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【2日目】
しおりを挟む朝食のメニューはなににするかと迷いながらキッチンに入ると、リビングで侑一が新聞を読んでいた。ギクッと肩の揺れる貴純。次男のほうが、なぜだか存在感があるのだ。
まあ、今日の場合、それだけではないのだが。
この場所で三兄弟最大のバトル(次男のひとり勝ちだった気がしないでもない)が繰り広げられたのは、二年半前。父が放浪の旅に出る前のこと。
双子が大学受験を終えた、その夜。
荒々しく玄関のドアが開いたと思った次の瞬間に、リビングからものすごい音が響いた。何事かと慌てて貴純が駆けつけてみれば、次男の侑一が手にしていたバッグをフローリングに叩きつけた音らしかった。
「どうした……ん……」
「兄貴は知ってたのかっ?」
リビングに入るなり侑一に肩をつかまれ、言葉が途切れた。なにがなんだかわからずに侑二を見ると、三男の目が泳いでいる。
「一、落ち着け。どうしたんだ?」
「どーもこーもねえだろ? 兄貴は侑二が経済学部を受けるって知ってたのかよっ?」
「へ!?」
「どーなんだっ?」
ド迫力で顔を近づけられる。長男の威厳など、きれいさっぱりと消えていた。それほどにいまの侑一のまなじりはつり上がり、なにを答えたとしてもブチ切れる寸前なのである。助けてくれとばかりに侑二を見たが、あいかわらず視線は定まっていない。どうしたらいいのかと考えている間に、侑一の両手が貴純の首を絞めにかかった。貴純よりも背の低い弟だが、襟首をぐいぐいと締め上げてくる。
「……聞いていたような気もするし聞いていなかったような気もするし……」
「どっちなんだよっ!」
視線をあさっての方向に流して答えたのが、余計に次男を怒らせたらしかった。さすがに殺人はまずいと思ったのか、貴純を締め上げていた両手は離したものの、侑一の射るような視線が貴純の横顔に次々と突き刺さる。
「ちょっと待てって、一。もし俺が二の進路志望を聞いていたとして、だ。侑二が経済学部にかえたからって、お前も進路をかえたのか?」
「かえたっ!」
貴純の語尾にかぶるように怒鳴られてしまう。
呆気にとられた。
「オレはな、侑二がずみ兄みたいに文学を勉強してみたいって言ったから、文学部一本でずっと努力してきたんだ! 進路指導のときだって侑二が文学部って書いて提出したの、知ってるんだ。なのに、なんだよ、急に。いつかえたんだよっ。なあ、兄貴。なんでだよ」
貴純はまあまあとなだめるような仕種をしながら、そっと侑二のそばに寄る。侑二はさっきから突っ立っているだけで、一言もしゃべっていない。自分のことで言い争いになっているのを理解しているのだろうか。
「お前、言ってなかったのか?」
ひそっと話しかけると、侑二の垂れた目許がさらに下がった。
「うん、だって、言うほ……ど、の」
「おいっ、そこの二人。なにひそひそしゃべってんだよっ」
「「あーっ、ごめん」」
声を揃えて詫びを入れる、長男と三男。
「オレはね、兄貴。はっきりいって文学なんてもんには、これっぽっちも興味なんてないんだよ。本だって、読んだのは夏休みの読書感想文書くときくらいで、好きこのんで買ったことだってねえんだよ。せいぜいが新聞読むくらいなんだ。どう考えてもおかしいだろ? 侑二なんて、新聞読んでるとこ見たことないぜ。なあ、兄貴。本嫌いのオレがこれから四年間文学びたりになるってどーよ? おかしくね? そんで新聞もろくに読まないニュースも見ない侑二が経済学部ってさ、なんなんだよっ」
侑一はソファに蹴りを入れる。ついでにパンチも。
大切な家具を壊されたらたまらない。ただでさえ、赤字と黒字をいったりきたりしている家計が一気に赤に傾いてしまうので、貴純は口を開いた。
「でもな、文学部にいくって決めたのは侑一自身なんだから」
「侑二が受けるからだろっ!」
思い返せば、疑惑が確信にかわったのは、あの日なのだ。
もともと三男を溺愛していた次男だが、数々あった諸問題の中で、あそこまで怒りをあらわにしたことはない。双子とは九つの歳の差があることから、どのような学校生活をおくっていたのか貴純は知らないが、陰に日向に次男が三男を守ってきたことは、ちらちらと侑二から聞いていた。双子ということでクラスが一緒にはならないものの、多方面から三男をサポートしていたのは次男なのだった。
そこまで考えて貴純は首をかしげた。
別々の大学ならまだしも、同じ大学であそこまで怒ることもなかっただろうに。まあ、キャンパスは広いし、学部が違えば構内で会うこともあまりないのだろうが……しかし、あの日の侑一は尋常じゃなかった。
未解決の問題を抱えたまま、貴純は溜め息をこぼす。
「早いな、侑一」
「オレ、一時限目から講義入ってるんだ」
侑二と学部が違ってしまったからか、一年二年とあまり大学に行かなかった侑一だが、三年になってからはしっかりと講義を受けるようになった。喜ばしいことである。
「朝食は、ご飯とパンどっちにする?」
「パン」
「つけあわせは? スクランブルエッグ?」
「サニーサイドアップで」
ちゃっちゃっと朝食の支度を済ませると、匂いにつられるようにして侑一がダイニングテーブルに着く。二人だけで「いただきます」と手を合わせて、手持ちぶさたにリモコンを取りテレビをつけたとき。
侑一がなにかを呟いた。
「ごめん、なんか言ったか?」
「……あー、いい。なんでもない」
これも貴純の記憶が正しければ、だが。
春先くらいから侑一が、時折、なにかを聞きたそうにするのだ。いまのように聞き返しても「なんでもない」と言われてしまうので、なにも聞かないままに半年が経とうとしている。
「オレ、今日バイトだから。遅くなるかも」
「ああ、気をつけてな」
リビングに置いてあったバッグを取ると侑一は、なんともいえない表情を浮かべて出て行った。
まさか、とは思うが――侑二のことを相談されたらどうしたらいいのだろう。なんと答えてやればいいのか。いや、なんと答えてやるのが一番侑一を傷つけずに済むのか。
わからない。
こんなとき貴純は家事で気晴らしをするのだ。掃除して洗濯して、そうこうするうちに気が紛れていく。早い話が面倒事をいっとき頭からデリートするのだった。
が、三男に声をかけられ、否応なしに現実世界に引き戻されてしまう。
「おはよう、ずみ兄」
「……おはよう」
「あれ? いち兄はもう行ったの?」
「一時限から講義があるらしい。お前は?」
「僕は三時限と四時限の二コマ」
「今日もバイトか?」
「ううん、今日はデート」
でれでれと答える侑二に、また溜め息のこぼれる貴純なのだった。どうしてくれよう、この天然三男坊。
「いいな、お前は」
「なにが?」
「可愛いカノジョもいて。頼れる兄貴が二人もいて」
動きが止まったのは一瞬で、すぐに「うわっ、そうだった」と頭を抱える。
「ねえ、ずみ兄。対処法は見つかったの?」
「あのな、そんな簡単に見つかれば、もっと早いうちに手を打ってるよ」
「ええっ、なに、その言い方。それじゃ、いち兄はずっと僕を好きだったって言ってるみたいじゃん」
「だから、そう言っただろ」
「え? そうなの?」
やっぱりだ、と貴純は思う。三男は父親に似ている。一晩経てばけろっとしているところなどそっくりだ。そんな態度に、母がどれほどこらえていたことか。
「ずみ兄はさあ、フランス文学やってるんだから、恋愛のもめ事を片づけるなんて朝飯前でしょ」
朝飯のベーコンをつつきながら、侑二はなんだか的外れなことを言う。
「なんだそれ?」
「ほら、恋愛至上主義っていうヤツ」
「そりゃ、フランス人の話だろ?」
「ケンカしたら、相手にゲーテの詩なんかを読み聞かせたりするんでしょ」
「ゲーテはドイツ人」
あははっと笑った後で、三男は貴純の顔をじっと見つめる。
「そういや、ずみ兄の恋話、聞いたことないね。ずみ兄はフランス人とのハーフなんだから、恋愛もすごいのやってそうだよね?」
「なんだよすごいのって?」
「だから、恋愛至上主義みたいなヤツ。貴女がいないと生きていけません、みたいなさ。そうだな、たとえばロミジュリとか」
「そりゃ、イタリアの話だろ。それに、シェークスピアはイギリス人だ」
ふーん、とうなる侑二を横目に、言われてみればそうだなと思う貴純なのだった。24歳で会社を辞めたとき、付き合っていたカノジョとも別れてしまった。以来、女性関係はきれいなものである。それだけ蘭定家のことに心血を注いできたのだ。
家計がまわるように。
家事が滞ることのないように。
母がいなくても双子たちが偏見の眼差しで見られることのないように。
プラス、父がちゃんと家に帰ってくるように。
器用貧乏とは自分のためにある言葉じゃないかと、朝から憂鬱になる貴純だ。
「そういえばねえ、いち兄が最近デュマにこってるみたいなんだよ。レポートの課題でも出てるのかなあ。デュマはどこの国の人?」
「フランスの小説家だ」
「へえ、それでかな? フランスで話題の恋愛小説を読んでるみたいなんだ」
「侑一がっ!?」
文学なんてこれっぽっちも興味ねえんだよ、が口癖の侑一が?
「意外でしょ。僕も、台風でもくるんじゃないかとびびったくらいなんだけど。持ち歩いてるみたいで。うーん、なんだったかな? なんとかっていう賞をとったらしくて……」
「……アラン=フルニエ賞、か?」
「あー、そんなカンジ」
その賞を聞いて、一瞬だけ学生時代を思い出した貴純なのだった。
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