黎明の残滓

入江瑞溥

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——世界は、滅んでしまった。

















「クソッ!出せ‼出しやがれこの野郎っ‼」
 地下牢にがなり立てる声がこだまする。もちろん、わめいたところで遠ざかってゆく牢番達ろうばんたちの火は止まる素振りすら見せるはずもなく。彼らの気配がなくなると、ろうには暗闇同然の闇が立ち籠めた。
腹いせに蹴りつけた格子こうしの残響が、鈍く響き渡る。
「しくっちまったなぁ、ああっ」
 苛立いらだたしく腰を下ろして、牢内を観察する。彼の他にも何人か居るようなのだが、このちょっとしたいざこざに関心を示した様子はない。まるで通夜のような静けさだった。馴れっこになってしまっている——というよりは衰弱している感じだ。早い所ここからおさらばする算段を立てなければ、彼の未来も明るいとは言えそうになかった。
「やあ、久しぶりに随分ずいぶんきのいい新入りが入ったもんだ」
 と、まだ他人に興味を示せる程度には元気な者も残っていたらしい。しわがれた声はまるで年寄りのようだが、実のところどうなのかは暗がりでよく見えなかった。
「なあに、案ずることはない。運が良ければ出られるし、出られなければだんだん諦めがつくってもんさ。ほうれ、こんな風に」
 しわがれ声の気配を追って闇を透かし見ると、ずいぶん窮屈そうな姿勢で固まってしまっている同輩に辿り着いた。まるで、むくろ同然——いや、最早どんぴしゃりなのか。
「悪いがジイさん、俺にはまだやることがあるんでね。出られる方に賭けさせてもらうぜ」
「そうかいそうかい」
 空気が漏れるような音を立てて、しわがれ声が笑った。
(さあて、どうすっかなぁ)
 方法はないわけではない。が。
(出来るモンなら使わずに何とか——
ん?)

 空気が、動いた。

 詰所に続く戸がひらいたらしい。
(メシ……
って訳じゃあなさそうだ)
 錠と鍵がこすれ合う音がして、どこかの牢がく。
「さあ、出た出た——って元気ないわねぇあんたら。
とにかく!出るのよっ」
(女?)
それも、まだ若い。
(誰かの仲間という風でもなし)
 闖入者ちんにゅうしゃは手当たり次第に囚人を逃がして回っているようだった。
そしてついに、彼の居る牢まで来る。
 十代半ばの風貌を持つ女を観察しつつ出る気のある者を見送って、彼は最後に戸をくぐる。
その手首を、女がつかんだ。
「さあ、こっちよ」
 グイと引っ張られる。
(……)
 身に覚えのないお誘いは断る主義だ。
が、彼は状況に任せることにした。
「おっと、これは返してもらうぜ。なけなしの財産なんでな」
 詰所の机上に無造作に置かれていた彼の持ち物を、通り抜けざまに確保する。
そこを抜けると、案の定、いくらも行かない所で囚人達と番兵が押し合っていた。二人はその混乱の渦中に進んで身を投じると、隙を縫って抜け出す。
女は近くの物置部屋に彼を導いた。
「どうすんだ?隠れたところで長くは保たねぇぞ」
 戸口で気配を探りながら、女に問う。いかにも勢いだけで行動しそうな小娘然としているが、どうやってかあの地下牢まで潜入してきたのだ。帰りの目論見もあるのかもしれない。
 女は部屋の中央あたりにしゃがみ込むと、ほこりだか絨毯じゅうたんだか区別がつかなくなった敷物を持ち上げた。
「閉まってなくて良かったわ。こっちからの開け方、知らないもの」
 そこには、下へと続く暗い穴が口を開けて待っていた。彼が入るには厳しい狭さだが、なんとか体をねじ込んで降りてゆく。
「話が早い人で助かったわ」
 しばし無言で行路を進んで。
ここは広間になっているようだった。女の持つ提灯ちょうちんの頼りない明かりは、圧迫するように左右から迫る壁を照らすことはなく、先のない暗闇に吸い込まれている。わずかながら、空気の流れもあった。
「ここまで来ればもう大丈夫でしょ。あなたの疑問に答えてあげる。あたしは——」
「のんびり話している場合じゃないようだぜ」
 女の言をさえぎり、くうにらむ。
遥か上方、よく見ると天井にポツンと闇の切れ間があった。そこから、白いものが舞い降りてきていた。雪に見えるが、ただの雪ではない。
これは——。
かい……せつ……」
 目を見開き、女が後退あとじさる。
「ロクでもない事ってのは、次から次へと押し掛けて来やがるもんだなっ!」
 不意に、周囲を取り巻く空間が揺らめいた。
 女を引きずるようにして飛び退く。
 刹那せつなまで彼らが居た床は、大きくえぐられていた。
やく……」
「囲まれてるっ⁉……ひょっとしなくても絶体絶命ってヤツじゃない、これ!」
「いや、むしろ良かったんじゃないか。疫病と違って対処のしようもあるってなもんだろ」
「対処って——」
れ』
 背後に迫っていた敵に向けて放られた札は、彼のめいによって剣へと姿を変え、貫く。闇そのものがカタチを得たかに見える異形の怪物は、断末魔の叫びのような微かな空気の震えと共に消え失せた。
霊言符れいげんふ!あんた、見かけによらず結構なもん持ってんのね」
 かつて世の全てを統べていた尊君とうとぎみの力の一端を用いることができる、霊言符。これのみが、現状、この化け物に対抗しうるほぼ唯一の手段だった。
「悪いが、自分の身はなるべく自分で守ってくれ——
よ‼」
 敵の攻撃を構えた剣でいなしつつ、
(あと五体、か。俺一人なら何とかなるが……
かばいながらってなると、ちいとばかり重いな)
 苦境を認めていた矢先。
「きゃっ」
 早速、足を取られた女が盛大に尻餅をついた。
その拍子に手から離れた提灯が高々と放られる。
(!
あれは——)
 押し包む闇に辛うじて抗していたが消え、とばりが完全に降りた。
 剣で受けた怪物のあぎとを押し返しざまに二体目を葬ると、彼は女の腕をつかんだ。
 見当で、強引に駆け抜ける。
そして振り向きざま、剣を天井のヒビめがけて思い切り投げつけた。
 周囲を圧する轟音ごうおんと地響きを立てて、がれきが落下する。
「これで時間稼ぎになるだろ」
「もつと思う?あいつらが自然に消えるまで」
「どうだかな。ま、早くこの場を離れるに越したことはねぇな。明かりもなくなっちまったし。あいつらそんなに執念深くねぇから、距離さえ取れればなんとかなるだろ」
 足早に残りの道程を突破して、外へと出る。
「ぷは~。
あ~何だか外の空気を吸うのがとっても久しぶりに感じるわ!」
人心地ついたように、女が大きく伸びをする。
「助けるつもりが、助けられちゃったわね。ありがと——
そういえば、名前、まだ聞いてなかったわね」
「俺は」
 振り返る。
明ける空の強い光が、彼の背を照らした。
「トゥフォンだ」
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