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第四章(3/3)
しおりを挟む第三景
番蓮村の村正である来也は、もうすぐ結婚するらしい。
「じゃあ、お嫁さんは近隣の村から?」
レイが訊けば、「そうなんっすよ」と来也は照れながら項を叩いた。
見た目も中身も野性味があるので、ほろりと笑う笑顔はお日さまのようである。
「これがまあ、よくできた娘で。俺なんかに嫁いでくれるの、もったいないくらいで」
「俺なんか、なんて謙遜しなくても。来也さんは村正じゃないですか、立派ですよ」
「やー、でも、いつもにこにこしてて可愛いし、優しいし、俺のことばっかり心配してくれて自分のことは後回しにして、俺、もらっちゃっていいのかな。やっぱもったいないな」
のろけは止まらない。
とはいえ、聞いていてうんざりしないのは、来也の人柄があってこそ。
自分の恋話はするが、レイにはいっさい訊いてこない。そのテの話を振ってほしくないレイには付き合いやすい人間であった。
付き合いやすいのは、それだけが理由ではない。
依頼を引き受けるとき『解決には時間がかかるかもしれません』と伝えたからかもしれないが、来也は決して焦ることなく、苛立つこともなく、辛抱強く耐えてくれる。村民から不満の声があがっているだろうに一人で受けとめて、おくびにもださず、依頼した見鬼師を信頼し、明るく振る舞ってくれている。
ここにも来也の人柄がでていて、若いながらも有為の人材であるとわかるのだ。
レイと来也が会話しているのは問題の蓮池の畔である。
池の水はかわらず涸れておらず、蓮の花は一面に咲き誇っている。
「来也さん」
お嫁さん自慢が途切れたところで、試しにとレイは杖で指し示しながら声をかけたが、来也は気づいていない。
(そう、この人には見えないんだもの)
生来、鬼にとり憑かれにくい人がいる。来也がそうで、彼には鬼が見えていないのだ。
ちょうど二人の立つ正面、蓮の葉の上に鬼はいる。
番蓮村では「花神」と呼ばれる蓮の花妖、これが、来也が花神廟を掃除したときに遭遇した鬼の正体である。
番蓮村にだけ雨が降らない。――この現象をもたらしているのは蓮の化性した存在。
おそらくは、この花妖が村周辺の水の均衡を保っていたのだ。今までは。
事実、雨期に入ってひと月経っても、村に雨は降っていない。
(でも、なんで……)
レイは花妖をじっと見つめた。
花妖は人の形をとっていて、人の歳でいえば十代前半。
蓮の花妖が見つめているのは来也だけ。
そして、彼女はいつも泣いているのだ。
番蓮村から帰る途中、レイは周辺の水路を見て回った。
(水は減っているわね。これじゃあ、雨期が明ける頃には水は涸渇してしまうかも……)
どうするか。
レイは思案しながら歩いていた。
青凄に入る――ちょうど、崩れかけの城壁の横を通りすぎようとしたとき。
人影が視界の隅をよぎった。
しかし、考えながら歩いていたのと、降りだした雨をよけようと頭巾をかぶろうとしていたときだったので、反応が遅れてしまう。ちなみにこの頭巾つきの黒い上着は、逃避行開始のときにヒュウがくれたものだ。
レイは身につける品にこだわらない。手近にあるもので着回すようにしていて、この上着にはそれなりに愛着もあった。
まだ午後の早い時刻のはずだが、雨天が辺りをどんよりとにじませている。
「あっ」という間もなくレイは四人の男に囲まれた。
四人とも土木事業にたずさわる人間のように体格がよく、濃い色の布で顔の下半分を覆っている。友好的でないのは明らかであり、鬼がらみの人生相談にやって来たのではない。レイは杖を片手に身構えた。
「わたしが襲われるのって心当たりがないでもないけれど」
とっさにレイの脳裏を巡ったのは范大将軍の顔である。
青凄まで追っ手を寄越したのなら、ものすごい執着心だ。しつこい男は嫌われるという見本中の見本である、なのに当人は気づかない。その鈍さに無性に腹が立つというもの。
とはいえ、范大将軍の追っ手ならば、殺されることはない。傷つけられることはないだろうと四人を見回したとき、一人の男の手許が雨に濡れて鋭い光を放った。
「え……うそ、短剣っ?」
声にしたところで事態が好転するわけもないが、反射的、声にだしてしまうのが人というものである。それというのも、怯えがないせいであり、レイは戎家最高の見鬼師だからだ。危機に対する訓練は受けている。心には無頼の徒と対峙する余裕があった。
独りで追い払う自信も。
レイは素早く左を向いて嘯を吹――こうとして。
しゃらんと金属の擦れる音がして、その場の全員が視線を転じる。見れば抜剣したヒュウが、剣を片手にこちらへと駆けてくるところだった。かなりの俊足であり、走る姿は身体の軸がぶれないからか安定している。
「退がれレイ!」
「なん……ヒュウ!? あんたいったいどこから湧いて」
「湧いてないッ」
「わっ」
退がっていろとばかりレイは、ヒュウの背にかばわれた。こんなに背中広かったんだ、と呑気に見上げた一瞬後、後方へと突き飛ばされたレイは雨水に足をとられてスッ転ぶ。
「ううっ、痛たたたっ」
思いっきり腰を打ちつけたレイが半身を起こしたときには、男の短剣はヒュウによって弾き飛ばされていた。それを直視した残りの三人はとっとと逃げだしていく。仕かけておいて情けないことこのうえないが、ヒュウには男四人のそれとは明らかに格の異なる迫力があった。後ろ姿からでもびりびりと魂魄を痺れさせるほどの気迫に圧倒される。これと向き合えば意力や体力をもぎ取られることだろう。
「おい、大丈夫か?」
剣を鞘におさめたヒュウが振り向きざま片手を差し延べてくる。
「あんた、なにしてくれてんのよ?」
「たまたまだ。帰りが遅いからおまえを迎えにきた」
「違うわよ。わたしを突き飛ばしたでしょ。これって、小舟から突き落とした仕返し?」
ヒュウはきょとんとして、そして、大きく笑った。
「うん」
「根にもつ男は嫌われるのよ」
「そうかもな」
差し出したままの片手をひらひらと揺らす。
「ほら、レイ」
手を貸してもらうのははじめてではないのに、女のものと異なる大きな手は、どうしてか知らない男のものに感じた。不思議な感覚の正体をつきとめようと掌をつかんで立ち上がれば、そのまま男の胸に閉じ込められてしまう。
宝物のようにそっと。
けれど、ぎゅっと。
抱き締められる。
「おまえが元気でなによりだ」
耳許で囁くヒュウの声があまりにも真面目そのものだったので、レイは抵抗する気力を削がれて静かにしていた。
聞こえるのはヒュウの息づかいと、雨音だけ。
(あったかいな)
胸に浮かんだ想いはたったひとつ。
情にほだされたのか、その日レイは、ヒュウにおんぶされて帰ったのだった。
(いいえ。ちょっと落ち着こう、わたし。あれは打ちつけた腰が痛かったからで)
否定しながらぶんぶんと首を振ったあとで、レイは扉を叩いた。
室内から返事をしたのは迅白で、レイの訪問に本気で驚いている様子だった。
「おや、レイさん。どうしました? 腰は平気なんですか?」
「ぎゃーっ、それは、それだけは言わないでっ」
悲鳴をあげたレイは、ぎゅうぎゅうと迅白を室内へと押し込んだ。「室に入られるのはちょっと」「叱られますからぁ」と迅白は抵抗したようだが、レイはそれどころではない。
おんぶされた場面を、したくもないのに回想しているレイは、図々しさはもとより自分がなにをしゃべっているのかわからなくなっている。なんの話の流れからか、
「ええっ、迅白さんって十九歳なの? わたしより歳上?」
「そうなんですよぉ」
「ごめんなさい。わたしずっと……」
矮躯と童顔のせいで歳下と決めつけていたのだ。この衝撃により、レイはいくらか冷静さを取り戻した。本来の目的が脳裏を巡りだす。
「ヒュウのことなんだけど。あの人、天然に似合わず心配性なのかな?」
率直に訊けば、椅子に座る迅白は目を丸くした。
すでに夜の時刻でヒュウは仕事に出ているが、元上役を気にするように声をひそめる。
「うぅ、まあ、僕もあんなヒュウ様はこれまでの付き合いではじめて見ましたけども」
「あんな?」
「いえいえ、こちらの話で。ただですね、人の行動には想いがあり、想いには理由がある。理由はその人の真実なのだから、そこには善も悪も存在しない。昨日と今日では別人になることだってありうるんですよ」
「あ、やっぱり」
「やっぱり、とは?」
番蓮村からの帰りにレイが襲われたのは二日前のことになるが、日が経つにつれて、あのときのヒュウは過敏すぎたように思えて仕方がないのだった。
おかげでヒュウの武人としての度胸と腕は証明された。それはよしとしよう。けれど、助けてくれなくても独りで対処できる自信はあった。危機管理はできているし、この先もヒュウに甘えるのは、男に頼り慣れてしまうことにならないだろうか?
(わたしはヒュウによって変えられてしまうんじゃないのかな……?)
迅白の問いに応えないまま、レイの視線はそわっと泳ぐ。
一番に目にとまったのは机案の上に散乱している紙だった。
「ねえ。迅白さんって、ヒュウの元部下なんだよね?」
「そうですよぉ」
「皇都ではなにしてたの?」
「僕ですか? 記録係です」
だからか、とレイはやっと納得した。
迅白は戦袍を纏っていなければ武人とはわからない。剣を背負っていても小柄なせいか木の枝を刀剣に見立てて戦闘ごっこする子供のようで、まったくと言っていいほど見た目に武の要素がないのだった。
「いっぱい紙が積んであるし。室内には墨の匂いも漂っているしね、書くことが好きなんだろうなって」
「はい。先祖がそこかしこで書かれていますから、記すということに興味が湧いて」
彼の先祖は、徐仲宝。仲宝は地下から大金を掘り出したことからはじまり、引越し先の家では厨房の穴から飛び出してきた白い雀に導かれて大金を得た。妙に金運がよかったことで知られている不思議話の常連さんである。
「カッ――ヒュウ様なんて『金運のよい徐家の者を傍におけば福を招き入れてくれるかもしれん』なんて言って、僕を傍付きにしてくれたんですよねぇ。発想の転換でそういう考え方もあるのかもしれないですけども、凡人よりも斜め上にずれた考え方をするのがカッ――ヒュウ様らしいというか」
(んんっ)とレイは小首をかしげた。
確か出会いのときにも迅白は、ヒュウの名の前に「カッ」をつけていたのだ。さり気なさを装って言いなおしているようだが、話に夢中になるとでてしまうのか、誤魔化しきれていない。
「誰かが記さなければ現実の出来事であっても後世には遺らない、結局は忘れ去られてしまう。なんとなく、ですけども。それが嫌なんですよね」
「その気持ち、わかるな」
「わかってくれますか。ほんとですか、よかったぁ」
人の生は短く、なにも為さねば夢幻の如く、己が生きた証は時の波間に埋没していく。
レイは戎家の見鬼師として、自らの足跡を後人に遺さなければならないのだ。
「迅白さん、わたしのこと……怒ってない?」
弱腰の問いかけでかなりの小声になってしまったのに、迅白は的確に聞きとったらしい。(解鳥語を扱える者は耳がいいんだろうな)と思いながらレイは、探るように迅白を見つめた。
「僕が? 怒る?」
「あ、……う、だって……」
彼の恋人と一緒に寝起きしているのはレイであり、そういえば食事も一緒にとっている。ヒュウが帰ってくるのは当然のようにレイの室で、一日の大半を共に過ごしている。顔を合わせている時間が多いのは迅白ではなくレイのほうだ。
これはもう、ほぼ独占ではなかろうか?
(恋人に横恋慕してるとか誤解されたら困るから)
惑うレイが室を行ったり来たりしていると、
「あぁ」
と、合点がいったのか迅白が手をぱんと打ち鳴らした。彼の顔には抑えがたい微苦笑が含まれているようで……。
「怒っているというか、近寄らせてくれないのが残念ではあります」
(ひええっ)
心中でレイは悲鳴をあげる。
(そうか、そうだよね)
年長者と判明した迅白だ、レイはぺこりと頭を下げて室を飛び出す。
(わたしのせいでヒュウに近寄れないんだわごめんなさいっ)
言葉にできないまま、いろいろな意味でひたすら詫びるしかできないレイであった。
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