蘭定家諸事情につき(らんじょうけしょじじょうにつき)

碧井永

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【1日目】

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「僕、カノジョできたんだ」
 夕食の席で、いきなり発言をしたのは三男侑二ゆうじ
 受けて、長男貴純たかずみと次男侑一ゆういちの動きがぴたりと止まる。
 季節はスズムシの鳴き声が心地よく庭先に響くころ。明日から、次男と三男は大学の後期がスタートする。貴純は向かい側に座る侑二の満面の笑みを見つめたあとで視線を少し落とし、隣の侑一まで視線を走らせる。次男はなんともいえない表情を浮かべていた。
 そのまま黙々と食事は進み、なにを食べたのかもわからない胃を押さえながらシンクまで食器を運ぶ。「手伝うよ」と言って並んだ侑二に、どうしたものかと溜め息をついた。
「……さっきの話だけどな」
「なに?」
 侑二は見た目どおりの性格で、ぼうっとしているようで本当にぼうっとしている。すごくいい意味で鈍感なところがあり、直情径行な性格の三兄弟の中でも別格といえるほどの異色な存在だ。ある意味で貴純は、この鈍い弟を尊敬していた。
「カノジョ、ってバイト先の子か?」
 なにから言おうか散々に考えて、結局はありきたりな質問をする、ちょっと気弱な長男貴純。親の心子知らず――もとい、兄の心知らずな弟は、うなずきながらのんきに鼻歌をうたっている。
「侑二のバイトって……飲み屋だったよな?」
「違うよ、ずみにい
 弟が二人揃っているとき、面倒なこともあって貴純が「いち」「」と呼ぶからか、侑二もいつからか兄たちのことを「ずみにい」「いちにい」と呼ぶようになった。
「あのねえ、飲み屋とBARは全然違うから。僕はね、バーテンの仕事してるの」
「それじゃ、その子もバーテンなのか?」
「ううん。レジ打ちやってる。すっごく可愛い子なんだよ、告られてドキドキしちゃったもん」
 可愛いうんぬんはひとまずおいておくとして。
 早急に対処しなければいけない問題は別のところにある。
「……バーテンのバイト、長いな」
 またも本題に入りそびれた貴純だった。
「僕ね、大学卒業したらヨーロッパに修業しに行こうかと思ってるんだよ」
「へっ!?」
 食器洗浄機につっ込んでいた皿が一枚、手から滑り落ちる。それを見事に侑二がキャッチした。「ずみ兄、気をつけなよ」と言いながら、呆ける兄をじっと見つめる。
「なんで? ダメ?」
「いや、ダメってことはないけど」
「ずみ兄、いつも言ってるじゃん。サラリーマンするだけが人生じゃない、って」
 それは、半分は自分のために言っているのであり、半分は父親の威厳を保つために言っている。まさか、そう解釈されるとは思ってもみなかった。
「じゃあ、その子とは付き合っても一年ちょいってことか?」
 侑一と侑二は、現在大学三年生である。本来ならば、就職活動を始める時期。
「うーん、そうなるかなあ。でもさ、人ってかわるものじゃん。そこまで仲が続くかどうかもわかんないし」
 それはそうなのだが……続く想いというものもあるのだ。ここぞとばかりに貴純は、キッチンのドアに走り寄ると、侑一の姿がないことを確認する。三男と違って、次男は〝家事をする〟という行為が生活にインプットされていないため、食事が済めば自室に戻るか風呂に入るのが日課となっていた。
「……なあ、侑二」
 わざと声を低めたのに、気づきもしないで「なに?」と気軽に返事をする侑二。
「侑一のことなんだけどな」
「いち兄がどうかしたの?」
 鈍い弟でも、兄がからむと少し変化がある。手ごたえのある反応に、貴純は心を決めた。
「俺は前々から思っていたんだけど……侑一は、お前をすごく大切にしてるだろ?」
「そりゃ兄弟だからねえ、僕もいち兄のことは大事だし。もちろん、ずみ兄も」
 こんなところは素直で、できのよい弟だ。
「カノジョができたことで、侑一がお前のカノジョに嫉妬しなければいいなって思って……」
 一瞬だけ動きの停止した侑二だが、次の瞬間には声をあげて笑った。
「なにそれ? 意味わかんないよ」
「あのな、笑い事じゃないんだって」
「だってさあ。いままでだって僕にカノジョいたけど、そんなことなかったじゃん」
 うん、そう――いままでは。けれど、なんだか今回は違う気がする貴純なのだった。侑一の、なんといったらいいかわからないが、さっき見た表情が危機感を募らせる。この鈍感な弟はカノジョができて別れるたびに、いちいち律儀に報告をしてきたが、さきほどのような重い空気になったことはない。
 一息で言ってしまおうと貴純は、深く深呼吸する。
「侑一は、お前が好きなんだ」
 さすがの侑二もフリーズした。食洗機に入れようとしていたマグカップが手から滑り落ちる。今度は貴純がそれを受け止めた。で、またも笑いがキッチンにあふれる。
「なに言ってんの、ずみ兄」
 侑二が笑い転げるのを無視していると、どうやら弟も「んっ?」と感じたらしく、貴純に訊いてきた。
「マジで? 好き、って、恋愛対象で、ってこと?」
「……俺は、そう思っていた」
「げ、冗談でしょ」
「こんなこと、冗談で言えるか」
 貴純が受け止めたマグカップが侑一のものだったので、二人はしばらくそれを見つめていた。二人同時に「うーん」と考え込む。指摘されればそのとおり、弟には思い当たることの一つや二つ……一〇や二〇があるのだ。
「えっ? 僕、どうしよう? ねえ、ずみ兄、どうしたらいい?」
「訊かれても……困る」
 兄の頼りない回答に「わーっ」と侑二が悲鳴にも似た声をあげたので、反射的に貴純は三男の口をふさいだ。
「あーっ、ごめん。悪かった。俺も対処法は考えているんだ」
 頭を抱えてのたうちまわる侑二をつかまえながら、貴純は苦しげに言う。
「対処法って、なに?」
「それは……これから……」
 その夜は半泣きの三男をなだめるので精一杯だった。

 蘭定らんじょう家は苗字もかわっているが、家族構成もなかなかのものだ。
 一家の大黒柱である父には放浪癖があり、彼が大学一年のときヨーロッパを放浪中に付き合っていたフランス人女性が貴純の母である。(ということで生まれた貴純は、肌が白く薄茶色の髪にエッジブルーの瞳で長身という、独特の風貌をしている)
 放浪中とはいえ、子どもができたことを聞かされた父は、半ば無理押しで母を日本に連れてきたらしい。そういうところでは、ヘンに責任感のある父なのだった。だが、学生結婚(をしていたのかどうか、詳しいことは知らない)なんぞが続くはずもなく。貴純が3歳になるころには、母は二人を残してさっさと帰国してしまったということだった。
 結局、男手ひとつで貴純を育てるために、大学卒業後は嫌々ながらサラリーマンをしていた父だが、貴純が8歳になる年に再婚する。今度は日本人女性だった。それが、侑一と侑二の母である。
 貴純が9歳のときに生まれた侑一と侑二は二卵性双生児なので、顔つきや身体からだつきも普通の兄弟程度の差がある。次男の侑一が見た目は父親似で、三男の侑二のほうが見た目には母親に似ている……と思っていたが、「ヨーロッパへ修業に行く」発言で、実は三男のほうが父親に似ているのではないかと、がっくりきた貴純なのだった。
 侑一と侑二という単純な命名の仕方からもわかるように、父は放浪癖に加えておおざっぱなところが目立つ、物事にこだわらない性格だ。サラリーマンとして金を稼ぐのは一家の家計が適度にまわればいいからで、貯金やローンなども気にすることなく母親任せなところがあり、出世欲などまったくない、とらえどころのない男だった。そんな父に付いていける女性は、この世にどれくらいいるのだろうか? 思えば母は、よく我慢したものだ。二人の離婚が成立したのは、侑一と侑二が高校受験のころ。父は40歳前半にして、めでたくバツ2になったのだった。父と母の間でどんな話し合いがもたれたのかは訊いたこともないが、驚いたことに父が親権をとったのだ。こんなところも不思議と責任感のある父なのだった。
 それから男所帯でずっとやってきたのだが、侑一と侑二が大学に合格するのを見届けると、父は「本来の姿に戻るぞ」宣言をして放浪の旅に出てしまった。今年50歳になる父が、いま、どこで、なにをしているのか、家族で知っている者はいない。たぶん日銭稼ぎのようなことをしながら渡り歩いているのだろうが……もしかしたら海外を渡り歩いているかもしれないし、とにかく、貴純としては、いつの日かひょっこり父親が帰ってきて「お前らの新しいきょうだいだ」などと言って、子どもをポイッとおいていかれるという事態にならないことを日々願っている。
 ただでさえ複雑な家庭環境をこれ以上ややこしくされたらたまらない。父の笑い話のような行動の結果で構成される三兄弟は、見た目も微妙に違えば血液型もばらばらという、まとまっているようでいてまとまりのない家族なのだ。
 そういうわけで、家事全般を担当するようになった貴純は、若いうちから家事と仕事の二つを両立させることの難しさを知ることになる。なにしろ、双子が高校生だったころから面倒をみているわけで……高校生はすごく食べるし、すごく服を汚すことにびっくりした。食事の仕度と洗濯だけで、体力のほとんどを使ってしまうのである。そうして、日に日に家の中は散らかっていく。これでは身がもたないと、貴純は一年勤めた会社を辞めた。辞職した帰りの道すがら、人生の後先を考えずに行動する、こんなところは父親似かなと苦笑したのを憶えている。
 そう――家事だけでは食っていけないのだ。
 それでも救われたのは、家にずっといる長男に父がなにも言わなかったこと。たぶん、家計と一緒で家の中のことが適度にまわっていたからだろうが。
 しかし貴純にしてみれば、これからの人生もからんでくる。どうするかと考え込んでいたところに、小さな出版社に就職した大学時代のサークル仲間から連絡がきた。
「蘭定って、仏文科だったよな?」
 母親を知らない貴純だが、いちおう母国であろうフランスに少しばかりの憧れをもっている。それで選んだ。
「フランス文学の翻訳を頼んでる人が急病でさ、悪いんだけど、訳すのに手を貸してくれない? 下訳したやくってことで、バイト代、ちゃんと出すからさ」
 自ら選んだ仏文だったが、成績はいつも落第すれすれだった。友人にしてみれば、貴純の風貌が風貌だけに、外国語が得意そうに見えたらしいのだが。そんな単純な理由で語学が堪能になるなら誰も苦労はしない。でも、これなら家で仕事ができると、引き受けたのが始まりだった。友人の紹介もあり、いまでは、いくつかの出版社から下訳の仕事をもらって小銭を稼いでいる。こんなところは、やはり父親の遺伝子を受け継いでいるのだ。
 貴純が28歳のとき、放浪の旅に出た父にいきなり放り出された三兄弟だが。弟二人も大学生ということでわりのいいバイトをしてくれるおかげもあって、蘭定家の家計はなんとかまわっている。さっき侑二が言っていた、
 ――サラリーマンするだけが人生じゃない。
 というのは、こういう経緯があっての、つまり言い訳なのだった。
 それにしても、と貴純は額をぺしぺしと叩いた。
 ――対処法は考えているんだ。
 侑二をなだめた手前、なにもしないというわけにもいかないだろう。
 いま抱えている絵本の下訳もしないまま、貴純は独りで「うーん」とうなるだけだった。




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