悪役令息に手をさしのべたらば。--冷酷侯爵はその優しさを恋慕う

鳥海あおい

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1.悪役令息

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「お前、弟を虐めてるんだってな!」

…また始まった。

僕、クリス・ロスウェルはそう思いながら後ろで繰り広げられている会話を聞いていた。
他人事とはいえ、いびられているのを聞いているのはあんまり気持ちが良いことではない。

いびられているのはアカデミーのニ学年下のフレイ・エメロードだ。

フレイはエメロード侯爵家の嫡男であるが、社交界では色々悪い噂が囁かれている少年だ。
数年前に母がなくなった後に迎えられた義母を蔑ろにしているとか、腹違いの弟をいびっているとか、使用人に暴力を振るう乱暴者だとか…そういったエピソードが物語に出てくる悪役みたいだということで影で悪役令息と揶揄されている

この国の貴族の子女たちは14になると大体アカデミーに通うことになるのだが、そんな噂からもちろんアカデミーでのフレイへの視線ははじめから冷ややかだった。
まずは無視…そして、フレイの腹違いの弟のエリクが第二王子やその取り巻きと親しくなると、無視がだんだん虐めに発展するのはすぐだった。

エリクは涙ながらにフレイにいじめられた内容や暴言を語り、同情をさそう。

鈴のような声で公爵家でフレイがいかに嫡子の立場を傘に彼とその母をいかに貶めるかを話し、食事をや衣服を与えてくれないかを嘆く。
そして皆はエリクに同情し、慰める。
そんなパターンができていたのだが。
-----だが。

(皆心の底からエリクの言うことを信じているのかな?)

僕はそんなことを考えてしまう。

少なくとも僕の目には正直エリクはいじめられているようにも、衣食に困っているようにも全く見えなかった。
むしろ逆に見えた。

フレイはいつも同じニ枚の服をかわりばんこに着ていたし、しかも服のサイズはピチピチできつそうだ。年齢にしては小さくてものすごく痩せている。
それに対してエリクはいつもおしゃれな服を日替わりで着ている。白桃のような白い頬はいつもつやつやしていて健康的だ。

はっきり言えば、どんなバカでもエリクは嘘を言っているというのはわかるだろう。
だが、そんな事を口に出せるわけがない。なぜならエリクの美貌に第二王子やその周りをはじめ、さらにとりまきたちの側近候補達からも愛されていたからだ。

エリクの月の光を集めたような銀髪に、スミレを溶かしたようなな薄紫の瞳、儚げな美しい容姿はまるで真実をかすめさせる力があるようだった。

結局のところ、社交界では真実なんて意味がなく、貴族同士の力関係や噂、体面などのほうが重要なのだ。
だからこそ、僕は無力だった。
ロウェル家はしがない子爵家だし、その次男である僕には力も影響力もない。

だからエリクのほうが嘘つきと思っても、口になんて出せるわけもなかった。口に出したが最後、誰にどんな目にあうかわかったもんじゃない。
不条理ではあるが、これが現実だった。

その時、びちゃり!と水音がした。

「悪い!手がすべってしまった」

誰かの声がして、忍び笑いが聞こえた。
こっそりそちらを見ると、フレイが水をかけられたらしく、ボタボタと黒い髪から雫がしたたっている。

ひどい。

季節はもうすぐ冬だ。
風邪ひいてしまうのかもしれない。

頬っておけない気分でそわそわしたが、だからといって僕はすぐには動けなかった。
自己保身をまず考えてしまう自分に自己嫌悪を覚えながら、僕はフレイがのろのろと寮へと向かう後をつけた。
声をかけることができたのは、人影がなくなった頃である。

「…あの、大丈夫ですか?」

声をかけるとフレイは無言のまま見返してきた。
その紫の瞳を見た瞬間、僕は射抜かれたような気がしておもわず棒立ちになってしまった。
虐げられているのにもかかわらず、その瞳には卑屈さや哀切は全くなかった。
むしろ尊大で冷徹さすらあった。
みすぼらしい服を身に着けていても、高位貴族の生まれ持った矜持がうかがえて、僕はすっかり気圧されてしまった。

「あの…これを」

ハンカチを渡そうとしたが、フレイは僕をじっと見つめたまま動かない。
僕はおせっかいと思ったが、ついそのままフレイの髪と顔を拭いた。
怒るかもしれないと思ったが、フレイはされるがままだった。

「濡れていたらきっと風邪をひいてしまうから…」

言い訳がましく言うと、クリスは少しだけ笑った。

「ありがとう」

「あと、これ良かったら…着替えて」

たまたま持っていたカバンを渡す。
乗馬の授業の後だったから、そこには着替え一式とタオルが入っている。
そして、小腹がすいた時用のお菓子なんかも入っていたはずだった。
見下すなと断るか、施しと思われて怒るかするかもしれないと思ったが、フレイは大人しくそれを受け取った。

「良かったら使って。返さなくても大丈夫」

そんなことしかしてあげられない自分が歯がゆく、影でしかできない自分を情けなく感じたものだった。


その時僕はフレイを憐れんでいた。
だが、自分が憐れまれる側に転落すると…誰が知っていただろうか。


それからしばらくたって、僕は領地に呼び戻された。
そこで待っていたのは、両親と兄が馬車の事故でなくなったという訃報だった。

僕はそのままアカデミーに戻ることはなかった。
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