1 / 13
1
しおりを挟む——世界は、滅んでしまった。
「クソッ!出せ‼出しやがれこの野郎っ‼」
地下牢にがなり立てる声が谺する。もちろん、喚いたところで遠ざかってゆく牢番達の火は止まる素振りすら見せるはずもなく。彼らの気配がなくなると、牢には暗闇同然の闇が立ち籠めた。
腹いせに蹴りつけた格子の残響が、鈍く響き渡る。
「しくっちまったなぁ、ああっ」
苛立たしく腰を下ろして、牢内を観察する。彼の他にも何人か居るようなのだが、このちょっとしたいざこざに関心を示した様子はない。まるで通夜のような静けさだった。馴れっこになってしまっている——というよりは衰弱している感じだ。早い所ここからおさらばする算段を立てなければ、彼の未来も明るいとは言えそうになかった。
「やあ、久しぶりに随分と生きのいい新入りが入ったもんだ」
と、まだ他人に興味を示せる程度には元気な者も残っていたらしい。しわがれた声はまるで年寄りのようだが、実のところどうなのかは暗がりでよく見えなかった。
「なあに、案ずることはない。運が良ければ出られるし、出られなければだんだん諦めがつくってもんさ。ほうれ、こんな風に」
しわがれ声の気配を追って闇を透かし見ると、ずいぶん窮屈そうな姿勢で固まってしまっている同輩に辿り着いた。まるで、骸同然——いや、最早どんぴしゃりなのか。
「悪いがジイさん、俺にはまだやることがあるんでね。出られる方に賭けさせてもらうぜ」
「そうかいそうかい」
空気が漏れるような音を立てて、しわがれ声が笑った。
(さあて、どうすっかなぁ)
方法はないわけではない。が。
(出来るモンなら使わずに何とか——
ん?)
空気が、動いた。
詰所に続く戸が開いたらしい。
(メシ……
って訳じゃあなさそうだ)
錠と鍵がこすれ合う音がして、どこかの牢が開く。
「さあ、出た出た——って元気ないわねぇあんたら。
とにかく!出るのよっ」
(女?)
それも、まだ若い。
(誰かの仲間という風でもなし)
闖入者は手当たり次第に囚人を逃がして回っているようだった。
そしてついに、彼の居る牢まで来る。
十代半ばの風貌を持つ女を観察しつつ出る気のある者を見送って、彼は最後に戸をくぐる。
その手首を、女がつかんだ。
「さあ、こっちよ」
グイと引っ張られる。
(……)
身に覚えのないお誘いは断る主義だ。
が、彼は状況に任せることにした。
「おっと、これは返してもらうぜ。なけなしの財産なんでな」
詰所の机上に無造作に置かれていた彼の持ち物を、通り抜けざまに確保する。
そこを抜けると、案の定、いくらも行かない所で囚人達と番兵が押し合っていた。二人はその混乱の渦中に進んで身を投じると、隙を縫って抜け出す。
女は近くの物置部屋に彼を導いた。
「どうすんだ?隠れたところで長くは保たねぇぞ」
戸口で気配を探りながら、女に問う。いかにも勢いだけで行動しそうな小娘然としているが、どうやってかあの地下牢まで潜入してきたのだ。帰りの目論見もあるのかもしれない。
女は部屋の中央あたりにしゃがみ込むと、埃だか絨毯だか区別がつかなくなった敷物を持ち上げた。
「閉まってなくて良かったわ。こっちからの開け方、知らないもの」
そこには、下へと続く暗い穴が口を開けて待っていた。彼が入るには厳しい狭さだが、なんとか体をねじ込んで降りてゆく。
「話が早い人で助かったわ」
しばし無言で行路を進んで。
ここは広間になっているようだった。女の持つ提灯の頼りない明かりは、圧迫するように左右から迫る壁を照らすことはなく、先のない暗闇に吸い込まれている。僅かながら、空気の流れもあった。
「ここまで来ればもう大丈夫でしょ。あなたの疑問に答えてあげる。あたしは——」
「のんびり話している場合じゃないようだぜ」
女の言を遮り、空を睨む。
遥か上方、よく見ると天井にポツンと闇の切れ間があった。そこから、白いものが舞い降りてきていた。雪に見えるが、ただの雪ではない。
これは——。
「灰……雪……」
目を見開き、女が後退る。
「ロクでもない事ってのは、次から次へと押し掛けて来やがるもんだなっ!」
不意に、周囲を取り巻く空間が揺らめいた。
女を引きずるようにして飛び退く。
刹那まで彼らが居た床は、大きく抉られていた。
「厄……」
「囲まれてるっ⁉……ひょっとしなくても絶体絶命ってヤツじゃない、これ!」
「いや、むしろ良かったんじゃないか。疫病と違って対処のしようもあるってなもんだろ」
「対処って——」
『成れ』
背後に迫っていた敵に向けて放られた札は、彼の命によって剣へと姿を変え、貫く。闇そのものがカタチを得たかに見える異形の怪物は、断末魔の叫びのような微かな空気の震えと共に消え失せた。
「霊言符!あんた、見かけによらず結構なもん持ってんのね」
かつて世の全てを統べていた尊君の力の一端を用いることができる、霊言符。これのみが、現状、この化け物に対抗しうるほぼ唯一の手段だった。
「悪いが、自分の身はなるべく自分で守ってくれ——
よ‼」
敵の攻撃を構えた剣でいなしつつ、
(あと五体、か。俺一人なら何とかなるが……
庇いながらってなると、ちいとばかり重いな)
苦境を認めていた矢先。
「きゃっ」
早速、足を取られた女が盛大に尻餅をついた。
その拍子に手から離れた提灯が高々と放られる。
(!
あれは——)
押し包む闇に辛うじて抗していた灯が消え、帳が完全に降りた。
剣で受けた怪物の顎を押し返しざまに二体目を葬ると、彼は女の腕をつかんだ。
見当で、強引に駆け抜ける。
そして振り向きざま、剣を天井のヒビめがけて思い切り投げつけた。
周囲を圧する轟音と地響きを立てて、がれきが落下する。
「これで時間稼ぎになるだろ」
「もつと思う?あいつらが自然に消えるまで」
「どうだかな。ま、早くこの場を離れるに越したことはねぇな。明かりもなくなっちまったし。あいつらそんなに執念深くねぇから、距離さえ取れればなんとかなるだろ」
足早に残りの道程を突破して、外へと出る。
「ぷは~。
あ~何だか外の空気を吸うのがとっても久しぶりに感じるわ!」
人心地ついたように、女が大きく伸びをする。
「助けるつもりが、助けられちゃったわね。ありがと——
そういえば、名前、まだ聞いてなかったわね」
「俺は」
振り返る。
明ける空の強い光が、彼の背を照らした。
「トゥフォンだ」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
神は激怒した
まる
ファンタジー
おのれえええぇえぇぇぇ……人間どもめぇ。
めっちゃ面倒な事ばっかりして余計な仕事を増やしてくる人間に神様がキレました。
ふわっとした設定ですのでご了承下さいm(_ _)m
世界の設定やら背景はふわふわですので、ん?と思う部分が出てくるかもしれませんがいい感じに個人で補完していただけると幸いです。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
断罪まであと5秒、今すぐ逆転始めます
山河 枝
ファンタジー
聖女が魔物と戦う乙女ゲーム。その聖女につかみかかったせいで処刑される令嬢アナベルに、転生してしまった。
でも私は知っている。実は、アナベルこそが本物の聖女。
それを証明すれば断罪回避できるはず。
幸い、処刑人が味方になりそうだし。モフモフ精霊たちも慕ってくれる。
チート魔法で魔物たちを一掃して、本物アピールしないと。
処刑5秒前だから、今すぐに!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる