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第二部 一章 動き出す七魔将
滅国の槍使い
しおりを挟む穏やかな海を移動する一隻の船が港へ停泊する。
漁業用の船から降りたエビル・アグレムは港から見える景色に感動した。
船旅中も眺めがよかった真っ青な海。見たことのない材料と石材が使われた港町の地面。一番高い建造物からはゴーンゴーンと鐘の音が鳴っている。
新しい町へ足を踏み入れるといつも感動してしまうものだ。
しかもここはオルライフ大陸のアギス港。エビルがいたアスライフ大陸より西にある場所であり、新しい町どころか新しい大陸なのである。感動も倍々で心を震わせる。
「アギス港か……俺も、来るのは初めてだな」
そう言って船から降りて来たのは長髪の男。
筋肉質で、頭に赤いバンダナを巻いた彼はエビルが乗った船のクルーだ。
「ここまで送ってくれてありがとうございました。ホーストさん」
「いやいや構わないって。漁のついでだ、お前には恩もあるし大したことじゃない。それに、俺も一度他の大陸ってやつを見てみたかったんだ。想像以上で震えるなあこりゃあ」
アスライフ大陸は以前まで他の大陸との繋がりが絶たれていた。
今では原因のクラーケンという魔物が倒され、比較的安全な船旅が出来るようになった。大陸間を渡る船も出航している。普通は渡航用の船で移動する……が、エビルが乗ろうとした時は満席で乗れなかったのである。
そこでタイミングよく知り合いのホーストが通りかかった。
事情を聞いた彼は自分が乗る漁業用の船で送ると告げ、断る理由もないためエビルも快諾。タダ乗りは申し訳ないため漁を手伝いつつここまで来たのである。
「しかし、寂しくなっちまうな……」
ホーストが悲しみと共に呟く。
「おかしいよなあ。お前はノルドに定住していたわけじゃないから、殆ど会う機会なんざなかったのに。こうして、別の大陸に行っちまうのを見届けると……ああ、もうあいつは俺達と同じ大陸には居ねえんだなって思っちまう」
「また会えますよ。次にノルドへ行ったら、絶対に会いに行きます」
彼は「約束だぞ!」とエビルの背を強めに叩く。
寂しいと言う彼の気持ちも理解出来る。仲の良い誰かと別れる時はいつだって別れを惜しむものだ。今だってエビル自身、彼との別れを寂しく思っている。
「そんじゃあ旅、頑張れよ。元気でな」
「ホーストさんもお元気で」
最後に握手を交わし、船に乗り込んだ彼は仲間と共に離れていく。
本来の仕事は全く違うのに送ってくれた彼等への感謝はとても強い。
船が見えなくなるまで相手に感謝が伝わるよう頭を下げていた。
「よし、僕も行こう。まずは観光かな」
今回の旅でエビルが先を急ぐ理由はない。
シャドウがアギス港へ来いと言っただけであり、その理由が明らかになるまでは滞在するつもりだ。義理はあるため長めに待つつもりではいるがずっと待つことはない。一応、人助けしながら世界を周る目標があるため、長く待たせるようならアギス港を出発する予定である。
何にせよ急がない旅というのは非常に良い。
一人は寂しいが慣れれば快適になるだろう。
観光を開始したエビルはアギス港をじっくりと眺めて歩き出す。
真っ先に探すのは宿屋だ。泊る場所を確保するのは旅の基本と言っていい。だがアスライフ大陸では見慣れたはずの看板はどこにもなく、宿探しは難航を極めた。基本中の基本が三十分経っても出来ない。
宿屋の先に服屋や飲食店を見つけてしまった。
ガラスの壁の向こうに衣服や食事場所が並んでいるため分かりやすい。
一旦流れを変えるため、宿より先に服屋へ入ることにする。
アギス港へ到着した時から違和感はあったが町中を歩き、服屋で衣服を触ったら確信に変わった。エビルはこの町でかなり浮いた服装をしている。
流行が違うというより技術面が全く違う。同じ布製の衣服なのに、オルライフ大陸の人々が着ているものは非常に柔らかい質感。対してエビルが今着ている衣服はざらざらと荒い質感。見た目もよく見れば編み目の細かさが違う。
質感を気に入ったエビルは新しい服を買い、早速着替えた。
髪と同じ色の白いコート、動きやすいブーツ。緑色のマント。
どれもこれも値段は五千カシェ以上と高値だったがそれだけの価値がある。実際に着替えてみれば肌触りが優しくて気持ちいい。アスライフ大陸で売れば老若男女あらゆる人達が欲しがるだろう。
服屋を出てから宿探しを続行。
歩いて、歩いて、歩き回って未だに見つからない宿の看板。もはやアギス港に宿屋などないのではないかと思えるくらいに見当たらない。しかし、小さな村ならともかく基本的に町なら宿屋はあるものだ。どこかにあるはずだと諦めずに探す。
「うん? あれは……」
視界に入ったのは宿屋の看板……ではなく、横に広がって歩く十人組。
無精髭の生えた大柄の男を筆頭にガラの悪そうな男達が歩いていた。
町の人々は見るからに避けて通っているし恐怖している。
「どこにでもいるんだな、ああいう人達」
悪事を働いたわけではないため懲らしめはしないが、見ていて良い気分はしない。彼等は酒が描かれた看板の店に入っていく。すると直ぐに中に居た客と思われる人々が焦って出て来た。
感じられる感情は恐怖、焦り、心配。エビルは念のため話を訊くことにする。
「あの、何かあったんですか? 慌てているみたいでしたけど」
「え? あ、ああ、ガラの悪い連中が酒場に入って来てさ。それだけならいいんだけど、今からここは俺達の貸し切りだーとか言いやがって。逆らうのも怖いから店を出たんだよ」
酒場の入口を眺めたエビルは異変に気付く。
本当に貸し切ったのなら喜びやら楽しさやら、正の感情で溢れるはずだ。……なのに一人だけ強い怒りを抱いている者がいる。もし店主ではなく、まだ誰か残っているとしたらどうか。嫌な予感がしたので客だった男に質問する。
「あの、もしかしてまだ中にお客さんが居ましたか?」
「俺もあの場に居た客全員を憶えてないけど……居るかもしれない。店を出る時、お前も早く出て行けとか聞こえた気がするし。……居たとしたらバカな奴だよ。殺されるかもしれないのにさ」
「情報ありがとうございました」
「君もさ、ああいう連中に関わらない方がいいよ。それじゃね」
男は去って行く。エビルは言う通りにせず酒場へと目を向けた。
一人の怒りはさらに強まっているため争いに発展しかねない。
中に入ったのは明らかに争いごとを好みそうな連中だ、放っておけば酒場の中が殺人現場になってしまう可能性がある。見過ごすのは今までの自分を裏切るようなものだ。冷静に警戒を強めながら酒場の扉を開けた。
扉の先は階段となっており、騒がしい人々の声が聞こえてくる。
気配を悟らせないため音を立てずに階段を下りて行く。
「――いいから俺達と一緒に飲めよ! 俺達との酒は飲めねえってのか!?」
一際大きな怒鳴り声が響いたので足を一瞬止めた。
その後、見つからないで様子を窺えるギリギリの場所へ下りる。
中の様子を覗いてみると数人の男達が一人の客に詰め寄っていた。先程から感じていた強い怒りは、カウンター席に座っている客からのものだ。やはり残った客だったかと思いつつ様子を窺う。
「先程から騒がしい輩だ。モラルの意識だけでなく知性まで低いのか?」
凛とした声での罵倒が酒場内によく響く。
「な、何だと!?」
「テメエ! 女だからって調子乗ってんじゃねえぞ!」
「俺達がお優しくしてりゃあ生意気なこと言いやがって!」
麻のフード付きローブを身に纏う女性客の罵倒で、周囲の男達が怒りを抱く。
怒りは伝染する。彼等の仲間と思われる、他の席に座っている集団も怒り出す。集団の注目が女性客に移ると騒がしかった店内が少し静かになった。
「もう一度言おう。貴様等のような者と共に酒は飲まない。なぜか言わなければ分からないのか? 自分の都合しか考えず、他の客を追い出し、店を占領するような低俗な輩と飲めば酒が不味くなるからだ。まずは追い出した客達に頭を下げてこい」
随分とキツめの口調で怒りを露わにする女性客。
正論かもしれないがさすがに言いすぎだ、あれでは襲って来いと言っているようなもの。現に周囲の男達は額に青筋を浮かべて腰の剣に手をかけている。
「ざ、ざっけんじゃねえぞオラあああ!」
興奮状態の男数人が鞘から剣を抜いて斬りかかる。
助けに入るなら女性客に剣が触れる前にエビルが助けられる。しかし足を動かさず、様子を見守った。なぜならこちらが助けずとも自力で切り抜けられる何かを感じたからだ。
女性客は立ち上がり、背負っていた槍を使って男達を吹き飛ばした。
槍の扱いにエビルは詳しくないが凄いことは分かる。彼女の早業を目で捉えられた者はこの場でエビルだけだろう。
「クズめ、私の視界から消えろ」
被っていた麻のフードを捲った彼女の素顔が露わになる。
桃色のポニーテールを揺らす彼女は、エビルが今まで見た中で一番美しい顔をしていた。男達もあまりの美顔に一瞬動揺して闘志を失くす。
「誰かを害するだけの目的で人間に武器を振るうなど戦士としては三流だ」
「くっくっく、はっはっはっはっは! 面白い女だ。俺達に楯突ける奴がまだ居たとはなあ、しかも驚くほど美人ときたもんだ。俺達に喧嘩売ってタダで済むと思ってねえよなあ?」
集団のリーダーと思われる、無精髭の生えた大柄の男が席から立ち上がる。
消えた闘志も戻ったようでガラの悪い男達全員が立って剣を構えた。それに眉一つ動かさない女性客は槍を構えて、大柄の男を見据える。所作全てが絵になる彼女は絵画から飛び出したのではないかと思えた。
「くだらないことばかり言わないでとっとと掛かって来い。時間の無駄だ」
「……上等だ。やっちまえ野郎共! 後で遊ぶんだから生かしとけよ!」
ついに本格的な戦いが始まった。酒場の中で乱闘が繰り広げられる。
狭い場所で集団を相手にするのは実力者でも厳しい。いくら彼女でも……と思ったエビルだが心配は杞憂に終わる。予想を上回る実力を秘めていた女性客はピンチになることなく戦闘を続けていた。自分より体格の大きな男相手に上手く立ち回り、槍の一撃で気絶させている。
一人、また一人と男達を殺さず無力化していく。
決して相手を殺さない彼女の戦い方にエビルは感服した。
当時のエビルのように殺せないのではない、確かな意思を持って殺さないのだ。店内で殺してしまえば店主の迷惑になってしまうし、ガラの悪い連中だからとすぐに殺さないのは好感が持てる。
「ば、バカな、こんなに強い女がいるなんて……」
残りはリーダー含めて二人。
自分が出なくても大丈夫そうだとエビルが思い背を向けた途端、嫌な予感がした。急に風の流れが変化したのだ。勝利の風に若干敗北が混じり始めた。
「おらあ! そこまでだ女ああ!」
一人の男が短剣を誰かの首に当てているのがエビルから見える。
ガラの悪い連中の一人が人質にしているのは、今まで視界には映っていなかった店主だ。乱闘が始まってから隠れたのだろうが見つかったらしい。仮にも利用する店の店主を人質にするなど、人として酷すぎる所業。エビルと女性客の怒りは高まっていく。
「へっへっへっへ、よくやった」
「……人質か。卑劣な真似をする」
「何とでも言え。勝負に卑劣も何もねえ、勝った奴だけがその場を制する!」
リーダー格の大柄な男が笑いながら女性客へ近付く。
槍を下ろしたことから彼女は降参するつもりだ。無理もない、正義感の強い人間ほど人質は有効な手段となる。少しでも動けば人質を殺すと理解したら中々動けない。
「――やれやれ、手を出す必要はないと思ったんだけどね」
さすがに見ているだけというわけにはいかなくなった。
素早く人質をとった男に接近したエビルは、背負っていた木剣を振って男を殴り飛ばす。一瞬で人質を解放してから女性客へとアイコンタクトする。それが通じたのか、彼女は槍を構え直す。
「なっ、誰だテメエ!?」
「敵から目を離すなど戦士として失格だ」
彼女の一撃が大柄な男へと突き刺さって壁に激突させた。
力強い攻撃で最後の一人が気絶したため店内での乱闘は終了する。
戦いが終わった後の店内は酷いものだった。テーブルや椅子は倒れ、酒の入ったグラスが割れてガラスが散乱しているのを見て店主が嘆く。
放置して店を出るのは良心が痛むため、エビルや女性客も片付けの手伝いをする。ガラの悪い集団については店主が呼んだ国の兵士に身柄を渡しておく。お礼として無料で飲んでいいと言われたエビル達は店主の言葉に甘えた。
カウンター席に座った二人は軽く会釈して、挨拶を済ませた。
「先程の加勢、感謝する。私の名はロイズ・ヴェルセイユ。君は?」
「僕はエビル・アグレムです。よろしくお願いします」
「敬語はなくして構わない。君は店主を助けた、誰かの為に己の力を振るえてこそ私が尊敬する戦士というもの。……私一人では助けることが出来なかった。己の力不足を痛感するよ」
「いや、彼等と真っ向から戦えば君が勝っていたさ。十分だと思うよ」
ロイズと名乗った彼女の実力は先程の戦闘で把握している。
日々鍛錬を積んだ国の兵士以上の力量、兵士長クラスと見ていい。動きからも日々の努力の積み重ねが見て取れるし、心構えもいい。悪人に厳しいが素晴らしい戦士だと殆どの人間が言うだろう。
「ふ、君程の戦士からそう言われて悪い気はしないな。私は決して警戒を解いていなかったが、君の動きに気付けたのは人質を解放した後だった。……君の強さが羨ましい。私に君程の力があればいいのだが」
憧れが向けられているのには先程から気付いていた。
もう十分強いのに憧れを抱くのは強さに執着している証。
「何か強くなりたい理由でもあるの?」
「……そうだな。君は善人だし隠す理由もないか。私は遥か北に存在したバラティア王国の生き残りだ」
悲し気に語る彼女の言葉に疑問を持ったエビルは「生き残り?」と呟く。
「知らないのか? オルライフ大陸の人間なら殆どの人が知っていると思ったが、別の大陸出身だったのか。……私の故郷であるバラティアは滅ぼされたんだ。槍を教えてくれた師も、友も、何もかもがたった一人の悪魔に蹂躙された。私は今、復讐のために旅をしている。サイデモン・キルシュタインという男を捜しているんだが知らないか?」
「ごめん、僕はアスライフ大陸から来たばかりだから何も知らなくて」
正直、エビルは自分の考えが甘かったと痛感した。
魔信教や盗賊団ブルーズなどを壊滅させたからといって、完全な平和なんて簡単にやって来ない。そもそもアスライフ大陸だけの問題だったのだ。世界的に見れば多くいる悪が少し減ったに過ぎない。例え一部が平和になっても悲劇が起きる場所は多くあるのだ。
楽観的な考えは捨てなければならない。
平和なんてものは遥か遠いのだと自覚しなければならない。
――勇者としての仕事はまだまだ残っている。
「アスライフ? まさか、復活した魔王が倒されたというあの? そうか、交流が絶たれていたあの大陸出身なら知らなくて当然だよ。……しかし、それなら君は魔王を倒した勇者を見たことがあるか?」
「え、あ……どうしてそんなこと聞くの?」
「子供の頃には憧れた存在だったからな。誰もが一度は勇者や姫に憧れを抱くんじゃないか? 今はそれほどでもないが知ってみたいんだ。かの偉業を成し遂げた勇者はどんな人物なのかを」
目の前に居ますと言えたらどんなに楽なことか。
残念ながら恥ずかしさは消えず、未だ自分を勇者だと知らない者にはわざわざ名乗らない。故郷の滅亡について語っている際感じた悪魔への激しい憎悪も気がかりだ。仮に正体を明かしても、その後に悪魔だと知ったら殺し合いに発展しかねない。
ロイズの勇者への憧れは完全に消えていないのを感じた。
もし憧れた者が憎き種族だと知ったら勇者自体を嫌う可能性が高い。エビル自身勇者という存在を大事にしているため、嫌う者を増やすのは阻止したいのだ。あらゆる可能性を考慮してみて、やはり自分が勇者だと明かすのは危険と判断する。
「……物語に出て来るような完璧な存在じゃないさ。完璧になるために足掻き理想を追求する男、かな。……きっと、困っている人を見かけたら駆けつけるような……そう、君みたいに優しさを持っていると思う」
「む、優しい夢追い男か。なるほど、存外普通なのだな」
エビル・アグレムは自分が特別な存在だと自覚している。
先代勇者の生まれ変わり。強大な悪魔の分裂した片割れ。世界で四人しかいない秘術使いの一人。これだけ並べて自分が特別じゃないなんて言えるわけがない。
それでもロイズの感想は腑に落ちた。
特別なのは肩書であって中身じゃない。外側を特別という言葉でコーティングされただけであり、エビルをエビルたらしめる中身は特別などではない。
初めて作れた友達に喜び、故郷を滅ぼした男を憎み、自分の気持ちに悩む。
至って普通。そこらにいる人々とエビルの中身に大した差はない。違ったとしても意思の強弱くらいなものだろう。
何となくエビルは自分自身のことを理解出来た気がした。
「おっとすまない、こちらの話が長くなってしまった。君も注文したらどうだ?」
言われて思い出したが二人は店主から無料利用を許可されたのである。
ただ「そうだね」とは言ったものの、酒場に来るのも酒を飲むのも初体験。
かつての仲間、サトリは酒好きだったため今居れば意見を聞きたかった。居ないものは居ないで仕方ないので、手元のメニュー表を眺めて何を頼むか悩む。
カクテルだのハイだのと知らない言葉が並んでいて戸惑う。
今まで酒類を嗜まなかった弊害がここに来て発生するなど夢にも思わなかった。何度かチョウソンやサトリに飲まないかと誘われたのだが、今になってあの時誘いを受けていればと後悔する。酒を飲んだかつての仲間、レミが一杯で酔い潰れたのを見て怖くなったのだ。
「もしかして、酒は苦手か?」
「うぐっ……じ、実は飲んだことないんだ」
「なるほど、それならこの機に一度飲んでみるといい。最初は不安だからアルコール度数の低いものからだな。アルコールに弱い場合もあるから気を付けなければな、うん。……しかし私もどれがいいのか分からん。とりあえず……店主、私が先程飲んでいたものを頼む」
店主は笑顔で「はい」と答え、エビルにグラスを差し出す。
グラスに入っているのは黄金色の液体。若干甘い匂いもする。
ロイズから解説されたが目前の酒の名前はビルウ。
ミナライフ大陸だけに生っているビルスウェンという果実から作った物。黄金に光り輝く珍しい果実であり、魔物が強い未開の地にしか生らないため値段は高い。そのお値段は一杯一万カシェ。とても一般人が気軽に飲める代物ではない。
今回は店主の言葉に甘えて無料なので僅かに気は楽だ。
しっかり味わおうと思いながら少量飲むと、僅かな酸味が混じった濃厚な甘味がクセになりそうだった。味は美味しいし、ガンガン飲めてしまう。あっという間に一杯飲み干したエビルはもっとビルウを飲みたくなってしまった。
「すみません、このビルウってお酒を……」
飲み干してから数秒。頭がぼんやりして視界が霞む。
エビルは「もう……一杯……」と何とか言えたものの、体調の悪化に耐えきれずカウンターに突っ伏す。
徐々に狭まっていく視界。完全に意識がシャットアウトしてしまう前に手元のメニュー表に目がいく。そこには酒の名前と度数が書いてあり、明らかに素人が手を出していい代物ではないと分かる。飲んだことを後悔しつつエビルの意識は遠くなった。
*
意識が覚醒して目が自然と開く。
(ここは……えっと、何があったんだっけ)
寝起きだからか、ぼんやりとする頭でエビルは記憶を思い起こす。
オルライフ大陸のアギス港に到着した後。宿屋を探して歩き回り、酒場でのひと悶着を終え、初めて酒を飲んだところで記憶が途切れていた。
若干痛みを訴える頭を押さえたエビルはとりあえず起き上がる。
「おお、目が覚めたかエビル」
視界に入って来たのは桃色髪の美しい少女。
「ロイズ……? ごめん、いつの間にか寝ちゃったみたいで」
「謝るのは私の方だ。ビルウのアルコール度数が九十近くあるとは知らなかったよ。酒は嗜む程度に飲んでいたが殆ど貰い物だったからな、銘柄も度数も気にしたことがなかったんだ。本当にすまない」
「いや、君に落ち度はないよ。……でも、お酒は暫く遠慮したいかな」
美味しかったのは憶えているが一杯飲んで倒れたのだ、若干トラウマになる。
世の酒飲み達はよくあんなものが飲めるなと尊敬すらしてしまう。エビルの中で酒の基準がビルウになり、自分が飲めば倒れるものと認識してしまった。一種の劇毒である。もう余程のことがない限り酒を飲むことはないだろう。
「立てるか?」
「何とか歩けるよ」
寝ていた酒場の床から立ち上がり、歩いて調子を確かめる。
時折ふらつきはするが歩行に問題はない。頭もぼんやりしたままだが物事を冷静に考える程度は出来る。今だと戦っても実力の七割程度しか発揮できそうにないが幸い敵は居ない。
「宿泊場所は決めているのか? もう部屋を取っているなら送っていくが」
「……実はまだ」
「そうか、では私が宿泊している場所に案内しよう。付いて来てくれ」
案内してくれるというのならありがたい。
酒場を出てからロイズの案内によって歩いたエビルは目的地へ到着する。
目の前に聳え立つ高層の建物に目を奪われた。派手な色ではないがクランプ帝国にあった高級宿を思い出す。もっと狭くて高さも低い宿なら随分と目にしてきたが宿の次元が違いすぎる。
「こ、ここが宿? ホテルって書いてあるけど……」
「ホテル【ラフレシア】だ。設備もいいし良心的な値段だ、安心していい」
「ごめん、ホテルって何かな? 今まで全く聞かない単語だったから知らなくてさ。出来れば教えてくれないかな」
「は? ホテルはホテル……ああいや、すまない。アスライフ大陸出身の者には通じないのか。考えてみればそうだな、魔王が暴れて三百年以上経つが復興は中途半端だと聞いている。……あ、質問の答えだがホテルとは泊まる場所のことさ。まあ、高さがある宿屋はホテル、そうでない場合は今まで通りの宿屋という認識でいいと思うぞ。細かく分類する必要はないと思うが」
文明レベルが違うのは感じていたがエビルは恥ずかしく思う。
恐らく当たり前に知っていると思われる言葉を知らなかったのだ。よっぽどの田舎者が都会に出て来て恥を晒したような気分になる。……だが、どうもアスライフ大陸出身なら仕方ないと認識されているらしい。事実あの大陸は昔もっと高度な文明を築いていたと本で読んだ記憶がある。
「アスライフから来たなら初めてのことも多いだろう。よければ明日一緒に町を回らないか? 分からない時の解説役は必要だろう?」
「ありがとう。ロイズが一緒に来てくれると僕も嬉しいよ」
急ぎの旅ではないし、観光はじっくりしていくつもりなので訊くことは多そうだ。先程会ったばかりだが知り合いと共に観光した方が楽しいし、彼女の言う通り解説役が居てくれると本当に助かる。
エビルはまず初めてのホテルへ泊まるため、彼女の解説に耳を傾けながら歩き出した。
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