夜啼鳥は二度と死ぬ

鳥海あおい

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夜啼鳥は二度と死ぬ

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全世界の中でも最も富める国、といえばラクシャ国とほとんどの人が言うだろう。
燃える水と、採掘される美しい金剛石で、この砂漠の中の小さな国はたいへんに潤っていた

とくにその国王ときたらなおさらであった。美しい宮殿、職人が技工を凝らした工芸品、宝石や金糸銀糸を散りばめた衣裳、閨に侍る美しい女や男たち。
とにかく、その威信にかけて手に入らないものはないといわれるほどだった。
しかも今上の国王、ジャイール本人もその国を象徴するに相応しく、その美しさ、優秀さ、猛々しさでも群を抜いて有名であった。 
持ってないものなどなに一つないようなこの陛下が何故だか長年黒曜石の髪、黒曜石の目の青年を所望ということは、皆の周知するところだった。

この誉れ高き若い王の希望を叶えて富と関心を得ようと、様々な人々がそのような探し回っていたが、なかなか見つからなかった。
つまり、その色彩は滅びてしまった東方の国の王族のもので、かなり希少であったからだ。

しかし、ついぞその時は来た。
王はその黒を纏う青年を何人目かの妃として後宮に入れた。



その夜のことである。

無事に初夜を終え、王は満足げに味わったばかりの体を見下ろした。
彼が今宵征服した青年ネイは、まだ熱い息を吐いていた。激しい情交の名残に象牙色の肌を紅に染めている。
「やっと手に入れた。お前は私のものだ」
黒い長い髪をすき、その黒く深い瞳を見つめながら、ジャイールは睦言をつぶやき、くちづけると、青年は恥ずかしそうに黒い瞳を瞬かせた。
新たに兆してきた欲望に、抱き寄せてまだ濡れそぼった後孔を貫くと、青年はあえかな声をあげ、耐えるように眉をよせた。
その苦痛に快楽が混じった顔を見ると、何度でも欲望が奮い立つ気がした。
しなやかな身体を幾度も貫き、青年を涙にくれさせるほどに擦り上げ、絶頂に導き、また、彼も幾度も精を注いだ。

ひとまず二人が力尽き、寝台に身を寄せあったのは、もはや、空が白みはじめる朝方だった。


「陛下…」
控えめに、だが青年は甘えるように王に囁いた。
「満足いただけました?」
王は長年の渇望が叶い、この新しい側室の体には満足していた。
「もちろん。明日になったら今宵に見合う褒美を送ろう」
夜伽の後宮の伝統的な習慣である。
なにかたくさんよいものを送ってやろうと思っていると、青年は思わぬことを言った。 
「宜しければ今、ご褒美をいただけないでしょうか?」
思わぬおねだりに気を悪くしかける王に、慌てたように青年は言葉を続けた
「ものがほしいのではございません。何故陛下が私のような黒髪黒い瞳のものを探していたのか、それが知りとうございます」
「…」



昔、ジャイールのそばには黒い髪に黒い瞳の少年がいた。
父王に貢物として献上された奴隷であったが、ジャイールが気にいって従者にしたのだ。
よき友、よき理解者として育った。
そして側にいるうちに恋人としての役割も加わるのは必然であった。
少年の髪と目の色は希少であったが、ジャイールの周りにいる選びぬかれた者たちのように容姿は美しくはなかった。ただただ、実直であった。ひたむきにジャイールを思ってくれていた。
たまにジャイールが疲れていると、故郷の歌を歌ってくれる。少し切ないような響きの美しい曲だった。
少年の容姿はとくに美しくはなかった。
でも声はとても美しかった。
閨であげる声もそうであった。
見た目は地味だが美しい鳴き声の、まるでナイチンゲールのようだと思っていた。
その声、その実直さ、その献身を、かつてのジャイールは愛した。




「その方はどうしたのですか?」
「今は、いない」
寝物語に話してやった昔話を、ネイは静かに聞き、静かに問うた。
「では、僕はその方の変わりなのですか?」
「そうだ」
変わりなど、いない。
変わりにはならない。
わかっていたが、せめて同じ色彩を探さずにおれなかったのである。





ネイと少年は纏う色が同じでも、当たり前だが見た目の印象は全く違う。
ネイには美しい顔立ちに、細くてしなやかな身体には匂い立つような色気があった。
それでいて甘え上手で保護欲を誘う。
ただ、穏やかで、王の寵愛を嵩にかけるようなこともなく後宮で静かに、慎ましく生活しているようだった。

ジャイールは立場に相応しくたくさんの女や男の妃がいて、それぞれ魅力に溢れているのだが、なんとなく癒やされたくてネイのところへ足が向いてしまう日が多くなった。

はじめは不慣れで固かった体も、幾度も情を交わすたびにほぐれ、行為で柔らかくとろけて彼を受け入れるようになり、ジャイールを喜ばせるようになった。
とくに象牙色の肌はきめ細かく、いつまでも指を滑らせたくなる。
全身に触れて愛撫すると、いつも羞恥に耐えるように声を噛み殺す。
「声を聞かせろ」
命じ、双丘に触れて狭間を広げると、慎まやかな蕾が露わになる。その快楽のとばくちを香油を纏わせた指で開き、肉杭を押し当てると、ひくひくと蠢く肉に吸い込まれるように飲み込まれてゆく。
絡みつく肉から引き抜くようにしてからまた奥まで抽挿すると、青年は身体を弓なりに硬直させた。
震えながら締まる肉の快さに、ジャイールは吐精しそうになるのをかなり耐えなければならないほどだった。
遠慮がちにしがみついてくるのも好ましく、最近この青年が愛しくてたまらない。
「…あっ、あああ!……」
「この小さな孔いっぱいに私を受け入れるさまは健気で、そそらずにいられぬな」
「陛下!…あっ、気持ちいいです!」 
前は苦しいといっていた奥を激しく突いても感じるようになったらしく、甘やかなあえぎ声があがる。
「だめ、もうだめ…へいか!ゆるして……!やあっ…」
------彼はこんな時、どんな声で鳴いたか…
------彼はこんな時、どんな風に反応したのか。
はじめはどうしても比べてしまったが、最近はだんだんその頻度が減りつつあり、今やネイの声の方をよく思い出すようになってきているのに気づくのだった。
そんなとき、失ったものの変わりに得たこの男を愛しはじめているのかもしれないと思い、どうしようもなく胸が苦しくなるのだった。



「殿下はまた最中にナイチンゲールの君のことを考えていたでしょう?」
ネイはそう呼ぶことにしたらしい。
手足を絡め、情交の余韻にひたりながら、ジャイールはネイの項を撫でた。
「そうだな。はじめはお前があいつの変わりのように思っていたのは確かかもしれない」
黒曜石の瞳がひたりとジャイールを見つめている。
「でも最近はあいつのことではなく、ネイのことばかり考えている気がする」
「気持ちは移ろいやすいものです…が、嬉しいです。ありがとうございます」

そういえば、と、ネイが身体を起こした。
「前に言っていたナイチンゲールの歌ですが、こちらの歌でしょうか?」
彼が小さな声で歌いだしたそれは、すこし物悲しいメロディの、聞き覚えのある旋律だった。
少年の故郷の歌、少年だけが歌っていた曲であった。
「そうだ、この曲…懐かしい。もう聞くことができないと思っていた…」
「最近思い出しました。東国につたわる恋の歌なのです」
かつて癒やしの曲だったそれは、もはや今は胸の痛みなしでは聞くことができない。
「その方は今は、どこでなにをされているのですか?」
「あいつは…」


死んでしまった。


違う。

 
-----彼が殺してしまったのだった。



青年期に入ったジャイールは傲慢になりつつあった。
何も手に入らないものはなく、思い通りにならぬものはないから当たり前であった。
否、思い通りにならないものはある。
今や彼と同じく青年となった少年であった。

今となってはわかる。
真面目で実直だった彼は、ジャイールが傲慢になり、道を外すのを良しとしなかった。諫言や厳しさが、彼の愛情であったのだが、その時はわからなかった。

ある日、行事の予定があるからと指摘して身体を繋ぐのを拒否した少年に、苛々したジャイールは爆発した。
文句を言うな、言うことを聞けと言い、少年が拒否するとかつては奴隷だったくせに生意気なと怒鳴った。
身も心も全て言いなりにさせたいという傲慢な欲望であった。それがその時の彼の愛であったが、間違っていた。

処罰すると言い渡したとき、少年は悲しそうな顔をした。それが最後に見た彼の姿だった。

しばらくして、許してやってもよいかなと呑気に思った時は、もう少年は処刑されてしまっていた。
ジャイールの近くにいる少年のことを邪魔に思っていた勢力が、おそらく寵愛を失ったのをこれ幸いと排除にかかったのだ。死体すらどこにいったかわからなかった。


かくして、傲慢で生まれながらにすべてを手にしていた王子はいちばん大事だったものを失い、かつ、それが二度と手に入らないものだということに、気づいてしまったのだった。
虚しい日々の始まりであった。 
「なるほど。それで身代わりを探したのですか?」
膝枕をしながら、ネイが優しく言った。
「それて、殿下は満足されました?」
「はじめは落胆した。彼とお前が似ているようで違ったので変わりにはなるまいと思った。だが、今はネイの存在に癒やされている。得た満足の形は違うが、よかったと思っている。愛している」
「私も愛しています、陛下」
彼の男の妃は静かに笑った。その頬を撫でて、安らかな時間を楽しみつつ、王は願った。
「寝るまであの歌を歌ってくれないだろうか」
贖罪と、後悔と、懐かさと、愛しさと、その歌に包まれて彼はその夜眠った。




朝、王は穏やかな気分でに目覚めた。
だが。
しかし、その日は何かが違った。

ネイがいない。
いつも朝はとろとろとと一緒に微睡んでいるのだが、王は寝台に一人で横たわっていた。
珍しく一人先に起きて何がしているのだろうか。
「ネイ?」
枕元に手紙が置いてあり、王は手にとった。

『ラクシャの王へ』

この書き出しには顔を顰める。
いくらなんでも無作法ではないだろうか。だが、次の文章には顔を強張らせずにはおかれなかった。
『おれはイサクの弟です』
それはあの、少年の名前----彼が死なせてしまった少年の名前だった。
『東方国の純血の生き残りはもう二人のみ、俺と兄はなんとかして生き残り、いつか再開できる日がくることを祈りながら幼い頃に生き別れましたが、兄があなたに重用されるようになり、連絡のやり取りが叶うようになりました。
その点におきましては大変感謝しております。
しかし、ある時から音信が途切れ、兄はあなたに見捨てられ、殺されたと聞き及びました。
あなたにとってはいくらでも変えがきく人…いや、人ですらなく、物と同じようなものかもしれませんが、俺にとっては兄は唯一の心のよすが、大切な人でした。
ゆえに、俺は兄を殺したあなたへ仇をうつためにここに参りました。
新婚の夜、刃を隠してあなたを迎えいれた際、油断した所を刺し殺す気でいました。
が、ひとおもいに復讐するよりも、なにかもっと効果的な方法があるかもしれないと思いとどまりました。また、兄のこと、あなたにとって兄が本当はどんな存在であったかを知りたいというのもありました。
そのためにあなたにとって好ましい人物を装い、あなたと過ごして探ることにいたしました。
あなたははじめから俺を通して兄を見ていましたから、あなたの気持ちを感じとることは簡単でした。なるほど、確かにあなたは兄をとても大事にし、愛していたのでしょう。
それは間違いないと思いました。
戻ってきてほしいと懇願するほどに。偽物でも良いから欲するほどに。

しかし、結局のところ、あなたは次第に俺のことをだんだんと愛するようになりました。
兄への想いは薄れたわけではないと思いたいですが、兄への裏切りに感じました。許しがたいことでした。
予想していたことでもあり、予想外のことでもありました。
思うに、あなたは相手のありのままを想って愛しているわけでなく、自分に都合のよい相手像を愛しているだけではないでしょうか。
王であり、小さな頃から何もかも思うようにできるあなたさまがそうなるのは当たり前かもしれませんが、兄はあなたの思うようになるから愛される自分は嫌だったのではないでしょうか。
兄は大変実直な人間でしたからあなたの思うような姿になって自分を偽って愛されることは耐えかたかったんだと思います。たとえ命をかけたしても。
俺もあなたが好むように演じることは簡単なことでしたが、そんな自分が愛されることは苦痛でありました。

話がずれてしまいましたが、あなたは少なくとも兄を失ったことは後悔して苦しんでいると感じました。
何でも持っているのに、いや、持っているからこそ失ったものに拘らずにおれない…かわいそうな人だと思いました。
だから、少なくとも、あなたを殺して命を贖わせるより、違う方法のほうがあなたの心に刺さるのではないかと思いました。一瞬の死よりあなたに応えるでしょう。得たと思ったものを再び失う痛みを、兄の存在を失わせた復讐として差し上げます。
 
あなたはいずれまた他の人を、きっと愛すると思います。その時に一瞬でも想い出していただけますように。
少しでも俺や兄を思い出していただけたら、小さくとも痛みを感じていただけたら、あの歌を思い出していただけたら俺の復讐は成功と成ります。


陛下、永遠にさよならです。
もうお会いすることはないでしょう。』



ヒュウと強い風が窓から吹き込んできて、手紙が力を失った手から落ちた。
長い余白のあとにまだ続きがあったが、続きを読まねばと思いながらも頭の中は真っ白であった。
強い風にカーテンはふわふわと揺れている。
その小さな窓。
それは落ちたら危険だからと普段は閉ざされていたものではなかっただろうか。
それがいっぱいに開け放たれていて、一瞬浮かびあがってきた恐ろしい予感に、そこから目をはなすことができない。


何かを知ってしまうのが恐ろしくて、彼はずっと動くことができなかった。

いつまでも動くことができなかった。





『追伸。
最も予想外であったことは、あなたを兄の仇と憎みながらも、かわいそうな人だと憐れみ、情を交わし、共に時間過ごすうちに俺もだんだんとあなたを愛するようになってしまったことでした。愛していました。だから、さようなら』
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