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「トゥフォン……」
人目に付かないよう街中へと戻る道すがら。
女が小さく口中で彼の名を繰り返す。
「切り、拓く者?
ズイブン気張った名前ね……。
まさか、命名、とか?」
「俺がそんな結構な出自に見えるのか?」
肩をすくめる。
命名とは、尊君がごく限られたものにのみ与えていた名。それはつまり、尊君に拝謁できるような特別な地位にあったことを意味する。
「あははっ!
ない、ないわねっ」
女が腹を抱えてひとしきり笑い転げるのを眺めると、
「で、あんたは?」
「あたし?——ああ、あたしはニプンマイトイーシャ。イーシャでいいわ。長いし」
「ニプンマイトイーシャ……。待雪草、か。そりゃ何とも——」
「インガな名前よね。今となっては」
イーシャが路傍の灰雪に目をやる。
厄の訪れを告げる灰雪は、普通の雪よりも溶けにくい。そして、溶け残ったものは醜く積み重なり、あらゆるものを呑み込んでゆく。人気の少ないところだからか、ここもかなりの高さに達している箇所があった。それは確かに、終焉を感じさせる不吉な影を落としていた。
いや、実際にそうなのだ。
ここはまだ活きた街だからいいが、力のない町や村などは降り積もった灰雪をどうすることも出来ず、もういくつも滅びている。
「でもあたしの故郷じゃありふれた名前なのよ。それこそ、名前呼んだらあちこちの人が返事するぐらい」薄っすらと笑む。
「村の近くにすんごい群生地があってね。なんでも、尊君が近くを通りかかられた時に所望なさったからとか。まあそれも、厄のせいでもう僅かしか残ってないんだけどね」
イーシャが瞳をかげらせる。
「……ま、どこもかしこもそんな話ばっかだよな。——あの時から。
っと」
建物の陰で足を止める。
通りの向こうには人だかりができていた。
「おあつらえ向きに、ありがたい説教が始まってるようだぜ。どうやら街にもあの化け物どもが出ていたようだな」
群衆の中心人物を囲むように直立する僧兵に目をやる。
厄がもたらすものは化け物とばかりは限らないが、あの程度の人数、しかもこの程度の時間でどうにかなったのだからそうなのだろう。
「——います。厄とは罰なのだ、と。黎明の志士が畏れ多くも尊君を弑し奉ったことへの!
あの方のお怒りはもっともです。どうあれ、我らはこの凶行を止められなかったのですから。
ですから、わたし達は甘んじて受けねばなりません。そして、神霊に祈りを捧げるのです。さすればこの終末の世の先に、尊君が新天地へと導いて下さるでしょう!
我らは——」
熱に浮かされたような演説は滔々と続く。
「あの人、仕教さんよ。この街一番のお偉いさんがこんな外れにまでわざわざ出張ってくるなんて、熱心ねぇ」
「行くぞ」
踵を返し、集団を迂回できる道を探す。
あの僧兵どもの中に、ならず者その一の顔を覚えている者がいるかは分からないが、また牢に逆戻りすることになっては面白くない。
「いけ好かない連中だぜ」
舌打ちと共に、吐き出す。
「終末の灯、か……。ズイブン浸透してるわよね。
ああいうの、好きになれないなぁ。ただ不安を煽ってるだけって感じだし。
もっと前向きになればいいのよ。残滓、教団風に言えば神霊?さえあれば霊言符と違って尊君と遜色ない力が揮えるし、厄も来ないっていうじゃない」
「つまり、政府のやり方が正しいと?」茶化すように言い、肩をすくめる。「それなら何で終末の灯の縄張りなんかにいるんだ」
「連中が我慢ならないほど嫌いってわけでもないから。
村から一番近いのよ、ここが。食べさせてもらえるなら、どっちでもいいもの。政府だろうが教団だろうが」
そんなもんでしょ?と目顔で問う。
「まあ、そうだな。
しっかし、残滓なんてそんな都合のイイもんがあるかねぇ」
「でも現に、政府も教団もこのご時世に施しができるほど潤ってるじゃない。土地の力も失われていく一方で食べる物も満足に作れなくなってるってのに、なにか人智を超えた力でもなきゃ説明がつかないわ、そんなの。
あんたどうもカタギじゃなそうだし旅慣れてる風なのに見たことないの?そういうの」
「あの尊君が遺したらしいっつうのがなぁ」苦笑する。「どこまで信用できるやら。
……欲しいのか?」
「そりゃ、そんなありがたいモンなら拝んでみたいわよ。
あーあー、何でこの街にはないかなぁ。そうすれば終末の灯に入信してもいいのに」
「終末の灯に入信したって、今じゃ一般の信徒がお目にかかるのは無理なんじゃないか。近頃、奴らと政府の鞘当てが激しくなってるし。となりゃあ警戒の度合いも推して知るべし、だろ」
尊君が崩御すると、彼女を廃するために暗躍していた革新派はその後の統治のあり方を巡ってほぼ真っ二つに分裂した。
一つは終末の灯。
そしてもう一つが、尊君に代わる指導者を標榜する政府。
この二つの勢力は尊君亡き後あらゆる恵みが失われ荒廃していくばかりのこの世にあって、尊君の力の残滓とも噂される何らかの力をもって衰退に抗してきた。
そして、ある程度の勢力を確保しそれぞれの縄張りでの運営も安定してきた昨今、互いに相手を駆逐すべく頻繁に角を突き合わせているのである。
「さて、と」立ち止まって、トゥフォン。
「ここまで来りゃ安心だろ。
シャバの空気を吸わせてくれてありがとさん。じゃあな」
「ちょっとぉ!感謝してるならあたしを連れて行きなさいよっ。恩はきっちりと返してもらうわよ!」
「ってもな。そもそも頼んでねぇし。
第一、どういう魂胆で俺を脱獄なんかさせたんだ?腹が分からねぇヤツといつまでも馴れ合うっつうのはなぁ」
「あんた、あの屋敷に近づこうとしてひっ捕まったんじゃないの?地下はまだ気付かれてないわよ」
去かけていたトゥフォンは、思わず動きを止める。
「やっぱり。
どういうワケだかあの辺り、教団が妙に固めてんのよね~。
んで、それを知らずによそ者がうっかり近づいて牢屋送りになってるんだけど。
あんたにはあったのね、あそこにこだわる目的が」
「さあな。俺は失くしちまった青春を探してるだけだし」
「いいのよ、あんたの狙いには興味ない。ヤバイもんには手を出してもしょうがないし。あたしが欲しいのは、コレ」指で金を模る。
「教団の配給があるから最低限生きてくのには困らないとはいっても、それだけじゃあ、ね。あんたからはこう、お金の匂いがするのよね。霊言符も持ってたし。結構あるんじゃないの~?」
「……いくらだ」
提示された金額は、決して安くはなかったが払えないという程でもなかった。
「じゃあその三分の一が前金、残りが成功報酬ってことで良いな」
「イイわよ。あたしは誠実な仕事がモットーだし」
得たりとばかりに、イーシャが満面の笑みを浮かべた。
人目に付かないよう街中へと戻る道すがら。
女が小さく口中で彼の名を繰り返す。
「切り、拓く者?
ズイブン気張った名前ね……。
まさか、命名、とか?」
「俺がそんな結構な出自に見えるのか?」
肩をすくめる。
命名とは、尊君がごく限られたものにのみ与えていた名。それはつまり、尊君に拝謁できるような特別な地位にあったことを意味する。
「あははっ!
ない、ないわねっ」
女が腹を抱えてひとしきり笑い転げるのを眺めると、
「で、あんたは?」
「あたし?——ああ、あたしはニプンマイトイーシャ。イーシャでいいわ。長いし」
「ニプンマイトイーシャ……。待雪草、か。そりゃ何とも——」
「インガな名前よね。今となっては」
イーシャが路傍の灰雪に目をやる。
厄の訪れを告げる灰雪は、普通の雪よりも溶けにくい。そして、溶け残ったものは醜く積み重なり、あらゆるものを呑み込んでゆく。人気の少ないところだからか、ここもかなりの高さに達している箇所があった。それは確かに、終焉を感じさせる不吉な影を落としていた。
いや、実際にそうなのだ。
ここはまだ活きた街だからいいが、力のない町や村などは降り積もった灰雪をどうすることも出来ず、もういくつも滅びている。
「でもあたしの故郷じゃありふれた名前なのよ。それこそ、名前呼んだらあちこちの人が返事するぐらい」薄っすらと笑む。
「村の近くにすんごい群生地があってね。なんでも、尊君が近くを通りかかられた時に所望なさったからとか。まあそれも、厄のせいでもう僅かしか残ってないんだけどね」
イーシャが瞳をかげらせる。
「……ま、どこもかしこもそんな話ばっかだよな。——あの時から。
っと」
建物の陰で足を止める。
通りの向こうには人だかりができていた。
「おあつらえ向きに、ありがたい説教が始まってるようだぜ。どうやら街にもあの化け物どもが出ていたようだな」
群衆の中心人物を囲むように直立する僧兵に目をやる。
厄がもたらすものは化け物とばかりは限らないが、あの程度の人数、しかもこの程度の時間でどうにかなったのだからそうなのだろう。
「——います。厄とは罰なのだ、と。黎明の志士が畏れ多くも尊君を弑し奉ったことへの!
あの方のお怒りはもっともです。どうあれ、我らはこの凶行を止められなかったのですから。
ですから、わたし達は甘んじて受けねばなりません。そして、神霊に祈りを捧げるのです。さすればこの終末の世の先に、尊君が新天地へと導いて下さるでしょう!
我らは——」
熱に浮かされたような演説は滔々と続く。
「あの人、仕教さんよ。この街一番のお偉いさんがこんな外れにまでわざわざ出張ってくるなんて、熱心ねぇ」
「行くぞ」
踵を返し、集団を迂回できる道を探す。
あの僧兵どもの中に、ならず者その一の顔を覚えている者がいるかは分からないが、また牢に逆戻りすることになっては面白くない。
「いけ好かない連中だぜ」
舌打ちと共に、吐き出す。
「終末の灯、か……。ズイブン浸透してるわよね。
ああいうの、好きになれないなぁ。ただ不安を煽ってるだけって感じだし。
もっと前向きになればいいのよ。残滓、教団風に言えば神霊?さえあれば霊言符と違って尊君と遜色ない力が揮えるし、厄も来ないっていうじゃない」
「つまり、政府のやり方が正しいと?」茶化すように言い、肩をすくめる。「それなら何で終末の灯の縄張りなんかにいるんだ」
「連中が我慢ならないほど嫌いってわけでもないから。
村から一番近いのよ、ここが。食べさせてもらえるなら、どっちでもいいもの。政府だろうが教団だろうが」
そんなもんでしょ?と目顔で問う。
「まあ、そうだな。
しっかし、残滓なんてそんな都合のイイもんがあるかねぇ」
「でも現に、政府も教団もこのご時世に施しができるほど潤ってるじゃない。土地の力も失われていく一方で食べる物も満足に作れなくなってるってのに、なにか人智を超えた力でもなきゃ説明がつかないわ、そんなの。
あんたどうもカタギじゃなそうだし旅慣れてる風なのに見たことないの?そういうの」
「あの尊君が遺したらしいっつうのがなぁ」苦笑する。「どこまで信用できるやら。
……欲しいのか?」
「そりゃ、そんなありがたいモンなら拝んでみたいわよ。
あーあー、何でこの街にはないかなぁ。そうすれば終末の灯に入信してもいいのに」
「終末の灯に入信したって、今じゃ一般の信徒がお目にかかるのは無理なんじゃないか。近頃、奴らと政府の鞘当てが激しくなってるし。となりゃあ警戒の度合いも推して知るべし、だろ」
尊君が崩御すると、彼女を廃するために暗躍していた革新派はその後の統治のあり方を巡ってほぼ真っ二つに分裂した。
一つは終末の灯。
そしてもう一つが、尊君に代わる指導者を標榜する政府。
この二つの勢力は尊君亡き後あらゆる恵みが失われ荒廃していくばかりのこの世にあって、尊君の力の残滓とも噂される何らかの力をもって衰退に抗してきた。
そして、ある程度の勢力を確保しそれぞれの縄張りでの運営も安定してきた昨今、互いに相手を駆逐すべく頻繁に角を突き合わせているのである。
「さて、と」立ち止まって、トゥフォン。
「ここまで来りゃ安心だろ。
シャバの空気を吸わせてくれてありがとさん。じゃあな」
「ちょっとぉ!感謝してるならあたしを連れて行きなさいよっ。恩はきっちりと返してもらうわよ!」
「ってもな。そもそも頼んでねぇし。
第一、どういう魂胆で俺を脱獄なんかさせたんだ?腹が分からねぇヤツといつまでも馴れ合うっつうのはなぁ」
「あんた、あの屋敷に近づこうとしてひっ捕まったんじゃないの?地下はまだ気付かれてないわよ」
去かけていたトゥフォンは、思わず動きを止める。
「やっぱり。
どういうワケだかあの辺り、教団が妙に固めてんのよね~。
んで、それを知らずによそ者がうっかり近づいて牢屋送りになってるんだけど。
あんたにはあったのね、あそこにこだわる目的が」
「さあな。俺は失くしちまった青春を探してるだけだし」
「いいのよ、あんたの狙いには興味ない。ヤバイもんには手を出してもしょうがないし。あたしが欲しいのは、コレ」指で金を模る。
「教団の配給があるから最低限生きてくのには困らないとはいっても、それだけじゃあ、ね。あんたからはこう、お金の匂いがするのよね。霊言符も持ってたし。結構あるんじゃないの~?」
「……いくらだ」
提示された金額は、決して安くはなかったが払えないという程でもなかった。
「じゃあその三分の一が前金、残りが成功報酬ってことで良いな」
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