瞼を閉じれば煌めく星

小山田 華

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9.瞼を閉じれば煌めく星

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 街を出て、イージストで暮らし始めてから十年。
 その間にいろいろなことがあった。その中でも、一番の大きな出来事は私が結婚して新しい家族が増えたこと。

「おはよう、お母さん。……また焦げてるね。でも不思議とこの焦げがないと、物足りないんだよなぁ」
「オレ、お母さんのパン好きだよ。でも、しばらくこのパン食べられなくなるのかぁ」
「エリカもママのパンすきっ」

 相変わらずの私のパン。十年たっても焦げのあるパンしか作れなくて。

「これがクリスタルディ家のパンだからな。むしろこれがないと、力が出ない」

 今日も朝から子供たちとレジスが私のパンの話題で盛り上がる。私は初恋の相手と結婚し、子宝にも恵まれてイージストで賑やかな毎日を過ごしていた。
 長男ステファンはしっかり者でレジスに一番似た子。次男カールも顔はレジス似ているけれど茶髪のちゃっかりした子。末っ子エリカはおませな子。
 子供の成長と共に色々なことが起き、変化していく。一つ一つが新鮮で、初めて尽くしで変化について行くことに必死の日々なことも変わらない。

「カール、準備は済んでいるの?」
「もちろん!」

 私の質問に、カールがパンを咀嚼しながら威勢よく返事をした。要領のいい次男は既に準備した荷物を足元に置いているようだ。旅の出発はまだかとワクワクしていて、普段より落ち着きなく食事をしている。

「ステファンとエリカは一緒に行かなくて、本当に大丈夫? お留守番できる?」
「ラーラおばさんたちが来てくれるんだろ。オレは農園の仕事手伝いたいし、じいちゃんとばあちゃんもいるし、おじいちゃんとおばあちゃんもいる。安心しておじいさんとこ行って来いって。エリカの面倒もちゃんと見るよ」

 私の心配をよそに、ステファンが明るく笑って答える。カールがステファンに

「ラーラ姉ちゃんって言わないと、怒られるぞ」

 耳打ちすれば、そうだったとわざとらしく舌を出した。『ラーラおばちゃん』と言った時に両頬を抓られ引っ張られ

「ラーラお・ね・え・さ・ん」 

 背後に冷気を感じる微笑みながらの訂正に、ステファンがこくこくと頷いたのは三年前の出来事だ。

「エリカもお留守番してる。ステファンお兄ちゃんいるし、あのね、おばあちゃんにレース織り教わる約束したのっ!」

 楽しみはここにあるから一緒には行かない、とステファンとエリカは言葉に含ませた。
 ステファンは農園での作業が好きで、よくキーラー農園へ出掛けている。エリカはレースが大好きな子で、レースに埋もれてはクリスタルディの両親にこれはあれはと聞いていた。

「レース織りなら俺が教えるのに」
「パパはお仕事だと怖いんだもんっ」

 頬を膨らませてのエリカの返事にレジスが苦笑した。職人気質で、子供に教えるにも真面目過ぎて堅苦しいとレジスも自覚しているのだ。

「俺は早くお母さんのおじいさんに会いたい」

 カールがワクワクしているのは、初めてお父様に会うからだった。定期的に届く『誰か』からの手紙に気付いた子供たちが手紙の相手に興味を持ち、レジスと相談してマウリツィア母様のことは伏せてお父様のことを説明した。するとカールはお父様の仕事のことを知るや、

「商人になるにはどうしたらいい?」

 そう訊ねてきた。

「お父様に会うことがあったら自分で聞いてみたら?」

 そう言ってその場は終わったのだけれど、その後もカールはお父様のことを知りたくて仕方がないようだった。そのお父様にようやく会うことができると、話ができると嬉しさを隠せないのだ。
 私とレジス、カールは今日これからお父様が用意してくれた馬車でお父様の所へ向かい、マウリツィア母様が養生している場所へ行く予定だ。今はイージストから馬車で三日ほどかかる療養地で静養しているのだ。
 十年もの間送られ続けたお父様からのお手紙。そこにはお父様の近況と、マウリツィア母様の事が記されていた。
 突然心が壊れてしまったマウリツィア母様。それが何故だったのかというと―――

 私が街を出たことでアドニス・フェイエットとの縁談は無かったことになり、代わりにパーシャ姉様がヤンセン・フェイエット様と婚約することになった。第二のマウリツィアと呼ばれていたパーシャ姉様だ。フェイエット家も縁談の変更に関して反対の声はなかったという。
 けれどヤンセン様とパーシャ姉様の顔合わせをした際、パーシャ姉様の話題は限局していて、しかもパーシャ姉様の一方的な会話であることが多いことにヤンセン様は違和感を覚えたのだそう。その後も会話は一方的なことは変わらず、会うたびに目に入った物で心に触れるものがあればすぐに欲しがり、ねだってくる。第二のマウリツィアと呼ばれているのに評判と違うことにヤンセン様はおかしいと思っていて、ある日フェイエット家のお茶会に呼ばれたパーシャ姉様が、ヤンセン様の目の前で、

「年下は年上の言うことを聞いていればいいのよ。さあ、そのネックレスを寄越しなさい」

 ヤンセン様の妹さんが着けていたネックレスを欲しがった。パーシャ姉様の口から当然のように飛び出した言葉は、周囲を唖然とさせた。そして、ヤンセン様の心を決めるのには十分な言葉でもあったようで。

「この女性との結婚は我が家族にとって、フェイエット家にとって不利益」

 即日ヤンセン様より婚約の話をお断りの連絡が入ったのだという。
 ヤンセン様との婚約の話が白紙に戻った後、パーシャ姉様のこの話が社交界で一気に広まり、それまでパーシャ姉様をちやほやとしていた人たちは冷静にパーシャ姉様を見るようになった。そこで初めてパーシャ姉様の子供同然の言動が認められ、マウリツィア母様が不在の時のパーシャ姉様の行動が目に余るようになり。

「パーシャ・エイジェルスは第二のマウリツィアにはなり得ない」

 誰もがそう判断したようで、結婚の話が出ても相手方から『妻には迎え入れられない』という返事を貰うようになった。
 パーシャ姉様に自分を重ね、夢を委ねていたのに、社交界でパーシャ姉様の全てを否定されたマウリツィア母様。以前と変わってしまった周囲の視線や口さがない噂に、人知れず病んでいた心がとうとう表に姿を出した。それが心を閉ざすという方法だった。お父様はお医者様から、これ以上心が傷つかないように防御したのだろうといわれたそうだ。
 お父様はマウリツィア母様の心は街では癒せないと、街を出て社交界からも離れて、静かな環境の療養地へ連れて行くことにした。そしてパーシャ姉様もマウリツィア母様とともに療養地へ行くことになった。社交界の男性達から批難の目で見られるようになり居づらくなったのもあって、お父様の療養地へ行く誘いにパーシャ姉様は全く反対しなかったという。驚くことにマウリツィア母様のお世話も、自分から買って出たとか。

「私がお母様にできることがあるのなら」

 そう言ったようだけれど、私にはパーシャ姉様が自らそんなことを言うとは思えず、多分親しくしているお知り合いの方に諭されたのではないかと思う。ただ、それは私の想像でしかないけれど。
 そして昨年お父様からの手紙に入った一文。

「マウリツィアが、『エレノオラに会いたい、どこにいるの』と泣いている」

 どうやらマウリツィア母様の記憶が子供の頃に戻ってしまったらしいのだ。エレノオラ母様と仲睦まじく過ごしていた少女時代に。
 いつも後ろを付いてきていたエレノオラがいない、お姉さんと笑顔を向けてくれていたエレノオラがいない、一人で寂しい、と泣く日々を過ごしているというのだ。
 十年前はマウリツィア母様を許すことも、会うことも決してないと思っていた。けれど。
 妻となり母となり歳を重ね……気付けばマウリツィア母様に向き合い、立ち向かうことができる自信を持っていた。エレノオラ母様と重ねられて罵られても、マウリツィア母様を憐れむことができるくらいに強くなっている自覚もある。
 きちんとした会話ができるかわからないし謝ってもらうつもりもないし許すつもりもないのだけれど、過去のけじめを付けるために、当時の私の思いを知ってもらうためにマウリツィア母様に一度会おうと思った。そのことをレジスに相談したら、

「駄目だ」

 渋面ですぐに反対された。私のことを考えて反対してくれていることはわかっている。けれど、私も諦める気は無く何度も同じ話をしているうちに

「逃げ出したほどなのに大丈夫なのか」

 反対ではなく心配の言葉に変わり

「ジーナに上目遣いでお願いされたら、行くなと言えないだろう」

 結局、レジスの同席を条件にマウリツィア母様に会うことを了承してくれた。子供たちに、お父様と一緒に義母の面会にいくつもりだ、旅に行こう、という話をしたら、

「おじいさんに会いたい! 連れて行ってくれるよね」

 目を輝かせてカールが私達と一緒に行くことに同意し、他の二人はイージストに残ることを希望した。
 残る子供たちのことをお願いしに、クリスタルディの両親、キーラー農園の両親、ラーラさんの所へ行けば

「大丈夫なの?」

 私のことを心から心配してくれて、それから

「子供たちの世話は任せて」

 笑顔で留守の間のステファンとエリカの世話を了承してくれた。

「お母さん、お迎えの馬車きたよ。行こう!」

 待ってたと言わんばかりにカールが足元の荷物を持って外へと駆け出す。
 カールに言われて外に意識を向ければ、車輪の音と馬の嘶きが聞こえる。笑いながら私と自分の荷物をレジスが持ってカールの後を追った。私も続いて玄関を出れば、お母さんが馬車の傍に立って待っていた。

「ジーナ、気を付けていってらっしゃい。帰ってくるときにはお茶を淹れて待っているわ」
「ありがとう、お母さん」

 マウリツィア母様に傷つけられてイージストに来た私。再び同じ事態になったらと気遣っての言葉に、安心と嬉しさを感じる。
 すると、くいっとスカートを引っ張られた。

「あのね、ママ。ママから貰ったこれ、お星さまに似てるでしょ。輝いていてとってもきれいなの」

 エリカが「これ」と指差したのは、お母様から譲られたブレスレットだ。昨年ステファンには指輪を、カールにはネックレス、エリカにはブレスレットを渡していた。三人とも宝物だと大事にしてくれている。

「エリカ、お星さま好き。夜になったらお星さま見るから、ママもお空見てお星さまにお話してね。そうしたら離れていても寂しくないから。いってらっしゃい!」

 エリカはかがんだ私の頬にキスをしてくれた。
 お星さま……レジスさんと思いが通じた後から、私は瞼を閉じると見える星を取り戻した。
 今は大きな光が四つ、それを囲むように小さな星がいくつも輝いている。その星はこの家族と私を大事にしてくれている人たちの輝き。
 私が未来を歩み、愛を得ている証拠だ。
 
「ええ。お星さまは私も大好きよ。毎日お星さまにお話しするわ」

 エリカの頬にキスを返す。
 星の代わりにお父様は宝石を集めた。私のためにレジスは星のレースを織ってくれた。きっと、エリカにも星を届けてくれる誰かがいることだろう。

「おじいさんに、今度イージストに遊びに来てって伝えて」

 今度はステファンがエリカと反対の頬にキスをしてくれた。

「ええ。必ず伝えるわ」

 ステファンにもキスを返し、立ち上がる。エリカとステファンと心配顔のお母さんがいってらっしゃいと手を振ってくれたので小さく手を振り返し、笑顔を向けて。

「じゃあ、いってきます」

 馬車に乗り込んだ。そこではレジスとカールが私を笑顔で待ってくれていた。


 
 私に優しい場所で大好きなイージスト。大好きな家族のいるイージスト。
 ここがあったから、私は強くなれた。
 ここがあるから私の星はいつまでも輝き続ける。



 瞼を閉じれば煌めく星。それは私が愛しい人たちと繋がっているということ―――






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