5 / 49
第1話 ー消えた掲示板スレー ⑤
しおりを挟む
ひと通り話がまとまり、先生が「本当に助かった」と何度も頭を下げたあと。
真白は、もう一度だけ紙のログを見返した。
そこに、一箇所だけ、先ほどとは違う意味で目を引く部分がある。
「先生、このIPアドレス……」
黒塗りの隙間から見える数字の並びを指で示す。
「“203...***”って書いてある行、ありますよね」
「ああ、さっきの“LOGIN_FAIL”のところとは違うやつだね」
先生が紙を覗き込む。
「これ、“リスト型攻撃っぽい連続アクセス”の前の日、六日の夜にも出てます。
そのときは、普通に“THREAD_VIEW”とか、“LOGIN_SUCCESS”だけ。
多分、誰かが様子を見に来てただけだと思うんですけど……」
「同じ場所から、前の日にも入ってたってこと?」
恋が眉をひそめる。
「はい。
それが“たまたま担当者がテストしてただけ”なのか、“攻撃者が前日から下見してた”的なものなのかまでは、わかりません。
ただ、“リスト型攻撃っぽい動き”とは、ちょっと雰囲気が違うので……」
真白は、そこに小さく「?」印をつけた。
「市の人に伝えるとき、“このIPだけ、前日からアクセスがあります”って一言添えてもらえると……もしかしたら手がかりになるかもしれません」
「わかった。そこもちゃんと伝える」
先生は真剣な表情で頷いた。
「柏加、本当にありがとな。
市の担当も、“高校生の利用者の声をなるべく聞きたい”って言ってたけど……ここまで具体的に話してくれるとは、正直思ってなかったよ」
「いえ……私が、気になってただけなので」
真白は、少し照れくさくなって視線を逸らす。
「でも、その“気になる”がなかったら、きっとここまで話も進まなかった。
だから、それはちゃんと誇っていいと思うよ」
先生の柔らかい声に、胸が少し熱くなる。
(平穏を守りたいって気持ちと、“おかしい”を見過ごせない気持ち。
両方抱えてても、いいのかもしれない)
情報室を出て、夕焼けが差し込む廊下に出たとき。
真白の心は、さっきよりもほんの少しだけ、軽くなっていた。
「真白」
隣を歩く恋が、にこっと笑う。
「やっぱりカッコいい」
「……またそれ?」
「だって、そう思ったんだもん。
昔みたいにひとりで全部背負い込むんじゃなくて、ちゃんと先生を巻き込んで、あたしも巻き込んで、正面から話しててさ」
「……それは、恋が支援役やってくれたから」
「でしょ? だから、あたしもカッコいいってことで」
「そこは自分で言うんだ」
二人で笑い合いながら、階段を上がっていく。
窓の外の空は、少しずつ色を変え始めていた。
その向こう側のどこかで、まだ“203...***”からのアクセスが続いているのかもしれない。
(もし、これが本当に“外からの攻撃”だったとしたら――)
それはきっと、この先のどこかで、もっと大きな波となって押し寄せてくる。
今はまだ、その“匂い”が、ほんのりと感じられる程度。
でも、真白の中の“白狐だった頃の勘”は、静かに囁き始めていた。
(これは、始まりにすぎない)
その予感を、まだ言葉にはしない。
ただ、隣で笑う恋の温度を確かめるように、真白はそっと肩を並べた。
平穏を望む二年生の春。
その裏側で、見えない何かが少しずつ動き出していることに、彼女は確かに気づき始めていた。
翌日。
二年C組の朝ホームルームは、いつもより少しだけ空気が張り詰めていた。
みんななんとなくそわそわしていて、スマホを机に出したまま、先生の言葉を待っている。
「はい、全員そろったね」
担任は教壇に立つと、手にしていたタブレットを軽く掲げた。
「まずは、クラスSNSの件について。市の教育ネットワーク担当から、正式な報告がありました」
教室のざわめきが、すっと小さくなる。
「結論から言うと――“外部からの不正アクセスがあった可能性が高い”。
で、その対策を昨夜から順次入れていて、今朝までに一通りの遮断と再発防止策が終わったそうです」
「不正アクセス……マジかよ」
「やっぱバグとかじゃなかったんだ」
小さな声があちこちから漏れる。
恋は、隣の真白の横顔をちらっと見た。
真白は唇をきゅっと結んでいるが、その目は静かに先生の言葉を追っている。
「具体的には、市全体の共通IDを狙った“総当たり系の攻撃”があってね。
同じ場所から、たくさんのアカウントに、短時間でログイン試行がかかっていたらしい」
先生は、少しだけ真白の方を見てから続ける。目立ちたくないというのは伝えてあるから、真白の名前がここで出ることはない。それを再度伝える様な目線だった。
真白は思わず背筋を伸ばした。
「ただし、パスワードの総当たり、いわゆる“片っ端から試すやつ”に対しては、すでにサーバ側で制限が入れられました。
同じ場所から短時間に何度も間違えると、そのアクセス元が一定時間自動でブロックされる。
失敗を繰り返したアカウントも、一時的にロックがかかるようにしたそうです」
「おお……なんか本格的」
「ゲームのログイン制限みたいなやつだな」
小さな感嘆が漏れる。
「で、それとは別に。今回、特に怪しいアクセス元が一つあって」
先生は少し考えてから続けた。
「詳しい数字は伏せるけど、学校で使っているのとは違うIPアドレス。
市内でも学校内でもなくて、よそのデータセンターらしい。
ここから、前の日にも“様子見”みたいなアクセスがあって、あの夜中の“初期化操作”も、全部ここ経由だった可能性が高いそうです」
(やっぱり……)
真白の胸の奥で、昨日紙の上に丸をつけた数字が蘇る。
「このアクセス元は、すでに市のネットワークからは遮断済み。
同じような動きをする場所があれば、すぐ自動で弾くように設定した、と」
先生はそう言ってから、教室をぐるりと見回した。
「なので、“今すぐまた同じことが起きる”って心配は、しなくていいと思って大丈夫です」
ふぅ、とあちこちで小さな息が漏れる。
「で、もう一つ。
今回、クラスSNSの中で、“誰かのアカウントが完全に乗っ取られた”っていう証拠は、今のところ見つかってないそうです」
「じゃあ、俺たちの自己紹介、覗かれてないんすか?」
後ろの方の男子が手を挙げる。
「“絶対に見られてない”とは言い切れないけど……少なくとも、“中身をじっくり読んで何かに使った”っていう痕跡はないって。
初期化したあとで、数回だけ画面を確認して終わってる」
先生の言葉に、真白は昨日情報室で見たログを思い出す。
数回だけの「THREAD_VIEW」。
それは、確かに“確認しただけ”のようにも見えた。
(でも、“だから大丈夫”って言い切れるほど、甘くもない)
胸の中に浮かんだ一文を、真白はそっと飲み込んだ。
「ただし。今回の攻撃で、“市の共通IDが狙われた”っていう事実は残るので」
先生は、タブレットを操作しながら続ける。
「今日の午後、市の教育委員会から“パスワード変更のお願い”が、一斉メールとポータルサイトで配信されます。
“できるだけ早く、パスワードを他のサービスと違うものに変えてください”ってやつね」
恋が小声で「来たね、対策案」と囁く。
真白は、くすぐったいような気持ちで視線を下げた。
「正直、“めんどくさい”って思う人も多いだろうけど」
先生は苦笑する。
「でも、これは“市のシステムを守るため”ってより、“みんなの他のサービスも守るため”の意味合いが強い。
だから、ちゃんとやってください。これは宿題以上に重要」
「“宿題以上”って初めて聞いた」
「テストより優先してね」
冗談めかした言葉に、教室に笑いが広がる。
「それから、クラスSNSの自己紹介スレ。
あれは残念ながら、ログから内容を完全には復旧できなかったそうです」
「マジかぁ~! 俺の渾身の自己紹介……」
「もう一回書くの、ダルいって」
嘆き声が上がる中、先生は少しだけ申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんね。
でも、市の担当の人たちも、“今回のことを教訓に、ログの取り方やバックアップ方法を見直します”って言ってた。
その最初の一歩として――」
先生は再び黒板に文字を書く。
『自己紹介スレ:本日18時に再開。改めて書き込みをお願いします』
「今日の夕方六時に、新しい自己紹介スレを立て直します。
そこに、みんなでもう一度、短い自己紹介を書いてください」
「えー……」
「“えー”って言ってるけど、お前ら、結局なんだかんだで盛り上がるでしょ」
先生のツッコミに、クラスの空気が少しだけ和らいだ。
「それと――」
そう言って先生は、少しだけ真顔になる。
「今回の件で一番大事なのは、“ネットが危険だから全部やめましょう”って話ではない、ってことです。
ちゃんと仕組みを整えて、ちゃんと対策して、みんなで気をつけながら使っていこう、っていう話」
その言い回しに、真白は胸の奥で何かが反応するのを感じた。
これは昨夜、恋が言っていたことだ。
『“もうSNS使うな”じゃなくて、“一緒に守っていこうね”って感じで――』
「だから、“怖がりすぎず、油断しすぎず”。
何かおかしいな、変だなって思ったら、今回みたいに先生や市の人に相談してほしい。
その“おかしい”って感覚が、いちばん大事だから」
先生は、ほんの一瞬だけ真白と目を合わせて、穏やかに笑った。
「……というわけで、報告は以上。
質問ある人?」
「先生の自己紹介も、再投稿するんすか?」
「するよ。“情報科の先生です。課題をたくさん出します”ってやつ」
「その部分は削除してもらっていいですかー!」
いつものようなツッコミと笑いが飛び交い、教室の空気は徐々に普段通りのざわめきへと戻っていった。
昼休み。
窓際の席で弁当を広げながら、恋がスマホを見せてきた。
「真白、ほら。市からのメール、もう来てる」
通知を開くと、「清能市教育委員会」からのメッセージが並んでいる。
『【重要】市共通IDのパスワード変更のお願い』
『【ご案内】クラスSNSの復旧と今後の対策について』
件名だけで、大体の内容が想像できた。
「さっき先生が言ってた“怖がらせすぎないで”ってやつ、ちゃんと反映されてるといいけどね」
恋がそう言うので、真白は“案内”のほうをタップしてみる。
そこには、できるだけ難しい言葉を避けながらも、今回起きたことと対策がきちんと説明されていた。
――一部のアクセス元から、不自然なログイン試行があったこと。
――今後、同様のアクセスは自動で制限されること。
――みんなにお願いしたいのは、パスワードの変更と、使い回しをやめること。
――それでも不安なことがあれば、先生や市の担当に相談してほしいこと。
そして最後に、一文だけ。
『このクラスSNSは、みなさんが安心して使えるようにするための実験的な取り組みです。
不安なことや「おかしいな」と感じたことがあれば、今回のように遠慮なく声を届けてください。』
「“今回のように”って書いてあるね」
恋が感心したように呟く。
「真白の“おかしい”が、ちゃんと反映されてる感じ」
「……大袈裟だよ。私以外にも、変だなって思った人はいるはずだし」
「でも、一番最初に先生のところに行ったの、真白でしょ?」
恋のまっすぐな視線に、真白は少しだけ目を逸らした。
(“最初に”かどうかは、わからないけど……)
それでも、自分が踏み出した一歩が、何かの形で文章に残っているのだとしたら。
そのことが、じんわりと心に広がっていく。
「パスワード、変えとこっか」
恋がスマホを操作しながら言う。
「どうせなら、“ちゃんと強くて、自分だけが覚えられるやつ”にしたいなぁ。
“password123”とかはナシでしょ?」
「それは論外」
思わず即答すると、恋が笑った。
「じゃあさ、真白先生。
“高校生でもできる、ちゃんとしたパスワードの決め方講座”、やってください」
「急にハードル上げるね」
「簡単でいいよ。“こういうのはやめよう”と“こういうのがオススメ”だけ」
真白は少しだけ考えてから、箸を置いた。
「……じゃあ、三つだけ」
「お、講座始まった」
「ひとつ。
“名前とか誕生日とか、クラスと出席番号とか、そのまま使わない”。
身近すぎる情報は、想像しやすいから」
「了解」
「ふたつ。
“同じパスワードを、あちこちで使い回さない”。
どこか一つから漏れたら、全部まとめて危なくなるから」
「それはさっきの話だね」
「みっつ。
“自分だけの法則を決める”。
たとえば、“好きな歌の歌詞の頭文字を並べる”とか、“小さい頃の思い出の場所の名前を、数字や記号と混ぜる”とか。
他の人から見たら意味がわからないけど、自分にだけはちゃんと意味がある、みたいな」
恋は、目を丸くして真白を見つめた。
「……なんか、ロマンチックな決め方だね、それ」
「ロマンチック……?」
「“自分だけがわかる意味”って、ちょっと秘密基地っぽくない?」
「まあ……そう言われると、そうかも」
くすぐったくなって、真白は視線を弁当に戻した。
「ちなみに真白のパスワードは?」
「言うわけないでしょ」
「だよねー」
しょうがないなぁ、と言いながらも、恋はどこか満足げだ。
(こうやって、“怖い”のと“ちゃんと守る”のバランスを取っていくのが、多分いちばん現実的なんだろうな)
真白は、そんなことをぼんやりと考えた。
真白は、もう一度だけ紙のログを見返した。
そこに、一箇所だけ、先ほどとは違う意味で目を引く部分がある。
「先生、このIPアドレス……」
黒塗りの隙間から見える数字の並びを指で示す。
「“203...***”って書いてある行、ありますよね」
「ああ、さっきの“LOGIN_FAIL”のところとは違うやつだね」
先生が紙を覗き込む。
「これ、“リスト型攻撃っぽい連続アクセス”の前の日、六日の夜にも出てます。
そのときは、普通に“THREAD_VIEW”とか、“LOGIN_SUCCESS”だけ。
多分、誰かが様子を見に来てただけだと思うんですけど……」
「同じ場所から、前の日にも入ってたってこと?」
恋が眉をひそめる。
「はい。
それが“たまたま担当者がテストしてただけ”なのか、“攻撃者が前日から下見してた”的なものなのかまでは、わかりません。
ただ、“リスト型攻撃っぽい動き”とは、ちょっと雰囲気が違うので……」
真白は、そこに小さく「?」印をつけた。
「市の人に伝えるとき、“このIPだけ、前日からアクセスがあります”って一言添えてもらえると……もしかしたら手がかりになるかもしれません」
「わかった。そこもちゃんと伝える」
先生は真剣な表情で頷いた。
「柏加、本当にありがとな。
市の担当も、“高校生の利用者の声をなるべく聞きたい”って言ってたけど……ここまで具体的に話してくれるとは、正直思ってなかったよ」
「いえ……私が、気になってただけなので」
真白は、少し照れくさくなって視線を逸らす。
「でも、その“気になる”がなかったら、きっとここまで話も進まなかった。
だから、それはちゃんと誇っていいと思うよ」
先生の柔らかい声に、胸が少し熱くなる。
(平穏を守りたいって気持ちと、“おかしい”を見過ごせない気持ち。
両方抱えてても、いいのかもしれない)
情報室を出て、夕焼けが差し込む廊下に出たとき。
真白の心は、さっきよりもほんの少しだけ、軽くなっていた。
「真白」
隣を歩く恋が、にこっと笑う。
「やっぱりカッコいい」
「……またそれ?」
「だって、そう思ったんだもん。
昔みたいにひとりで全部背負い込むんじゃなくて、ちゃんと先生を巻き込んで、あたしも巻き込んで、正面から話しててさ」
「……それは、恋が支援役やってくれたから」
「でしょ? だから、あたしもカッコいいってことで」
「そこは自分で言うんだ」
二人で笑い合いながら、階段を上がっていく。
窓の外の空は、少しずつ色を変え始めていた。
その向こう側のどこかで、まだ“203...***”からのアクセスが続いているのかもしれない。
(もし、これが本当に“外からの攻撃”だったとしたら――)
それはきっと、この先のどこかで、もっと大きな波となって押し寄せてくる。
今はまだ、その“匂い”が、ほんのりと感じられる程度。
でも、真白の中の“白狐だった頃の勘”は、静かに囁き始めていた。
(これは、始まりにすぎない)
その予感を、まだ言葉にはしない。
ただ、隣で笑う恋の温度を確かめるように、真白はそっと肩を並べた。
平穏を望む二年生の春。
その裏側で、見えない何かが少しずつ動き出していることに、彼女は確かに気づき始めていた。
翌日。
二年C組の朝ホームルームは、いつもより少しだけ空気が張り詰めていた。
みんななんとなくそわそわしていて、スマホを机に出したまま、先生の言葉を待っている。
「はい、全員そろったね」
担任は教壇に立つと、手にしていたタブレットを軽く掲げた。
「まずは、クラスSNSの件について。市の教育ネットワーク担当から、正式な報告がありました」
教室のざわめきが、すっと小さくなる。
「結論から言うと――“外部からの不正アクセスがあった可能性が高い”。
で、その対策を昨夜から順次入れていて、今朝までに一通りの遮断と再発防止策が終わったそうです」
「不正アクセス……マジかよ」
「やっぱバグとかじゃなかったんだ」
小さな声があちこちから漏れる。
恋は、隣の真白の横顔をちらっと見た。
真白は唇をきゅっと結んでいるが、その目は静かに先生の言葉を追っている。
「具体的には、市全体の共通IDを狙った“総当たり系の攻撃”があってね。
同じ場所から、たくさんのアカウントに、短時間でログイン試行がかかっていたらしい」
先生は、少しだけ真白の方を見てから続ける。目立ちたくないというのは伝えてあるから、真白の名前がここで出ることはない。それを再度伝える様な目線だった。
真白は思わず背筋を伸ばした。
「ただし、パスワードの総当たり、いわゆる“片っ端から試すやつ”に対しては、すでにサーバ側で制限が入れられました。
同じ場所から短時間に何度も間違えると、そのアクセス元が一定時間自動でブロックされる。
失敗を繰り返したアカウントも、一時的にロックがかかるようにしたそうです」
「おお……なんか本格的」
「ゲームのログイン制限みたいなやつだな」
小さな感嘆が漏れる。
「で、それとは別に。今回、特に怪しいアクセス元が一つあって」
先生は少し考えてから続けた。
「詳しい数字は伏せるけど、学校で使っているのとは違うIPアドレス。
市内でも学校内でもなくて、よそのデータセンターらしい。
ここから、前の日にも“様子見”みたいなアクセスがあって、あの夜中の“初期化操作”も、全部ここ経由だった可能性が高いそうです」
(やっぱり……)
真白の胸の奥で、昨日紙の上に丸をつけた数字が蘇る。
「このアクセス元は、すでに市のネットワークからは遮断済み。
同じような動きをする場所があれば、すぐ自動で弾くように設定した、と」
先生はそう言ってから、教室をぐるりと見回した。
「なので、“今すぐまた同じことが起きる”って心配は、しなくていいと思って大丈夫です」
ふぅ、とあちこちで小さな息が漏れる。
「で、もう一つ。
今回、クラスSNSの中で、“誰かのアカウントが完全に乗っ取られた”っていう証拠は、今のところ見つかってないそうです」
「じゃあ、俺たちの自己紹介、覗かれてないんすか?」
後ろの方の男子が手を挙げる。
「“絶対に見られてない”とは言い切れないけど……少なくとも、“中身をじっくり読んで何かに使った”っていう痕跡はないって。
初期化したあとで、数回だけ画面を確認して終わってる」
先生の言葉に、真白は昨日情報室で見たログを思い出す。
数回だけの「THREAD_VIEW」。
それは、確かに“確認しただけ”のようにも見えた。
(でも、“だから大丈夫”って言い切れるほど、甘くもない)
胸の中に浮かんだ一文を、真白はそっと飲み込んだ。
「ただし。今回の攻撃で、“市の共通IDが狙われた”っていう事実は残るので」
先生は、タブレットを操作しながら続ける。
「今日の午後、市の教育委員会から“パスワード変更のお願い”が、一斉メールとポータルサイトで配信されます。
“できるだけ早く、パスワードを他のサービスと違うものに変えてください”ってやつね」
恋が小声で「来たね、対策案」と囁く。
真白は、くすぐったいような気持ちで視線を下げた。
「正直、“めんどくさい”って思う人も多いだろうけど」
先生は苦笑する。
「でも、これは“市のシステムを守るため”ってより、“みんなの他のサービスも守るため”の意味合いが強い。
だから、ちゃんとやってください。これは宿題以上に重要」
「“宿題以上”って初めて聞いた」
「テストより優先してね」
冗談めかした言葉に、教室に笑いが広がる。
「それから、クラスSNSの自己紹介スレ。
あれは残念ながら、ログから内容を完全には復旧できなかったそうです」
「マジかぁ~! 俺の渾身の自己紹介……」
「もう一回書くの、ダルいって」
嘆き声が上がる中、先生は少しだけ申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんね。
でも、市の担当の人たちも、“今回のことを教訓に、ログの取り方やバックアップ方法を見直します”って言ってた。
その最初の一歩として――」
先生は再び黒板に文字を書く。
『自己紹介スレ:本日18時に再開。改めて書き込みをお願いします』
「今日の夕方六時に、新しい自己紹介スレを立て直します。
そこに、みんなでもう一度、短い自己紹介を書いてください」
「えー……」
「“えー”って言ってるけど、お前ら、結局なんだかんだで盛り上がるでしょ」
先生のツッコミに、クラスの空気が少しだけ和らいだ。
「それと――」
そう言って先生は、少しだけ真顔になる。
「今回の件で一番大事なのは、“ネットが危険だから全部やめましょう”って話ではない、ってことです。
ちゃんと仕組みを整えて、ちゃんと対策して、みんなで気をつけながら使っていこう、っていう話」
その言い回しに、真白は胸の奥で何かが反応するのを感じた。
これは昨夜、恋が言っていたことだ。
『“もうSNS使うな”じゃなくて、“一緒に守っていこうね”って感じで――』
「だから、“怖がりすぎず、油断しすぎず”。
何かおかしいな、変だなって思ったら、今回みたいに先生や市の人に相談してほしい。
その“おかしい”って感覚が、いちばん大事だから」
先生は、ほんの一瞬だけ真白と目を合わせて、穏やかに笑った。
「……というわけで、報告は以上。
質問ある人?」
「先生の自己紹介も、再投稿するんすか?」
「するよ。“情報科の先生です。課題をたくさん出します”ってやつ」
「その部分は削除してもらっていいですかー!」
いつものようなツッコミと笑いが飛び交い、教室の空気は徐々に普段通りのざわめきへと戻っていった。
昼休み。
窓際の席で弁当を広げながら、恋がスマホを見せてきた。
「真白、ほら。市からのメール、もう来てる」
通知を開くと、「清能市教育委員会」からのメッセージが並んでいる。
『【重要】市共通IDのパスワード変更のお願い』
『【ご案内】クラスSNSの復旧と今後の対策について』
件名だけで、大体の内容が想像できた。
「さっき先生が言ってた“怖がらせすぎないで”ってやつ、ちゃんと反映されてるといいけどね」
恋がそう言うので、真白は“案内”のほうをタップしてみる。
そこには、できるだけ難しい言葉を避けながらも、今回起きたことと対策がきちんと説明されていた。
――一部のアクセス元から、不自然なログイン試行があったこと。
――今後、同様のアクセスは自動で制限されること。
――みんなにお願いしたいのは、パスワードの変更と、使い回しをやめること。
――それでも不安なことがあれば、先生や市の担当に相談してほしいこと。
そして最後に、一文だけ。
『このクラスSNSは、みなさんが安心して使えるようにするための実験的な取り組みです。
不安なことや「おかしいな」と感じたことがあれば、今回のように遠慮なく声を届けてください。』
「“今回のように”って書いてあるね」
恋が感心したように呟く。
「真白の“おかしい”が、ちゃんと反映されてる感じ」
「……大袈裟だよ。私以外にも、変だなって思った人はいるはずだし」
「でも、一番最初に先生のところに行ったの、真白でしょ?」
恋のまっすぐな視線に、真白は少しだけ目を逸らした。
(“最初に”かどうかは、わからないけど……)
それでも、自分が踏み出した一歩が、何かの形で文章に残っているのだとしたら。
そのことが、じんわりと心に広がっていく。
「パスワード、変えとこっか」
恋がスマホを操作しながら言う。
「どうせなら、“ちゃんと強くて、自分だけが覚えられるやつ”にしたいなぁ。
“password123”とかはナシでしょ?」
「それは論外」
思わず即答すると、恋が笑った。
「じゃあさ、真白先生。
“高校生でもできる、ちゃんとしたパスワードの決め方講座”、やってください」
「急にハードル上げるね」
「簡単でいいよ。“こういうのはやめよう”と“こういうのがオススメ”だけ」
真白は少しだけ考えてから、箸を置いた。
「……じゃあ、三つだけ」
「お、講座始まった」
「ひとつ。
“名前とか誕生日とか、クラスと出席番号とか、そのまま使わない”。
身近すぎる情報は、想像しやすいから」
「了解」
「ふたつ。
“同じパスワードを、あちこちで使い回さない”。
どこか一つから漏れたら、全部まとめて危なくなるから」
「それはさっきの話だね」
「みっつ。
“自分だけの法則を決める”。
たとえば、“好きな歌の歌詞の頭文字を並べる”とか、“小さい頃の思い出の場所の名前を、数字や記号と混ぜる”とか。
他の人から見たら意味がわからないけど、自分にだけはちゃんと意味がある、みたいな」
恋は、目を丸くして真白を見つめた。
「……なんか、ロマンチックな決め方だね、それ」
「ロマンチック……?」
「“自分だけがわかる意味”って、ちょっと秘密基地っぽくない?」
「まあ……そう言われると、そうかも」
くすぐったくなって、真白は視線を弁当に戻した。
「ちなみに真白のパスワードは?」
「言うわけないでしょ」
「だよねー」
しょうがないなぁ、と言いながらも、恋はどこか満足げだ。
(こうやって、“怖い”のと“ちゃんと守る”のバランスを取っていくのが、多分いちばん現実的なんだろうな)
真白は、そんなことをぼんやりと考えた。
0
あなたにおすすめの小説
友達の妹が、入浴してる。
つきのはい
恋愛
「交換してみない?」
冴えない高校生の藤堂夏弥は、親友のオシャレでモテまくり同級生、鈴川洋平にバカげた話を持ちかけられる。
それは、お互い現在同居中の妹達、藤堂秋乃と鈴川美咲を交換して生活しようというものだった。
鈴川美咲は、美男子の洋平に勝るとも劣らない美少女なのだけれど、男子に嫌悪感を示し、夏弥とも形式的な会話しかしなかった。
冴えない男子と冷めがちな女子の距離感が、二人暮らしのなかで徐々に変わっていく。
そんなラブコメディです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる