群青の緋

竜田彦十郎

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或いは夢のようなはじまり

15 屋上で

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 桂守学園の屋上は、ちょっとした庭園の様相を呈している。
 太い根を張るような樹木は存在しないが、芝生と花壇に覆われた屋上は昼休みともなれば生徒や教師の憩いの場となる。

 授業終了とほぼ同時に飛び込んできた香月以外には、誰の姿もない。

「えっと、たしかこの辺に……」

 皆で雑談に興じていた場所へと、視線を巡らせながら辿り着く。
 学生に不釣合いなほどの大金や個人を特定されるような物が入っていた訳ではないが、借り物である以上は紛失したなどと恥ずかしくて簡単に口に出せるものではない。
 まずは探し、見付けられなかったその時には素直に打ち明けて、紛失届けを学校に提出する事としよう。

「んっと……えっと……」

 自分が座っていた場所を中心に、ベンチの下や植え込みの隙間にまでくまなく視線を走らせる。

「むむむ……」

 土下座姿勢となって目線を地面と同じ高さに合わせてみるも、それらしい物は見当たらない。
 移動中に落としたとも考え難く、ここを探して見つからなければアウトだろうが、それでもやはり諦めがつかない。
 もう一度、移動した経路を確認しようと顔を上げた香月の眼前に、すらりと伸びる2本の脚が生えていた。

「うひゃっ!?」

 傷ひとつない、白く綺麗な肌だった。そのまま立ち上がっていたならば、スカートの中に頭を突っ込んでいたかもしれない。
 後に考えてみれば、それはそれで歓迎したいくらいのアクシデントだったのだが、気配もなく現れた存在に香月は仰け反り、尻餅をついていた。

「…大丈夫?」

 香月に向けて差し出された指先も綺麗なものだった。
 芝生についてしまった手で握り返して良いものかどうか迷った香月だったが、スカートで手早く掌を拭いてその厚意を受ける事にした。

「ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったんだけど、まさか気付いていないとは思わなくて」

 気配を感じなかったのは、どうやら探し物に集中しすぎていただけのようだった。

「いやぁ、ちょっと探し物をね……」

 香月はここで初めて、目の前に立つ少女の顔を見た。
 長く綺麗な黒髪と、やや黒目勝ちの優しげな瞳。そしてそれらの黒さを際立たせる白い肌。
 紛う事なき美少女だと断じたが、この桂守学園にこんな娘が居ただろうか。

(……あれ?)

 学年を確認しようとするも、学年を示すリボンがあるべき場所に縫い込まれていない事に気付く。

「ああ、まだ制服を受け取ったばかりだから」

 香月の視線を察した少女が僅かに首を傾げた。

「転校生さん?」

 香月の問い掛けに、苦笑を含んだような笑顔を返す少女。

「家の事情が立て込んでいてね。制服を用意したはいいけど、通う事になるかは未定」

 事情があると言われれば俄然知りたくなってしまうのが香月の性だったが、知人でもない者の事情に首を突っ込む程に悪趣味ではない。そこには触れずに、流す事に決めた。

「そっかぁ。通える事になるといいわね」

 当たり障りのない言葉で、会話の終了を言外に仄めかす。
 そう、香月には大事な探し物があるのだ。
 こんな美少女とお近付きになれる機会を棒に振るのは悔やまれるが、今は財布探しが優先だ。

「探し物って言っていたけど……もしかして、これかしら?」

 その言葉に釣られるように動いた香月の視線が、差し上げられた少女の手に釘付けになった。
 正確には、少女の手に収まっていた物に。

「そ、それっ!」

 多少くたびれた感のある、黒い二つ折の本革財布。
 見忘れる筈もない、直樹から借り受けている財布に違いなかった。
 思わず奪い取ろうとした香月だったが、飛び出そうとした右手をなんとか押し止めた。

「はい、どうぞ。あなたのお財布でしょう」

 逡巡をみせる香月の手を取り、少女の手が財布を握らせた。

「……え?」

 香月は目を丸くした。
 自分の手に戻ってきた財布は間違いなく直樹に渡された物であったし、自分の所有する物であると主張する事に躊躇いもない。

 しかしながら、明らかに男性物と分かる財布の所有権を主張してみたところで、どれだけの者が信じてくれるだろうか。
 財布の中に、香月の身元を示すカードの類が入っている訳ではない。ましてや、直樹の物も入ってなどいない。
 これが自分の物であると、客観的に判断できる手段は皆無に等しいのだ。
 指紋を調べる等、調べようはあるにしても、そこまでの手間暇を費やすだけの価値はこの財布には無い。
 この少女はとんでもないお人好しか、単に拾得物を届けるのが面倒なだけなのか。

「大丈夫よ。この財布からは、あなたと同じ匂いがするもの」

「は?」

 何を言われたのか頭の中で復唱を始める香月を背に、少女は黒髪に覆われた背を向けた。

「あ……ありがとう!」

 なんとか礼の言葉だけは口にする香月。
 聞こえていない筈はないのだろうが、特に反応も見せないまま少女は屋上から姿を消した。
 茫然と少女の消えた昇降口を眺めていた香月だったが、ふと手にした財布を鼻に寄せてみた。

「匂い……なんてしないよね?」

 革特有の匂いはするが、他に何が匂うというものでもない。
 少女の発した言葉が文字通りの意味だったのだろうか、いずれ再会する事が出来たならば聞いてみたいと思う香月だった。

「かづきち~ぃ?」

 昇降口の鉄扉を押し開き、雪乃が顔を見せた。
 扉を開ける動きに渦巻いた風が、制服と髪とを大きく踊らせた。
 直樹を教室に待たせ、一人で香月を呼びに来た雪乃である。

「ユキ?」

「まだ、ここに居たんだ。用事は済んだの?」

 雪乃の言葉に、手にした財布に視線を落とす。
 つい今しがたの会話が夢のようにも感じられたが、自身の手に戻った財布が現実であると再認識させる。

「うん、大丈夫。おまたせ」

 小走りに昇降口へと向かう香月。
 不意に、先日の保健室で見た光景が脳裏に蘇った。
 保健室から見た少女が、たった今会話を交わした少女に違いない。
 あれほどに黒髪の似合う美少女が、そうそう存在するとも思えない。

「ねぇ、ユキ。ここに来るまでに誰かと擦れ違わなかった? 黒髪ロングの女の子なんだけど」

「ん?」

 香月の言葉に片眉を僅かに動かした雪乃だったが、記憶を反芻するように視線を左右に動かす。

「んにゃ、そんな子とは擦れ違ったりしてないよ。その子がどうかしたの?」

 雪乃の現れたタイミングからすると、先の少女を見ている可能性が高いと思ったのだが、おっとりした雰囲気と違って足早に階段を下っていったのだろうか。

「転入生……になるかもしれないって子がいてね」

 そういえば、名前も学年も聞いていなかったなと気付く。
 やはり財布の存在が香月の意識を大きく引っ張っていたという事だろうか。

「転入生? そんな話は知らないけどなぁ」

 眉根を寄せて雪乃が訝しんだ。
 情報通の雪乃が知らないとは、いきなり決まった事なのだろうか。
 実際、可能性を示唆しただけの言葉であったし、決定事項ではないという事なのだろうと納得する。

「ううん、別にいいや。ほら、買い物行こ。付き合ってくれるんでしょ」

 学園内で自身の知らない事があるとなれば、解明せずにはいられないのが雪乃だ。
 そんな、思考にどっぷりと浸かりそうな雪乃の腰をたたき、校舎へと駆け込む香月。
 転入生の件は香月の思い込みによる誤情報なのだと判断した雪乃も、難しく考える事をやめた。
 香月の後を追って階段を一段飛ばしで下っていった。
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