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第一部 三章 死神の里
迷いの森
しおりを挟むヒマリ村の近くに突然現れたという森。
そんな場所にエビルとレミの二人が入ってから――三日。
「ねえ、やっぱり変よね?」
森に入ったエビルとレミはひたすらに歩き続けていた。
三日間でかなりの距離を歩いたと思うが中々森を抜けない。あのエビルの故郷からアランバートまでの森だって二日近くで抜けられたというのに、いつまで歩いても景色は木ばかりだ。
多少の木漏れ日がある程度でしかない森は薄暗く、整備された道はない。野宿するためのちょっとした空きスペースはあったからよかったものの、こうも歩き続けて何も変わらないとなると気が滅入ってくる。
「……そうだね。唐突に現れた森って時点で警戒はしてたけど、まさか戻れなくなるとは予想外だったね」
「ほんとそれよ。この森って木の実とかキノコも全っ然ないしさ。どうする? あの村で買い込んだ食料が尽きたらアタシ達……うわぁ、餓死しちゃうかもなあ……」
深すぎる森にはもう一つ不思議なことがあった。
入って来たヒマリ村へ戻れないのだ。そもそも整備された道がない時点で進路を見失いやすいのだが、どの方向から来たかくらいは覚えている。西へ歩いたのだから東に歩けば村があるはずだったのに、一向に出口は見えず森を彷徨う羽目となってしまった。
「食料といえばお金も問題よね。姉様から貰った十万カシェが全所持金なわけで、今残っているのが九万七千カシェ。まだ余裕があるとはいえ稼ぐ手段がないんだもの。お金なくなったらマズいわよねえ」
レミの言葉を聞きつつ、エビルは深すぎる森の謎について考える。
一向に出られる気配のない森。単純に深いだけなのか、それとも別に理由があるのか。魔物図鑑の内容を思い出してみてもこんなことが出来る魔物は載っていなかった。
「向こうの大陸だとギルドっていう傭兵達の集まりがあるらしいわ。何でも村とか町の人の依頼をこなして、報酬として収入を得るとか。うーん、アタシってそういうの向いてそうよね。魔物やっつけてお金貰えるならやってみたいなあ……」
「よし、やってみよう」
「え? 傭兵を?」
「いやそっちじゃなくて、ちょっと森で試してみたいことが出来たんだよ」
一つだけ、迷い続けている現象について思いついたことがあった。
エビルは鞘から抜剣して近くの木を浅く斬りつける。木の幹には剣でつけた横向きの傷ができた。
「何してんのよ。まさか木を全部斬り倒すとか?」
「まさか。まあ、意味は後で説明するよ」
その後、エビルが剣で木の幹に傷を付けながら先を歩く。
傷の方向は一定。全て浅い横の切り込み。行動の意味が分からずレミは不思議そうな顔をしながら後ろに続く。
「あっ、あのキノコ……みたいな木。さっきも同じようなのがあったわね。くっ、まさかキノコと間違えて齧っちゃうとは思ってなかったわ」
「うん、僕もびっくりしたよ」
返事をしながらエビルは木の幹に傷を付けていく。
――そうして一時間ほどが経った頃。
「やっぱり……」
エビルがそう呟いた理由は目前の木。
新しい木に傷を付けようとした時、なんとその木には既に傷があったのだ。しかもエビルがこれまでに付けてきた傷と酷似しているものが。
「うそっ、どういうこと!? 全然腕振りが見えなかった……」
レミは驚いているが勘違いしている。エビルは今そもそも剣を振っていない。
「いや違うよ、僕が今付けた傷じゃない。まあ僕が付けたっていうのは何も間違ってないけど。……これは今じゃなくて、さっき付けた傷なんだよ」
「……過去へ斬撃を飛ばしたってわけね」
「いや僕そんなに凄い技使えないから。そうじゃなくて、僕達は一定の距離を進んだ後に最初の地点に戻されてるってことだよ」
まるで御伽噺に出てくるような設定の森だとエビルは思う。
実際のところ、疑念を抱いていたものの本当にそうだとは思っていなかった。半分冗談のような気持ちで傷を目印として付けていたのだが、本当にループする森だと分かった今驚愕するしかない。レミも「……え」と目を丸くして驚いている。
「えっと、ホントに?」
「うん、まず間違いない。この森は入ったら一定の距離でループして、出口にも行けない迷いの森なんだよ。物語の中ならワクワクしていたけど実際に自分が迷うとなるときついな……」
「ええっ!? じゃあどれだけ歩いても意味ないってこと!? アタシ達この森から一生出られないの!?」
出られない理由が分かったところで打つ手はあまりない。レミの言う通り下手すれば一生出られない可能性だってある。
しかしこんな人を迷わせる御伽噺のような森があるのだ。どこかにこの不思議な森を発生させた装置があってもおかしくない。エビルは当面の間そういった道具を探すことにした。
「もしかしたら、こんな森を作る仕掛けみたいなものがどこかにあるかもしれない。とりあえずあると仮定してこれから動こう。いつまでもここで足止めされるわけにはいかない」
「そうね、一応魔信教倒して世界救う旅だしね」
木の陰だったり、地面だったり、それらしき物を探して二人は再び歩く。
本当にそんな摩訶不思議な道具が存在するのか分からない中探し続けて三時間。かなりの時間探したもののそんな道具の手がかりすら掴めなかった。あくまでも推測なので本当はないのかもしれないとエビルは思ってしまうが、それなら本格的に森を作る存在が何なのか分からなくなってしまう。
探し歩いているうちに日は落ちて、ただでさえ薄暗い森がさらに暗くなる。
夜目の利かない二人では真っ暗な森の中を歩くのは危険だ。月明りで多少の視界は確保出来ていても、魔物が出ないこの森で怪我をする可能性は十分ある。
「……今日は一旦探索を止めようか」
「ええ、暗くてもうあんまり見えないしね」
夜。レミは腰にある麻製の小さな収納袋から寝袋を取り出す。
野宿するなら基本的に寝袋は必須アイテム。二人が使用しているのは正確には袋ではなく一枚のシートであり、魔物に襲われた時すぐに脱出出来るようマジックテープでくっつくだけの仕組みになっている。通気性が相当高いので寒さには弱いが、それでも一応既存の技術をフル活用して暖かくなる生地を使用している。
月光が木の葉の隙間から入ってきても暗い中、二人は寝袋に入って目を閉じた。
まだ暖かい季節であるし、アスライフ大陸は温暖な気候なため開放的な寝袋でもあまり寒くない。むしろ快適なくらいである。だがそんな快適な温度の中でも二人は中々眠れない。
「ねぇ、エビル……起きてる?」
レミがそう問いかけたのでエビルは「起きてるよ」と返事をする。
「もしかして一生この森から出られない、なんてことにならないわよね……」
旅に出てまだほんの少しだというのに、危機的状況に陥ってしまったことでレミは不安そうな声を漏らす。
「それは困るね……僕らにも目的があるんだ。一生この森にいるなんて出来ない、なんとか明日出れるように頑張ろうよ。大丈夫、力を合わせればきっと出れるさ」
「そう、よね。出れる、よね」
安心させるようにエビルが優しく話してもレミの気力は復活しない。
表情から不安がなくならないレミはまだ眠らず話を続ける。
「……ごめんね」
「何を謝ってるのさ」
「アタシ、ちょっと旅が楽しくて浮かれすぎてたかもしれない。魔信教を倒すっていう目的もあるのに、危険だって分かってるのにさ。この森に入って、本当に困って、そんな自分がバカみたいに思えたの。この森に入る時だって能天気にワクワクしちゃってさ」
レミの場合は仕方ないところがあるとエビルは思う。
今まで町の外に出たことがなかったのだ。そういう意味ではエビルも同じなのだが、彼女を任されている身としては責任感が足りなかったと若干後悔している。
「僕だって同じだよ。こんな森に入る時にワクワクしちゃってた。普通じゃないのが分かっているんだからもっと色々可能性を考えておくべきだった。事前に予想していれば、また違った結果になったかもしれないからね」
「そんなっ、エビルは悪くないよ。こんなの予想出来るわけないし」
「ならレミだって悪くないよ。僕はね、この旅を楽しむことが悪いとは思わない。だってレミは言ってたじゃないか。アランバートを出る時『何をするにも楽しんだもん勝ちなんだから』って」
悔やんだとはいえエビルはその気持ちを忘れていない。
魔信教討伐は確かに重要な目的の一つだがそれ以前に、世界を見て回るという楽しめる目的だって重要なものだ。
アランバートを出るまで危険な旅ということを意識しすぎていたが、レミの言葉にエビル自身の意識を変えられた。辛そうな旅から楽しむ旅へ変化した。楽しんでいかなければ途中で心を病んでいくだけなのだから。
「……そうだったわね。うん、やっぱさっきのナシ!」
「元気が戻って何よりだよ。さあ、明日の探索のために早く寝よう」
二人は眠ろうと目を閉じる。
吹っ切れたおかげかレミが寝息を立て始めるのは三分とかからなかった。
レミが眠ったと理解したエビルはシャドウに語りかける。
内容はこの不思議な森についてで、脱出する方法に心当たりがあるかどうか。ただシャドウは「さあな」と言うだけで何も教えてくれなかった。嘘を吐かないだろう彼が知らないと断言したのならともかく、今回エビルははぐらかされた気がした。
シャドウに助けを求めるのは諦めてエビルは眠ろうと目を閉じる。
そもそもシャドウに助けを求めるなどどうかしていたと思う。イレイザーとの戦いでは剣を貸してくれたりしたので味方だと勘違いしてしまったが、元々は故郷を滅ぼした敵なのだ。いくら絶望的な状況でも敵を頼るなど考えを改める必要がある。
そんなことをエビルが考えている時、レミの寝息が止まった。
両目を開けたレミは寝袋のマジックテープを剥がして上体を起こす。
「どうしたのさレミ」
彼女は少し黙った後で口を開く。
「聞こえる。刃物か何かで木を斬る音」
気になったエビルが聴覚を研ぎ澄ましてみると、小さいが確かに妙な音がすることに気がついた。昼間に自分が木を斬りつけた音の大きいバージョンだと何となく感じる。
「これは……。誰かいるのかもしれないね」
「ええ、行ってみましょう」
二人は寝袋から出て収納袋へしまう。
暗闇の中、夜目の利かない二人では歩きにくい。だがレミが秘術を使用して小さな火を手のひらの上に出したことで、狭い範囲だが十分な明かりと視界を確保出来た。
音のする方へと二人は慎重に歩いて行く。
段々と刃物を振るうような音に近付いており、遠くに人影を見つける。
「人がいる……。僕達以外にもいたのか、気付かなかった」
性別はまだ分からないがその人影は大鎌を振るっていた。なぜか大鎌で木を傷付けるのを繰り返している。
暗い森に火の明かりがあったせいか人影がエビル達に気付いた。
「ああ? 誰だ?」
男の声がした。男だと判明した人影は二人に近付いて来る。
「何だお前ら、見ねえ顔だな……」
近付いて来るとともに段々と男の姿が明らかになっていく。
黒髪。黒くて鋭い目。衣服は黒いマント、体のラインが浮き出るような黒のボディースーツのみ。六つに割れた腹筋がくっきりと見えている。一番特徴的と言えるのが肩に担ぐ黒い大鎌だろう。いや一番は身につけている物が全て黒一色ということかもしれない。
黒一色といってもシャドウとは違う。
彼の場合は肌の色まで黒かったが目前の男は褐色肌だ。
「えっと、僕達は怪しい者じゃないんです。ちょっと道に迷ってしまって」
「この森を抜けられないの。出る方法を知らない?」
初対面なのでエビルは丁寧な言葉遣いで話しかける。
レミに関しては元からフレンドリーな感じなので、人にもよるだろうが言葉遣いは変わらないだろうなとエビルは思っていた。
「随分と高めの声だなお前。顔も中性的だから女性と間違えちまうぜ。もし胸があったら可愛らしい女性なのにな」
「……それ、もしかしてアタシに言ってる?」
よりにもよって男はレミの性別を間違えてしまっていた。
確かに一般的な女性よりも短い赤髪であるし、胸はまな板と言われそうなくらいにないため間違えてもおかしくないのだが。
険しい目つきになったレミは右手を固く握っている。左手は火を出しているので何もしていないが、もしもう少しでも失礼なことを言ってしまえば容赦なく右拳が飛んでいくだろう。
ただでさえ貧乳を気にしていることをエビルは知っている。今ので殴らなかっただけでも精神の成長を喜びたいくらいである。
「おう。つうか一人称がアタシって……お前、まさかオカマってやつか?」
「アタシはれっきとした女よおおおお!」
残念なことにレミの右拳は容赦なく男の顔面へ叩き込まれた。
殴られた男は「ぐああああ!」と悲鳴を上げながら後方へ吹き飛んだ。
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