黎明の残滓

入江瑞溥

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 トゥフォンとイーシャの二人組による地下探索も、今日で計三回目。
 この日は珍しくイーシャがやらかさずに長い間の安定を見せ、大分奥までやってきた。
上り下り、行きつ戻りつも挟んでいるとはいえ、彼の見立てでは屋敷方面に、もう郊外と呼べる域にまでは迫ってきているはずであった。
 三度目の正直という言葉もある。
 この日こそは、ようやっとはかどるのかと思われたのだが——。
「あ~らら、行き止まりだわ」
「で、退路もない、と」
 これ以上なく派手に抜け落ちた床めがけて、冷えた視線を注ぐ。
「あっはは~
——頼りにしてるぞ✩」
 肩を叩く手をトゥフォンはやや邪険に振り払うと、不満そうにほおふくらませたイーシャをうっちゃって荷を降ろす。そして穴の縁に屈み込むと、取り出した提灯ちょうちんを備え付けの明かりが照らしださない穴の底に向かって差し出した。
 が。
 どこまで深いのやら。
 この程度の光ではすぐさま、なみなみと横たわる闇の中へと吸い込まれてしまった。
(地道に降りてそっから登るなり別の道を探すっつうのは諦めた方が賢明だな。こりゃ)
 当てずっぽうで降りた先に、何があるかも分かったものではない。
(とは言え、だ)
 穴の長さを目測する。
 普通にんだのでは、助走をつけてもかなり厳しい。
——ましてイーシャは。
 深い吐息を吐き出すと、トゥフォンは霊言符れいげんふを取り出した。
変じさせた短剣の柄頭つかがしらの輪に、備えておいた縄を結びつけていると、
「トゥフォンて何してる人なの?
けっこーイロイロ出来るわよね。腕っぷしも強いし、やっぱしそれ系?」
 だしぬけに、イーシャ。
「何だと思う?」
「んー、例えば——
 残滓狩ざんしがり、とか」
「残滓狩り、ねぇ……」
 残滓ざんしはどちらの勢力ものどから手が出るほど欲しているものだが、何も狙っているのは彼らだけではない。
 しばしば願望を混ぜ込んで人の口の端に上るような便利な代物ではないにしろ、特別な力を有することは疑いないのだ。手にしたいやつなら他にも少なからず居る。
 残滓はかなりの数が存在するらしいが、それでも需要を満たすほどではない。市場に出れば当然値はつり上がり、それこそ目のくらむような対価で取引される。ゆえに、伸るか反るか。上手うまい事なせば一攫千金いっかくせんきんが叶うとかいうのに踊らされて、欲にられて手を出そうとする連中も多い。残滓狩りとは、まあ、大抵がそんな報酬ほうしゅう目当ての輩だ。ならず者の坩堝るつぼとか呼ばれることも、ままある。
(まぁ実際、財を成したヤツも居るっちゃ居るみたいだが……。
 しっかし、事ここに至って財なんてどれほど役に立つものかねぇ。
現実逃避なのか、底抜けに前向きなのか……)
 内心、嘲弄ちょうろうにも似た感情を渦巻うずまかせながら、
「ちょっと違うな。
言ったろ。俺は、名もなき青春の狩人かりゅうど
 口から出す言葉はあくまでも軽快けいかいに。
芝居しばいがかった仕草しぐさでポーズをつける。
「それとあの屋敷と、なんのカンケイがあんのよ。自称狩人サン」
「ふっ、シロウトには分からないだろうな。
狩人的にはあそこは情熱を費やすに値する外せない穴場なのさ」
 答えつつ、大体穴の中間に当たる天井の地点目指して縄付きの短剣を放つ。
 狙い通り。
 しっかりと目標に食い込んだそれの具合を、縄を引いて確かめる。
「それとも——」
 トゥフォンは言葉を切った。
作業の片手間といった体で。
けれども、ゆるさの内に鋭さを忍ばせて。
 肩越しにイーシャの目差まなざしとらえる。
「それ以外になけりゃダメなのか?あの屋敷に行く理由が」
「別に、なんでもイイわよ。キョウミないって言ったでしょ」至極あっさり返して、イーシャが軽く肩をすくめる。
「ただ、ズイブンお気楽だなぁと思ってね」
「そうか?こんな時だからこそ、かえってシックリくると思うけどな。
輝きよもう一度、みたいな。
 ま、只中ただなかのあんたにゃ馴染なじまねぇハナシか」
「おっさんクサッ」
 茶化ちゃかすように笑う。
その後に、
「分かるワケないじゃん
 ……あたしは、今を生き抜くのに精一杯だもの」 
 ひっそりとこぼれ落ちた小さなつぶやきが、空気に溶け、消えた。


「だあぁぁぁぁぁっっ!?」
 足元の感覚が無くなった、
と認識した時には、もう、彼は無様ぶざまに体を打ちつけていた。そのまま言葉にならない言葉を引きずりながら、なす術もなく転げ落ちてゆく。
(くっ!)
 取っ掛かりを探そうとする手は虚しく宙を泳ぐ。それでも、きたるべき衝撃に備えて受け身だけは何とか取れた。
 投げ出される感覚。
同時に、重い残響と微かな振動が伝わってきた。
 彼をここに吐き出した口が閉まった音に違いない。
「ってぇー」
 ふらふらと体を起こす。
 あちらこちらが痛みを訴えかけてくるが、幸いだった。どれもこれも打ち身によるもので、ひねるなど致命的な負傷はない。
(こんなトコで動けなくなっちまったら、冗談じょうだんじゃ済まねぇからな)
 辺りを見回す。
 例に無く、殺風景な造りだった。
というのも、このクウォンカの地下は、地下にしておくには勿体もったいないほど豪勢で手の込んだ装いになっているからだ。
 丁寧に塗られた漆喰しっくいや飾り立てられた欄間らんまは素人目に見ても質の高い仕事で、今は終末のの巣となっている地上の元、府庁舎と比べても少しも遜色そんしょくがなかった。
いや、むしろこの広大さとそこに仕込まれた諸々の手間と費用とを想像するに、明らかに建築家にとってはこちらが本命のはずで、府庁舎などおまけ程度。及ぶべくもないだろう。
 イーシャいわく、地下にも都市を作る計画だったから、との説もあるそうで。
 もっとも、狂人のやることを理屈に照らして考える方が馬鹿げている。
彼はこれも、悪趣味がこれでもかと詰め込まれたこの玉手箱を引き立てる演出と解していた。
 で、あるのに、だ。
 ここは全く石がむき出しのガランとした空間だった。
まるで、忘れられたように。
(ロクでもねぇ臭がプンプンにおってきやがるな。
不意打ちで打ち身やら捻挫ねんざやらをこしらえさせて閉じ込めて満足するような玉じゃあねぇだろ。
第一、こりゃあ、考えるまでもなくなんかあらぁな)
 トゥフォンが今立っているのはまさに穴の底といったような窪地くぼちだ。そして、ここへ続く傾斜が四つ。その先には漏れなく堅く閉ざされた戸がある。彼をここに送り込んだ忌々いまいましいみちがその奥に控えているはずだ。
(あと二つがハズレで、正しい選択をしさえすればいい……てなことはないよな)
 腕組みして、戸をにらみつける。
 こうしたところで、どれもが相似だ。
先のように、解決の助けとなるようなものも見当たらない。
(っても、どうせくれる気のないヒントだろうからな。単に見落してんのかもしれねぇが……。
 まぁいい。
 どうあれ、待つってぇのは性にあわねぇ。わなだろうがなんだろうが、こっちから出向いてねじ伏せるまでだ) 
 イーシャが居ないのは幸いだったかもしれない。
この災厄さいやくの元に違いない彼女の姿がないのは不条理な気もしていたが。
身一つというのはいかにも大きい。
(守るってぇのは得意じゃねぇんだよな。どうも……)
 さしあたってかたの戸の前に立ち、霊言符れいげんふに手をかけたところで、
「お~い、トゥフォ~ン。
いる~?」
 なんとも緊張感に欠ける呼び掛けが反響して響いた。
 数歩下がって見上げると、戸の上方部に設けられている格子こうしから、ひらひらと手を振っているイーシャが見えた。
 やはり彼女は、まったくの無事だったようだ。声同様いたってお気楽なのは、わざとなのか天然なのか。
「天然……なんだろうな。多分」
 したたかではあるがそのり方は真っ直ぐで、小手先のはかりごとを得手とするようではない。
(そこのトコも含めて印象操作してるんだとしたら、恐ろしい限りだな)
もちろん、可能性としてはないとは言えない。
(オンナっつうのは怖ぇ生き物だしな)
「ん?
なに」
「俺を罠に突き落とした責任取って、脱出の方法の一つも探しやがれっつったんだ!」
「むぅ、ヒトギキ悪いなぁっ。
あたしはいきなり持ち上がった床につまずいてコケただけ。むしろヒガイシャよ」きっちりと彼の見解に対する抗議を挟むことは忘れずに、頭を引っ込める。
「ん~————。
 あっ!
あんなトコにちっちゃーい板が!
 う~ん、読みづらいなぁ……
よいしょっと」 
 一応探してくれてはいるらしい。
 その事は、買う。
 買うが、この間延びした調子は何とかならないものなのか。
 少なからず神経を逆なでされて、トゥフォンは顔をしかめる。
 と。
 四方の戸が一斉に開いて不気味な地鳴りが響いてきた。
「今度はナニしやがった!?」
「な、なんにもしてないわよぅ!」
 非難を飛ばす内に、地鳴りの主が通路の奥に姿を現した。
トゥフォンの身の丈を軽く超える巨大なたまだ。坂の傾斜を借りて猛然と迫ってくる。
見た目から判断するなら見事に丸い石のかたまりということになるが、そうでなくともこの重量感だ。言及げんきゅうするまでもなく危機であった。
(目の前のはギリで何とかするとして、だ。足場が悪りぃ。
よろけて転がり落ちでもしたら即オダブツだな)
 剣を携えて、正対する。
いだ水面みなもごとくゆるりと、けれども、一糸乱れず。
 張り詰めたその刹那せつなに向けて、踏み出した。
 石球のしんを突くように。
同時に、押し寄せてくる岩片に打ち負かされない為に、体当たりする恰好かっこうで前進する。
 が、予期していた打撃と痛覚は襲ってはこなかった。
あれだけの見てくれがまるで虚仮威こけおどしのように、やすやすとくだけ散ったのだ。明らかに、彼の技量だけの問題ではない。
その証拠に、後方の穴底でも三つの塊がその重量を示すように鈍く空気を揺らして、反してやはり、粉と変じた。
(衝撃に弱い……
のか?)
 一息ついて、向き直る。
 石が去っても戸は開きっぱなしだった。その奥には、文字通り顔が映るほど磨かれたツルツルの壁と床が伸びている。
(道理で見事に転がされるはずだあな)
 これを辿れば、晴れてここともおさらば出来るはずだ。
が、この勾配こうばいだ。勢いだけで登り切るには無理がある。
(分かっちゃあいるが、ネチネチネチネチと、とことん陰湿で嫌味ったらしい造りだな)
 しゃがみ込んで、床に指を滑らせる。
ここは見たままのようで、これ以上の何かが施されている感じではなかった。
(……仕方ねぇ。霊言符を杖代わりにして裸足はだしになればイケるだろ。
——ん?)
 腰を上げる頃には、もう耳に入った音がなんだったのかは、はっきりしていた。
(こりゃ、逆流案はおじゃんだな)
 また大石が転がってきたのだ。
(戸が閉まらねぇワケだ)
 恐らく、この石球は一定の間隔を置いて次々と出てくるようになっているのだろう。
(えっさらおっさら上るのと石ころが迫ってくるの。どっちが早いかは、ま、自明だわな)
「おい、まだ読めねぇのか!」
 先と同じ要領で石を砕きつつ、上に向かって怒鳴りかける。
「今言おうと思ってたところ!!
全部同時に壊さないとダメみたい!」
「確かなんだろな!」
 軽くぼやいて、穴底で待ち構える。
(とにかくとらえさえすれば、威力はどうでもいいんだろ)
 次なる地響きが聞こえてきた。
 トゥフォンは霊言符を変じた投擲とうてき短剣を左右に構える。
 そして、狙い澄ました——
瞬間。
「ちっ、
燃料切ねんりょうぎれか」
 霊言符が模っていた剣は砕け散り、溶けるようにくうへと消えていった。
「トゥフォン!?」
 イーシャの顔から血の気が引く。
 にわかに丸腰になったトゥフォンに向けて石球は容赦なく肉薄し——

万事休す。

穴底に集中、
したかに見えた。
 その、まれる瀬戸際。
 四つの石球に、
一閃いっせん
一様に真一文字の筋が入る。
 上下に分かたれた大石は見る間に崩れ去り、後には、円刃えんじんに身を囲ませたトゥフォンが立っていた。
 重々しい擦過音がして壁の一角が開き、階段が現れる。
「さすがに肝が冷えたぜ。代わりの符の発動がギリで間に合ったから良かったようなものの……」伸びをして、トゥフォン。
「しっかし、こんな短期間で使いつぶしっちまうとはな」
 ぼやいて、うらめしく霊言符が消えたくうをにらむ。
「霊言符ってそんな風に壊れるのね。初めて見た」
「そりゃ、フツウは切れかかった霊言符なんざ使わねぇからな。誰かさんが毎日毎日とんでもなく刺激的なところに連れてってくれるお陰で、まったく、えらい空費だぜ」
 苦々しく皮肉を飛ばす。
 霊言符の効力は無限ではない。符にめられた力が尽きれば失われる。どれだけ長持ちするかは作り手の力量次第で一概には測れないが、彼の目算ではもう少し使えるはずであった。それが狂ったということは、思っていたよりも無茶な運用をしていたということだ。
 まだ手持ちはある。
だが、状況を鑑みればそう余裕に構える気にもなれなかった。
(苦境の時こそ泰然たいぜんと、冷静に。
そんな境地にゃ到底至れそうにねぇな) 
 遠く、言葉を思い出し。
トゥフォンは自嘲じちょうした。


 まるで宙に浮いているかのような、中空の薄暗い通路に差し掛かった時。
はっきりとではなかったが。
そう、
うっすらとは嫌な予感がしていたのだ。
 だが、彼は目隠しをして歩いているも同然の身。この道しかないと言われれば、本当に迂回路うかいろがないのかどうか、それを知る術もないのにどうして進まない選択肢があっただろう。
 広い円形の床を抜け、さて、無事に対岸にたどり着けるかという矢先。
 果たして。
 鼻先をかすめて鉄格子てつごうしが降りてきた。
ガクンという振動と共に、床が降下を始める。
 少しの沈黙を挟んで。
 トゥフォンはゆっくりと振り向くと、
「さーて、今日の品書きはなんなのかな~?
イ・イ・シャちゃん」
 薄い笑みを浮かべた。
「ちょっ、目が笑ってないわよ?トゥフォン」
 すごみを感じ取ったのか、イーシャが身を引く。
 下降は、それほど長い間のことではなかった。
 新たな床に辿り着くと、格子が引き上げていく。
 幾筋いくすじもの強い光が、彼らの居る円形の広場に向かって照らした。
「なんだぁ?
今度は芝居しばいでもやれってのか」
 実際、ここは何かの舞台のようであった。
ぐるりを囲む、高い壁の上。そこには、桟敷席さじきせきが折り重なるように設えられていた。
(しかし、こりゃあ——)
「役者ってより、どっちかってと見世物の猛獣にでもなったキブンね」 
 彼と同じことをイーシャが口にする。
 この壁のせいだろうか。
ここに立っていると、どうも不遜ふそんな連中に見下げられている心地がした。
あるいはそれは、どこか尊君とうとぎみにも通ずる——。 
 軽快な調子の楽の音が、どこからか流れてきた。
それに合わせるように滑稽こっけいな動きをした人物がわらわらと桟敷のあいだを抜けて、羽のように軽々と広場に降りてくる。
 この、人目を引く奇抜きばつ派手はで恰好かっこうは、間違いない。顔に張り付かせた面を見るまでもなく、道化どうけだ。
 が、
(気配がない?
……人形、
なのか)
「——っ!」
 頭を引っ込めつつイーシャの首根っこをつかみ、とっさに屈ませる。
曲芸を披露ひろうしていた道化のうち一体が、前触れもなく商売道具を得物へと変えたのだ。
「……趣味悪りぃにも程があるぞ!」
 行き場のない建築家への怒りをぶちまけながら、
「もういい。
気が済むまで、
なぐらせろっ」
 霊言符れいげんふを投げつける。
 目には目を、ではないが。
投擲とうてき短剣へと変じたそれは、正確に面の額を貫いた。
そのまま、人形は糸が切れたようにくずおれ、消える。
同時に、乱舞しながら肉薄にくはくしてきていた人形の剣をはじくと、出来た一瞬の間隙かんげきってほふった。
(見た目ほどはしんどくねぇかも知れないな)
 鉄棒やら、円刃えんじんやら、炎やら。
色々と物騒な物が飛び交う最中を潜り抜けながら。
 道化は気配がなく、動きも人のそれとは違っていてやり辛いが、別段連携してくるわけでもなくすきも多い。イーシャも戦力にならないながらもかんは良いようで、うまく動いてくれている。この調子なら、何とか処理できそうではあった。
 一体、二体と。確実に片付けていく。
数える程に減らすまでには、そう時間は掛からなかった。
 
 唐突に
 
 言い知れず、背筋に走る感覚がしたのは。
まさに王手が見えてきた、
そんな折のことだった。
 
 視界がにじむ。

(いや、
これは——)
 彼の身体に異常をきたしたのではなくて……。
 
 幸いにも、彼の近くには出現しなかった。
 急いで手近の人形を除くと、振り返る。
 
 闇が、揺らめく。

 イーシャの真後ろに出現したそれは、まさに獲物を餌食えじきにせんとしていた。
(間に合——
わない!!)
 折悪しく、イーシャとは離れてしまっていた。
霊言符が届くより先に、やくが彼女をとらえる方が早いことは明らかだった。
 
 短剣を構えた手を下ろす。そして、トゥフォンは胸元を握りしめ————


『外へ』
 
 強い光が二人を包む。
 せる景色のしゃの向こう側で、イーシャにらいつく寸前の怪物が消し飛ぶのが見えた。
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