桜ノ森

糸の塊゚

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1章:深悔marine blue.

泣いて、怒って。

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 ────気がついて、真っ先に目に入ったのは見慣れない白い天井だった。
 消毒液のような匂いが鼻について、辺りを見渡せばここは学園の医務室だということがわかった。
 一体どうしてこんな所に居るのか思い出そうとすると、すぐ近くで「気が付きました?」と声がして、声の方に向くと、いつも通りの考えの読めない笑顔を浮かべながら、ベッド脇の椅子に座った尋希が居た。

 「何があったか覚えてます?まぁ、覚えてないですよね。奏ったら暴走したんですよ。原因は対戦相手に見せられた幻覚、ですね」

 尋希にそう言われて、自分の記憶を思い返す。……そうだ。俺は確かに対戦相手の魔法にかけられて、記憶に残っていなかったはずのあの光景をみせられて。

 「……どんな光景を見たのか、という憶測の話は担任の先生から聞きました。あ、勘違いしないでくださいね。べらべらと率先して話した訳じゃなくて、勇樹先輩が話しているうちにいつの間にかゲロっただけなんで責めないで上げてくださいね」
 「……その、先輩達は」
 「先輩方はいま魔法大会の閉会式に出てますよ。安心してください。僕らのチームは優勝してるんで」

 そこまで話すと、医務室には沈黙が流れた。それに何となく気まずさを覚えていると、不意に「奏、故郷に帰るんですってね」と口を開いた。

 「先生から話を聞く時についでに聞かされまして。奏は、本当に故郷に帰りたいと思います?」
 「……そんなこと、お前には関係無いだろ」

 何もかも見透かしているような瞳で見つめながら尋希は俺にそう問いかけて、俺はそんな尋希に突き放した言葉を投げかける。尋希もそんな俺を予想していたかのように「まぁ、そうですね。僕には関係ないです」と言う。
 俺と、尋希は友達じゃない。
 ただ偶然同じ歳で、偶然同じクラスで、自由席のこの学園に、尋希が転入して来た時に空いていた席が偶然、俺の隣だっただけの赤の他人だった。
 だからだろうか。信頼も友情も何も感じる必要のない赤の他人だからか。俺はつい、ぽろっと本音をこぼした。ただ一言、帰りたくなんかない、と。
 帰りたいわけが無い。この学園の人達以上に故郷の人の事なんて信じられない。
 そもそも俺が入院してる時の以外に連絡なんてしてきたことも無い親の元なんて、あの日助けて欲しかった俺を見捨てた両親の元になんて、戻りたくなかった。
 でも、それを言ったところでどうせあの両親に、俺の声は届かない。だって今まで届いた事なんて、無かったから。
 
 「……そうですか」

 帰りたくないと一言だけ言った俺に尋希はただそれだけを返した。これが友人同士なら、対処法とか色々一緒に考えたりするんだけど、俺達は違うから、それだけだった。
 仮に何か言われたとしても俺にとっては大きなお世話だと思う事は間違いない。だって、俺は誰も、信じられなかった。
 実の両親も、クラスの担任の先生も、先輩達の事も、目の前で微笑んでいるクラスメイトの事も信じたことは無かった。信じられなくて、距離を取ってばかりだ。
 唯一信じられたのは幼馴染だけで、でもそんな幼馴染も最後には裏切った。信じたところで裏切られるなら、いっその事誰も信じなければいいんだと思いたった。
 尋希はそんな俺の事を理解しているんだろう。それと同時に俺の方も尋希の事は理解しているつもりだった。
 だから、尋希が「これは、僕の独り言なんですけど」と言った時は予想外で、驚いた。

 「奏ってわがままが足りないと思うんですよね」
 「は?」
 「だって奏って、絶対下に幼い兄弟とか居た感じでしょう?それってお兄ちゃんなんだから我慢して、とか言われてたんじゃありません?そして、そのまま自分の意見を言うのを諦めてたり」

 確かに俺には下に兄弟が居て、母は兄弟達の世話に忙しくて、俺の事はいつだって後回しだった。父はそもそも話しかけても鬱陶しそうにして、仕事に行っていた。だからか、俺はいつの日か両親にわがままとか言わないようにしていた。言ったって聞いてくれないのを知っているから。

 「……それがどうしたんだよ」
 「お、その様子だと当たりでした?ねぇねぇ、当ってました???」
 「当たってるから。鬱陶しい」
 「つれないですねぇ。いつもの事ですけど。まぁ、僕が言いたいのは、諦めるのは早くないですかって事で、ですね」
 
 何を言いたいのか全く分からなくて、半目で尋希を見つめると、「ごめん、ごめんなさい。ちょっと待ってください」と笑った。

 「えぇっと、そうですね。奏って自分の話とか聞いて貰えないって諦めてるんですよね?」
 「諦めてると言うより、事実だろ」
 「それって、泣いて縋って、話を聞け!って怒ったこと、あります?」
 「はぁ?」

 突然何を言っているんだろうか。こいつは。どこか頭をぶつけて遂におかしくなってしまったのか、と思って尋希を哀れんで見てみると、尋希は、「いいから、あるんですか?」と言った。

 「……無い。そもそもそんな事をしたって聞いてくれるような親じゃないんだよ」
 「それは試した後で言ってくださいよ。まずは思いっきり泣いて、怒って、自分のありのままの心をぶち撒いて、わがままを言ってみましょうよ。……それでも聞いてくれないなら、その時に諦めましょう」

 そう言って尋希は笑う。どこか泣きそうなそれは、尋希にしては下手くそな笑顔で、「お前は、そうやった事あんの」とつい聞いてしまった。

 「……さぁ、どうでしょう」

 ……きっと、尋希はとっくに泣いて、怒って────諦めてしまったのだろう。 こうやって尋希が答えを曖昧に濁す時は、大体図星で、隠したかった事なんだ。そして、多分尋希がそれをやった相手は、今は昔の全てを落としてしまったあの人で。
 そんな尋希を見ていると、何故か自分がうじうじと悩んで、諦めて言いなりになっているのが馬鹿らしく思えてきた。

 「ありがとう、尋希」

 そう素直にお礼を言うと、尋希は「ふへへ……」といつものように照れたように気味の悪い笑い声をあげた。


 しばらく尋希と二人でくだらない話をしていると、閉会式が終わったらしい先輩方が医務室の方に様子を見に来た。

 「おっ、目ェ覚めてんじゃん。はよ」
 「身体の方は大丈夫かい?無理せずに眠かったら寝るんだよ?」
 「えっと、その……魔法大会は優勝してるし、何も気にしなくていいから」

 そう口々に声をかけてくる先輩達に俺はベッドから立ち上がって、勢いよく頭を下げた。

 「あの……っ、今回はご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」

 そう謝る俺に、先輩達は驚いたのか一瞬動きが止まって、すかさず慌てたように口を開いた。

 「気にしないで、だよねぇ!」
 「んだよ、水くせえな。あの程度どうって事ねぇよ」
 「……その割には焦ってなかったか?」
 「うるせぇ、間乃尋は黙ってろ」
 「勇樹先輩も静かにしてくださいねー。ほら、奏も病み上がりなんですからさっさとベッドに横になってろってんですよ」

 控え室で散々心配かけて、最後に暴走を起こした俺を誰一人責めることなく、いつも通りに話す目の前の人達を見ていると、自然にふはっ、と笑いがこぼれた。
 すると、目の前の人達は驚いたように俺を見る。

 「────あの、俺。故郷に帰ります。……でも、絶対戻ってくるんで、その、その時はまた、よろしくお願いします」

 しっかりと先輩達と尋希の目を見て言った俺に、四人で顔を見合わせる。そして。

 「当然、だよねぇ!嫌がっても付きまとうからねぇ!」
 「逃げようとしても無駄だかんな。戻って来なくても地獄の果てまでも追い続けるぜ」
 「それはそれでどうなんだろう……」
 「良いんですよ!細かい事は!……泣いて、怒る心の準備は出来たようですね。頑張ってください」

 口々にそういう彼らに、目頭が熱くなる感覚がして、俺はまた勢いよく頭を下げて。

 「────ありがとう、ございます」

 数年ぶりに心から出たその言葉は、どこか涙声だったのは、気にしないで欲しい。
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