ行く回数が増えるようになった。というのも、ラーラさんの役割だった『パンの検分』を、ソフィさんが引き継いでいたのだ。曰く、

「ジーナちゃんには必要なこと」

 だそうだ。何がどうして必要なのかがわからなくて、ラーラさんやソフィさんに疑問をぶつけたのだけれど、明確な回答はなくするりとかわされて再度約束させられてしまった。よくわからないけれどソフィさんの笑顔の圧力に負けてしまったので、大人しく見せに行くことにしている。

「これからそのパンを持ってソフィの所に行くんでしょ? 今日は何時に帰ってくるの?」
「お昼過ぎには帰るわ」
「もっとゆっくりしてきてもいいのよ」

 お母さんがお父さんをちらりと見て私に言ってくれる。けれど。

「レジスさんとソフィさんのお邪魔をしては悪いから」
「あの二人は元々仲が良いでしょう?」
「前以上だからよ。私がソフィさんの所に遊びへ行くと、休憩の度にソフィさんに声をかけてくるのだもの」

 そう。ソフィさんの所にいるとレジスさんが忙しい仕事の合間に顔を出してくるのだ。ソフィさんと話をしに、ソフィさんに会いに。
 クリスタルディ家に行く回数は激減しているはずなのに、レジスさんと顔を合わす回数は以前と変わっていない。それほどレジスさんは頻回にソフィさんの前に姿を現すのだ。

「休憩の度に? レジスにしてはマメねぇ」
「そうでしょう。だから私、二人のだけの時間を作ろうと思って」
「最近出かけても帰りが早いと思ったら、そういうことだったのね。それなら噂も本当のことなのかしら」

 私が恋を自覚したのは三ケ月前。同時に叶わぬ恋と知った恋であったのに、未だ胸に燻るレジスさんへの想い。あまりの未練がましさに、自分が恥ずかしくなって瞳を伏せた。
 二人の仲がいいと感じているのは私だけではない。町中で

「レジスとソフィが最近よく一緒にいる。結婚も近いな」

 そんな話をちらほら耳にするようにもなっている。
 ソフィさんとレジスさんの、睦まじい姿を見ることが辛くて、でも大好きな人たちだから離れることもできなくて。この三ヶ月、ソフィさんの所に赴いては早々にお暇するようになっていた。
 昨日作ったパンが入った籠を手に取り、

「いってきます」

 コメットに揺られながら、ソフィさんの所へと向かった。






「相変わらずのパンなのね」

 招き入れられた部屋で着席してパンを渡せば、ソフィさんがラーラさんと同じような仕草で私の作ったパンの焦げた部分を凝視している。

「いくら作っても、どうしてもこの部分が焦げるんです」
「それならもう、この焦げ付きのあるパンが、ジーナちゃんの完成パンだってことなのかもね」
「では、もうパンを見せにはこなくても」
「次を楽しみにしているわ」

 にっこり笑ったソフィさんは、パンの検分終了宣言を出さずに私のパンをナプキンに包み、籠に戻した。それを見てふいに過った疑問。
 焦げはあるものの以前よりも上達し、それなりに食べられるくらいのパンになったけれど。

「ソフィさんはそのパンをどうするんですか? ラーラさんは鶏さんの餌にしていましたけれど」
「鶏?」
「はい。前は焦げたパンばかりだったのでお腹壊さないか心配して聞いたら、食べても元気に鳴いていると教えてくれました」
「ああ、私の所も同じよ。ジーナちゃんのパン食べるとやたら元気に一日過ごしているわ」

 それならよかった。やはり私が作った物で体調を崩してしまっていたなら、相手が鶏さんとはいえ申し訳ない。

「それにしてもラーラさんの結婚式からもう三ヶ月経つんですね。早いですよね」
「結婚式の一週間後に実家でくつろいでいた時には驚いたけどねぇ。ラーラらしいって言うかなんていうか。ところでジーナちゃん。好きな人、いる?」
「え?」

 唐突な話題の変化について行けずに口をぽかんとあけてしまった。数秒の間を置いて、おずおずと質問に答える。

「あの……いません、けど」
「イージストには同世代の異性は少ないけれど、隣町にはラーラがいるし、手広くお得意様を抱えているアルマンもいるから、誰かを紹介してもらえるんじゃないかと思って。ジーナちゃんが望むならラーラに頼んでおくわよ」
「いいえ、いいです。そんなっ」

 顔と手を振って遠慮する。紹介などされても困ってしまう。だって、私の心の中には―――

「ジーナちゃん。本当は好きな人、いるでしょう」

 顔をぐいと近付け、確信めいた口調でソフィさんに言われる。
 胸の中を読まれたようでドキリとした。
 私にはソフィさんの言うように好きな人がいる。けれど、それが誰なのかをここで口にはできない。だってその相手はソフィさんが愛する人なのだ。
 でもなんとなく、ソフィさんには私がレジスさんのことが好きだということが知られている気がする。瞳が『知っているのよ』と語っている。

「実は、います」

 お父様に教えてもらった私の恋。実ることのない初恋。

「でも、その人にはお似合いの方がいますから」
「あら、言わないの? 自分の気持ち」
「言いません。だってお相手がいるのですから迷惑でしょう?」

 目を伏せ、拳を握る。声が震えていないことを確認してホッと息を吐く。

「自分の気持ちを言葉で表現することは決して悪いことはないわ。黙っているということは、自分の気持ちを認めていないということで、自分を自分で傷つけているのと同じよ。もしその気持ちを伝えて相手が迷惑だと思ったのなら、その時は迷惑をかけてごめんなさいと謝ればいいのではないの?」
「そんな簡単なことでは」
「ジーナちゃんが思っているよりは簡単かもしれないわよ。人ってそれぞれ違う考え方をしているじゃない。相手のことを知ろうとするなら、自分のことを知ってもらおうとするなら、言葉にするって大事だと思うの」

 思いを口にする……隣に住んでいたのにお父様宛に手紙を書いていたお母様。それはお父様に自分のことを知ってもらいたかったから、なのかもしれない。

「折角ジーナちゃんが知った恋なのだから、『好き』を口にする、ってとても素敵なことだと思うけどなぁ。好きという気持ちを押し付けるのはいけないことだとは思うけれどね。ま、人生自分の思い通りにいかないことは多いから」

 自分の思い通りにいかない、というのは本当だと思う。どんなに傍にいてほしい、愛されたいと願っても叶うことがなかった時があったのだから。反対に、思いがけないものが突然手に入ることがあることも知ったのだけれど。
 自分の気持ちを認めないのは自分で自分を傷つけている、というソフィさんの言葉、確かにそうかもしれない。三ヶ月もじめじめと、レジスさんのことを思い切れないのは気持ちの整理がつかないから。どこかでもしかしてと期待してしまっているから。
 気持ちを伝えて、レジスさんにはっきりと断られれば気持ちを切り替えることができて、心からレジスさんとソフィさんを祝福できるかもしれない。

 ―――星が、また見えるようになるかもしれない。

 前は見えていた、瞼を閉じたら輝いていたあの星。あれはきっと未来への希望、レジスさんへの想いの光だったのだ。レジスさんに出会い、自由を手にした日に見た夜空を見た時から輝いていた光。ソフィさんとの仲を知って輝きを無くした光。
 もう一度輝いてほしい。今すぐではなくても、いつかもう一度。
 レジスさんへの想いを告げれば、思いを断ち切れてまた未来に向かって私は歩いて行ける。やがて星も輝いてくれるだろう。
 私は休憩で顔を出したレジスさんに話があると告げ、翌日会う約束をした。ソフィさんは何も言わずに私を見ていただけだった。










 告白する、という初めての行為に弱気になる自分に活を入れるため、レジスさんから貰った星形のレースの髪飾りを付けてクリスタルディ家にきた。お母様のネックレスと指輪も、お守り代わりの鍵ももちろん着けてある。
 そして私は今、クリスタルディ家の庭にある大きな樫の木の下でレジスさんと対峙していた。
 葉の間からの木漏れ日がレジスさんの赤い髪を輝かせていて、レジスさんの魅力を増していた。緊張のせいなのか、レジスさんに見惚れてしまっているのか心臓がバクバクとして飛び出してしまいそう。せわしなくお守りである鍵をいじっていた手が、自然と心臓の辺りへと移っていた。
 無言の私にしびれを切らしたのであろうレジスさんが口火を切った。

「ジーナ、話って?」
「あ、あの、レジスさんに伝えたいことがあって」
「伝えたいこと?」

 私が何を言いたいのか見当もつかないと言った顔をするレジスさん。

「あの、迷惑と思うことはわかっているのですが」

 目を閉じて息を静かに、深く吸い込んだ。息を止めて、目を開けてレジスさんを瞳に捉える。

「私、レジスさんのこと好きです」

 目を合わせて自分の気持ちを素直に口にした。声が少し震えたけれど、きちんと『好き』と声に出すことができた。
 レジスさんは私が街から逃げる手伝いをしてくれた。イージストに来てからは全てが初めて尽くしの私にいろいろなことを教えてくれた。とても頼れる男性で、本当に優しいからで私の身上を知って文句ひとつ言わずに世話をしてくれていた―――レジスさん。私が好きになった人。
 その人に好き、と言えたからか、心にあった重みが少し軽くなった。
 けれどレジスさんを見れば困ったように唇を噛んでいた。予想していた通り、私の告白を迷惑に思ったのだろう。
 ソフィさんは相手が気分を害してしまったなら謝ればいいと言っていた。今度は気分を害して申し訳ないと思う気持ちを伝えるために、私は言葉を続けた。

「言ってスッキリしました。あの、でも不快な気持ちにさせてしまってごめんなさい。もう二度と言いません」

 深々と頭を下げて、申し訳ないという思いを形でも知らせる。それから再びレジスさんを見上げて微笑んだ。

「これで私、レジスさんとソフィさんのこと祝福できます」
「ソフィ?」

 困った様子のまま、レジスさんが呟いた。

「最近ご一緒におられるでしょう? お二人の噂は本当と、町の人みんなも……」
「噂?」

 二人の仲が親密だということは私の勘違いではなく、周囲も認めていることだ。よく二人が真剣に話し込んでいる姿が目撃されていたから。けれど、眉間に皺を寄せて不機嫌そうな表情に変わったレジスさんを見て、噂のことは伏せていた方が良かったのだと気付いた。
 多分、町での噂をレジスさんは知らないのだ。

「どんな噂だ?」
「あの、最近レジスさんとソフィさんがよく一緒にいるのは、結婚の話をしているからだという話です」
「そんな噂、事実無根だ」
「え?」

 断言で否定されても、レジスさんがソフィさんの所によく来ていたのは私だって知っている。今さら否定しなくても、と思う。

「でも、みんなも最近仲が良いって言っていて……それにレジスさん、休憩の度にソフィさんの所に来ていたでしょう?」
「俺はジーナに会いに行ってたんだ。ソフィにはどうしたらジーナを守れるのか、笑ってもらえるのか相談していただけだ」
「え?」
「ジーナからの告白を俺が迷惑に思うって? 思うわけないだろう」
「え?」
「好きと二度と言わないって? 冗談じゃない」
「え?」
「俺もジーナが好きだ」
「ええっ!」

 思わず自分の耳を疑った。
 嘘、とも思った。
 けれど目の前のレジスさんの真剣な顔は、嘘でも幻聴でもないことを示していた。




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