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第4話 ー文化祭サイトの呪いー ⑤
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「で、提案があるんだろう? さっき、“二度と起きないようにしてほしい”って言ったね」
主任の先生に言われ、真白は息を整えた。
「まず、今すぐできることとして……」
指を折りながら、ひとつずつ言葉を選ぶ。
「サイト全体を完全に停止して、画面には“メンテナンス中”だけを出すようにしてください。パラメータ付きのアクセスも含めて、全部」
「うん」
主任がキーボードを叩き始める。
「それから、サーバー側の生ログをすぐに別の場所にコピーして、書き換えられないようにしてほしいです。CMSのログは削られてるかもしれないけど、生ログなら、まだ攻撃の痕跡が残ってるかも」
「なるほど、ログの退避だな」
主任はメモを取りながら頷く。
「CMSのバージョンアップは……文化祭本番までに時間が足りなければ、せめて管理画面へのアクセスを学校のネットワークからだけに制限するとか、外部からは入れないようにしてほしいです」
「IP制限か。ファイアウォールの設定をいじればなんとかなるな」
担任が、途中からぽかんとしていたのだろう。小声で恋に耳打ちした。
「なぁ、柏加って、いつもこうなのか?」
「真白の本気はこんなもんじゃないですよ。ところで、真白の言っている意味わかります?」
担任はあきれながらも、手短にまとめる。
「簡単に言うと、“今は外からでも管理画面にログインできているので、それを学校の中からだけにする”、“証拠になる記録は、消される前に安全な場所にコピーする”ってことだ」
「おお、わかりやすい」
「で、そのうえで、“古いままのソフトはちゃんと新しくして”だとさ」
「なるほどぉ」
恋は感心したように頷いた。
主任は、しばらくキーボードを叩いたあと、ふっと息を吐いた。
「……よし、とりあえず今やれる第一段階はやっておく。“全部メンテナンス中”にして、外部からの管理画面アクセスを塞ぐ。ログの退避も、今夜のうちにやっておこう」
「ありがとうございます」
真白は深く頭を下げた。
恋も続いて頭を下げる。
「それと、もしよければなんだが」
主任が少し言いにくそうにこちらを見る。
「クラス企画のテキスト部分の洗い出しと、改ざん箇所の確認を、柏加さんに手伝ってもらえないかな。文章の雰囲気も含めて、“もともとの下書き”と“呪いっぽい文章”を見分けるのは、俺たちよりも君のほうが早そうだ」
「……はい。やります」
迷いはなかった。
「ただし、あくまで“確認役”です。直接サーバーを操作したり、攻撃に対抗するようなことは、わたしはしません。そこは、先生たちの仕事だから」
「わかってる」
主任はにやりと笑った。
「そこを踏み越えない線引きをできるからこそ、安心して頼めるんだよ」
担任が手を叩いた。
「じゃあ決まりだな。柏加と木下は、クラスの準備の合間でいいから、必要があれば主任のところに顔を出してくれ。俺からも“協力生徒”ってことで話を通しておく」
「はい」
「了解です。情報収集班と、噂の火消し担当としても動いておきます!」
恋が胸を張ると、主任が面白そうに目を細めた。
「火消し担当?」
「はい。変な噂が広がりすぎると、それ自体が“攻撃者の狙い”ってこともあるかなって。真白が見つけたことは、必要なところにだけ伝えて、余計な混乱は起こさないようにします」
「頼もしいな」
短い打ち合わせを終えて準備室を出ると、廊下にはもう、ほとんど人の気配がなかった。窓の向こうでは、雨が少し弱まっている。
「ふぁー……緊張した」
恋が大きく伸びをしながら言う。
「真白、途中から“スーパー真白モード”だったよ」
「そんなモードないから」
真白は呆れたように答えながらも、自分の胸の鼓動がまだ速いままなのを感じていた。
怒りと、恐怖と、責任感。
その全部を抱えたまま、なんとか言葉にして吐き出したあとに残るのは、奇妙な疲労と、少しの安堵だった。
「でもさ」
恋が、階段に向かいながらぽつりと言う。
「怒ってくれて、ありがと」
「え?」
真白が振り向くと、恋はいつもの笑顔でこちらを見ていた。
「真白が怒ってくれたから、先生たちもちゃんと“本気モード”になったと思うんだよね。“文化祭だし仕方ないかー”で流されなかったっていうか」
「……怒ったっていうか」
真白は言葉を探しながら、手すりに手を置いた。
「悔しかっただけだよ。文化祭、みんな楽しみにしてたのに。それを勝手に……」
「うん。だから、怒っていいやつ」
恋はそう言って、真白の肩をぽんと叩いた。
「真白が“守りたい”って思う場所を守るのに、あたしも付き合うから。技術のことはよくわかんないけど、隣で“それ、すごいことだよー”って言う係くらいにはなれるし」
「それ、けっこう大事な係だと思う」
「でしょ?」
階段を降りながら、ふたりは少しだけ笑った。
外に出るころには、雨は細かい霧雨に変わっていた。校門の横の水たまりには、どろりとした雲が映っている。
「明日から、ちょっと忙しくなるかもね」
真白が言うと、恋は「もともと忙しいし」と肩をすくめた。
「文化祭準備して、サイトの確認して、噂の火消しして……って、なんかRPGのクエストみたいになってきた」
「ボス戦は、無しでいいけど」
「ボス戦、文化祭当日じゃないことを祈るわー」
そんな他愛もない会話をしながら、ふたりは駅へ向かって歩きだした。
真白のポケットの中で、スマホがひとつ震える。文化祭実行委員からの連絡だった。
『文化祭サイトは当面“メンテナンス中”表示になります。クラス企画の紹介は、紙媒体・校内掲示を併用する方向で検討中』
短い文章。それでも、“ちゃんと動き出した”ことを感じさせるには十分だった。
(大丈夫。今回は、ちゃんと見てる)
真白はスマホの画面を閉じ、深く息を吸った。
湿った六月の空気の向こう側で、まだ見ぬ「影」が静かにうごめいている気配がする。
それでも今は、隣を歩く恋の足音と、遠くで響く電車の音だけを頼りに、前へ進むことにした。
その先に、自分たちがどんな「ボス」と対峙することになるのかを、まだ誰も知らないまま。
文化祭サイトが“全面メンテナンス中”になってから、二日が過ぎた。
その間も、準備に追われる二年C組の教室は相変わらず騒がしくて、雨音とガムテープの音と笑い声が、毎日ごちゃまぜになっていた。
「じゃ、今日も始めまーす! お化け役、第一陣はこのメンバーで!」
恋の声に、教室のあちこちから元気な返事が返ってくる。
真白はその様子を横目に見ながら、教室の隅で制服の袖をまくった。机の上には、文化祭特設サイトのクラス企画ページを印刷した紙が、クラスごとに小分けにされて重ねられている。
「柏加さん、こっちは三年生分だ。元の原稿のプリントと見比べて、“変な文章”が残っていないか確認してくれるか」
情報科主任が、新しい束をどさっと置いた。
「はい」
真白はうなずき、ペンを手に取る。
今日の放課後は、教室と情報科準備室を行き来しながらの作業になっていた。クラスの準備が一段落したタイミングで抜け出し、主任と一緒に、クラス企画ページの“洗い出し”を進めているのだ。
今、真白の目の前にあるのは、二年A組と二年B組のページを修正したあとの確認用プリントだった。
『二年A組 喫茶店
心もあたたまる手作りスイーツと、クラスメイトの笑顔でお迎えします。』
『二年B組 演劇
クラス全員で作り上げる青春ストーリー。笑いあり涙ありのステージをお見逃しなく。』
どちらも、ごく普通の、文化祭らしい紹介文。
少し前までここに、“光の下に立つ者ほど深い影を踏む”だの、“笑顔の裏側を誰も見ようとしない”だのといった文言が紛れ込んでいたことが、今では少し嘘のように思える。
「……うん。A組とB組は、もう大丈夫そうです」
赤ペンで「OK」と丸を書き込み、真白は束を揃えた。
主任が隣で、ノートPCに確認結果を打ち込んでいく。
「助かるよ。元の原稿と、改ざんされた文章の区別がつかないところが多くてね。俺だけだと、どうしても見落としが出そうだった」
「そんなことないと思いますけど……」
「いやいや。“文化祭の文章”のテンションに慣れてないおじさんには、ちょっとハードルが高くてだな」
主任は冗談めかして笑う。真白も、少しだけ笑い返した。
「でも、こうして見てみると……」
手元のプリントを見つめながら、真白はぽつりと続けた。
「ちゃんと“元の文章”が戻ってきた感じがします」
「うん?」
「だって、どのクラスも、楽しそうじゃないですか。喫茶店も、演劇も、うちのお化け屋敷も。それぞれのクラスが、“こういう文化祭にしたい”って思って書いた文章なんだろうな、って」
さっき見終えた三年生の紹介文にも、手作りパンフレットの告知や、部活とのコラボ情報などが並んでいた。そこには、「呪い」とか「影」とか、そんな言葉は一つもなかった。
「それを勝手に書き換えられて、“全部呪われてる”みたいな雰囲気にされたのが……やっぱり悔しくて」
言いながら、胸の奥がほんのり熱くなる。
主任は、真白の横顔をじっと見てから、静かにうなずいた。
「その悔しさは、大事にしておいたほうがいい」
「……大事に、ですか?」
「怒りや悔しさってのは、本来は面倒な感情なんだけどさ。ちゃんと使えば、“もっとよくするための原動力”にもなるからな」
主任は画面を指差した。
「ほら、君が言ってくれた“ログの退避”も、“IP制限”も、“バージョンアップ”も、全部その怒りの延長線上の提案だろう?」
「そう……かもしれません」
「実際、助かってる。管理会社に連絡して、生ログもまるごと別のサーバーにコピーしてもらったよ」
主任は別のタブを開いて見せた。そこには、黒地に白い文字がびっしりと並んだ生ログ画面が表示されていた。
「これが、ウェブサーバー側の“生の記録”だ。さっきのCMSのログと違って、こっちはまだ改ざんも削除もされていない」
真白は画面に顔を近づけた。英数字の羅列の中に、いくつかの数字の並びが繰り返し現れている。
「……ここですね。同じIPからのアクセス」
「そう。CMSログにも残っていたIPと同じだ。ここからさらに範囲を広げていくと──」
主任がフィルタ条件を操作する。画面が切り替わり、今度は“xxx.xxx.xxx.*”という形で、同じネットワーク帯からのアクセスが一覧になった。
「この“*”の部分が変わりながら、似たような時間帯にアクセスしてきている。全部じゃないが、このレンジのIPからのリクエストの一部が、さっきの総当たり攻撃に使われている」
「一つのIPじゃなくて、“同じ仲間みたいなIP”がたくさん……」
「どこかのデータセンターか、クラウドサービスのIPレンジだろうな」
主任は、別ウィンドウでルックアップ情報を確認する。
「やっぱり。某国のクラウド事業者のアドレスっぽい。“同じCMSを使っているサイトを片っ端から試しているボット”って線が濃厚になってきたな」
ボット。
真白の背筋に、ひやりとしたものが走る。
(誰か特定の個人が、清能北高校を狙ってきたというより……)
(“弱そうな場所”を自動で探して、その中の一つとしてこのサイトが引っかかった、ってこと?)
「それって……」
恋の声が背後から飛んできた。
「“たまたまここが、実験台みたいにされちゃった”ってこと?」
振り向くと、恋がドアのところでタオルを肩にかけたまま立っていた。どうやら、教室からそのまま走ってきたらしい。
「恋、準備のほうは?」
「今ちょうど区切りがついたとこ。先生から“様子見てきてよし”って許可もらった」
恋は息を整えながら、モニタを覗き込む。
「で? ボット? ってことは、ロボット?」
「まあ、そういうイメージで合ってる」
主任が簡単に説明する。
「人間が手で一つ一つログインを試すんじゃなくて、“プログラムされたツール”が自動でパスワードを投げてくる。たとえば、“古いバージョンのCMSを使っているサイトを探して、一斉に攻撃する”みたいな」
「うわ……」
恋が顔をしかめる。
「そんなの、こっちからしたらたまったもんじゃないよね。“たまたまそこにいたから殴られた”みたいな」
「まさに、その表現が近いな」
主任は苦笑した。
「だから、うちとしては“殴られた”事実はちゃんと記録しておく。ログも教育委員会に報告して、必要があれば警察にも話を通す。それとは別に、“これ以上殴られないように防具を固める”のが、今やっている対策ってわけだ」
「防具……」
恋が真白の方を見る。
「真白、さっき言ってた“IPレンジを遮断する”って、つまり“その殴ってくる人たちの通り道を塞ぐ”ってことなんだよね?」
「うん。さっき主任に見せてもらったレンジは、完全に海外のクラウドサービスのものみたいだから、しばらく遮断しても、普通の利用者が困る可能性は低いと思う」
真白は、自分の中で整理した言葉を口にする。
「でも本当は、“どこから殴られても大丈夫なように、防具を厚くする”ほうが大事。つまり、CMSのバージョンを上げるとか、管理画面に簡単に入れないようにするとか」
「なるほど……」
恋は腕を組んで、妙に真面目な顔をした。
「世界ってさ、真白が思ってるより、ずっと物騒なんだね」
「いや、恋が思ってるより、じゃない?」
「細かいツッコミはスルーで!」
恋が笑いで話題を切り替える。張り詰めていた空気が、少しだけ和らいだ。
主任はひとまず生ログの画面を閉じ、真白たちのほうに向き直る。
「とりあえず、攻撃元とみられるIPレンジは、管理会社と相談してサーバー側でブロックすることにした。教育委員会にも報告を上げてある。警察にまで持っていくかどうかは、向こうの判断次第だな」
「……はい」
真白はうなずきながらも、胸のどこかにモヤモヤとしたものが残っているのを感じていた。
(“ボットによる実験”なら、それはそれで……)
(“誰かが、意図的に清能北を狙ったわけじゃない”っていう意味では、少しだけほっとするけど)
同時に、「どこかの知らない誰かが、どこかのサーバールームで、何百何千というサイトを“試して”いる」という事実が、ぞっとするほど現実感を持って迫ってくる。
「真白」
恋がそっと肩をつついた。
「今、何考えてた?」
「……世界は思ってるより物騒だなって」
「だよねー」
恋は、くすっと笑い、あっさり同意して見せた。
「でもさ。物騒だからこそ、“ちゃんと見てくれる人”がいてくれると、安心するんだと思う」
そう言いながら、恋はプリントの束を指差す。
「たとえば、こうやって“元の文章”を戻してくれてる真白とか」
「それは……主任先生が、実際に戻してるんだよ」
「その“ここが変だよ”って見つけたのは真白でしょ。そういうの、大事だよ」
恋の言葉に、主任も「同感だ」と頷いた。
「柏加さんがいなかったら、俺は“トップページの改ざん”だけ直して満足してたかもしれない。クラス企画のページの裏側までは、きっと気づかなかったよ」
「……わたしも、たまたま見つけただけです」
真白は視線を落とした。
「恋が、“一緒に確認しよ”って言ってくれなかったら、気づいてなかったかもしれないし」
「ふふん。それなら、“見張り役”の真白と、“一緒に見張る係”のあたしのコンビってことで」
恋はそう言って、軽くガッツポーズをした。
主任が笑いながら腕時計を見る。
「そろそろ時間だな。今日はここまでにしよう。続きはまた明日。文化祭当日までには、全部きれいにしておくから」
「はい。ありがとうございました」
真白は立ち上がり、頭を下げた。
準備室を出ると、廊下にはまだ微かにペンキの匂いが漂っている。窓の外の雨は、さっきよりもだいぶ弱くなっていた。
「ね、真白」
階段を降りながら、恋がふと口を開く。
「ここまでやったんだからさ。文化祭当日は、“ちゃんと楽しむ”って約束してよ」
「楽しむ、って?」
「事件のこととか、ボットとかログとか、全部頭の片隅に置いといていいから。“今は目の前のお客さんを驚かせることだけ考える”って」
恋の声は、いつもよりほんの少しだけ真剣だった。
「真白、ちゃんと怖がってくれる役もやってよね。怖がりキャラ、需要あるから」
「……それ、楽しむっていうより、いじられる未来しか見えないんだけど」
「いじるのも楽しみの一つ!」
恋が笑って、階段をひょいひょい降りていく。その背中を見ながら、真白は小さくため息をついた。
(でも──)
胸の中の重さは、さっきより少しだけ軽くなっていた。
(こうやって、“守ること”と“楽しむこと”の両方を、ちゃんとやってみてもいいのかもしれない)
そんなことを考えながら、階段を一段ずつ降りていった。
主任の先生に言われ、真白は息を整えた。
「まず、今すぐできることとして……」
指を折りながら、ひとつずつ言葉を選ぶ。
「サイト全体を完全に停止して、画面には“メンテナンス中”だけを出すようにしてください。パラメータ付きのアクセスも含めて、全部」
「うん」
主任がキーボードを叩き始める。
「それから、サーバー側の生ログをすぐに別の場所にコピーして、書き換えられないようにしてほしいです。CMSのログは削られてるかもしれないけど、生ログなら、まだ攻撃の痕跡が残ってるかも」
「なるほど、ログの退避だな」
主任はメモを取りながら頷く。
「CMSのバージョンアップは……文化祭本番までに時間が足りなければ、せめて管理画面へのアクセスを学校のネットワークからだけに制限するとか、外部からは入れないようにしてほしいです」
「IP制限か。ファイアウォールの設定をいじればなんとかなるな」
担任が、途中からぽかんとしていたのだろう。小声で恋に耳打ちした。
「なぁ、柏加って、いつもこうなのか?」
「真白の本気はこんなもんじゃないですよ。ところで、真白の言っている意味わかります?」
担任はあきれながらも、手短にまとめる。
「簡単に言うと、“今は外からでも管理画面にログインできているので、それを学校の中からだけにする”、“証拠になる記録は、消される前に安全な場所にコピーする”ってことだ」
「おお、わかりやすい」
「で、そのうえで、“古いままのソフトはちゃんと新しくして”だとさ」
「なるほどぉ」
恋は感心したように頷いた。
主任は、しばらくキーボードを叩いたあと、ふっと息を吐いた。
「……よし、とりあえず今やれる第一段階はやっておく。“全部メンテナンス中”にして、外部からの管理画面アクセスを塞ぐ。ログの退避も、今夜のうちにやっておこう」
「ありがとうございます」
真白は深く頭を下げた。
恋も続いて頭を下げる。
「それと、もしよければなんだが」
主任が少し言いにくそうにこちらを見る。
「クラス企画のテキスト部分の洗い出しと、改ざん箇所の確認を、柏加さんに手伝ってもらえないかな。文章の雰囲気も含めて、“もともとの下書き”と“呪いっぽい文章”を見分けるのは、俺たちよりも君のほうが早そうだ」
「……はい。やります」
迷いはなかった。
「ただし、あくまで“確認役”です。直接サーバーを操作したり、攻撃に対抗するようなことは、わたしはしません。そこは、先生たちの仕事だから」
「わかってる」
主任はにやりと笑った。
「そこを踏み越えない線引きをできるからこそ、安心して頼めるんだよ」
担任が手を叩いた。
「じゃあ決まりだな。柏加と木下は、クラスの準備の合間でいいから、必要があれば主任のところに顔を出してくれ。俺からも“協力生徒”ってことで話を通しておく」
「はい」
「了解です。情報収集班と、噂の火消し担当としても動いておきます!」
恋が胸を張ると、主任が面白そうに目を細めた。
「火消し担当?」
「はい。変な噂が広がりすぎると、それ自体が“攻撃者の狙い”ってこともあるかなって。真白が見つけたことは、必要なところにだけ伝えて、余計な混乱は起こさないようにします」
「頼もしいな」
短い打ち合わせを終えて準備室を出ると、廊下にはもう、ほとんど人の気配がなかった。窓の向こうでは、雨が少し弱まっている。
「ふぁー……緊張した」
恋が大きく伸びをしながら言う。
「真白、途中から“スーパー真白モード”だったよ」
「そんなモードないから」
真白は呆れたように答えながらも、自分の胸の鼓動がまだ速いままなのを感じていた。
怒りと、恐怖と、責任感。
その全部を抱えたまま、なんとか言葉にして吐き出したあとに残るのは、奇妙な疲労と、少しの安堵だった。
「でもさ」
恋が、階段に向かいながらぽつりと言う。
「怒ってくれて、ありがと」
「え?」
真白が振り向くと、恋はいつもの笑顔でこちらを見ていた。
「真白が怒ってくれたから、先生たちもちゃんと“本気モード”になったと思うんだよね。“文化祭だし仕方ないかー”で流されなかったっていうか」
「……怒ったっていうか」
真白は言葉を探しながら、手すりに手を置いた。
「悔しかっただけだよ。文化祭、みんな楽しみにしてたのに。それを勝手に……」
「うん。だから、怒っていいやつ」
恋はそう言って、真白の肩をぽんと叩いた。
「真白が“守りたい”って思う場所を守るのに、あたしも付き合うから。技術のことはよくわかんないけど、隣で“それ、すごいことだよー”って言う係くらいにはなれるし」
「それ、けっこう大事な係だと思う」
「でしょ?」
階段を降りながら、ふたりは少しだけ笑った。
外に出るころには、雨は細かい霧雨に変わっていた。校門の横の水たまりには、どろりとした雲が映っている。
「明日から、ちょっと忙しくなるかもね」
真白が言うと、恋は「もともと忙しいし」と肩をすくめた。
「文化祭準備して、サイトの確認して、噂の火消しして……って、なんかRPGのクエストみたいになってきた」
「ボス戦は、無しでいいけど」
「ボス戦、文化祭当日じゃないことを祈るわー」
そんな他愛もない会話をしながら、ふたりは駅へ向かって歩きだした。
真白のポケットの中で、スマホがひとつ震える。文化祭実行委員からの連絡だった。
『文化祭サイトは当面“メンテナンス中”表示になります。クラス企画の紹介は、紙媒体・校内掲示を併用する方向で検討中』
短い文章。それでも、“ちゃんと動き出した”ことを感じさせるには十分だった。
(大丈夫。今回は、ちゃんと見てる)
真白はスマホの画面を閉じ、深く息を吸った。
湿った六月の空気の向こう側で、まだ見ぬ「影」が静かにうごめいている気配がする。
それでも今は、隣を歩く恋の足音と、遠くで響く電車の音だけを頼りに、前へ進むことにした。
その先に、自分たちがどんな「ボス」と対峙することになるのかを、まだ誰も知らないまま。
文化祭サイトが“全面メンテナンス中”になってから、二日が過ぎた。
その間も、準備に追われる二年C組の教室は相変わらず騒がしくて、雨音とガムテープの音と笑い声が、毎日ごちゃまぜになっていた。
「じゃ、今日も始めまーす! お化け役、第一陣はこのメンバーで!」
恋の声に、教室のあちこちから元気な返事が返ってくる。
真白はその様子を横目に見ながら、教室の隅で制服の袖をまくった。机の上には、文化祭特設サイトのクラス企画ページを印刷した紙が、クラスごとに小分けにされて重ねられている。
「柏加さん、こっちは三年生分だ。元の原稿のプリントと見比べて、“変な文章”が残っていないか確認してくれるか」
情報科主任が、新しい束をどさっと置いた。
「はい」
真白はうなずき、ペンを手に取る。
今日の放課後は、教室と情報科準備室を行き来しながらの作業になっていた。クラスの準備が一段落したタイミングで抜け出し、主任と一緒に、クラス企画ページの“洗い出し”を進めているのだ。
今、真白の目の前にあるのは、二年A組と二年B組のページを修正したあとの確認用プリントだった。
『二年A組 喫茶店
心もあたたまる手作りスイーツと、クラスメイトの笑顔でお迎えします。』
『二年B組 演劇
クラス全員で作り上げる青春ストーリー。笑いあり涙ありのステージをお見逃しなく。』
どちらも、ごく普通の、文化祭らしい紹介文。
少し前までここに、“光の下に立つ者ほど深い影を踏む”だの、“笑顔の裏側を誰も見ようとしない”だのといった文言が紛れ込んでいたことが、今では少し嘘のように思える。
「……うん。A組とB組は、もう大丈夫そうです」
赤ペンで「OK」と丸を書き込み、真白は束を揃えた。
主任が隣で、ノートPCに確認結果を打ち込んでいく。
「助かるよ。元の原稿と、改ざんされた文章の区別がつかないところが多くてね。俺だけだと、どうしても見落としが出そうだった」
「そんなことないと思いますけど……」
「いやいや。“文化祭の文章”のテンションに慣れてないおじさんには、ちょっとハードルが高くてだな」
主任は冗談めかして笑う。真白も、少しだけ笑い返した。
「でも、こうして見てみると……」
手元のプリントを見つめながら、真白はぽつりと続けた。
「ちゃんと“元の文章”が戻ってきた感じがします」
「うん?」
「だって、どのクラスも、楽しそうじゃないですか。喫茶店も、演劇も、うちのお化け屋敷も。それぞれのクラスが、“こういう文化祭にしたい”って思って書いた文章なんだろうな、って」
さっき見終えた三年生の紹介文にも、手作りパンフレットの告知や、部活とのコラボ情報などが並んでいた。そこには、「呪い」とか「影」とか、そんな言葉は一つもなかった。
「それを勝手に書き換えられて、“全部呪われてる”みたいな雰囲気にされたのが……やっぱり悔しくて」
言いながら、胸の奥がほんのり熱くなる。
主任は、真白の横顔をじっと見てから、静かにうなずいた。
「その悔しさは、大事にしておいたほうがいい」
「……大事に、ですか?」
「怒りや悔しさってのは、本来は面倒な感情なんだけどさ。ちゃんと使えば、“もっとよくするための原動力”にもなるからな」
主任は画面を指差した。
「ほら、君が言ってくれた“ログの退避”も、“IP制限”も、“バージョンアップ”も、全部その怒りの延長線上の提案だろう?」
「そう……かもしれません」
「実際、助かってる。管理会社に連絡して、生ログもまるごと別のサーバーにコピーしてもらったよ」
主任は別のタブを開いて見せた。そこには、黒地に白い文字がびっしりと並んだ生ログ画面が表示されていた。
「これが、ウェブサーバー側の“生の記録”だ。さっきのCMSのログと違って、こっちはまだ改ざんも削除もされていない」
真白は画面に顔を近づけた。英数字の羅列の中に、いくつかの数字の並びが繰り返し現れている。
「……ここですね。同じIPからのアクセス」
「そう。CMSログにも残っていたIPと同じだ。ここからさらに範囲を広げていくと──」
主任がフィルタ条件を操作する。画面が切り替わり、今度は“xxx.xxx.xxx.*”という形で、同じネットワーク帯からのアクセスが一覧になった。
「この“*”の部分が変わりながら、似たような時間帯にアクセスしてきている。全部じゃないが、このレンジのIPからのリクエストの一部が、さっきの総当たり攻撃に使われている」
「一つのIPじゃなくて、“同じ仲間みたいなIP”がたくさん……」
「どこかのデータセンターか、クラウドサービスのIPレンジだろうな」
主任は、別ウィンドウでルックアップ情報を確認する。
「やっぱり。某国のクラウド事業者のアドレスっぽい。“同じCMSを使っているサイトを片っ端から試しているボット”って線が濃厚になってきたな」
ボット。
真白の背筋に、ひやりとしたものが走る。
(誰か特定の個人が、清能北高校を狙ってきたというより……)
(“弱そうな場所”を自動で探して、その中の一つとしてこのサイトが引っかかった、ってこと?)
「それって……」
恋の声が背後から飛んできた。
「“たまたまここが、実験台みたいにされちゃった”ってこと?」
振り向くと、恋がドアのところでタオルを肩にかけたまま立っていた。どうやら、教室からそのまま走ってきたらしい。
「恋、準備のほうは?」
「今ちょうど区切りがついたとこ。先生から“様子見てきてよし”って許可もらった」
恋は息を整えながら、モニタを覗き込む。
「で? ボット? ってことは、ロボット?」
「まあ、そういうイメージで合ってる」
主任が簡単に説明する。
「人間が手で一つ一つログインを試すんじゃなくて、“プログラムされたツール”が自動でパスワードを投げてくる。たとえば、“古いバージョンのCMSを使っているサイトを探して、一斉に攻撃する”みたいな」
「うわ……」
恋が顔をしかめる。
「そんなの、こっちからしたらたまったもんじゃないよね。“たまたまそこにいたから殴られた”みたいな」
「まさに、その表現が近いな」
主任は苦笑した。
「だから、うちとしては“殴られた”事実はちゃんと記録しておく。ログも教育委員会に報告して、必要があれば警察にも話を通す。それとは別に、“これ以上殴られないように防具を固める”のが、今やっている対策ってわけだ」
「防具……」
恋が真白の方を見る。
「真白、さっき言ってた“IPレンジを遮断する”って、つまり“その殴ってくる人たちの通り道を塞ぐ”ってことなんだよね?」
「うん。さっき主任に見せてもらったレンジは、完全に海外のクラウドサービスのものみたいだから、しばらく遮断しても、普通の利用者が困る可能性は低いと思う」
真白は、自分の中で整理した言葉を口にする。
「でも本当は、“どこから殴られても大丈夫なように、防具を厚くする”ほうが大事。つまり、CMSのバージョンを上げるとか、管理画面に簡単に入れないようにするとか」
「なるほど……」
恋は腕を組んで、妙に真面目な顔をした。
「世界ってさ、真白が思ってるより、ずっと物騒なんだね」
「いや、恋が思ってるより、じゃない?」
「細かいツッコミはスルーで!」
恋が笑いで話題を切り替える。張り詰めていた空気が、少しだけ和らいだ。
主任はひとまず生ログの画面を閉じ、真白たちのほうに向き直る。
「とりあえず、攻撃元とみられるIPレンジは、管理会社と相談してサーバー側でブロックすることにした。教育委員会にも報告を上げてある。警察にまで持っていくかどうかは、向こうの判断次第だな」
「……はい」
真白はうなずきながらも、胸のどこかにモヤモヤとしたものが残っているのを感じていた。
(“ボットによる実験”なら、それはそれで……)
(“誰かが、意図的に清能北を狙ったわけじゃない”っていう意味では、少しだけほっとするけど)
同時に、「どこかの知らない誰かが、どこかのサーバールームで、何百何千というサイトを“試して”いる」という事実が、ぞっとするほど現実感を持って迫ってくる。
「真白」
恋がそっと肩をつついた。
「今、何考えてた?」
「……世界は思ってるより物騒だなって」
「だよねー」
恋は、くすっと笑い、あっさり同意して見せた。
「でもさ。物騒だからこそ、“ちゃんと見てくれる人”がいてくれると、安心するんだと思う」
そう言いながら、恋はプリントの束を指差す。
「たとえば、こうやって“元の文章”を戻してくれてる真白とか」
「それは……主任先生が、実際に戻してるんだよ」
「その“ここが変だよ”って見つけたのは真白でしょ。そういうの、大事だよ」
恋の言葉に、主任も「同感だ」と頷いた。
「柏加さんがいなかったら、俺は“トップページの改ざん”だけ直して満足してたかもしれない。クラス企画のページの裏側までは、きっと気づかなかったよ」
「……わたしも、たまたま見つけただけです」
真白は視線を落とした。
「恋が、“一緒に確認しよ”って言ってくれなかったら、気づいてなかったかもしれないし」
「ふふん。それなら、“見張り役”の真白と、“一緒に見張る係”のあたしのコンビってことで」
恋はそう言って、軽くガッツポーズをした。
主任が笑いながら腕時計を見る。
「そろそろ時間だな。今日はここまでにしよう。続きはまた明日。文化祭当日までには、全部きれいにしておくから」
「はい。ありがとうございました」
真白は立ち上がり、頭を下げた。
準備室を出ると、廊下にはまだ微かにペンキの匂いが漂っている。窓の外の雨は、さっきよりもだいぶ弱くなっていた。
「ね、真白」
階段を降りながら、恋がふと口を開く。
「ここまでやったんだからさ。文化祭当日は、“ちゃんと楽しむ”って約束してよ」
「楽しむ、って?」
「事件のこととか、ボットとかログとか、全部頭の片隅に置いといていいから。“今は目の前のお客さんを驚かせることだけ考える”って」
恋の声は、いつもよりほんの少しだけ真剣だった。
「真白、ちゃんと怖がってくれる役もやってよね。怖がりキャラ、需要あるから」
「……それ、楽しむっていうより、いじられる未来しか見えないんだけど」
「いじるのも楽しみの一つ!」
恋が笑って、階段をひょいひょい降りていく。その背中を見ながら、真白は小さくため息をついた。
(でも──)
胸の中の重さは、さっきより少しだけ軽くなっていた。
(こうやって、“守ること”と“楽しむこと”の両方を、ちゃんとやってみてもいいのかもしれない)
そんなことを考えながら、階段を一段ずつ降りていった。
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