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2章:望執dream truth.
姉
しおりを挟む────物心ついた頃のオレにとっての世界は、埃が積もった暗く狭い書庫の中だった。
書庫の外に出る事は許されず、手首に手錠を付けられて、自由なんて一切無かった。
唯一、トイレに行く時だけは書庫の外に出ることが許されたけど、それだって監視付きの上、手錠も外される事は無かった。
「お前は産まれたこと自体が間違いである罪人だ」
そう言ったのはきっとオレの祖父だった人で、祖父は「お前は罪人だから実の父にも捨てられた」と言いながら小さなオレの身体を殴っては蹴り、虫の居所が悪い時には刃物で刺されたりなんかもした。幸いと言っていいのか最悪と言っていいのか分からないけれど、産まれた頃から傷が治るのは人より早くて、命に別状は無かった。
母は、週に一度書庫に小さなパンを持ってくる係で、その際に「アンタさえ居なければあの人は帰ってくるのに!」と酷い罵声を浴びせながら暴力を奮ってくるので、食事の時間はとても億劫で仕方なかった。
オレがどれだけ痛みに苦しんでも二人は心配をするどころか、寧ろ更に機嫌を悪くして暴力が酷くなるので、いつの日か痛みを感じる事すら無くなった。
そんな毎日が続く中、オレは書庫の中で、物心ついた頃から使えた魔法で照らしながら本を読んでいた。読んでいた、というよりただ眺めていた、という方が正しいかもしれない。
あの頃のオレは文字の読み方も話し方もろくに分からなくて、祖父と母の放つ暴言も意味を大して分からなかったから。
そんなある日、いつものように書庫の本を眺めていると、長い黒髪を一つにまとめた中学生くらいの女の子が一人でやってきた。
「何してるの?」
女の子はそう聞いてきたけど、その言葉の意味が分からなくて首を傾げていると、女の子はどこか悲しそうな顔をしたかと思ったら笑って続けた。
「わたし、優香っていうの。あなたのお姉ちゃんなの」
ね、勇樹。と笑う女の子に、相変わらず意味は分からないけどどこか嬉しそうなその表情に、多分オレも同じように笑ったんだと思う。だってそうした瞬間女の子は、「ごめんね、見つけるのが遅くなって」と泣きながら抱きしめてくれたのだから。
それからほとんど毎日、姉は人目を盗んで書庫にやってくるようになった。こっそりおやつを持ってきて食べさせてくれたり、母と祖父から殴られてできた傷を手当してくれたり、魔法を見せてあげたら驚いていたり。
そして書庫の本を使って文字の読み方や話し方、そして言葉の意味などを教えてくれて、数ヶ月する頃には一人でも書庫の本を読めるようになった。
姉さんはオレが何をしても嬉しそうに褒めてくれて、オレはそんな姉が大好きだった。
姉以外にも苦手に思っていなかった人間が居た。その人が来る前には母と祖父は手錠を外して暴力を振るう事なく、食事もちゃんとさせてくれ、お風呂にだって入れさせてくれたりしてたのを覚えている。
その人と会う時でも相変わらず暗い書庫の中だった。その男の人は祖父に連れられてやってきては、祖父が「十分間だけだ」と言って部屋から出て行って、男の人と二人きりになっていた。
祖父に何か言われているのか、いつもその人は黙ってしゃがんで、オレの頭を撫でていた。
いつもと違ったのはその人は、「もう少しだけ待っててね。次に来た時は僕が、君たちをこの家から連れ出してみせるから……ごめんね。僕のせいで」と口を開いた事だった。
扉の前にいる祖父には聞こえないようにする為かかなり小さな声だったけど、何となくその声が泣いているようにも聞こえて、オレはいつもその人がしているように男の人の頭をそっと撫でてみた。
すると男の人はもう我慢できない、と言ったようにオレの身体を優しく抱きしめてくれた。男の人の顔がある肩あたりがじんわりと湿ってきたのを感じて、オレはずっとその人の頭を撫で続けた。
暫くすると時間が来たのか祖父が呼びに来て、男の人はすっと離れて書庫から祖父に連れられて出て行った。
書庫から出る直前、こちらに振り向いて、「また、来るからね」と口パクで伝えてから。
オレは次の日にやってきた姉にその男の人の事を話してみた。"祖父が父はオレを捨てただなんて言っていたけど、本当はあの人がオレの父親なんじゃないか"って。すると、姉は泣きそうな笑顔になって
「違う。違うよ、勇樹。そんな人の言葉なんて信じちゃ駄目。勇樹の味方はお姉ちゃんだけだから」
と言っていた。オレは誰よりも信じていた姉がそう言うなら、とその後はあまりあの人の事を話さなくなった。
ある日、またこっそりと書庫にやってきた姉は笑顔だが、どこか元気が無いように思えて、姉がオレにいつもしてくれた様に元気を出してもらおうと「どうしたの?」やら「大丈夫?」やらと声をかけながら見よう見まねで背中をさすってあげたら、姉は少し元気になったのか、笑顔になった。そして、オレの目を真っ直ぐと見ながら口を開いた。
「ねぇ、勇樹」
「なぁに?お姉ちゃん」
「……お外、出てみたくない?」
思いもよらなかったその言葉に一瞬面食らって、でも直ぐに「おじいさまに怒られるよ」と返した。しかし。
「大丈夫。バレなければ良いんだから。来週、お爺様は外出する予定があるの。その日ならバレないよ」
と言って聞かない。ついには「勇樹にはね、こんな暗くて狭い部屋だけじゃなくて、明るくて楽しいお外の世界を知って欲しいの」と優しく笑う姉をこれ以上拒みたくなくて、オレは小さく頷く事しか出来なかった。
一週間後、約束通りに外に連れ出してあげる、と迎えに来た姉に連れられて初めて見た世界は、本で読んだ物語みたいに人の言葉を喋る動物や、きらきらと輝くお姫様なんて何処にもいなかったけれど、街中に舞う花びらがとても綺麗だった。
「あれはね、桜の花びらなんだよ」
「あれはね、信号機だよ。赤になったら歩くの辞めないといけないよ」
「あれはね、犬って言うんだよ。お散歩中かな?」
と、全てに興味津々なオレに姉は優しくなんでも答えてくれた。姉と二人で手を繋いで色んな場所に行った。書庫では見たことがない本が沢山置いてある図書館。とても美味しかったけど、量が多くて食べきれなかったオムライス付きのお子様ランチ。
次はどこへ行こうか、どこに行きたいかを姉と話しながら姉に言われた通り青に変わるのを待つ信号機。周りには沢山人がいて、何もかも新鮮で、楽しかった。
信号が変わるのをぼうっとしながら待っていると、突然背中をトンっと押されて、軽い体重のオレは簡単に道路に出てしまった。
驚いて、思わず姉を見ると、姉は何かを言ったかと思うと、直ぐにオレに向かって来て、手を伸ばした。横から大きな車が走ってくるのが見えたから、オレは近づいてきた姉を歩道側に風魔法を使って突き戻した。
「ありがとうね、お姉ちゃん」
優しい姉の笑顔が絶望に歪むのが見えた。それでも、姉を守れたならオレの人生は幸せだったと思える。
そして、伝わる強い衝撃に、オレの意識は暗転した。
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