夢幻の終焉

入江瑞溥

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罪科の現出

昏き濁流

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 甲板かんぱんに上がった途端の出来事だった。
 黒い物体が宙を飛んで船外に落ち、盛大な水柱を形成する。
 顔は見えずとも、分かる。
 レベッカだ。
 船員が何ごとかを叫びわしているものの、救助するにしても時間がかかりそうだった。ただでさえ、現在は冬。一刻の猶予ゆうよもならない。
 クロリスは舷側げんそくを足場に、海へと跳躍する。
水床すいしょう
 六じょうほどの大きさの、水の足場が形成される。
 水の床はたわみ、彼を柔らかく受け止めた。
『流動を天へとほうたまえ。思い描かるるままに、我がもとへ』
 ややあってれの姿が水面に浮かび、彼の方へと流れてきた。
 わきに手を差し入れ、ぐったりとした体を苦労して引き寄せる。
 血のが引き、くちびるも紫に変色しているが息はある。間に合ったようだ。
 ほっとして、暖気の魔法をかけてやる。
 ひと息ついたところに、ホースケが袋をぶら下げて飛んできた。礼を言って受け取ったクロリスは、違和感に眉をひそめる。
 開いてみると、案のじょう彼のものではなかった。
「うんうん、分かっているとも」
 彼らを見捨てて遠ざかっていく船を見やりながら、
「僕達の間にはぐくまれた、固く深ーいきずなの力があれば、どんな重労働も難なく乗り越えられるものね。だからえて、僕の荷物を後に回したんだろう?」
 とびきりの笑みで、下僕げぼくに迫る。
 それでもホースケが抗議の意を表明すると、
「そっか~。まあ、僕としても大変な仕事を無理いするつもりはないよ。ところで」指先に炎をぶ。「君、最近太ってきたんじゃないかなぁ。ここは賢明なる飼いぬしつとめとして、少々の運動をさせなくちゃあねぇ」
 哀れなるしもべは身体を細くさせたかと思うや、かつてない素早さで飛び立っていった。

                  §§§

 暗いとも、明るいとも、そもそも寒暖の区別すらつかぬ。
 その空間を、ただ、ただよう。
 体全体が、異様に重い。まるで、我が身が金属にでもなったかのようだ。
 指先一本、眉一すじさえ動かすのも億劫おっくうで。何かの物になってしまったかのように、自ら動くことを放棄していた。
 
 いや。
 
 きっと、疲れてしまったのだ。
 #逃__のが__れえぬとがの責め苦を受け続けるのも。
 彼女を殺そうとする「声」にあらがい続けるのも。
 
 もう、いい。

 抵抗をやめてしまえば、楽になれる。苦しまずに済む。
 
 レベッカは、静かにまぶたを閉じる。限界が、もうすぐそこまで迫っていることを感じながら。


 まず視界に闖入ちんにゅうしたのは彼女をみ込んでいく水ではなく、木の天井だった。
 ぼんやりと定まらぬ頭を振りつつ、身を起こす。
 掛け布団ぶとんけて初めて、自分が見知らぬ服をまとっていることに気付く。いや、これは下着か。
 と。
 閉ざされた戸の向こう側に、人の気配が出現した。
 反射的に伸ばした手の先には、もちろん剣はなく。
 身構みがまえていると、緩やかに波打つ豊かな黒髪を従えた女性が戸口の隙間から顔をのぞかせた。まだ若い。
「よかった。気がつかれたのですね」にっこりと笑み、背後を向く。「あなた、ベレスフォードさんにしらせてさしあげて」
 それから視線を再び彼女に戻すと、
「ちょっと、待ってて下さいね」
 再度現れたとき、その両手にはおぼんがあった。
「なにぶん冬場なものですから、こんなものしか用意できませんが」
 かたパン二切れが載った皿とスープと水をサイドテーブルに並べていく。
 女性の勧めに従って食べ物に手をつける前に、レベッカはここがどこなのかを確認する。
「ここはセルフェツリ。サザイライ=ロヴァールの北方にある村です。あなたは昨日、主人とおれの方に運び込まれてきたんですよ」
うでしたか。御迷惑を御掛けて仕舞って済みません」
「いいえ。当然のことをしただけですから」女性が柔らかな笑みをたたえる。「さ、どうぞ。冷めないうちに」
 レベッカは笑み返して、パンをつかむ。
 手の届くところまで辿り着いたのに、魔法書まほうしょもエリスの行方ゆくえにつながる糸口も失ってしまった。
 あの時剣を振り下ろせていれば、少なくとも魔法書は取り戻せたのに……。
 行き場のない苛立いらだちといきどおりが、込み上げる。
 
 気付いては、いた。
 最近、人を殺せなくなっていることに。

 道義的には正しくても、命の奪い合いにおいては、致命的な欠点だ。とりわけ、実力が伯仲はくちゅうしている場合において、それは命取りになりかねない――
今回のように。
 けれどそれでも、たとえ、自分を殺すことになろうとも、立ち止まるわけにはいかないのだ。マリーとの約束を果たすためにも。妹を救う道を、閉ざしてしまわないためにも。


 素性すじょう不明の二人に対して、ルビアン夫妻は本当によくしてくれた。
 食事と宿だけではない。簡単にこれまでの経緯を話して聞かせたところ、地図と防寒具、衣服まで提供してくれた。というのも、内陸を支配しているクシャヴァフル皇国おうこくは、異邦人いほうじんに対して良い感情を持っていないらしいのだ。もし万一皇国に向かう際に少しでも目を引かなくて済むように、との心遣いだった。
 翌朝、二人は夫妻のたぐいない厚意こういに改めて厚い謝辞を述べ、セルフェツリを後にした。

 
 監視に付けていたホースケからの報告で、くだんの男は補給港では降りなかったことが分かった。つまり、当面の指針としては最終到達港であるキリュドルールを目指すことになる。
 レベッカたちがキリュドルールに入ったのは、それから半月はんつき以上のち。日没のことだった。
 順調に航海したのならば、男は十日前にはここに着いているはずだ。一刻も早く足取りを追いたいのだが、今日のところはいさぎよく諦めるしかないだろう。
 大通りをれて、適当に見つくろった宿に入る。
 防寒具と荷を置くと、レベッカは一階へと降りた。
 時間帯ゆえか、食堂は混んでいた。
 喧噪けんそうと雑多な匂いの間をかいくぐり、かろうじていていた奥の壁際の席に腰掛ける。机が傾いているが、食事に支障をきたすほどではない。この際、目をつぶるべきだろう。
「あの、同席してもよろしいでしょうか?」 
 ためらいがちなテノールが降ってきたのは、主菜の揚げ魚に切れ込みを入れ始めたときのことだった。
 この混雑だ。彼もまた、あぶれてしまったのだろう。特に断る理由もない。
 相手は謝して椅子いすを引くと、
貴女あなたは……」
 驚きの響きを漏らした。
「良かった。ご無事だったのですね」
 ナイフを休めて顔を上げると、安堵あんどの笑みが飛び込んできた。
 古都で道を教えてくれた、レジナルドであった。
「ずっと心配していたんですよ。奇遇ですね、こんな形で再会するなんて」料理を注文すると、同席者はにこやかに話題を続行する。「そういえば、まだお名前をうかがっていませんでしたね。これも何かの縁です。差しつかえなければ、教えていただけますか?」
 給仕きゅうじわんを下げてもらってから、名乗る。
皇国おうこくのご出身だったのですね。あちらの出で立ちをなさっていたので、分かりませんでした」
 レベッカの服に視線をめて、述べる。
いや御前おまえは皇国の出なのか?」
 レジナルドもまた、彼女と同じ――男性用であるため、いくぶん地味なものの――詰めえりを身にまとっていた。
「いいえ、生まれは違います。最近、こちらに越して来たのですよ」
 ふと思い立って、駄目元で例の男についていてみる。
 レジナルドは淡碧たんぺきの瞳をしばしさ迷わせると、似たような特徴を持つ人物に皇国首都への行き方を尋ねられたと語った。十日ほど前――船が着いただろう頃とも一致する。よもや、こんなに簡単に有力な情報が得られようとは。この人物とは、よくよく縁があるようだ。
「ご迷惑でなければ」涼やかに申し出る。「わたしがみやこへの道案内をいたしますが」
「良いのか?」相手の真意を測る。「れに見合うだけ金品きんぴんを払えるかは、分から無いぞ」
「報酬が欲しいわけではないのです」目元をなごませる。「帰るついでですから」
うか……」
 彼の穏やかなおもてからは、何もむことができない。本人の申告通り、ただの善意なのか。
「では、頼む」
 やんわりと差し出された手を、彼女は握った。


 出掛けようとしていた相棒をつかまえて簡単な説明を済ませ、明朝改めて案内人を紹介する。
 彼は腕組みをして、品定めするようにレジナルドを上から下まで眺めた。気にわないようだ。
「よろしくお願いします、ベレスフォードさん。ご高名こうめいはかねてより存じております。こうしてご一緒する機会に預かることができて、光栄です」
 かけられた賛辞に対しても、
「それは、どうも」
 と表情一つ変えずに応じただけだった。


 正規の道では追い付くのは難しいだろうからと、レジナルドは早々に街道を外れた経路へと彼女たちを案内した。
 あぜ道を通り、しんのみが立ち並ぶ寂しい森をくこと数日。木々が途切れたその先には、湿地がはるかに広がっていた。対岸は、ようやく視認される程度だ。凍り、草のむくろを封じたそれは、より一層の沈黙のこだまを投げかけていた。
 この日はかたわらで野営やえいをし、攻略に乗り出したのは明くる日。
 代わりえのしない景色。
 しょうじては、溶けていく息遣い。
 油断ゆだんなく踏まれる一歩。
 狂気の冷気の内で、意識だけがぎ澄まされ、やがてはそれすら摩耗まもうする。
 こんなことを、幾度いくたびも繰り返す。
 ようやく大地にまみえることができたのは、太陽が二度没してしばらくのことであった。


 それから日をること、一週間と少し。
 三人と一羽はワヤコスクという村に至った。この村を越えればミロウンは目と鼻の先だと、レジナルドがげた。
 どうも変わった風習があるらしい。宿泊可能な場所はないかと尋ねたところ、まずは占いしゃてもらうようにと言われた。
 話は伝わっていたようで、教えられた場所へおもむくと事情を説明するまでもなく、すんなりと招き入れられた。
 応対した女性によると、村外の者は皆ちょっとした検査を受けることになっているのだという。
 最初にクロリスが衝立ついたての奥へと消える。レベッカとホースケ、レジナルドは、玄関においてある椅子いすに座るように勧められた。
 この殺風景さっぷうけいな部屋の中にあって、シャンデリア状になっている提灯ちょうちんが一番華やかだった。各提灯から垂れ下がった赤いふさ飾りが、いろどりを添えている。
 外からは、用水路を流れる水音。
 飾り格子ごうしの窓の外に目を向ければ、枝垂しだれたえだ丁度ちょうど、細い下弦かげん三日月みかづきが掛かっていた。この分だと、明日にでも新月になるに違いない。
 まもなく、相棒と入れ違いに彼女が呼ばれた。
 通されたのは、開き戸の先の広い部屋。隙間なく壁にかけられた薬草やくそうの芳香と、四すみかれたこうの匂いが混じりあって、むせるような香気こうきに包まれていた。気を抜くと、ぼんやりとしてしまいそうだ。
 石板せきばんや効果の怪しい道具が散見さんけんされることから、占い者と言うよりは呪師じゅし兼医師といった役どころのように思える。相棒の様子からそう危険なことはないだろうが、それでも心すべきだろう。
 老爺ろうやの対面に座し、促されるままに机上に腕を乗せる。篭手こて越しでもかまわないらしい。老人はそのまま彼女の両手を握った。
 しばしして。
 老爺の身体からだが、不意に震える。
 瞠目どうもくし、サッと左手に視線を走らせる。
 衝立の向こうの気配が、慌てた様子で遠ざかっていった。
「安心せよ。おぬし滅多めったにない素晴らしい気の持ち主だから、歓迎の準備をさせるのだよ」
 胡乱うろんなものを感じて眉をひそめる彼女に、取りつくろうように声がかけられる。
れは喜ばしいな」
 愁眉しゅうびを開き、レベッカは納得したふりをよそおった。


 彼女たちは占い者宅のはす向かい、用水路を挟んだ先にある村長の家へと案内された。
 表面上は、占い者の言葉通り、至極しごく歓待かんたいされた。けれども、どうにも落ち着かない。引っかかるのだ。どこということもなく。
 レベッカは念のため、体調不良を訴えてうたげを辞した。心配した村長夫人が用意してくれたせんじ薬も、飲む振りをして捨てる。
 思い過ごしであれば良いのだが……。


 殺戮さつりくかねが鳴ったのは、深夜を少し回った頃合い。
 
 向けられる、殺意さついやいば
 迎えとうとしてつかに掛けた手が、痙攣けいれんする。

 強烈きょうれつ嘔吐おうと感。
 目眩めまい
 
 ――戦いたくない

 いや。

 ――戦わなければ
 
 忘れてしまいたい――……

              消し去らなければ‼
 
 レベッカの内側で、何かが崩れた。

                  §§§

 夜を裂く悲鳴。
 泣き声。
 怒号どごう
 金属同士がぶつかる音が、その渦中かちゅうにあって異彩を放つ。
 これだけの騒ぎにもかかわらず、隣の寝台で寝ているレジナルドはぴくりとも動かない。
 目がめていないわけはない。様子うかがい、といったところか。
 長靴ちょうかきにかかっていると、ホースケがつま先にとまった。彼を見上げてくる。
 ぼんやりと、意思が伝わってきた。
 この騒動の根幹こんかんは、やはりレベッカのようだ。
 われるままに、慎重に気配を探り、窓を開ける。
 僅かな隙間から、鳥が飛び立っていく。閉める間際まぎわ、母子の死体が視界をかすめた。
 あやうい均衡きんこうたもっていたれの精神が、ついこぼたれたという事なのだろう。
 研究対象の状態が修復可能かどうか。それはもちろん大事なことなのだが、まずは確認しておきたいことがあった。
 隣室、村長夫婦の寝室の戸はよく閉まっておらず、さわっただけで開いた。
 途端とたん、濃くなる血臭けっしゅうに思わず鼻をつまむ。
 踏み込んだ先には、恐怖をきざみ込んだ仮面かめんが転がっていた。夫人のものだ。窓が開け放たれているから、レベッカはここから外に出て行ったらしい。危ないところだった。
 気配を殺して一歩、二歩。
 闇をかす。
 村長の姿は、見当たらない。
 血まりもそうだが、それよりも他のものを踏んでしまわないように祈りつつ、引き返す。
 どうやら無事に戻れたクロリスは、村長を求めて手近な戸をくぐる。もっとも、この状況では殺されてしまっている可能性も十分じゅうぶんだが。
 月の光のさない、濃密な闇の中。手探りしつつ、壁伝いに歩を進める。
 反対側から出ようとして、ふと、ある一点に視線が吸い寄せられた。
 絨毯じゅうたんがほんの少し、めくれ上がっている。
 ここには死体が転がっていない。争いがあった形跡とは考えづらかった。
 絨毯をけてみる。
 一見いっけん、どこも変わった点はなさそうだ。が、よくよく調べてみると、巧妙に隠された取っ手とおぼしきくぼみを発見できた。
 二か所ある取っ手に手を掛け、力を入れる。
 あらわれたのは、黒に塗りつぶされた空間と梯子はしご
 数段下って元通りにふたを閉め、代わりに明かりをともす。
 梯子の終着点にあったのは、連絡通路と察せられる細長い廊下。その末には、数段の高みを間に挟んで、仰々ぎょうぎょうしい紋様もんようで飾られた扉が控えていた。
 この紋様は、いわゆる邪を封じるときに補助もしくは媒体ばいたいとして使われるものの内でも、とりわけ難儀な代物しろものを相手にする際のものだ。現在では見かけることすらまれな、かなり古式の魔法。しかも、一部間違えていて本来の役目を果たしていない。
 
 面白おもしろい。
 
 クロリスの表情が輝く。
 胸をおどらせながら踏み込んだ扉の向こう側には、空漠くうばくとした広間。それから、村長。
 両脇りょうわきは棚が占拠していて、くもったガラスびん陳列ちんれつされていた。村長がけたのだろう提灯ちょうちんは、その中のものまで明るみにしていた――すなわち、けられた人間の頭部を。
「リンレンか?」
 身体からだを震わせて、村長が素早く振り向く。が、そこにいるのが招かれざる客であると見て取るや、彼は必死に尊大な態度をつくろおうとした。目にはおびえが走り、声もおののきを隠せてはいなかったが。
「ふん、魔に魅入みいられた哀れなとりこめが。このわしの命を奪いにきたか」
 ジリジリと後退する。
 隙をついて、背後の扉へと一息に駆け込むつもりなのだろう。
「君の命になんて、興味はないよ」鼻から短い息をく。「僕は話を聞きに来たんだ」
 意外だったのだろう。村長が眉をひそめる。
「僕の連れを殺そうとしたね?ここはこうやって余所者よそものと見れば誰彼かまわず襲う、盗賊とうぞくまがいの村なのかい?」
「馬鹿な‼」青筋あおすじを立てて、村長。「我々は魔を滅せよとの光神こうしんのご下命かめいを、いにしえより忠実に履行しているだけだ!魔でなければ手を下さない。その証拠に、とりあえずは貴様らの命を奪おうとはしなかっただろう」
「ふうん」
 光神、という言葉でようやく合点がてんがいった。ついでに、漬けられた頭部のことも。つまりは、古のリネスとダルクトの確執が、形を変えて現在まで引き継がれてきたということか。
(確か、リネスはあみの目のように市中に協力者を置いていたらしいし)
「じゃあ彼女が来ることは、事前に分かってたんだ?」
「魔かどうかは、占いしゃが見分ける。それまでは、分からぬ」
 これで、確信できた。この件は魔法書を奪った連中とは、全くの無関係だということが。
(まあ、こうなることを予見よけんして誘導はされたのかもしれないけど)
 もうここには用はない。
 クロリスはくびすを返した。

                  §§§

 身をさいなむ幻影から逃れたくて。ただひたすらに、ただ闇雲やみくもに。剣を、魔法ちからを振るった。
 どんなに村を血で染めあげても。
 どんなに多くの命を奪っても。
 過去は、苦しみは、彼女を捕える手を緩めようとはしなかった。
 
 ふいに。
 
 鼻先を、何かがかすめていった。
 見やる。
 若い男女だ。彼女とほぼ同い年くらいの。
 
 足は、自然と彼らを追って動きだしていた。
 
 見覚えがある。よく知っている。
 
 懐かしさと胸苦しさが、込み上げてくる。
 こぼれ落ちた涙が、血にまみれた顔をはらい清めていった。
 
 村外れで、彼らは立ち止まった。
 距離を置いて、レベッカも足を止める。
 恐る恐る、一歩を踏み出す。
 二人が振り返る。
 その表情は、かなしみではなく。まして、憎しみなどではなく。優しかった。
 ……優しかったのだ。
 伸べられた手を取ろうとして――消し去りたい現実が重なった。
 
 再び目を開けることはなかった、彼。
 眠るようにった、彼女。
 
 音を立てて、世界が割れた。
 
                  §§§

 ホースケが彼を導いた先は、村外れの岩陰。
 どうしたことか。れはそこで倒れていた。
「ずっと不思議に思っていたのですが」
 レジナルドが沈黙を破る。
 彼としては、どさくさにまぎれて別れてしまいたかったのだが、レベッカを発見していくらも経たないうちに合流してきたのだ。本当に、危ないところだった。
貴方あなたはどうして、リルガースを離れないのですか?魔法の研究をなさるのでしたら、もっと環境の良い所が有りますよね。国に対する忠義のため、というわけではない様ですし」
 視線を上げると、発言者のそれとぶつかった。
「進むことが、怖いのですか?」
 心の底をえぐり、見かすような、澄んだ薄碧うすあおの瞳。偽りや誤魔化しなど、たやすく看破かんぱされてしまうに違いない。それに、自分の感情から目をそむけるのは、屈辱的なことだった。
 本を閉じ、軽く息をつく。
「僕は、自分の能力に疑問を感じている。これが、本当に外で通じる程度なのか。だから、確信が持てるまで――」
 言いかけて、眉根を寄せる。これは、心のうちを正しく言い表してはいない。
「……いや、違うな。やっぱり、怖いんだ。限界を知ってしまう事が」
「では、魅力的な素材を提供できる者がいて、今の貴方の力を十分じゅうぶんに評価し、必要としていたら、どうです?共に手をたずさえてみようとは、思われませんか」
 柔和にゅうわ物腰ものごしで、彼に向けて腕を差し伸べる。
生憎あいにくと、僕が進みたい道は一つなんだ」
 微笑する。
「そうですか……」あくまでなごやかさを崩さぬままに、レジナルド。「残念です」

                  §§§

 飛び起きる。何か、ひどく悪い夢を見ていたようだった。
 覚醒かくせいするやいなや、あごとのどの痛みが克明こくめいに意識された。というのも、きわめて原始的なやり方で魔法が封じられていたからだ。体の自由は奪われていないが、結界が張られているので、拘束こうそくされているも同然だった。
 ……無理もない。昨晩、彼女がしでかしたことをかんがみれば。
「やあ、お目覚めかい?」相棒が顔を覗き込んでくる。「……気は、確かなようだね」
 結界が解かれ、さるぐつわがはずされる。
 差し出された水筒に、口をつける。久方ひさかたぶりの潤いに、少し、むせた。
「……済まない。席を外させてれ無いか?」
 言い置いて、ほど近いところにある断崖だんがいへと。歩を、進める。 
 返された剣を、さやから抜く。どうしてか、いつもより重く感じられた。
 アンドヴァリの刀身とうしんは、昨夜の出来事をそのままに写し取っていた。服も、篭手こても、ごわついた髪も、異物感を訴える顔も……。
 
 ――むしばまれていく。
 
 戦う意志のある者だけではない。き動かされるままに、無抵抗の者たちまで手に掛けてしまった。
 
 ――背負い切れない、罪。
 
 身震いが、走った。
 剣を地に突き立て、すがる。
 脂汗あぶらあせが、き出す。
 
 ――あらがわなければ…………抗わなければ。力の限り。
 
 闇の中に、一人。
 真っ暗で、何も見えなかった。
 

 ミロウンは朝霧あさぎりに、もやっていた。普通より高密度のようであるのは、背後の湿地しっちの影響だろう。湿地と山と二つの川に挟まれたこの地は、きっと堅固けんごな守りのとりでに違いない。
 三人は毛皮の帽子をしまい、今は代わりに頭巾ずきんを被るようになっていた。春が深まり、最近はだいぶ過ごしやすくなってきたからだ。
 市門しもんに到着した。レジナルドが二人に別れをげる。レベッカは謝辞を述べ、旅の無事を祈る。一方クロリスはというと、結局最後まで、まともに言葉をわすことはなかった。
 煉瓦れんがきずかれた厚い市壁しへきを越えると、皇宮おうきゅうへと真っ直ぐに伸びる大道だいどう。郊外にはテントが多かったのだが、門の内側は一転、漆喰しっくいで固められた建物が目立つ。黒いかわら、こげ茶の木材と相まって、街の景観は落ち着いた雰囲気だ。けれども、静かなのは外身だけ。夜が明けてまだそれほど経ってはいないというのに、すごい雑踏だった。呼び込みの声もにぎやかで、声を張らなければ会話困難なほどだ。
 頼れる相棒によると、魔法書まほうしょがこの街にあるのは間違いないらしい。ただ、例によって明確な場所は特定できないので、すぐにどうこうできるものでもない。とりあえずは、拠点を確保しなければ。
 レベッカは勧められた宿を探して、通りの数を数える。この街は碁盤目状ごばんめじょうに整備されており、地図を描くよりもこちらの方が早いからと、レジナルドが教えてくれたのだった。
 角を曲がろうとしたところで、彼女は素早く壁に身を寄せた。相棒の肩をつかんで引き戻す。
 いぶかしげにしたのは、一瞬。クロリスはすぐに理由を察したようだった。
 
 この魔力。間違いない。
 
 人波を隔てた先には、探し求めていた男がいた。


 暗褐色あんかっしょくの髪の男を見たのは、一瞬。すぐに姿を見失ってしまったのだが、幸いにして彼女が魔力を探知できる範囲にいてくれていたお陰で、辿ることはできた。
 気配はやがて、狭い路地へとレベッカたちを導いた。ここの界隈かいわいは、いわゆる貧民街のようだ。建物だけではない。空気そのものが、さびれた感じをかもしだしている気がする。
 
 それにしても、静かすぎはしないか。
 
 ホースケが警告を発するように、短く、鋭く鳴く。しかし、気付いたときには、もう遅かった。
 前方の曲がり角から、多数の人影が飛び出してくる。背後からも、複数の足音。
 同色で統一された服装。そして、身のこなし――正規の軍人に違いない。
 クロリスの招いたいかずちが兵士たちを打つ。
 が、
「なっ!」絶句ぜっくする。「効かないだって⁉」
 兵が彼女らのぐるりを取り囲んだ。
 背後は壁。逃げ場はない。
 短槍がうなりをあげ――
 炎熱えんねつが、はしった。クロリスだ。
 本能的に、兵たちが顔を覆う。
 相棒が彼女の肩を強く引く。
 引っ張られるれるままに後退すること、数歩。目の前に、突然壁が現れた。いや、それは正確な表現ではない。壁のように見えた隠し戸を通って、建物の中に入ったのだ。
「こちらへ」
 この屋の者と思しき、ひどくやつれた中年女性が促す。
 勝手口から外に出て、共同井戸いどに掛けられていた縄梯子なわばしごを降りる。井戸の底からは、通路が伸びていた。

 
 レベッカの感覚が正しければ、現在地は湿原近く。街は抜けたと思われる。その推測を裏付けるように、少し前から井戸いどはパタリとなくなっていた。
 長い階段を登りきると、くたびれた戸に行き着いた。ずいぶん放置されているのか、木製のそれは朽ちて隙間から外光がいこうが射している。
何故なぜ、わたし達を助けたのですか?」
 外に出て。立ち去ろうとしていた女性の背中に、彼女は問い掛けた。
「兵たちが突然人払ひとばらいを始めて……それが、その雰囲気が、似ているような気がしたんです」
 女が応じるまでには、いくらかの時を要した。
「夫と……娘が捕らえられた時と。生きていれば、あなたと同じくらいかしら」哀しい笑みをたたえて、レベッカを見つめる。「夫も娘も、理不尽に捕らわれ殺されました。あなた達がそうなのか、そうでないのか、わたしには分かりません。でも、力になれて、良かった……」
 遠ざかっていく女の後ろ姿を、見るともなしに見やりながら、
「で、これからどうするつもり?」
 相棒の言葉に、レベッカは考え込む。
 魔法書まほうしょに掛けられている魔法は、微量すぎる。感知できる範囲は、そう広くはない。軍と敵対してしまった以上、街に入ったところで、こちらが相手を発見するよりもあちらがこちらを追いつめる方が早いだろう。しかも、信じられないことに、ここの軍は魔法を無効化するすべを持っているのだ。彼女たちが成功するためのハードルは、かなり高い。
「難しいな。良い知恵は有るか?」
「取りえず、場所を移そうか。ここも安全じゃあ――」
 主人の言葉を、ホースケが遮る。
 翼で一点を示した。
 まさか。
 淡い期待をいだいて、意識を凝らす。
のかい?」
 うなずく。
 ホースケをねぎらうと、二人は静かに、そして、すみやかに気配との距離を詰めていった。
 周囲の色彩はに染まり、正面の空は、はやあいへと変遷へんせんしている。そのせいか、もやが立ちこめてきた。
 いや――。
 発されようとしていた警句は、役目を果たすことはできなかった。
 もの凄い勢いで濃密なきりが彼らにぶつかり、取り巻く。むせそうになりながら、霧を追って飛来ひらいした手裏剣しゅりけんを何とかはじく。続く攻撃は、クロリスの炎にまれて消えた。
 同じだ。足下はおろか、手元すらとらえられない。加えて、フロースヴェルグにあったものよりも格段に強力な魔力まりょくびている。一刻も早く、けりをつけなければ。
 レベッカは襲撃に備えつつ、細心さいしんの注意をもって一歩を踏み出す。
 矢先。
 相棒の苦しげなあえぎが聞こえてきた。
 状況は、確認せずとも予測ができた。なぜなら、急速に弱まりつつある相棒の気がそれを物語っているからだ。相違そうい点は、苦しみが伴っているということ。
 
 早く、早く。
 
 やらなければ……
 やらなければ……
 
 頭が、割れるようだった。
 剣を持つ手が、いや、全身が小刻みに震える。
 うなりにも似た叫びを引きれ、疾駆しっくする。
 頭巾ずきんが、はためく。
 今や彼女の瞳には、標的の姿がはっきりとえていた。
 尋常じんじょうならざるものを感じ取ったのか、男が逃走に転ずる。
 しかしその行く手は、漆黒しっこくの炎の壁によって遮られた。
 苦し紛れに手裏剣を放つも、それはただ、彼女に浅い傷をきざむのみ。
 アンドヴァリが、深々とどうつらぬく。そのまま、した敵にとどめを刺そうとしたつるぎは、しかし、頂点で動きを停止した。代わりに、荒々しく足場の木の板に突き立てられる。それを支えに、レベッカはへたり込んだ。
 霧のせいだけではない。この短い間にぐっしょりと濡れたおもてから、汗がしたたった。
「妹は……エリスは、何処どこだ」
 まるで、致命傷をったのは彼女の方であるかのような、えの、かすれた声だった。
 聞こえていたのか、いないのか。
 男はチラと彼女の後方に目をやると、そのまま息を引き取った。急所は外したつもりだったが、やはり、おさえがかなかったらしい。ワヤコスクでのことを考えれば、呑まれなかっただけマシというものだが……。
 
 ……視界が、かすむ…………――――
 
 なけなしの力を振り絞った抵抗もむなしく、レベッカの意識は薄れていった。
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