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薄明に花びらの舞う
麗らかな春の日に
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ふいに、光を感じて。
ファルーズは目を細めて空を見上げた。
雲間から、光が差していた。その光の強さに、ああ、もう春が近いのだなと確認する。もう三ヶ月もすれば、収穫の時期を迎える。また、忙しい季節が巡ってくる。
「ファルーズ、ちょっと良いか」
見回りの準備をしていた彼に、団長が声を掛けてきた。
「ヨアハズのかみさんが産気づいたらしくってな。急に来られなくなっちまったんだ。他の連中はもう出ちまってるし、俺はここに残らなきゃならない。この時間ならそう危険なことはないはずだが、一人で大丈夫か?」
「そうなんですか!とうとうなんですね」顔をほころばせる。「見回りなら大丈夫です。行ってみます」
「もし——」
「無理なことがあったらすぐに戻ってきます。大丈夫ですよ」
「そうか……。悪いな。
町の外は次の連中に任せりゃイイから、ほどほどのところで引き返して来い。いいな」
「はい、分かってます。では、行ってきます」
訓練場にもなっている中庭を抜け、表に出る。
この町は麓にあるキラトーの領有、もっと言えばダカンジ共和国領ということになるのだが、そのことを普段意識する者はほとんどいない。食べていくには困らない土地だが、便利で豊かとは言い難いだろうし、これといった経済的な価値があるわけでもない。そのため、向こうの方でも普段は念頭にないのだろう。それでも何年かに一度、思い出したように徴税吏が訪れるが、それだけだ。基本的にはこの町の自治で完結しているし、広めに見積もっても、近隣の似たような境遇の町と緩やかに繋がった一種の共同体で事足りる。そんな土地だった。
そのため自立の気風も強く、自警団の志望者もそれなりに居るのだが、いかんせん小さな町だ。そう人員に余裕があるわけでもなく、兼業の者も多い。こういったことは珍しいことではなかった。
「おう、ファルーズ。見回りご苦労さん。一人なのか?」
「はい。ヨアハズさんと組んでいたのですが——」
「ああ、生まれそうなんだってな!めでてぇ、めでてぇ。
どうだい、ファルーズ。お前さんも、もうそういう年だろ。まぁ、まだあせって身を固めるこたぁねえが、そろそろ彼女の一人でも作ったらどうだい」
「いや、まだ僕は……」あいまいな笑みを浮かべる。
「そんなこと言ってると、気づいた頃には相手がいなくなっちまうぞ。
うちの娘なんかどうだい」
「もう、なに言ってるのっ!お父さん」話を聞きつけたカルネが家の中から顔を出し、やや頬を赤らめながら抗議する。「あんまり引き止めてると日が暮れてしまうでしょ。
ファルーズも、いつまでも付き合ってないの!一人ならなおさら、さっさと行ってらっしゃいな」
つっけんどんに手を振るカルネに手を振り返して。ファルーズは場を離れる。
自警団といっても、その本来の仕事をする割合はそう高いものではない。このごろ多少頻度が増えたとはいえ、そう頻繁に魔物や危険な動物は出るものではないし、ならず者はもっと稀だ。ざっくりと、力仕事や雑用を頼まれることの方が多い。そのため、もとより町全体が顔見知りみたいな雰囲気があるが、この仕事をしているとなおさら顔が広くなりやすかった。さっきの話ではないが、縁談話の類も舞い込みやすい。
(そのうち僕も、そんな流れになるのかな)
その相手が、カルネではないとしても。
この町は好きだ。
この町に生まれ、この町でこのまま生涯を終える。
そんな生き方で良い。
それは、偽らざる本心ではあるのだが。
(でも、おじいちゃんの話に憧れ、胸躍らせた自分も、まだどこかに残ってる)
「おじいちゃん」と言っても、正確には彼の祖父ではなく曽祖父にあたる。そして、曽祖父はこの町の出身ではない。元は流れ者だったのだという。
曽祖父が語る、自身の、あるいは、ファルーズから見て高祖母にあたる人の冒険譚。
これが大変面白く、彼はその話が大好きだった。
もっとも、折に触れて語られるそれを熱心に聞いていたのは彼も含めた子供達ぐらいなもので、家族や大人はもちろん、長ずるにつれて、今や大抵が真に受けてはいないのだが。
西の門を出て、渓谷沿いを進む。もう夜が近いからか、通る人はまばらだった。
門衛についている同僚も特に気になる事はないと言っていたし、問題はないように思われた。
ちりり、と。
それは、唐突に。
鈴の音が、そのような音が、聞こえた気がした。
周囲に人気はない。
(なんだろう……)
自分でも、よく分からない。
ただ、なんとなく気を引かれて。
道をそれる。
ほどなくして、血の臭いが漂ってきた。
それ以上に、争いの音が。
(これは——)
魔物や動物同士のそれではない!
助けを呼んでいては、間に合わないかもしれない。
急く気持ちをこらえて、なるべく気配を殺し、原因の方へと歩を早める。
岩陰の、向こう。
少し、開けたところで。
ひらひらと。
見慣れない装束の袖が、
艶やかな長い黒髪が、
ひるがえっていた。
舞っているのは、少女だ。
いや。
正確には、魔狼の群れと戦っているのだが。
けれど、その洗練された動きはいっそ流麗で、まるで踊っているかのような優雅さを感じさせた。
少女の頭飾りの鈴が、獰猛な唸り声の合奏を縫い、舞を引き立てる拍子のように、控えめに、清らかに、響く。
ファルーズは状況も忘れて、その非現実的な光景に心を奪われた。
だが。
不意に。
舞が、乱れた。
(いけない!)
我に返り、小袋に火をつけて放つ。
「口を押さえて!」
刺激臭を纏った煙が一面に広がった。
たまらず、魔狼は一目散に退散していく。これでしばらくは寄ってこないだろう。
「大丈夫ですか?」
咳き込み、涙ぐみながら少女に近寄る。
「上手くは行かない物ね」
息をついて、そう、独りごちると。
少女が振り返った。
「ええ、御陰様で」
間近で見るとますます、少女の見目は比類がなかった。
一体どうして、これが実在だと信じられるだろう?
形の良い眉
僅かに陰を落とす、長い睫毛
その奥から覗く、深い色を湛えた神秘的な黒い瞳
鮮やかな朱唇——……
白い容には、それらが一分の狂いもなく配されていた。
胸の鼓動が激しく高鳴る。
なにか話していないとおかしくなってしまいそうで、とにかくファルーズは口を開いた。
「この時期は連中活発化してて、この道は危ないんですよ。無事で良かった」
「道に迷って仕舞って。此処の辺りは馴染みが無いし、結構、複雑なのね」
ここは街道が使えなくなった時の予備の道のひとつだ。大事なものだが、予備であるにはそれなりの理由があることが多く、普段は使うべき道ではない。地元の者には周知のことで問題はないのだが、それとわかる標識があるわけでもなく、しかも入り組んだ地形だ。こうして時折、旅人が迷い込むことがあった。
「そうですね。慣れていないと迷いやすいと思います。
……一人なのですか?」
「旅を為るのは、初めてじゃないから。でも、過信だった様ね」
一息つくと、にわかに。
ひたと、少女が彼を見据えてきた。
ぎこちなく視線をそらす彼に、少女が静かに告げる。
「貴方を、探して居たの」
「ファルーズ‼
無事だったか!」
魔狼除けに使ったあの煙は、当然、門衛が目撃していたはずだ。
町に近づくと、団長達が血相を変えて走ってきた。
「……生き残ったのは、嬢ちゃんだけか」少女の方に目をやり。
「いえ、彼女は一人でここまで来たんだそうです」
「何だって⁉」
眉を跳ね上げ、少女を打ち眺める。
無理もない。
彼女は到底、まともな旅装には見えないからだ。しかも体つきだって、下手をすればこの町の娘より華奢なぐらいだ。指先も細くしなやかで、とても剣を握る手には見えない。しかし一方で、彼女が纏う雰囲気ゆえだろうか。この形で戦うということに不思議と違和感がないような気もした。
「信じがたいでしょうが、僕はこの目で見ました。彼女、かなりの使い手ですよ」
「はぁーっ、人は見かけによらんものだねぇ」半信半疑といった体で、団長。
「嬢ちゃんは、この町に?」
「ええ。人を探して」
「じゃあ泊まる当てはあんのかい」
「いえ」ちらと彼の方を見、「出来れば、宿では無く彼の家に行きたいのだけれど……
可能かしら」
「えっ、
うん。
うちには十分空きがあるけど……」
不意をついた申し出に、戸惑う。
もちろん彼女の顔をいくら眺めたところで、その真意が読み取れるものではないのだが……。
(僕を、探していたと言っていた)
聞き間違いでないのなら。
しかし、ひとたび会ったなら絶対に忘れようもないこの少女と過去に見えた記憶はなく。
わざわざ危険をおして訪ねてもらうような大層な身分でもない。
少女は、何か勘違いをしているのか?
だとしたら気の毒なことだが……。
そんな彼の思惑を他所に、いつの間にやら集まってきていた物見高い野次馬が口笛吹いて、隅に置けないのなんのとはやす。
赤面しつつ、
「団長!
報告書は——」
「おう、今日はもう上がんな。お疲れさん」人の悪い笑みを浮かべ、付け足す。
「せっかくお誘いがあったんだ。待たせるようなマネさせんのは忍びないからな」
ファルーズは恨めしいような視線を向けると、
「行こう。
安心して。うちには兄さん一家も居るから」
少女を促す。
少女はくすりと笑み、
「ええ、勿論。わたしも然ういう積りで言ったのでは無いわ」
少女のことは、たちまち町中のうわさになったようだ。
皆んならしいといえば皆んならしいとはいえ、行く先々の人だかりに多少とも辟易しつつの、帰路。
「そういえば、名前、まだ聞いてなかったね」
「わたしは宵花」
「ヨイ……カ?」装束同様、名前も、耳馴染みのない響きだった。
うまく聞き取れたか自信が持てず、その音を実際に舌に乗せてみて目顔で確認する。
「然うね……」
そんな彼へ、宵花はしばしの思案の後、
「サマラーザって言うと分かり易いかしら。呼び辛いなら、然う呼んで呉れても構わないわ」と付け足す。
その言葉が意味するのは、この辺りの方言で、「宵の花」。
驚きつつ、しかし、ファルーズはきっぱりと首を振った。
「いや、いいよ。だってそれは、君の名前じゃないから」
「律儀な人」
少し声を立てて笑い、宵花。
こうしていると、ただのあどけない少女に見えた。年も、彼ともしかしたら変わらないのかもしれない。
(だとすれば、十六?)
大人びた雰囲気だが、今はそれでもしっくりくる。
「何?」
ついつい見つめてしまっていたのに気づいたようだ。宵花が小首を傾げる。
「いや——」
(さすがに直接年を訊くのはなぁ)
「なんでもないよ」
お茶を濁して話題を変え。
家はもうすぐそこだ。
「ああー!ほんとにおねーちゃんづれでかえってきた!」
彼らをとっくに追い抜いていた噂話は、姪たちにまであらぬことを吹き込んでいたらしい。
最後の坂を登りきるや否や、元気な声を引き連れて姪が玄関から飛び出してきた。
「づれー!」にこにこと弟が姉に追随する。
「おねーちゃんはふぁるーずとここにすむの?」
ずずいと宵花に迫り、姪が嬉々として目下最大の関心事をぶつける。
宵花は持て余すような表情を浮かべたが、子供の不躾な問いかけに嫌がる風ではなく、
「否、わたしには行らなくてはならない事が有るから。此処にずっとは居られないのよ」
「じゃあ、たび⁉
たびするのね!おじいちゃんもね、むかしすごーいぼーけんしたんだって!ねぇ、おはなしきかせて!」
「ぼくもー!」
「二人とも、お話は後」苦笑混じりに、ファルーズはピシャリと遮る。「お姉ちゃんは今着いたばかりで疲れてるから休ませてあげような。
義姉さんは勝手?」
「うん。
わたしがあんないしたげるー」
姪が宵花の手を、甥が袖の端っこをそれぞれ握り、引っ張る。
「ごめん、騒がしくて」
「いえ」やんわりと、宵花。「良い所ね」
つと。
視線は、どこか遠くへ。
それは、その横顔は、どうしてか彼の胸をざわつかせた。
「ああ、いらっしゃい」
炊事場から顔を覗かせた義姉は、あいさつもそこそこに、
「ファールーズ、帰って早々悪いんだけど、ちょっといい?」
「また調子悪いの?」
「ええ。
まったく困っちゃうわね」
「あれ?
兄さんは?」
いつもなら、とっくに畑から帰ってきているべき時間だ。
「今日は会合があるって。きっと遅くなるわね」
なんとも間が悪い。そうでなければもう夕飯が並んでいる頃合いだ。姪たちもさぞお腹を空かせていることだろう。
実際、宵花から少し興味が離れた甥がぐずり始めたのを姪がなだめすかしている。
ファルーズはかまどの前に立つと軽く集中し——
「っつ——
ちち」
暴発しそうになり、慌てて魔法をかき消す。
「ファルーズもダメかぁ」
「ジャバルティーさんのとこから種火を貰ってくるよ。ちょっと待ってて」
言い置いて、ファルーズは外へと駆け出した。
「おや、いらっしゃい。いつものだね」
言わずとも、ジャバルティーには用向きが伝わったようだ。
手際良く火打石で火を起こすと、ランプに移して渡してくれた。
「ありがとうございます。
今日はお客さんも来てるっていうのに、二人いてもこれだから参っちゃいますよ。
便利だった頃が羨ましいです」
「おお、あの別嬪さんか。
わしもそれなりに永くこの世の空気を吸っておるが、遠目に見ても確かに稀に見る美人じゃった。皆が騒ぐのもわかる。
さぞ揉まれたろう」くつくつと軽くのどを鳴らす。
「そうさな。わしが子供の頃は、魔法はもっと自在なものであった。
しかし、便利を知らないお前さんたち若者の方が、かえって不便を感じておらんかもしれん」
「ええ、まあ。物心ついたときからこんなものですし。
いっそスッパリ無いなら無いであてにせずに済むのかもしれないのですが、なかなか……」
よくある事とはいえ、必須というほど頻繁に起こるものでもない。自然、この手の火起こしの道具は貴重品で、常備してある家は稀だった。しかも、見ている分には魔法と同程度に難なく扱えそうなのだが、いざ自分でやってみると、思ったようには上手くいかない。なんやかやで、勢い、ついつい皆この老爺を頼ってしまっていた。
「ほほ、便利とはそういうものじゃて。
ま、わしの張り合いでもあるからの。いつでも頼ってくれい」
挨拶をして辞すと、せっかくの火を消してしまわないように気をつけながら家路を急ぐ。
しかし案に相違して、玄関の戸をくぐるや否や香ばしい匂いが鼻孔をくすぐってきた。
今更ながらに空腹を刺激されながら勝手に向かう。
「なんだ、点けられたのか」
「違うわ。ヨイカさんがやってくれたのよ。しかも勝手ごとの手際もよくって!助かっちゃったわ」
「只で御厄介に成る訳にも行きませんので……」
「その火種は、そうね、そこの火鉢に移しておいてもらえる?
ご苦労様、ファルーズ」
仕上げるばかりだった夕食は間もなく出来あがり、皆で食卓を囲む。
あまり多くを語りたがらないことを察して、義姉も彼も宵花に進んで水を向けるようなことはしなかった。
いつもの通りの他愛のない話を交えながら。
ゆっくりと、団欒の時間は流れていく。
「ああっ!
なにか見覚えがあると思ったら」
だしぬけに姉の声が響いたのは、食事もぼちぼち終わり茶飲み話になってきた、そんな頃合だった。
「ヨイカさん、うちのあの肖像画に似てるんだわ!ほら、ひいおじいさんの!
なんて言ったかしら、レ……」
「レベッカ」
「ああ、
そうそう!」
「えいゆうなの!」「えらいひとー!」
「似てるってことは、血縁なのかしら」
「でも、レベッカは天涯孤独で早死。しかも生涯独身だったって」
「分かんないわよー、そんなの」含みのある笑みを浮かべて、嫂。
「早死ったって亡くなったのは三十代だったんでしょ?」
「三十三、四だったかな」
「じゃあ、ひょっとする事もあるかもしれないじゃない。わたしだってもう、この子達の親よ?」
「えー、なんかイメージじゃないなぁ」
「ふふ、ファルーズはレベッカのファンですものね」からかうような調子で言う。
ファルーズはハッと思い当たり、
「ひょっとして、それで家に?」
「否。其れは関係無いわ。其れに——
わたしはレベッカの子孫なんかじゃ無い」
伏せた眼に濃い影がよぎり。
しかし再び面を上げた時には、それはもう掻き消えていた。
「明日、話せるかしら」
これはつまり、余人に聞かれにくいところで、との意なのだろう。
姪の痛いぐらいに眩しい視線を感じつつちょっと考えて、
「午後一の見回りの後なら比較的人手があるから、時間を取れると思う」
ファルーズは請け合った。
「宵花、ちょっと良い?」
少し早起きしたおかげで、まだ家を出るまでには時間がある。
宵花を誘って、物置部屋へと向かう。
「嗚呼、此れ」
途中。
階段の踊り場に掛けられた肖像画に宵花が目を留めた。
四英雄の一人にして最後の神族、レベッカ・ジュベルト・フォックスと伝わる麗人の横顔。曽祖父が実家から継いだ財産のうち、気に入って手元に残しておいたものの一つだという。
窓からの光の当たり具合が良いと、ここに掛けたのも曽祖父だった。
「そうそう、夕べ話してたやつ。
……本当に、そっくりだ」
見比べてますますその感を強くする。
この二人を並べて親子ないし姉妹と言えば、大抵は納得するだろう。
とはいえ、無論、瓜二つではあるけれども双子のように似ているという程ではない。描かれた年齢の差を差し引いたとしても、この肖像のレベッカは語られるイメージそのままに中性的で凛然とした容姿であるのに対し、目の前にいるこの少女はいかにもたおやかで女性的だ。レベッカはよく男に間違われたというが、仮に宵花が男装をしたとしても勘違いする人はいないだろう。
「血縁じゃ無いのが、信じられ無い?」彼の考えを見透かしたように、宵花。
「でも、違うのよ。
さあ、余り緩しても居られ無いのでしょう?
行きましょう」
ファルーズを促す。
レベッカの事にはなるべく触れたくない様子だった。
(無関係には思えないんだけど)
けれども本人が嫌がるものを無理に持ち出すような趣味はないし、確かにのんびりはできない。
うなずいて、目的の部屋へと案内する。
「昨日の戦いを見てて思ったんだけど、その剣、君に合ってないんじゃないかな。なんか、重さに振り回されてるというか——
ああ、有った!」
見つけたものを差し出す。
「これ、もし良かったら君にあげる。ひいおじいちゃんのなんだけど埃かぶってて誰も使ってないし、兄さんも好きにしろって。リヴァなんとかっていう舌かみそうな由緒曰くのある剣らしいから、きっと役に立つと思うんだ。ずっと手入れしてないから修繕に出さなくちゃだろうけど」
「リヴァテウム」
剣を受け取った宵花は、その鞘を払ってみせた。
動きに合わせ、薄暗い室内の中で燦と華やかに光の軌跡が描かれる。
その様は、えも言われぬほど美しく。
心を動かされずにはいられなかった。
埃だらけの外観に似合わず、その刀身は昨日打ち出したかのように曇りひとつない。綺麗なものだった。それだけで、もうすでに、これが何か特別なものなのだということが示されていた。
宵花が彼を見つめる。
「いや、ごめん。余計なお世話だったかな」
「ううん、良く気付いたなって」ふわりと笑んで、宵花。
「此の剣は貴方が使って。其の為の物なのだから」
意味深な言葉に戸惑いつつ、勧められるままに宵花の剣を受け取る。
この辺りで好んで使われる曲刀だ。見かけよりは軽い印象だが、やはり彼女の細腕には余る重さだったろう。
「あ、そうだ」
兄のお節介を思い出し、もうひとつ、彼女に見せる。
「こんなの要る?」
木箱の蓋を開ける。
中に入っているのは腕輪で、これも曽祖父のものだ。
ほんのりと薄闇を払うそれはリヴァテウムと同じく明らかに普通の品ではないのだが、曽祖母を除けば我が家の女性陣にはことごとく不評だった。いわく、
「結構過ぎてする機会がない」
芸術作品としても十分に鑑賞に堪え得る逸品だと思うのだが、残念なことにそうした趣味を持つ者もおらず。こうしてずっとお蔵扱いされていたのだった。
する機会云々はともかく、確かに宵花であればきっとよく引き立つだろう。
「此れも有ったのね。
うん、有り難く頂くわ」
早速はめると、
『凍燈』
にわかに魔法を唱える。
暗がりを裂いて、まばゆくも冷たい光が現れた。
こんな魔法、見たこともない。
聞いたこともない。
(まるで、神族の魔法みたいじゃないか)
「矢張り、此の為に造られた訳じゃないから完全じゃない。でも、無いよりは安定為る。此れなら使えるかしら」
独りごちる。
「君は——」
何なのか。
この魔法は何なのか。
そして、何のことを言っているのか。
疑問が噴き出す勢いそのままに口をつきかけたその時、彼を呼ぶ義姉の声が聞こえた。「あ!時間……。
じゃあ、また午後」
「うん。有り難う、ファルーズ」
振り切るように頭を振ると、急いで家を出る。ギリギリという程ではないが、すっかり余裕はなくなってしまった。
「あ、ヨヤダさん!」
足早に進む目の端に、ふと人影を捉えて。
呼びかけるも、当人はそそくさと去っていってしまった。
「あれっ。おっかしいなぁ」
聞こえていないはずはないのだが。というより、聞こえていて敢えて、という風に感じられた。
「ヨヤダの奴か?」
「はい。
なんか最近、どうも避けられてる気がするんですよね。僕、何かしたかな」
問おうにも、これでは話にならない。
「気にすんな。あいつがおかしいのはココ最近じゃ珍しくねぇ。
どうしちまったんだろな。ローブの連中にますます傾いちまってるらしいし」
「ローブの連中」とは「フィーヴァシルフェ」という宗教団体を指す俗称のようなものだ。神を崇めるなどもってのほかのことで、そのような団体は速やかに取り締まられて然るべきなのだが、異変に乗じて各地の有力者にも浸透し始めているらしく、積極的な摘発が行われていないのが現状だった。
「困ったな。
話が有るんだけど……」
「なんかとりわけお前さんを避けてるような気もするから、なんなら俺から伝えといてやらぁ。
積立てのことだろ?」
「はい。
じゃあお願いします」
「お安い御用だ。任せときな」
礼をすると、ファルーズは残りの道を駆け出した。
「ごめん、待った?」
「いえ、然うでもないわ。団の人が呼びに来たから何か有ったのかと思った」
「二人で行って来いってさ」
微苦笑して、ファルーズ。
「へぇ、この子がウワサの」後ろから同僚が覗き込む。本来は彼女と回るはずだったのだ。「こりゃカルネも旗色が悪いね」
「何でカルネが出てくるんですかっ」
「なんでって、あの子が差し入れ持って来てるの知らないわけじゃないだろう」僅かばかり眉をひそませる。
「えっ、あれは団のみんなにって……」
「はぁ。
あんたもまだまだ子供だねぇ。
ん?」宵花が伏し目がちになったのに気がつくと、「あらら。あんた結構まんざらでもなかったのかい?そう気に病むこたぁないよ。結局はこいつの気持ち次第なんだからさ」意味ありげに含ませて。軽く宵花の肩を叩き、戻っていく。
「じゃあ、行こうか」
やや、ぎこちなく。
寄ってたかって冷やかしてくるものだから、変に意識してしまった。
詰め所を出て。南に向けて、ゆるやかな坂を登って行く。
ほとんど家に戻るのと同じ道だ。だから務めが終わってから落ち合ってもそう手間になることはないのだが……。
(まったく、みんなして)
刺激の少ない町だ。彼女のことは、いかにも話題にするのにうってつけなのだろうが。
隣を歩く宵花にチラと目をやる。
美しい横顔は凪いで、周囲の思惑などまるで意に介していない風に見える。けれど、内心は迷惑しているのではないか。
(というか、間違いなく迷惑だよなぁ。
さすがに昨日みたいに人だかりになってるわけじゃないから、彼女の望みは叶えられるだろうけど)
東西に長い造りのため、南に進めばあっという間という程ではないが、郊外に抜けるのにそう時間は掛からない。つらつらと彼女の心中を慮っている内には分岐へと辿り着いてしまった。
右手は畑へと続いている。いつもならそのまま行き、畑の境界まで見て回ることになっているのだが、彼女は団員ではないのだ。あまり引き回してしまっては悪い。
宵花を先に帰すために、まずは彼女の話を聞くことにする。
左は登りになっており、いくらかすると突き当たる。その横手に、崖に刻まれた狭くて急な階段があった。自警団が物見に使うことがある場所だ。往来を目的としたものではないから、あまり親切な作りではない。
「道、悪いから気をつけて」
登りきると。
遠く、風に薫りを乗せて。
崖間から望む大地には、育ち盛りの青々とした麦畑が広がっていた。
微かに感じる春の匂いに、思わず目を細める。
「綺麗ね……」
ふわりと。
吹き抜ける風にぬばたまの髪をなびかせて。
「屹度わたしは——
こんな場所を探して居たのね……」
(まただ)
近くにいるのに、遠い。
そのまま、ふっと。
瞬きをしている間に、まるで、夢か幻のように彼女が消えてしまう気がして——
ファルーズは、知らず手を伸ばす。
しかし。その指が届く前に。
宵花はつと、頭飾りを揺らして身を離した。
「百年前の或る事が切っ掛けで、此の世界の魔法の流れに異常を来す様に成った。
貴方も、思い当たる節が有るでしょう?
わたしは、其れを鎮める使命を負って居る」
「ちょっと待って」
語り出しも唐突だったが。その内容もまた、はるかに飛躍したものだった。
吸い込んだ息と共に、取り敢えず出るままに言葉を口にする。
「何で、君なんだ?」
「其れはわたしが最後の神滴だから」
「神滴?」
「何れ知る事に成るわ」つれなく、宵花。
「僕は何の関わりがあるんだ?」
「わたしの使命を果たす為には貴方の力が必要なの。ラーベに見える事が出来るのは、貴方だから」
「ラーベ?」
「フィーヴァシルフェが神と呼ぶ存在よ」
「神?
神族はレベッカを最後に姿を消したはずじゃあ……」
「其れは真実じゃない」
蔽目し、
大きく息を吸う。
彼女が、彼を必要としている理由。
正直、腑に落ちたとは言い難い。
現実感に乏しい話だった。
目の前の少女は理性的に見える。
しかし、なにか思い込みに囚われているだけだと言われれば、そちらの方が実感のある言葉に聞こえるだろう。
(けど)
胸の内に問い掛けてみる。
自分は、この少女を突き放すことができるだろうか、と。
「……分かった。君に協力するよ」
「有り難う。貴方なら然う言って呉れると信じて居たわ」
それは、とても眩しい表情で。
再び、胸の高鳴りを感じる。
ああ……
どうしようもないなと思った。
「では、御家族に許可を取らなくては。
御両親は居ないのよね。後見はお兄さんと言う事で良いのかしら?」
「あと、姉さんかな」
答えながら、プッと吹き出す。
「君も十分律儀だよ」
「あら、家族は大事よ」
訳知り顔で、宵花が言った。
急な話にもかかわらず兄も姉も都合が付き。その日は、久しぶりに嫁いだ姉を交えての夕食となった。
嫁いだといっても、普段町を出ている他の兄姉と違って家から家へと移動しただけだ。顔はしょっちゅう合わせてはいるのだが。それでも、こうして同じ食卓を囲むのは珍しいこととなってしまっていた。
兄一家と、姉。彼と、そして宵花。総勢七人の食事となったが、元より大家族だ。食器にも食卓にも不都合はなかった。
(何だか、懐かしいな。昔に戻ったみたいで)
親族一同会する収穫期の賑わいも楽しいものだが。それとはまた違う、近しい家族の間だけでの趣。そんなものも有るのだと、再び味わってみて、気付く。
心躍る会食が過ぎ。
兄の部屋へと場所を移して。
意を決して、彼は親代りの二人に旅に出る意向を伝えた。
「……どうしてファルーズなのか、訳は話せないのかい?」
瞑目して話を聞いていた兄が、おもむろに口を開く。
「屹度突拍子も無い話で、信じて貰えるか如何か……。
不躾な事とは承知為て居ます。ですが、如何か、お願い致します!」
「……君は、良い子なんだろうと思う。私には分からなくても、きっと何か止むに止まれない事情があるんだろう。
でも、まずは話して欲しい。そうでなければ信じる事もできない」
「分かりました」
応えて、宵花は昼間彼が聞いた事を二人にも伝える。
彼ですら納得しきったとは言えない話を、果たして兄と姉はどう受け止めるか……。
宵花の意志は固い
間違いなく。
そして多分、同じぐらい円満な門出を願っているはずだ。
(だから、もし反対されたら——
その時は僕の出番だ)
準備は整えてある。
彼とて、ケンカ別れのような形になるのは望むところではないが、もう決めた事だ。
固唾を呑んで待つ。
まず口を切った兄の言葉は、
「……これが今生の別れになる、ということはないんだろうね?」
というものだった。
「最後迄辿り着けば、彼の身の安全は保障されるでしょう。道中はわたしが責任を持って守って見せます。ですが、ファルーズは特別です。普通の人より余程滅多な事には成り難いかと」
「……分かった。
アイケンさんには話を通しておこう」
「いえ、兄さんの手を煩わせるわけには」
必ず反対されると予期していたのではないが。
嬉しいやら、意外やらで心中動転しつつ、ファルーズ。
「団長には僕がきちんとお話しします」
「そうよ。過保護は良くないわ。危なっかしいところはあっても、もう子供じゃないんだから」
姉の指摘に、兄は渋い表情をする。
なんでか馬が合わないらしく、兄は団長のことを気に入っていないのだ。自警団に入るのに反対されたのも、少なからずそこが引っ掛かったのではないかと思っている。
「御二人共——」
居住まいを正した宵花の声を掻き消し。
にわかに、外が騒がしくなった。
怒号と
悲鳴……?
慌ただしい足音が駆けてくる。
「ファルーズ、逃げて‼」
息を切らし入ってきたのは、義姉だった。
「どうした⁉何があった!」
「分からない」頭を振り、嫂。「フィーヴァシルフェの連中が、町に……。ファルーズを探してるって。人も、
人も
倒れて……」
青ざめて、小刻みに震える。
(何が……?
どうなって…………)
降って湧いた事態に足をすくませる彼に、姉が檄を飛ばした。
「何してるの!行きなさい‼」
うなずき、宵花を促す。
「ファルーズ!
しっかりその子を守るのよ‼」
その背を追うように、姉の声が届いた。
出立の準備ができていたのは、不幸中の幸いと言うべきか。
用意してあった旅支度をひっつかみ、家の裏手から、表へ。
「居たぞ!
追えー‼」
間もなく、追いすがるように。
チラと視線を向けると、
「フィーヴァシルフェ……!」
なるほど、確かに。
義姉の言うように、紛れもなくローブの連中だった。狙われる心当たりは全くないのだが。
ふと。
このところ様子がおかしかったヨヤダの事が脳裏を過る。
(もしかして、監視されていた……のか?)
身内を疑うようで余り気分の良いものではないが。そう考えれば、腑に落ちる点が幾つもあった。
(けど今は、とにかく町を抜けないと)
彼らの目的は何で、この襲撃はどこまで計画されたものだったのか。
気にはなるが、そんな事は後回しだ。
路地に身を潜め、一息つく。
「大丈夫?」
「ええ。
此の程度、軽い運動だわ」
それは強がりから出た言葉ではなさそうだった。さすがに息は上がっているが、辛そうにはしていない。
狂乱から、少し身を置いてみれば。
ヨヤダが関わっているにせよいないにせよ、襲ってきている連中は余所者で、数もそこまで多くはなさそうだった。
あちこちで自警団の皆が応戦してくれているし、町の人も彼らの味方だ。そして、地の利もこちらにある。
程なく、追っ手は脱落し。
そのまま、外れへ。
「——!
町が……!」
マガディを見下ろす崖の上。
市街から、火の手が上がっていた。
細く、高く。ゆらゆらと黒い煙が揺れて——
奥歯を噛みしめる。
「あいつら……。
何かあったらただじゃ済まさない。
——!
宵花⁉」
そっと。
宵花がファルーズの手を取り。
包み込む。
「こんな言葉、今の貴方の心には届かないかも知れないけれど……
気持ちは分かるわ。
痛い程に。
でも、どうか、今はわたしと共に来て欲しい」
「泣いてるの?」
「嗚呼、違うの。此れは——」
両の目から溢れたものを拭う宵花の手を握り返し。
ファルーズは告げる。
「分かってるさ。僕一人が戻ったところで、出来る事なんて限られてる。
いや……
あいつらの狙いが本当に僕だけなら、かえって事態が悪化すらしかねない。
だから、行くよ。今は、前へ」
振り切るように。
ファルーズはその先へと歩み始めた。
ファルーズは目を細めて空を見上げた。
雲間から、光が差していた。その光の強さに、ああ、もう春が近いのだなと確認する。もう三ヶ月もすれば、収穫の時期を迎える。また、忙しい季節が巡ってくる。
「ファルーズ、ちょっと良いか」
見回りの準備をしていた彼に、団長が声を掛けてきた。
「ヨアハズのかみさんが産気づいたらしくってな。急に来られなくなっちまったんだ。他の連中はもう出ちまってるし、俺はここに残らなきゃならない。この時間ならそう危険なことはないはずだが、一人で大丈夫か?」
「そうなんですか!とうとうなんですね」顔をほころばせる。「見回りなら大丈夫です。行ってみます」
「もし——」
「無理なことがあったらすぐに戻ってきます。大丈夫ですよ」
「そうか……。悪いな。
町の外は次の連中に任せりゃイイから、ほどほどのところで引き返して来い。いいな」
「はい、分かってます。では、行ってきます」
訓練場にもなっている中庭を抜け、表に出る。
この町は麓にあるキラトーの領有、もっと言えばダカンジ共和国領ということになるのだが、そのことを普段意識する者はほとんどいない。食べていくには困らない土地だが、便利で豊かとは言い難いだろうし、これといった経済的な価値があるわけでもない。そのため、向こうの方でも普段は念頭にないのだろう。それでも何年かに一度、思い出したように徴税吏が訪れるが、それだけだ。基本的にはこの町の自治で完結しているし、広めに見積もっても、近隣の似たような境遇の町と緩やかに繋がった一種の共同体で事足りる。そんな土地だった。
そのため自立の気風も強く、自警団の志望者もそれなりに居るのだが、いかんせん小さな町だ。そう人員に余裕があるわけでもなく、兼業の者も多い。こういったことは珍しいことではなかった。
「おう、ファルーズ。見回りご苦労さん。一人なのか?」
「はい。ヨアハズさんと組んでいたのですが——」
「ああ、生まれそうなんだってな!めでてぇ、めでてぇ。
どうだい、ファルーズ。お前さんも、もうそういう年だろ。まぁ、まだあせって身を固めるこたぁねえが、そろそろ彼女の一人でも作ったらどうだい」
「いや、まだ僕は……」あいまいな笑みを浮かべる。
「そんなこと言ってると、気づいた頃には相手がいなくなっちまうぞ。
うちの娘なんかどうだい」
「もう、なに言ってるのっ!お父さん」話を聞きつけたカルネが家の中から顔を出し、やや頬を赤らめながら抗議する。「あんまり引き止めてると日が暮れてしまうでしょ。
ファルーズも、いつまでも付き合ってないの!一人ならなおさら、さっさと行ってらっしゃいな」
つっけんどんに手を振るカルネに手を振り返して。ファルーズは場を離れる。
自警団といっても、その本来の仕事をする割合はそう高いものではない。このごろ多少頻度が増えたとはいえ、そう頻繁に魔物や危険な動物は出るものではないし、ならず者はもっと稀だ。ざっくりと、力仕事や雑用を頼まれることの方が多い。そのため、もとより町全体が顔見知りみたいな雰囲気があるが、この仕事をしているとなおさら顔が広くなりやすかった。さっきの話ではないが、縁談話の類も舞い込みやすい。
(そのうち僕も、そんな流れになるのかな)
その相手が、カルネではないとしても。
この町は好きだ。
この町に生まれ、この町でこのまま生涯を終える。
そんな生き方で良い。
それは、偽らざる本心ではあるのだが。
(でも、おじいちゃんの話に憧れ、胸躍らせた自分も、まだどこかに残ってる)
「おじいちゃん」と言っても、正確には彼の祖父ではなく曽祖父にあたる。そして、曽祖父はこの町の出身ではない。元は流れ者だったのだという。
曽祖父が語る、自身の、あるいは、ファルーズから見て高祖母にあたる人の冒険譚。
これが大変面白く、彼はその話が大好きだった。
もっとも、折に触れて語られるそれを熱心に聞いていたのは彼も含めた子供達ぐらいなもので、家族や大人はもちろん、長ずるにつれて、今や大抵が真に受けてはいないのだが。
西の門を出て、渓谷沿いを進む。もう夜が近いからか、通る人はまばらだった。
門衛についている同僚も特に気になる事はないと言っていたし、問題はないように思われた。
ちりり、と。
それは、唐突に。
鈴の音が、そのような音が、聞こえた気がした。
周囲に人気はない。
(なんだろう……)
自分でも、よく分からない。
ただ、なんとなく気を引かれて。
道をそれる。
ほどなくして、血の臭いが漂ってきた。
それ以上に、争いの音が。
(これは——)
魔物や動物同士のそれではない!
助けを呼んでいては、間に合わないかもしれない。
急く気持ちをこらえて、なるべく気配を殺し、原因の方へと歩を早める。
岩陰の、向こう。
少し、開けたところで。
ひらひらと。
見慣れない装束の袖が、
艶やかな長い黒髪が、
ひるがえっていた。
舞っているのは、少女だ。
いや。
正確には、魔狼の群れと戦っているのだが。
けれど、その洗練された動きはいっそ流麗で、まるで踊っているかのような優雅さを感じさせた。
少女の頭飾りの鈴が、獰猛な唸り声の合奏を縫い、舞を引き立てる拍子のように、控えめに、清らかに、響く。
ファルーズは状況も忘れて、その非現実的な光景に心を奪われた。
だが。
不意に。
舞が、乱れた。
(いけない!)
我に返り、小袋に火をつけて放つ。
「口を押さえて!」
刺激臭を纏った煙が一面に広がった。
たまらず、魔狼は一目散に退散していく。これでしばらくは寄ってこないだろう。
「大丈夫ですか?」
咳き込み、涙ぐみながら少女に近寄る。
「上手くは行かない物ね」
息をついて、そう、独りごちると。
少女が振り返った。
「ええ、御陰様で」
間近で見るとますます、少女の見目は比類がなかった。
一体どうして、これが実在だと信じられるだろう?
形の良い眉
僅かに陰を落とす、長い睫毛
その奥から覗く、深い色を湛えた神秘的な黒い瞳
鮮やかな朱唇——……
白い容には、それらが一分の狂いもなく配されていた。
胸の鼓動が激しく高鳴る。
なにか話していないとおかしくなってしまいそうで、とにかくファルーズは口を開いた。
「この時期は連中活発化してて、この道は危ないんですよ。無事で良かった」
「道に迷って仕舞って。此処の辺りは馴染みが無いし、結構、複雑なのね」
ここは街道が使えなくなった時の予備の道のひとつだ。大事なものだが、予備であるにはそれなりの理由があることが多く、普段は使うべき道ではない。地元の者には周知のことで問題はないのだが、それとわかる標識があるわけでもなく、しかも入り組んだ地形だ。こうして時折、旅人が迷い込むことがあった。
「そうですね。慣れていないと迷いやすいと思います。
……一人なのですか?」
「旅を為るのは、初めてじゃないから。でも、過信だった様ね」
一息つくと、にわかに。
ひたと、少女が彼を見据えてきた。
ぎこちなく視線をそらす彼に、少女が静かに告げる。
「貴方を、探して居たの」
「ファルーズ‼
無事だったか!」
魔狼除けに使ったあの煙は、当然、門衛が目撃していたはずだ。
町に近づくと、団長達が血相を変えて走ってきた。
「……生き残ったのは、嬢ちゃんだけか」少女の方に目をやり。
「いえ、彼女は一人でここまで来たんだそうです」
「何だって⁉」
眉を跳ね上げ、少女を打ち眺める。
無理もない。
彼女は到底、まともな旅装には見えないからだ。しかも体つきだって、下手をすればこの町の娘より華奢なぐらいだ。指先も細くしなやかで、とても剣を握る手には見えない。しかし一方で、彼女が纏う雰囲気ゆえだろうか。この形で戦うということに不思議と違和感がないような気もした。
「信じがたいでしょうが、僕はこの目で見ました。彼女、かなりの使い手ですよ」
「はぁーっ、人は見かけによらんものだねぇ」半信半疑といった体で、団長。
「嬢ちゃんは、この町に?」
「ええ。人を探して」
「じゃあ泊まる当てはあんのかい」
「いえ」ちらと彼の方を見、「出来れば、宿では無く彼の家に行きたいのだけれど……
可能かしら」
「えっ、
うん。
うちには十分空きがあるけど……」
不意をついた申し出に、戸惑う。
もちろん彼女の顔をいくら眺めたところで、その真意が読み取れるものではないのだが……。
(僕を、探していたと言っていた)
聞き間違いでないのなら。
しかし、ひとたび会ったなら絶対に忘れようもないこの少女と過去に見えた記憶はなく。
わざわざ危険をおして訪ねてもらうような大層な身分でもない。
少女は、何か勘違いをしているのか?
だとしたら気の毒なことだが……。
そんな彼の思惑を他所に、いつの間にやら集まってきていた物見高い野次馬が口笛吹いて、隅に置けないのなんのとはやす。
赤面しつつ、
「団長!
報告書は——」
「おう、今日はもう上がんな。お疲れさん」人の悪い笑みを浮かべ、付け足す。
「せっかくお誘いがあったんだ。待たせるようなマネさせんのは忍びないからな」
ファルーズは恨めしいような視線を向けると、
「行こう。
安心して。うちには兄さん一家も居るから」
少女を促す。
少女はくすりと笑み、
「ええ、勿論。わたしも然ういう積りで言ったのでは無いわ」
少女のことは、たちまち町中のうわさになったようだ。
皆んならしいといえば皆んならしいとはいえ、行く先々の人だかりに多少とも辟易しつつの、帰路。
「そういえば、名前、まだ聞いてなかったね」
「わたしは宵花」
「ヨイ……カ?」装束同様、名前も、耳馴染みのない響きだった。
うまく聞き取れたか自信が持てず、その音を実際に舌に乗せてみて目顔で確認する。
「然うね……」
そんな彼へ、宵花はしばしの思案の後、
「サマラーザって言うと分かり易いかしら。呼び辛いなら、然う呼んで呉れても構わないわ」と付け足す。
その言葉が意味するのは、この辺りの方言で、「宵の花」。
驚きつつ、しかし、ファルーズはきっぱりと首を振った。
「いや、いいよ。だってそれは、君の名前じゃないから」
「律儀な人」
少し声を立てて笑い、宵花。
こうしていると、ただのあどけない少女に見えた。年も、彼ともしかしたら変わらないのかもしれない。
(だとすれば、十六?)
大人びた雰囲気だが、今はそれでもしっくりくる。
「何?」
ついつい見つめてしまっていたのに気づいたようだ。宵花が小首を傾げる。
「いや——」
(さすがに直接年を訊くのはなぁ)
「なんでもないよ」
お茶を濁して話題を変え。
家はもうすぐそこだ。
「ああー!ほんとにおねーちゃんづれでかえってきた!」
彼らをとっくに追い抜いていた噂話は、姪たちにまであらぬことを吹き込んでいたらしい。
最後の坂を登りきるや否や、元気な声を引き連れて姪が玄関から飛び出してきた。
「づれー!」にこにこと弟が姉に追随する。
「おねーちゃんはふぁるーずとここにすむの?」
ずずいと宵花に迫り、姪が嬉々として目下最大の関心事をぶつける。
宵花は持て余すような表情を浮かべたが、子供の不躾な問いかけに嫌がる風ではなく、
「否、わたしには行らなくてはならない事が有るから。此処にずっとは居られないのよ」
「じゃあ、たび⁉
たびするのね!おじいちゃんもね、むかしすごーいぼーけんしたんだって!ねぇ、おはなしきかせて!」
「ぼくもー!」
「二人とも、お話は後」苦笑混じりに、ファルーズはピシャリと遮る。「お姉ちゃんは今着いたばかりで疲れてるから休ませてあげような。
義姉さんは勝手?」
「うん。
わたしがあんないしたげるー」
姪が宵花の手を、甥が袖の端っこをそれぞれ握り、引っ張る。
「ごめん、騒がしくて」
「いえ」やんわりと、宵花。「良い所ね」
つと。
視線は、どこか遠くへ。
それは、その横顔は、どうしてか彼の胸をざわつかせた。
「ああ、いらっしゃい」
炊事場から顔を覗かせた義姉は、あいさつもそこそこに、
「ファールーズ、帰って早々悪いんだけど、ちょっといい?」
「また調子悪いの?」
「ええ。
まったく困っちゃうわね」
「あれ?
兄さんは?」
いつもなら、とっくに畑から帰ってきているべき時間だ。
「今日は会合があるって。きっと遅くなるわね」
なんとも間が悪い。そうでなければもう夕飯が並んでいる頃合いだ。姪たちもさぞお腹を空かせていることだろう。
実際、宵花から少し興味が離れた甥がぐずり始めたのを姪がなだめすかしている。
ファルーズはかまどの前に立つと軽く集中し——
「っつ——
ちち」
暴発しそうになり、慌てて魔法をかき消す。
「ファルーズもダメかぁ」
「ジャバルティーさんのとこから種火を貰ってくるよ。ちょっと待ってて」
言い置いて、ファルーズは外へと駆け出した。
「おや、いらっしゃい。いつものだね」
言わずとも、ジャバルティーには用向きが伝わったようだ。
手際良く火打石で火を起こすと、ランプに移して渡してくれた。
「ありがとうございます。
今日はお客さんも来てるっていうのに、二人いてもこれだから参っちゃいますよ。
便利だった頃が羨ましいです」
「おお、あの別嬪さんか。
わしもそれなりに永くこの世の空気を吸っておるが、遠目に見ても確かに稀に見る美人じゃった。皆が騒ぐのもわかる。
さぞ揉まれたろう」くつくつと軽くのどを鳴らす。
「そうさな。わしが子供の頃は、魔法はもっと自在なものであった。
しかし、便利を知らないお前さんたち若者の方が、かえって不便を感じておらんかもしれん」
「ええ、まあ。物心ついたときからこんなものですし。
いっそスッパリ無いなら無いであてにせずに済むのかもしれないのですが、なかなか……」
よくある事とはいえ、必須というほど頻繁に起こるものでもない。自然、この手の火起こしの道具は貴重品で、常備してある家は稀だった。しかも、見ている分には魔法と同程度に難なく扱えそうなのだが、いざ自分でやってみると、思ったようには上手くいかない。なんやかやで、勢い、ついつい皆この老爺を頼ってしまっていた。
「ほほ、便利とはそういうものじゃて。
ま、わしの張り合いでもあるからの。いつでも頼ってくれい」
挨拶をして辞すと、せっかくの火を消してしまわないように気をつけながら家路を急ぐ。
しかし案に相違して、玄関の戸をくぐるや否や香ばしい匂いが鼻孔をくすぐってきた。
今更ながらに空腹を刺激されながら勝手に向かう。
「なんだ、点けられたのか」
「違うわ。ヨイカさんがやってくれたのよ。しかも勝手ごとの手際もよくって!助かっちゃったわ」
「只で御厄介に成る訳にも行きませんので……」
「その火種は、そうね、そこの火鉢に移しておいてもらえる?
ご苦労様、ファルーズ」
仕上げるばかりだった夕食は間もなく出来あがり、皆で食卓を囲む。
あまり多くを語りたがらないことを察して、義姉も彼も宵花に進んで水を向けるようなことはしなかった。
いつもの通りの他愛のない話を交えながら。
ゆっくりと、団欒の時間は流れていく。
「ああっ!
なにか見覚えがあると思ったら」
だしぬけに姉の声が響いたのは、食事もぼちぼち終わり茶飲み話になってきた、そんな頃合だった。
「ヨイカさん、うちのあの肖像画に似てるんだわ!ほら、ひいおじいさんの!
なんて言ったかしら、レ……」
「レベッカ」
「ああ、
そうそう!」
「えいゆうなの!」「えらいひとー!」
「似てるってことは、血縁なのかしら」
「でも、レベッカは天涯孤独で早死。しかも生涯独身だったって」
「分かんないわよー、そんなの」含みのある笑みを浮かべて、嫂。
「早死ったって亡くなったのは三十代だったんでしょ?」
「三十三、四だったかな」
「じゃあ、ひょっとする事もあるかもしれないじゃない。わたしだってもう、この子達の親よ?」
「えー、なんかイメージじゃないなぁ」
「ふふ、ファルーズはレベッカのファンですものね」からかうような調子で言う。
ファルーズはハッと思い当たり、
「ひょっとして、それで家に?」
「否。其れは関係無いわ。其れに——
わたしはレベッカの子孫なんかじゃ無い」
伏せた眼に濃い影がよぎり。
しかし再び面を上げた時には、それはもう掻き消えていた。
「明日、話せるかしら」
これはつまり、余人に聞かれにくいところで、との意なのだろう。
姪の痛いぐらいに眩しい視線を感じつつちょっと考えて、
「午後一の見回りの後なら比較的人手があるから、時間を取れると思う」
ファルーズは請け合った。
「宵花、ちょっと良い?」
少し早起きしたおかげで、まだ家を出るまでには時間がある。
宵花を誘って、物置部屋へと向かう。
「嗚呼、此れ」
途中。
階段の踊り場に掛けられた肖像画に宵花が目を留めた。
四英雄の一人にして最後の神族、レベッカ・ジュベルト・フォックスと伝わる麗人の横顔。曽祖父が実家から継いだ財産のうち、気に入って手元に残しておいたものの一つだという。
窓からの光の当たり具合が良いと、ここに掛けたのも曽祖父だった。
「そうそう、夕べ話してたやつ。
……本当に、そっくりだ」
見比べてますますその感を強くする。
この二人を並べて親子ないし姉妹と言えば、大抵は納得するだろう。
とはいえ、無論、瓜二つではあるけれども双子のように似ているという程ではない。描かれた年齢の差を差し引いたとしても、この肖像のレベッカは語られるイメージそのままに中性的で凛然とした容姿であるのに対し、目の前にいるこの少女はいかにもたおやかで女性的だ。レベッカはよく男に間違われたというが、仮に宵花が男装をしたとしても勘違いする人はいないだろう。
「血縁じゃ無いのが、信じられ無い?」彼の考えを見透かしたように、宵花。
「でも、違うのよ。
さあ、余り緩しても居られ無いのでしょう?
行きましょう」
ファルーズを促す。
レベッカの事にはなるべく触れたくない様子だった。
(無関係には思えないんだけど)
けれども本人が嫌がるものを無理に持ち出すような趣味はないし、確かにのんびりはできない。
うなずいて、目的の部屋へと案内する。
「昨日の戦いを見てて思ったんだけど、その剣、君に合ってないんじゃないかな。なんか、重さに振り回されてるというか——
ああ、有った!」
見つけたものを差し出す。
「これ、もし良かったら君にあげる。ひいおじいちゃんのなんだけど埃かぶってて誰も使ってないし、兄さんも好きにしろって。リヴァなんとかっていう舌かみそうな由緒曰くのある剣らしいから、きっと役に立つと思うんだ。ずっと手入れしてないから修繕に出さなくちゃだろうけど」
「リヴァテウム」
剣を受け取った宵花は、その鞘を払ってみせた。
動きに合わせ、薄暗い室内の中で燦と華やかに光の軌跡が描かれる。
その様は、えも言われぬほど美しく。
心を動かされずにはいられなかった。
埃だらけの外観に似合わず、その刀身は昨日打ち出したかのように曇りひとつない。綺麗なものだった。それだけで、もうすでに、これが何か特別なものなのだということが示されていた。
宵花が彼を見つめる。
「いや、ごめん。余計なお世話だったかな」
「ううん、良く気付いたなって」ふわりと笑んで、宵花。
「此の剣は貴方が使って。其の為の物なのだから」
意味深な言葉に戸惑いつつ、勧められるままに宵花の剣を受け取る。
この辺りで好んで使われる曲刀だ。見かけよりは軽い印象だが、やはり彼女の細腕には余る重さだったろう。
「あ、そうだ」
兄のお節介を思い出し、もうひとつ、彼女に見せる。
「こんなの要る?」
木箱の蓋を開ける。
中に入っているのは腕輪で、これも曽祖父のものだ。
ほんのりと薄闇を払うそれはリヴァテウムと同じく明らかに普通の品ではないのだが、曽祖母を除けば我が家の女性陣にはことごとく不評だった。いわく、
「結構過ぎてする機会がない」
芸術作品としても十分に鑑賞に堪え得る逸品だと思うのだが、残念なことにそうした趣味を持つ者もおらず。こうしてずっとお蔵扱いされていたのだった。
する機会云々はともかく、確かに宵花であればきっとよく引き立つだろう。
「此れも有ったのね。
うん、有り難く頂くわ」
早速はめると、
『凍燈』
にわかに魔法を唱える。
暗がりを裂いて、まばゆくも冷たい光が現れた。
こんな魔法、見たこともない。
聞いたこともない。
(まるで、神族の魔法みたいじゃないか)
「矢張り、此の為に造られた訳じゃないから完全じゃない。でも、無いよりは安定為る。此れなら使えるかしら」
独りごちる。
「君は——」
何なのか。
この魔法は何なのか。
そして、何のことを言っているのか。
疑問が噴き出す勢いそのままに口をつきかけたその時、彼を呼ぶ義姉の声が聞こえた。「あ!時間……。
じゃあ、また午後」
「うん。有り難う、ファルーズ」
振り切るように頭を振ると、急いで家を出る。ギリギリという程ではないが、すっかり余裕はなくなってしまった。
「あ、ヨヤダさん!」
足早に進む目の端に、ふと人影を捉えて。
呼びかけるも、当人はそそくさと去っていってしまった。
「あれっ。おっかしいなぁ」
聞こえていないはずはないのだが。というより、聞こえていて敢えて、という風に感じられた。
「ヨヤダの奴か?」
「はい。
なんか最近、どうも避けられてる気がするんですよね。僕、何かしたかな」
問おうにも、これでは話にならない。
「気にすんな。あいつがおかしいのはココ最近じゃ珍しくねぇ。
どうしちまったんだろな。ローブの連中にますます傾いちまってるらしいし」
「ローブの連中」とは「フィーヴァシルフェ」という宗教団体を指す俗称のようなものだ。神を崇めるなどもってのほかのことで、そのような団体は速やかに取り締まられて然るべきなのだが、異変に乗じて各地の有力者にも浸透し始めているらしく、積極的な摘発が行われていないのが現状だった。
「困ったな。
話が有るんだけど……」
「なんかとりわけお前さんを避けてるような気もするから、なんなら俺から伝えといてやらぁ。
積立てのことだろ?」
「はい。
じゃあお願いします」
「お安い御用だ。任せときな」
礼をすると、ファルーズは残りの道を駆け出した。
「ごめん、待った?」
「いえ、然うでもないわ。団の人が呼びに来たから何か有ったのかと思った」
「二人で行って来いってさ」
微苦笑して、ファルーズ。
「へぇ、この子がウワサの」後ろから同僚が覗き込む。本来は彼女と回るはずだったのだ。「こりゃカルネも旗色が悪いね」
「何でカルネが出てくるんですかっ」
「なんでって、あの子が差し入れ持って来てるの知らないわけじゃないだろう」僅かばかり眉をひそませる。
「えっ、あれは団のみんなにって……」
「はぁ。
あんたもまだまだ子供だねぇ。
ん?」宵花が伏し目がちになったのに気がつくと、「あらら。あんた結構まんざらでもなかったのかい?そう気に病むこたぁないよ。結局はこいつの気持ち次第なんだからさ」意味ありげに含ませて。軽く宵花の肩を叩き、戻っていく。
「じゃあ、行こうか」
やや、ぎこちなく。
寄ってたかって冷やかしてくるものだから、変に意識してしまった。
詰め所を出て。南に向けて、ゆるやかな坂を登って行く。
ほとんど家に戻るのと同じ道だ。だから務めが終わってから落ち合ってもそう手間になることはないのだが……。
(まったく、みんなして)
刺激の少ない町だ。彼女のことは、いかにも話題にするのにうってつけなのだろうが。
隣を歩く宵花にチラと目をやる。
美しい横顔は凪いで、周囲の思惑などまるで意に介していない風に見える。けれど、内心は迷惑しているのではないか。
(というか、間違いなく迷惑だよなぁ。
さすがに昨日みたいに人だかりになってるわけじゃないから、彼女の望みは叶えられるだろうけど)
東西に長い造りのため、南に進めばあっという間という程ではないが、郊外に抜けるのにそう時間は掛からない。つらつらと彼女の心中を慮っている内には分岐へと辿り着いてしまった。
右手は畑へと続いている。いつもならそのまま行き、畑の境界まで見て回ることになっているのだが、彼女は団員ではないのだ。あまり引き回してしまっては悪い。
宵花を先に帰すために、まずは彼女の話を聞くことにする。
左は登りになっており、いくらかすると突き当たる。その横手に、崖に刻まれた狭くて急な階段があった。自警団が物見に使うことがある場所だ。往来を目的としたものではないから、あまり親切な作りではない。
「道、悪いから気をつけて」
登りきると。
遠く、風に薫りを乗せて。
崖間から望む大地には、育ち盛りの青々とした麦畑が広がっていた。
微かに感じる春の匂いに、思わず目を細める。
「綺麗ね……」
ふわりと。
吹き抜ける風にぬばたまの髪をなびかせて。
「屹度わたしは——
こんな場所を探して居たのね……」
(まただ)
近くにいるのに、遠い。
そのまま、ふっと。
瞬きをしている間に、まるで、夢か幻のように彼女が消えてしまう気がして——
ファルーズは、知らず手を伸ばす。
しかし。その指が届く前に。
宵花はつと、頭飾りを揺らして身を離した。
「百年前の或る事が切っ掛けで、此の世界の魔法の流れに異常を来す様に成った。
貴方も、思い当たる節が有るでしょう?
わたしは、其れを鎮める使命を負って居る」
「ちょっと待って」
語り出しも唐突だったが。その内容もまた、はるかに飛躍したものだった。
吸い込んだ息と共に、取り敢えず出るままに言葉を口にする。
「何で、君なんだ?」
「其れはわたしが最後の神滴だから」
「神滴?」
「何れ知る事に成るわ」つれなく、宵花。
「僕は何の関わりがあるんだ?」
「わたしの使命を果たす為には貴方の力が必要なの。ラーベに見える事が出来るのは、貴方だから」
「ラーベ?」
「フィーヴァシルフェが神と呼ぶ存在よ」
「神?
神族はレベッカを最後に姿を消したはずじゃあ……」
「其れは真実じゃない」
蔽目し、
大きく息を吸う。
彼女が、彼を必要としている理由。
正直、腑に落ちたとは言い難い。
現実感に乏しい話だった。
目の前の少女は理性的に見える。
しかし、なにか思い込みに囚われているだけだと言われれば、そちらの方が実感のある言葉に聞こえるだろう。
(けど)
胸の内に問い掛けてみる。
自分は、この少女を突き放すことができるだろうか、と。
「……分かった。君に協力するよ」
「有り難う。貴方なら然う言って呉れると信じて居たわ」
それは、とても眩しい表情で。
再び、胸の高鳴りを感じる。
ああ……
どうしようもないなと思った。
「では、御家族に許可を取らなくては。
御両親は居ないのよね。後見はお兄さんと言う事で良いのかしら?」
「あと、姉さんかな」
答えながら、プッと吹き出す。
「君も十分律儀だよ」
「あら、家族は大事よ」
訳知り顔で、宵花が言った。
急な話にもかかわらず兄も姉も都合が付き。その日は、久しぶりに嫁いだ姉を交えての夕食となった。
嫁いだといっても、普段町を出ている他の兄姉と違って家から家へと移動しただけだ。顔はしょっちゅう合わせてはいるのだが。それでも、こうして同じ食卓を囲むのは珍しいこととなってしまっていた。
兄一家と、姉。彼と、そして宵花。総勢七人の食事となったが、元より大家族だ。食器にも食卓にも不都合はなかった。
(何だか、懐かしいな。昔に戻ったみたいで)
親族一同会する収穫期の賑わいも楽しいものだが。それとはまた違う、近しい家族の間だけでの趣。そんなものも有るのだと、再び味わってみて、気付く。
心躍る会食が過ぎ。
兄の部屋へと場所を移して。
意を決して、彼は親代りの二人に旅に出る意向を伝えた。
「……どうしてファルーズなのか、訳は話せないのかい?」
瞑目して話を聞いていた兄が、おもむろに口を開く。
「屹度突拍子も無い話で、信じて貰えるか如何か……。
不躾な事とは承知為て居ます。ですが、如何か、お願い致します!」
「……君は、良い子なんだろうと思う。私には分からなくても、きっと何か止むに止まれない事情があるんだろう。
でも、まずは話して欲しい。そうでなければ信じる事もできない」
「分かりました」
応えて、宵花は昼間彼が聞いた事を二人にも伝える。
彼ですら納得しきったとは言えない話を、果たして兄と姉はどう受け止めるか……。
宵花の意志は固い
間違いなく。
そして多分、同じぐらい円満な門出を願っているはずだ。
(だから、もし反対されたら——
その時は僕の出番だ)
準備は整えてある。
彼とて、ケンカ別れのような形になるのは望むところではないが、もう決めた事だ。
固唾を呑んで待つ。
まず口を切った兄の言葉は、
「……これが今生の別れになる、ということはないんだろうね?」
というものだった。
「最後迄辿り着けば、彼の身の安全は保障されるでしょう。道中はわたしが責任を持って守って見せます。ですが、ファルーズは特別です。普通の人より余程滅多な事には成り難いかと」
「……分かった。
アイケンさんには話を通しておこう」
「いえ、兄さんの手を煩わせるわけには」
必ず反対されると予期していたのではないが。
嬉しいやら、意外やらで心中動転しつつ、ファルーズ。
「団長には僕がきちんとお話しします」
「そうよ。過保護は良くないわ。危なっかしいところはあっても、もう子供じゃないんだから」
姉の指摘に、兄は渋い表情をする。
なんでか馬が合わないらしく、兄は団長のことを気に入っていないのだ。自警団に入るのに反対されたのも、少なからずそこが引っ掛かったのではないかと思っている。
「御二人共——」
居住まいを正した宵花の声を掻き消し。
にわかに、外が騒がしくなった。
怒号と
悲鳴……?
慌ただしい足音が駆けてくる。
「ファルーズ、逃げて‼」
息を切らし入ってきたのは、義姉だった。
「どうした⁉何があった!」
「分からない」頭を振り、嫂。「フィーヴァシルフェの連中が、町に……。ファルーズを探してるって。人も、
人も
倒れて……」
青ざめて、小刻みに震える。
(何が……?
どうなって…………)
降って湧いた事態に足をすくませる彼に、姉が檄を飛ばした。
「何してるの!行きなさい‼」
うなずき、宵花を促す。
「ファルーズ!
しっかりその子を守るのよ‼」
その背を追うように、姉の声が届いた。
出立の準備ができていたのは、不幸中の幸いと言うべきか。
用意してあった旅支度をひっつかみ、家の裏手から、表へ。
「居たぞ!
追えー‼」
間もなく、追いすがるように。
チラと視線を向けると、
「フィーヴァシルフェ……!」
なるほど、確かに。
義姉の言うように、紛れもなくローブの連中だった。狙われる心当たりは全くないのだが。
ふと。
このところ様子がおかしかったヨヤダの事が脳裏を過る。
(もしかして、監視されていた……のか?)
身内を疑うようで余り気分の良いものではないが。そう考えれば、腑に落ちる点が幾つもあった。
(けど今は、とにかく町を抜けないと)
彼らの目的は何で、この襲撃はどこまで計画されたものだったのか。
気にはなるが、そんな事は後回しだ。
路地に身を潜め、一息つく。
「大丈夫?」
「ええ。
此の程度、軽い運動だわ」
それは強がりから出た言葉ではなさそうだった。さすがに息は上がっているが、辛そうにはしていない。
狂乱から、少し身を置いてみれば。
ヨヤダが関わっているにせよいないにせよ、襲ってきている連中は余所者で、数もそこまで多くはなさそうだった。
あちこちで自警団の皆が応戦してくれているし、町の人も彼らの味方だ。そして、地の利もこちらにある。
程なく、追っ手は脱落し。
そのまま、外れへ。
「——!
町が……!」
マガディを見下ろす崖の上。
市街から、火の手が上がっていた。
細く、高く。ゆらゆらと黒い煙が揺れて——
奥歯を噛みしめる。
「あいつら……。
何かあったらただじゃ済まさない。
——!
宵花⁉」
そっと。
宵花がファルーズの手を取り。
包み込む。
「こんな言葉、今の貴方の心には届かないかも知れないけれど……
気持ちは分かるわ。
痛い程に。
でも、どうか、今はわたしと共に来て欲しい」
「泣いてるの?」
「嗚呼、違うの。此れは——」
両の目から溢れたものを拭う宵花の手を握り返し。
ファルーズは告げる。
「分かってるさ。僕一人が戻ったところで、出来る事なんて限られてる。
いや……
あいつらの狙いが本当に僕だけなら、かえって事態が悪化すらしかねない。
だから、行くよ。今は、前へ」
振り切るように。
ファルーズはその先へと歩み始めた。
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