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1章:深悔marine blue.
幕間1:とある幼馴染は。
しおりを挟む────オレには幼馴染が居た。
彼と出会ったのはプライマリースクールの入学式だった。彼の父親譲りのキラキラと輝く金髪と、まるで深海のような色の瞳に目が奪われて、自分から話しかけたのが、きっかけ。
それから何年も彼と交流を続けて、ミドルスクールに入学して数ヶ月。その日の放課後は部活が休みだったから、幼馴染と一緒に帰ろうと思ったら、ふと鞄の中に一通の手紙が入っている事に気づいた。
可愛らしい文字で"今日の放課後に隣の空き教室まで来てください。"と書かれた手紙には差出人の名前は書かれてなくて、内心ため息をつきたい気分だった。
学校内でもオレはきっとモテる方で、こういったことはたまにあった。残念ながら今は誰とも付き合う気が無いから全て断っているのだが。だから、幼馴染に手紙の事を話して待ってくれと頼むと、幼馴染は「またかよ」と笑っていた。
幼馴染を待たせたくなくて、そして早く幼馴染と帰路を共にしたくて、隣の空き教室に向かってみると、中にはオレを呼び出した張本人であろう、学校内でもアイドル的存在であるシャーロットが待っていた。
彼女はオレに、好きです。付き合って下さい、と好意を伝えてくる。だけど。
「ごめん。オレ、他に好きな人が居るから」
彼女に対してだけじゃなく、他の人に告白された時もオレはこうやって断っていた。残念ながら実りそうもない恋路だけども、それでもその人以外と交際をするなんて考えられなくて、いつも断る。
いつもなら泣いて納得してくれるか、少しゴネられても最後には諦めてくれるかの二択なのだが、今回は違った。
「……あいつのこと?」
怒りの混じった様な震えた声でそう呟いた彼女に、あいつって誰と惚けようとする間もなく、彼女は普段の学校生活では見たこともない様な剣幕で、叫んだ。
「あんなやつ、リュークくんに相応しくない!!いつもいつもいつもいっつも!!リュークくんに付きまとって!邪魔なの!!暗くて目立たないあいつが良くて私がダメだなんて、そんなの認められない!!」
彼女のその言葉にオレは頭に血が上る様な感覚がして、咄嗟に「アイツを馬鹿にすんなよ!」と言い返そうとすると、少し落ち着いた彼女は、不気味に笑い始めた。
「ふふふふふ……いい事思いついちゃった……あはははは!」
そう言いながら彼女は空き教室から去って行った。
その日はそのままオレも待たせている幼馴染を迎えに行って一緒に帰って、次の日。自分の席に座らず、何かを見て呆けている幼馴染にどうしたのか声をかけると、幼馴染の手にあるものが入る。
後ろから中身を盗み見てみると、それは間違いなく呼び出しの手紙で、この可愛らしい文字を見るに、多分女子だろう。
女子からの放課後の呼び出しなんて、要件がほとんど決まっている様なもので、オレの心の内に黒いモヤみたいなもので埋まってしまいそうになりながらも祝福しようと相手の名前を見ると、そこには昨日、オレに告白したはずの彼女の名前が書かれていた。場所は昨日と同じく隣の空き教室で、昨日の彼女の様子を思い出して、嫌な予感がしたから、幼馴染に呼び出しに応じない方が良いだろう、と言ってみるけど、真面目な幼馴染はとりあえず応じる様だった。
だから、オレは何があっても良いように教室で待つ事にした。
呼び出しの時間が過ぎて、しばらくした後、突然隣の教室から女子の悲鳴が響いて、廊下がざわざわと騒がしくなって、何事かとオレも釣られて教室から出る。
野次馬を掻き分けて、騒ぎの中心に向かうと、そこには何故か服がボロボロになって殆どの下着が見えている状態で、教師に怯えた様にしがみついている幼馴染を呼び出した件の彼女と、何故かカッターナイフを持って困惑している幼馴染が居た。
彼女は完全に怯えきった表情で幼馴染に来ないで!と叫んでいるのを横目に周りの野次馬に何があったのか聞いてみる。すると、そいつら曰く、幼馴染が彼女を空き教室に呼び出して、告白をした。彼女が断ると逆上した幼馴染がカッターナイフで彼女に襲いかかったとの事だった。
幼馴染は違う!やっていない!と否定をするけど、周りからの幼馴染を見る目は冷たくて。
オレは怒りでカッとなりながら、そんな視線を遮る様に幼馴染の前に立って、
「違う!絶対違う!奏はそんな事やる奴じゃない!」
と周りに叫んで、力強く幼馴染の腕を掴んで、その場から走り去った。
その日はそのまま幼馴染を家に送って、あの野次馬の中に友人がいた事を思い出して、今日の事を幼馴染はやっていない、という事を伝えた。……けど。
「なんで、誰も信じてくれないんだよ……」
どいつもこいつもあの女の方を信じて、幼馴染を信じてくれるやつなんて居ない。こうなればオレだけが幼馴染の味方でいてやろう、とその時オレは決心した。
次の日から学校では幼馴染に対するいじめが始まった。と言ってもオレが四六時中一緒に幼馴染といる為、身体的な暴力は無かった。けど、同じ嫌がらせがずっと続けられたら、誰だって精神が疲弊する。それは幼馴染も例外じゃなくて、どうにか助けたいオレはその日、幼馴染に先に帰るように言って、幼馴染が居ない隙に元凶の彼女を事件があったあの空き教室に放課後呼び出した。
放課後になって、幼馴染が帰るのを見送った後、オレはあの空き教室に向かった。入ってみると、彼女はとっくに来ていたらしく、顔を赤らめて「もう、待ってたんだよ?」と言った。オレはさっさと要件を済ませて、走って幼馴染を追いかけて一緒に帰るために、さっさと口を開いた。
「要件は一つだけだ。奏に対する嫌がらせを止めてくれ」
幼馴染に積極的に嫌がらせをしているのは、目の前の彼女の取り巻きだっていうのは知っている。きっと彼女があの日の事件の事を怯えたふりをしながら大きく誇張して話しているのだろう。実際そいつらが幼馴染の机に残した落書きなどはほとんどあの事件の事ばかりだった。
しかし目の前の彼女はそれを否定する。
「そんな事されてるの……?でもでも、私が思わせぶりなことをしちゃって、勘違いさせたのが悪いんだし……怖かったけどカナデくんの事を恨んだりはしてないよ?だからね、私が言って止められるなら……」
あくまでも自分は被害者であり、幼馴染が襲ったのだと言う主張を曲げない彼女に、「無理なんだよ」と言った。
「え?」
「だから無理なんだよ。奏は、他人の血が見れないんだから」
幼いころ、オレが怪我をして血を流している時に真っ青な顔色をした幼馴染を思い出す。幼馴染曰く、他人の血液を見ると、心臓が苦しくなって、自分が自分でいられなくなりそうで怖い、との事で。今も幼馴染は人の血を見ると顔色を悪くして、目線を逸らしているのをオレは知っている。
「だからカッターナイフを人に向けて襲うなんて事、出来ないんだよ。絶対一滴も血を流さないように襲う、なんて所業、その道のプロじゃなきゃ無理だろ。……そもそも、あの日呼び出したのは奏じゃなくて、お前だ。オレも一緒に手紙を見たから知ってる」
「────」
オレが話した事を聞いて、彼女はにっこりと微笑んで黙る。そのままやがて、ふふふふふっと不気味に笑い始めた。
「あーあ、認めるしかないじゃない。知らなかったなぁ、カナデくんが血が苦手だなんて。知ってたらもっと別の方法で嵌めてあげたのに」
認めた。この女は今ここで、幼馴染を陥れたのは自分だと認めた。目の前の女はつらつらと幼馴染に対する恨み言を発し始めた。それら全て、逆恨みに等しいもので、聞いているこちらが怒りで平静を保てなくなりそうで。実際に声をあげようとした所で、「でも、リュークくんも悪いんだよ?」と笑った。
「リュークくんが私を見ないから。リュークくんが私よりもあいつを優先するから。リュークくんがあいつの話ばかりするから。……リュークくんが私を振ったりだなんてするから、いけないんだよ?だから私はこうしたの。私を振ったリュークくんを傷つけたくて。でも、そうだね。大好きなリュークくんのお願いだもん。聞いてあげてもいいよ?……私のお願いを聞いてくれるなら」
「……お願い?」
「うん。そう、お願い。大丈夫だよ?そんな難しいことじゃないから」
オレがこの女のお願いとやらを聞けば、嫌がらせを止めるように言う、と言われて、オレは考える。そんな難しくない事なら叶えてもいいかもしれない、と思ってオレは続きを促した。すると彼女は、まるで恋する少女のように笑って、告げた。
「────私と付き合って。私と恋人になって。これからの生活は全部私と過ごして。登校するのも帰宅するのも私と。お昼休み休憩も全部私と一緒にいて。他の人なんかと過ごさないで。……そうしたら止めるように言ってあげる。」
それは、今まで一緒に過ごした幼馴染を裏切るような願いだった。
家庭環境も相まって他人を信頼しにくくて、オレ以外信じられる人が居ないと笑った幼馴染を裏切る。
これまで過ごしてきて築いた信頼関係を全て壊して、私に尽くせ、と目の前の女は言った。
「ねぇ、どうする?」
焦らせるように彼女が問いかけてくる。
ここで断って、ずっと幼馴染が言われもない罪で責められ続けて、傷つけられるか。それとも幼馴染を裏切って、幼馴染に対する理不尽な暴力から救うか。
前者はきっと今まで通り二人で笑いあって過ごせるだろう。でも、裏で幼馴染は傷つき続ける。後者は幼馴染に非難されて、もう二度と共に笑いあえないだろう。でも、身の潔白が証明されて、これ以上傷つくことは無い。この二つのどちらをとるか天秤にかけて、オレは決心する。
「────わかった。」
例え、オレが傍に居なくても、幼馴染が笑っていてくれるなら、迷わない。
「付き合うから。奏にやってる事、あの事件の奏の潔白を、証明してくれ」
オレの答えを聞いた彼女は、非常に満足そうに笑った。
「ありがとう、リュークくん。これからよろしくね?」
恋人同士になったんだから今日から一緒に帰ろうね、と言いながらオレの腕に抱きついてくる彼女はふと思い立ったように尋ねてきた。
「ねぇ、結局リュークくんはあいつのこと、友達として好きなの?」
今更そんな事を聞かれて、つい目を丸くしてしまった。てっきり知っていたからこんなことをしたと思っていたのに。だから。
「オレは、あいつを……奏を友達だって思ったのとなんて、無い。ただ、好きで。大好きで仕方ない。────一目惚れ、なんだ」
だから、オレの心まではお前には渡さない。オレの心はずっと、あいつのものだ。
その日は結局彼女と帰って、次の日。彼女から家の前に来ているという事を親に伝えられて、幼馴染に今日は一緒に行けない旨をメッセージで送って、彼女と登校した。
教室に入ると、幼馴染はまだ来ていなかった。彼女は入るなりクラスメイト達に自分とオレが付き合い始めたことを恥ずかしそうに振る舞いながら伝えた。クラスメイト達はそれを聞いて"お似合いだ"だとか"おめでとう!"だとか言って祝ってくる。中には"ちゃんと彼女を守ってやれよ!"と言ってくる奴もいて、内心ふざけるな、と怒りたかった。
オレと彼女がクラスメイトに囲まれているその時、後ろの教室の扉がガラガラと音を立てて開いて、ついそっちを見ると、幼馴染が登校して来たらしく、教室内のこの騒ぎに困惑している様子だった。
囲っていた生徒たちも幼馴染に気づいて、ついには彼女も幼馴染に気づいた。彼女はにやりと一瞬あくどい笑みを浮かべた後、口を開いた。
「あぁ、カナデくんおはよう。私、リュークくんと付き合うことになったから。もう私に付きまとうのは辞めてね?」
そう言いながらオレの腕に抱きついて来て、それを見た幼馴染は大きく目を見開いて「どうして」と小さく呟いた。咄嗟に幼馴染に駆け寄ろうとして、彼女の腕を振り払おうとしたけど、それを彼女は遮った。
「知ってた?カナデくん。リュークくんね、貴方の事、友達だって思ったことないんですって。証拠もあるのよ?」
そう言いながら彼女は携帯を取り出して、とある音声を流した。
『────オレは、あいつを……奏を友達だって思ったことなんて、無い』
それは間違いなくオレの声で。オレもそれを言った覚えが間違いなくある。でも、それは彼女が言った意味とは別の意味を含めた言葉だったはずだ。
────嵌められた。オレがそう気づくのは遅くて、慌てて幼馴染に弁明しようとするけど、幼馴染の耳には入っていない様子だった。
「────裏切者」
それは今まで幼馴染から聞いたこともない様な、無感情な声だった。幼馴染はそれだけを言うと、教室から出て行ってしまった。咄嗟に追いかけようとすると、未だ腕にしがみついてくる彼女が、「これからの学校生活、私と過ごして、私を優先してくれるんでしょ?」と耳元で囁いてきて、出来なかった。
それからの日々は正直思い出せない。幼馴染とは話せないまま、ずっと彼女に付きまとわれて過ごしていたんだと思う。休み時間は必ず彼女がオレをどこかに連れ出すし、家に帰ってからはずっと彼女から掛けてきた電話を寝落ちするまで続けた。
教室に居ないことも多いし、席もオレの方が幼馴染より前だから必然と幼馴染の様子を知ることが出来なくて、内心にモヤがかかったまま、彼女の話を聞き流していた。
ある日の昼休憩に、オレは昼食を購入するための財布を教室に置いてきた事に気づいて、彼女に取ってくるから、とだけ言い彼女の静止を振り切って教室に戻った。
教室の中がなんか騒がしいな、と思いながら扉を開けてみると、そこにはあの女の横暴な取り巻きに囲まれている幼馴染が居た。
取り巻きの一人が何か刃物を持っていることに気づいて、それを向けられている幼馴染は必死に抵抗しているのが見えて。
困惑したのは一瞬だった。オレは直ぐに刃物……鋏を持った取り巻きを押さえつけて、鋏を取り上げて、床に投げ捨てる。その際に手が切れてしまったけど、気にしない。
「約束が違うじゃねぇか!オレがあいつと付き合ったら止めるって話だっただろ!」
怒りで頭が真っ赤に染まってそう叫んだオレに、取り巻き共は笑って、この行為に彼女は関係ないと言った。
曰く、そもそも幼馴染のことは最初から気に入らなかったと。いつも人を見下しているような態度が気に食わないから、こうやって躾直しているんだと、そいつらは言った。
オレはその言葉に思わず取り巻きを殴り倒して、そのまま取っ組み合いになる。
「────ははっ」
小さく聞こえたその声は、今まで聞いていた筈の声より余程狂気に染まっていた。思わずオレも取り巻き共も動きを止めて、声の主を見る。先に動いたのは取り巻きの方で、何を笑っているんだと幼馴染の顔を殴りつけた。幼馴染はそれを気にもとめない様子で笑い続けて。
そして、また取り巻きが腕を振り被って、勢いよく殴りつけたその瞬間、赤いものが取り巻きから舞った。
一瞬、教室内は静寂に包まれた。そして、直後に悲鳴で埋め尽くされた。
幼馴染を殴った取り巻きは拳を抑えながら痛い、と叫ぶ。その拳からは血が流れていて。
幼馴染は笑っていた。心底楽しそうに、笑った。手には先程オレが投げ捨てた鋏が握られていて、その刃先には赤い液体が滴り落ちていた。
幼馴染はそのまま笑いながら近くの取り巻きに掴みかかると、そのまま鋏を振りかぶって、また赤色が舞う。そして痛みに悶える取り巻きを放っておいて、次の取り巻きに襲いかかる。
一体何故こうなったのか。それはオレにも分からなくて、とりあえず早く幼馴染を止めないとって思って手を伸ばす。そして、気づいてしまった。
オレの右手からは血が滴り落ちて、今なお出血は治まっていない。鋏を投げ捨てた際に切って、そのまま取り巻き達に殴りかかったのだから当然だろう。そして、思い出す。
『────他人の血を見ると、自分が自分で居られなくなる』
つまりは、幼馴染がこうなったのは、オレのせいでしか無かった。そして、オレがこうして固まっている際にも幼馴染は取り巻き達を襲い続けている。
次は躊躇わなかった。オレのせいでこうなったなら、オレが幼馴染を止めないとって思って、幼馴染を抱き抱える。
「はは……はははっ!お前らが、お前が裏切ったのが悪いんだよ!はははっ」
幼馴染のあの綺麗な深海の瞳は鮮血のように赤く染まっていて、幼馴染はオレに何度も鋏を突き刺す。痛みに悶えそうになるけど、オレは離さなかった。
「ごめん……っごめんな、奏……っ!オレが、オレのせいで……っ」
色んなところから血が出ている気がする。最早痛みも感じなくなってきていた。
最後にはオレは幼馴染を抱きしめたまま、意識が遠くなって。
愛する幼馴染に……奏に、殺されるのならそれも悪くないって思って、暗転。
次に目が覚めた時にはもう全てが終わっていた。幼馴染のあの暴走はいじめに対するストレスが原因だと判断され、被害者と幼馴染の両親との話し合いの末、幼馴染は一人、遠くの国に行ったと聞いた。
それから数年経って、オレはあの日からほとんど自室に引きこもる生活を送っていた。
あの日から人の視線が怖くて仕方ない。あの幼馴染のオレを映さない赤い目を思い出してしまって。外に出られなくなって、毎日あの頃の幼馴染との思い出に浸って過ごしている。
幼馴染に会いたい。会いたくて仕方ないけど、なんの感情もない目で見られたらと思うと怖くて動けない。
「……リュークくん。私だよ。入るね?」
毎日、夜に訪ねてきて部屋をノックしてくるそいつにいつも通り何も返さずに居ると、慣れたようにそいつは部屋に入ってくる。
入ってくるなり微笑みながら「お散歩しよう?」と言ってくるそいつは、あの時、リュークを待っていてあの事件に巻き込まれなかった、シャーロットだった。
オレはキャスケットを被って、必要なものをパーカーのポケットに無造作に突っ込んで、差し出された手を無視して先に玄関に向かった。
慌てたように後ろから追いかけてきて話し続ける彼女に何も返さずに歩いて、あの頃よく一緒に遊んだ公園に着いた。
夜中でもう人気がない公園のベンチに座ると、当然のような顔をして彼女も隣に座る。彼女がずっと何かを言っているのを無視して月をぼうっと眺めていると、不意に彼女がオレの前に立って、笑う。
「リュークくん。私はね、リュークくんがどんな風になってもずっとあの頃と同じように好きなままだよ?……でもね、そろそろ前を向こうよ。居なくなった人のことを考えてても仕方ないじゃない。もし良かったら私が忘れさせてあげるから。……私、リュークくんになら何をされてもいいんだよ?」
そう言いながら彼女はオレの顔に自分の顔を近づけてきて。
オレと彼女の唇が重なりそうになるその瞬間、オレは笑った。
そしてオレは彼女を突き飛ばして、彼女が逃げられないように公園の地面に押し倒して、パーカーのポケットからとあるものを取り出した。
一瞬困惑しながら恥ずかしそうにしていた彼女が、オレの手に握られたものを見て一気に顔を青くして、いや、やめてと叫ぶ。
「なんでだよ。オレになら何をされてもいいんだろ?」
そう言うオレの手に握られていたのは折りたたみ式のナイフだった。
いや、なんで、どうして、と泣くそいつに、オレは笑うのをやめて叫ぶ。
「なんでもどうしてもねぇだろ!全部、全部全部全部!お前のせいだろうがよ!お前が全部壊したんだ!お前が!身勝手な感情で!」
オレは、幼馴染が隣で笑っていてくれるならそれだけで幸せだった。だけど、オレが隣に居ない事で、もっと笑っていてくれるなら、それでも良かった。
それを全部壊したのは目の前のお前だろ、と言いながらオレはナイフを構える。
彼女は「いやっ!誰か……っ」と叫ぶけど、ここは夜の静かな公園だ。誰も来るわけが無い。
「安心しろよ。お前を殺した後はオレも直ぐに死ぬから……」
幼馴染が傷つく事になった原因が目の前の彼女なら、幼馴染の傷ついた心にトドメを指したのはオレだ。だから、あの時死ねずに生きてしまった分、あの時の幼馴染の鬱憤を晴らして、死んでしまおうと思って、ナイフを振り上げる。
振り上げて、彼女の顔目掛けて振り下ろした瞬間。
突如横からドンッと勢いよく突き飛ばされて、その勢いでナイフは突き飛ばしてきた相手を傷つける。
その際に感じたナイフで肉を着る感触と、ナイフには血液が滴って、赤く染まった自分の手を見てオレは恐怖で動けなくなる。
「あ……あぁぁぁ!ちがう、違う!そうじゃない、そうじゃなくって……!」
開放された彼女が走って逃げていくのが目に見えた。けど、オレは動けない。
頭が真っ白になる。違う。オレは誰かを傷付けたかった訳じゃない。そうじゃない、そうじゃなくって。
「落ち着け!リューク!」
聞き覚えのあるその声に思わず顔を上げる。そして目に入るのは星空と月光に照らされてきらきらと輝く金髪と、ずっと見ていたくなるような、綺麗な深海のような瞳。
「か、なで……」
もう二度と会えないと思っていた幼馴染を前に呆然と呟くと、幼馴染はいつものように仕方ないな、という顔をしながら「少しは落ち着いたか?」と言った。
「少しだけ、こっちに帰ってきてるんだ。向こうで母さんに帰ってこないかって言われて。で、戻ってきたら母さんにお前の様子を見に行ってほしいって言われたんだ。お前、あれからずっと家に引きこもってるんだって?あの頃散々外に出ないとカビるぞとか言っておいて、何してるんだよ」
予想外の再会にオレは何も言えずに居ると、幼馴染はそのまま続ける。
「で、お前の家行ってみたらお前は今外に出てるって言われて、探しに来たらあんな状況だったって訳だよ」
つまり、先程オレの凶行を止めたのは幼馴染で、ということは先程オレが切りつけたのは幼馴染に間違いなくて。今度こそ血の気が引いて、恐怖と後悔でいっぱいになる。
寄りにもよって幼馴染を傷つけるなんて。あの頃のあの時に加えて、今回まで。絶対に許されることじゃない。他の誰が許してもオレが許せない、とパニックになりかける頭に「リューク!」と幼馴染は先程より鋭い声で叫んだ。
「俺は大丈夫だよ。もう痛くないし出血もそんなに多くなかったんだ。もう止まってる」
あの時の肉の感触はかなり深くいっている筈だ、とそんな訳が無いと幼馴染の身体を見ると、確かにオレの手を真っ赤に染める程流れていた筈の出血はもう止まっていて、ふと違和感に気づいた。
傷跡がどこにも無い。服は切れている。真っ赤に染まった筈のオレの手も何も無かったかのように汚れ一つ無く、手に持っていたナイフにも血は着いていなかった。
「話を、しよう。リューク」
困惑するオレを他所に幼馴染はそう言って笑った。
それから二人でベンチに並んで座って、お互い無言で過ごす。そして、オレと幼馴染は同時に「あの時はごめん!」と謝って、二人で顔を見合せて、笑った。
その後はしばらく二人の思い出話や、離れていた間に起きていた事を話した。離れている間の事はオレはほとんど家に引きこもっていたから基本的に話していたのは幼馴染の方だったけど、あの頃に戻れたみたいで楽しくて、オレは数年ぶりに心から笑えた。
あの頃、オレが考えていたこともちゃんと話した。どうしてオレが幼馴染を裏切ることになってしまったのか。……あの音声については"あの後に続くのは友達を超えて大親友だから"って言ったんだと誤魔化したけど。幼馴染は笑って馬鹿だなぁ、と笑って続けた。
「そうやって守ろうとしてくれなくたって、リュークがただ一人、味方で居てくれただけで救われてたんだよ」
そしてそのまま、「本当は、こっちに戻って来たくなかったんだ」と言った。
その言葉にオレは顔を曇らせる。当然だ。あんなことがあったのだから少しの間だけだとしても戻ってきたくないに決まっている。
「本来なら少しだけ、じゃなくてこっちでまた暮らせって話だったんだよ。あの時俺が傷つけた人たちに謝れば許してやるって言われたらしくて」
世間体を気にする幼馴染の両親らしい。ということは無理矢理幼馴染は連れ戻されただけで、本当はオレにも会いたくなかったんじゃないか、と考えていると、幼馴染はそのまま続けた。
「それをつい向こうの奴に零したら、俺はわがままが足りないって言われたんだ」
「えっ」
話の流れが分からない。どうして戻りたくないって話をしたらわがままが足りないとかの話になるんだ。そう思っていると、幼馴染は「そう思うよな」と笑った。
「多分、親の言いなりにならなくてもいいって言いたかったんだと思う。言いなりにならず、時には泣いて怒って自分の意見を伝えるのが大事だって。それでも聞いてくれないなら諦めろって言われたよ」
幼馴染の両親は幼馴染に対して基本的に無干渉だった。母親は双子の世話で忙しくて、父親は多分家庭にそこまで興味が無い。だから、幼馴染は昔から自分の意見なんて聞いて貰えないから諦めて、両親の言いなりになっていたのを思い出す。
「だから、一度戻ってきて最初に実践してみた。もう十七歳になるのに沢山泣いちゃったし怒った。……そしたら折れて向こうの学校に居ても良いって言われたんだ。やってみるもんだな」
そうやって笑う幼馴染はとても綺麗だった。向こうで過ごしたことが幼馴染にとても明るい影響を与えていたんだろう。そう思えるほどにはとても綺麗で、眩しくて、その笑顔にまたオレは幼馴染に恋をするんだろう。
オレがその笑顔に見惚れているのに気づいていないのであろう幼馴染は、そのまま続ける。
「リュークに会いに来たのは母さんに言われたからってさっきは言ったけど、本当は言われなくても会いに来るつもりだったんだ。裏切られたことは辛かったし、許せないって思ってたけど、本当はあの時お前が俺になにか伝えようとしてたのを分かってた。……それを無視したのは俺で、俺が自業自得で追い詰められて、あぁなったんだ。だから、謝りたくて会いに来たんだ。……だって、オレが話を聞いて貰えないからっていじけてた癖に、人の話を聞かないなんて不公平だろ」
そう言って笑う幼馴染に、お前が謝ることなんて何一つないのに。お前は完全な被害者で、傷ついたお前にトドメを刺したのはオレなんだからって言いたいけど、それはこうやって会いに来てくれた幼馴染の決意を無為にするように思えて、飲み込んだ。そして。
「良い、友達が出来たんだな」
オレがそう言うと、幼馴染……奏は少し目を丸くしてから、照れくさそうに笑った。
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