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14 ~季節はずれの梅
しおりを挟む「あんた、なにしてくれてんのっ」
幼い子供を叱るように声を張りあげたのは阿愁である。
「目立たないようにこっそりやれって言ったでしょ」
「目立たないように床に書いてきたのにさー」
頭をはたかれた袁洪は不満タラタラである。
「それが目立つって言ってんの」
「もー姐サンわがままだなー」
(詰んだ)
そう痛感した阿愁は机に突っ伏した。
日に日に暑さが厳しくなって真っ昼間の人通りは減っている。西市の隅の隅にある魏書店辺りは普段から閑散としていて日陰になる軒下も少なくなってくるので、余計に人がいなかった。
つまり本日もヒマである。
おかげで猿の妖怪・袁洪ともおおっぴらに会話できる。
寂しい店内で人と鬼がなんの言い合いをしているかといえば――。
話は数日前までさかのぼる。
一家惨殺事件の噂が阿愁の耳に入った。
泰平の世、平穏な毎日であるから時間もあり余ってもて余し庶人は噂好きである。
良い噂も悪い噂も街に回るのは早かった。
とくに今回は、民を震撼させる一家皆殺しの事件である。
事件の起きた場所は庶人区画の街西であり、商売人の邸であるから魏書店からも距離的に近くなる。耳をふさいでいたとしても噂が回ってくるのは時間の問題だったろうが、結局、阿愁は自分なりに入手した情報の分析をしてしまったのだ。
そうして導きだした結論が、狼の仕業であろうということ。
礼寿も言っていた、『近頃、国都城内で狼が目撃されるようになったとか』。
狼が目撃されて、殺人事件が起きた。これは偶然の一致ではないのだ。
どうするか迷ったものの。
事件を担当するのは魏書店の上客・范将軍である。事件にかかりっきりになれば、今後、素韻の本の支払いが遅れる可能性もでてくる。最悪、支払われない。それはよろしくない。
頭でそろばんを弾いた阿愁は放置するのをやめて、事件の謎解きの手助けをすることに決めた。だからといって、阿愁自身が前面に出ることはしない。
表立って動くのは袁洪に任せることにした。
大いに役立ってもらうことにして、事件の内容を伝えたのが今朝のこと。
『洪は南衙禁軍て、わかるの?』
『当然』
『なら、南衙将軍を見極められる?』
『もちろん。ヒラの武官とは纏う戦袍と鎧が異なってるからな』
『将軍が見つからなければ副官でもいいけれど。今回の殺人事件が街なかで目撃されている狼に関係してるってこと、それとなく伝えてきてよ。目立たないようにね』
『了解』
袁洪は軽く返事をした。思えば阿愁はこのときから一抹の不安があったのだ。
(自分で言っといてなんだけど。『それとなく』って、どうやるつもりかしら)
抱える不安を、戻った袁洪にぶつけてみれば。
『花でそれとなく伝言残してきたけど』
だった。
阿愁は自分の顔から血の気が引くのがわかった。喉がカラカラになりながら、震える声で問いかける。
『伝言? どんなふうに?』
『梅の花で伝えたの』
――そして話は振りだしに戻る。
(ああ悪いのはあたし、言葉が足りなかったあたしが悪い)
袁洪は梅山の生まれである。
彼が花のかんばせのように美しいのは、梅の花の影響だと伝えられている。鬼の生まれをたどるのは難しく、真実かどうかは訊かないでおく。訊いたところで、鬼は己のことは語らない。語らずとも、梅の花片を駆使できるとしたら、こいつしかいないのだ。
「ああもうこれどうするのっ」
阿愁は机に伏せていた顔を上げた。
「やっちゃったことはしょーがないだろー。姐サン怒るなって」
「怒りは半分、残り半分は焦りよ。季節はずれの花のつじつま合わせなんてできないでしょ」
「怒ってないのか。姐サン優しいなー」
だから半分は怒りだってと阿愁が説教しようとすれば。
袁洪が片手を差し延べてくる。掌にはいつかのように、花がポンッと出現した。花を片手に肩を抱かれそうになったので、阿愁は椅子ごと後ろへ退がった。
「安定の手癖の悪さ、そこをなおせ」
「ひでーな姐サン。人の癖を勝手に捏造しないでくれよ」
「事実でしょうよ。にしても、なに? そのお花、百日紅よね」
「お、よくわかったな」
やるよ、と薄桃色の花のついた枝を押しつけるように渡された。
阿愁は思わず吹きだしてしまう。
「百日紅って、猿でも滑りそうな木だからサルスベリなんでしょ。洪一流のシャレ?」
訊けば袁洪は机の前にしゃがみ込み、机上で重ねた手の甲に顎をのせた。
「そこ、つっこんでくれると信じてた。姐サンに笑ってほしくて」
言われてうっかり阿愁は感動した。
「疲れてるみたいだったし」
「あんたのせいで疲れてんのっ」
感動を返せと怒鳴りたくなったがギリギリ阿愁は我慢した。
(さて、この状況をどうするか)
おそらく国都城内で目撃されている狼は、鬼だ。
礼寿が言っていたように、狼はこの国で『虎狼の害』と並び称するが、多くの怪虎話が伝わっているのに比べ、はるかに狼の話題は少ない。鬼の数が少ないのだ。記録に残っている鬼も、巨大化するでもなく毛の色が異様だったりするでもなく、大きさも毛の色も一般的な狼と同じ、見た目は灰色狼である。
この鬼が厄介なのは、人語を解して人の形をとることだ。
人に変化した狼の鬼は、女人の姿で独身子持ち男の前に現れて『黎氏』と名のり、男の憐れみを乞う。その目的は、男やもめの家に入りこみ、良妻賢母のフリを続けて、家族を食ってしまうことだった。
特徴は、ふたつ。
ひとつは、主人となった男は食わない。
もうひとつは、子供を懐かせてから一家を食い殺すところで、頭は食わず、身体だけを食う。どうして男と頭を残すのかは解明されていない。人と鬼は相いれない存在であるから理解できないものとするしかないのだ。
輿入れしてさっさと殺せばいいものを、子供を懐かせてから殺すとは残酷である。
得体の知れぬ残酷さで眼前に現実を突きつける。
それこそが鬼であるという、狼の妖怪はそんな一面をもっていた。
今回の一家惨殺事件は、狼の鬼の特徴と一致している。まず、間違いない。
鬼は、見鬼の能力をもつ者か、とり憑かれた者達しか目に映すことができない。
人に憑いて国都に入った狼の鬼は、良妻賢母のフリを続けながら、次に魅入る男やもめを探していたのだろう。この鬼の場合、重要なのは男の家族。子がいるのは絶対条件なのだ。とり憑く男を念入りに吟味する必要がある。
ゆえに、複数の目撃情報が寄せられても、狼に噛まれたなどの被害はないのである。
(緋芭様と巫祝にご縁があれば楽できると思ったのに)
折よく国都には巫祝が滞在しているという。
優秀な緋芭のこと、ほんの少し導けば一家惨殺事件が怪異であると気づいて捜査方法を転換し、巫祝に相談するだろうと阿愁は踏んでいた。緋芭であれば民の安全を優先し、恥も外聞も捨て、己の手柄にはこだわらないはずだ。手柄を巫祝に譲るはず。相談相手の巫祝が霊符を書けるならば、鬼を撃退する霊符を用いて怪異を解決してくれるだろう。そう、期待した――
が。
失敗した。
梅の花文字のせいで、事態はややこしくなってしまった。
早期解決せねば話がどんどん大きくなってしまう。
阿愁は焦っていた。
この先なにが起こるかなど誰にもわからない。自分が動いている間、周囲は動きを止めているわけではない。同じ時を刻み、周囲も意思をもって動いている。結果、物事がどこへ向かうか、誰も流れを言い当てられはしないのだ。
(収拾がつかなくなる前に也恭に相談するか)
鬼に対する遊び心もたいがいにしろ、と怒られるかもしれないけれど。
それどころではなかった。
《次回 黎氏撃退前半》
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