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8.犬飼宅にて
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犬飼と「お試しプレイ」をした翌日、桐原はびっくりするほど体調がよくなった。
身体も心もとても軽い。
疲れが溜まっていると思っていたのはSUBの欲求が発散できていなかったことが原因だったらしいと思い知る。
桐原は喜んだが、医者の言うことが正しいならば定期的にプレイしないとまたもとの黙阿弥だろう。
DOMとSUBのマッチングのアプリをインストールしてみたりしたのだが、SUBで登録して基本情報を挿れた瞬間からアプリの通知のポップアップが大量に入ってきて桐原は早速辟易してしまった。
いくつか見たが、居丈高なメッセージのものが多く、実際に会う前にすでに願い下げの有様である。
SUBなら誰でもいいのかと嫌な気持ちになったし、この中に桐原を満たせるような相手がいるのだとしても探すこと自体が億劫に思えた。
うんざりしながらさっと目を通して消している桐原を、タクシーの後部座席にその長身をもてあまして狭そうに座る犬飼がさりげなく覗き込んできた。
「桐原さん、何見てるんですか?」
アプリの画面を見せてやると、犬飼はさすがに鼻白んだようだった。
「これからっていう時にひどい人ですよね、桐原さんて。デリカシーなさすぎですよ。だいたい、アプリでマッチングしたからといっても、その相手にひどい目にあう人もいるんですからね」
「知るか。というか、お前が言うな」
犬飼はややむきになって忠告する。
若さと、独占欲じみたものを感じて桐原は薄く笑った。
「お試し」からしばらくして見計らったかのように犬飼は家で飲みませんかと誘ってきた。
もとよりプレイをしようということだと桐原は受け取った。
飲むなら飲むでよし。素面よりは酒が入っていたほうが気分的に楽かもしれない。
タクシーが犬飼の家に到着した時、桐原は正直驚いた。
桐原は忙しいので会社の徒歩圏に住んでいるが、都心だけに帰って寝るだけの1Kの部屋でもかなりの金額がする。
外資のエース級としてかなりの額面をもらっている桐原と比べれば新入社員の犬飼の給与はまだそれほどでもないだろうが、犬飼が一人暮らしをしているという家は数駅先のターミナル駅直結のかなり高そうなマンションだった。
しかもファミリータイプなのでかなり広い。
「…おじゃまします」
「どうぞ。座って楽にしてください」
案内された部屋には若い男の一人暮らしに似合わない立派なアイランドキッチンやダイニングセットがきちんと揃っていて、これにも正直驚いてしまう。
「犬飼、お前金持ちのぼっちゃんとかだったのか?」
「違いますよ~。親戚が海外に行っている間、管理するって名目で格安で貸してもらってるんです。少しは僕に興味持ってくれました?」
「いいや、聞いただけだ」
犬飼にすっぱり言うと、つれないですね、としょんぼりする様がまるで名前通りの犬のようだ。
「でも、部長のおうちも多分ちゃんとしたお家だったんですね」
「…いいや、普通の家庭だったよ」
「そういうのでなくて、部長さっき部屋に入る時におじゃまします、って言ってだでしょう?それにちゃんと靴も揃えてたし。そういうのが身についているのって、おうちがきちんとしていた証拠ですよね」
最も、その家は自分がSUBだとわかると崩壊しかけたんだけどな、と、桐原は心の中で思った。
保守的な父親はUSUALだけに息子がSUBだとわかると得体のしれないと嫌悪感を覚えたようで、仕事に没頭してえあまり帰ってこなくなってしまった。
当時はショックだったが、今となってはどうでもよいことだ。
だが、自分のダイナミクスを受け入れられないのは、そのあたりにも原点があるのかもしれないと桐原は思った。
自分は何も変わっていないのに、拒絶された経験…もしあの時ありのままを受け入れてもらえたら、もっと自分でも受け入れられたのかもしれない。
そこまで考えて桐原はその考えを頭から追い出した。
どうしようもない過去のただの感傷にすぎない。
「何飲みますか?ビールがよいですか?ウイスキーとか、ワインもありますよ」
「…正直、早く終わらせて帰りたいんだが」
「まあまあ、そう言わないでくださいよ。プレイ以外にもコミニケーションとって理解しあうのも大事なんです」
スーツの上を脱ぐと、犬飼はアイランドキッチンに立ち、冷蔵庫から何か出してレンジで温めると、テーブルに並べた。トマトとコンソメの匂いが鼻をくすぐる。
「ちょっと食事してから飲みましょう。といってもスープしかないんですが」
警戒している桐原をしりめに普通に団らんじみたものが始まり、桐原はなんとなく肩すかしをされた気分になった。
というのも、一部の男は桐原のようなタイプを鼻持ちならないと思い、引きずり落として顔色を変えるところを見たいと思うようだ。ましてや、普段から桐原から叱り飛ばされている犬飼なら、桐原がSUBだということをこれ幸いに言いなりにさせて貶めたいのではと疑いを持っていたのだ。
会社の会議室と違って、家では密室になる。
コマンドとグレアで無防備になってしまえば、抗いようがない。
ともかく、どうやら犬飼なりの段取りを踏まないと先に進まなそうな空気を感じて、桐原は嫌々ながらスプーンを手にとったが、意外にもそのスープはなかなか美味しかった。
「自炊してるのか?」
「たまーにですね。外食ばかりだと野菜不足になるので早起きできた時とか作り置きするんですよ。部長はいつもあんまり食べないですよね。ちょっと痩せ過ぎですよ。仕事忙しいと食事抜いてません?」
その通りで、桐原は仕事に熱中すると食事を忘れている時がある。
無言でいると、犬飼は桐原の手首に視線を落とした。
「ほら、手首とか俺より細い」
そのまま触れられるかと思ったが、犬飼は触れることはしなかった。
しかし、視線を這わせらるとだけでまるで撫でられたような錯覚を覚えて、熱を持ってしまう気がする。
先日この手が触れて、その体温を知ってしまったたそのせいだろうか。
じりじりする。
「素面でしますか?抵抗があるなら、何か少し飲んでリラックスしてからにしますか?」
「じゃあ、ビールを」
犬飼の意図を読み取ったかのようにアルコールをすすめられたので、もらうことにする。
別にビールが好きで選んだわけでなく、それが一番準備も飲むのも楽そうだったからだ。
冷静な桐原でも改めてプレイするとやはり緊張する。
なにせここは密室だ。
密室に犬飼と二人きり。
緊張していることを悟られたくなく、ことさら平静を装いビールを煽った。
「もったいぶってないではやくプレイしろよ」
「もー、情緒ないですよね。雰囲気!」
ため息をつく犬飼の桐原を見る視線はメガネ越しでも強い熱を孕んでいた。
その眼鏡を外せばグレアがくる。
それを想像すると、桐原の心は我知らず’心が逸った。
身体も心もとても軽い。
疲れが溜まっていると思っていたのはSUBの欲求が発散できていなかったことが原因だったらしいと思い知る。
桐原は喜んだが、医者の言うことが正しいならば定期的にプレイしないとまたもとの黙阿弥だろう。
DOMとSUBのマッチングのアプリをインストールしてみたりしたのだが、SUBで登録して基本情報を挿れた瞬間からアプリの通知のポップアップが大量に入ってきて桐原は早速辟易してしまった。
いくつか見たが、居丈高なメッセージのものが多く、実際に会う前にすでに願い下げの有様である。
SUBなら誰でもいいのかと嫌な気持ちになったし、この中に桐原を満たせるような相手がいるのだとしても探すこと自体が億劫に思えた。
うんざりしながらさっと目を通して消している桐原を、タクシーの後部座席にその長身をもてあまして狭そうに座る犬飼がさりげなく覗き込んできた。
「桐原さん、何見てるんですか?」
アプリの画面を見せてやると、犬飼はさすがに鼻白んだようだった。
「これからっていう時にひどい人ですよね、桐原さんて。デリカシーなさすぎですよ。だいたい、アプリでマッチングしたからといっても、その相手にひどい目にあう人もいるんですからね」
「知るか。というか、お前が言うな」
犬飼はややむきになって忠告する。
若さと、独占欲じみたものを感じて桐原は薄く笑った。
「お試し」からしばらくして見計らったかのように犬飼は家で飲みませんかと誘ってきた。
もとよりプレイをしようということだと桐原は受け取った。
飲むなら飲むでよし。素面よりは酒が入っていたほうが気分的に楽かもしれない。
タクシーが犬飼の家に到着した時、桐原は正直驚いた。
桐原は忙しいので会社の徒歩圏に住んでいるが、都心だけに帰って寝るだけの1Kの部屋でもかなりの金額がする。
外資のエース級としてかなりの額面をもらっている桐原と比べれば新入社員の犬飼の給与はまだそれほどでもないだろうが、犬飼が一人暮らしをしているという家は数駅先のターミナル駅直結のかなり高そうなマンションだった。
しかもファミリータイプなのでかなり広い。
「…おじゃまします」
「どうぞ。座って楽にしてください」
案内された部屋には若い男の一人暮らしに似合わない立派なアイランドキッチンやダイニングセットがきちんと揃っていて、これにも正直驚いてしまう。
「犬飼、お前金持ちのぼっちゃんとかだったのか?」
「違いますよ~。親戚が海外に行っている間、管理するって名目で格安で貸してもらってるんです。少しは僕に興味持ってくれました?」
「いいや、聞いただけだ」
犬飼にすっぱり言うと、つれないですね、としょんぼりする様がまるで名前通りの犬のようだ。
「でも、部長のおうちも多分ちゃんとしたお家だったんですね」
「…いいや、普通の家庭だったよ」
「そういうのでなくて、部長さっき部屋に入る時におじゃまします、って言ってだでしょう?それにちゃんと靴も揃えてたし。そういうのが身についているのって、おうちがきちんとしていた証拠ですよね」
最も、その家は自分がSUBだとわかると崩壊しかけたんだけどな、と、桐原は心の中で思った。
保守的な父親はUSUALだけに息子がSUBだとわかると得体のしれないと嫌悪感を覚えたようで、仕事に没頭してえあまり帰ってこなくなってしまった。
当時はショックだったが、今となってはどうでもよいことだ。
だが、自分のダイナミクスを受け入れられないのは、そのあたりにも原点があるのかもしれないと桐原は思った。
自分は何も変わっていないのに、拒絶された経験…もしあの時ありのままを受け入れてもらえたら、もっと自分でも受け入れられたのかもしれない。
そこまで考えて桐原はその考えを頭から追い出した。
どうしようもない過去のただの感傷にすぎない。
「何飲みますか?ビールがよいですか?ウイスキーとか、ワインもありますよ」
「…正直、早く終わらせて帰りたいんだが」
「まあまあ、そう言わないでくださいよ。プレイ以外にもコミニケーションとって理解しあうのも大事なんです」
スーツの上を脱ぐと、犬飼はアイランドキッチンに立ち、冷蔵庫から何か出してレンジで温めると、テーブルに並べた。トマトとコンソメの匂いが鼻をくすぐる。
「ちょっと食事してから飲みましょう。といってもスープしかないんですが」
警戒している桐原をしりめに普通に団らんじみたものが始まり、桐原はなんとなく肩すかしをされた気分になった。
というのも、一部の男は桐原のようなタイプを鼻持ちならないと思い、引きずり落として顔色を変えるところを見たいと思うようだ。ましてや、普段から桐原から叱り飛ばされている犬飼なら、桐原がSUBだということをこれ幸いに言いなりにさせて貶めたいのではと疑いを持っていたのだ。
会社の会議室と違って、家では密室になる。
コマンドとグレアで無防備になってしまえば、抗いようがない。
ともかく、どうやら犬飼なりの段取りを踏まないと先に進まなそうな空気を感じて、桐原は嫌々ながらスプーンを手にとったが、意外にもそのスープはなかなか美味しかった。
「自炊してるのか?」
「たまーにですね。外食ばかりだと野菜不足になるので早起きできた時とか作り置きするんですよ。部長はいつもあんまり食べないですよね。ちょっと痩せ過ぎですよ。仕事忙しいと食事抜いてません?」
その通りで、桐原は仕事に熱中すると食事を忘れている時がある。
無言でいると、犬飼は桐原の手首に視線を落とした。
「ほら、手首とか俺より細い」
そのまま触れられるかと思ったが、犬飼は触れることはしなかった。
しかし、視線を這わせらるとだけでまるで撫でられたような錯覚を覚えて、熱を持ってしまう気がする。
先日この手が触れて、その体温を知ってしまったたそのせいだろうか。
じりじりする。
「素面でしますか?抵抗があるなら、何か少し飲んでリラックスしてからにしますか?」
「じゃあ、ビールを」
犬飼の意図を読み取ったかのようにアルコールをすすめられたので、もらうことにする。
別にビールが好きで選んだわけでなく、それが一番準備も飲むのも楽そうだったからだ。
冷静な桐原でも改めてプレイするとやはり緊張する。
なにせここは密室だ。
密室に犬飼と二人きり。
緊張していることを悟られたくなく、ことさら平静を装いビールを煽った。
「もったいぶってないではやくプレイしろよ」
「もー、情緒ないですよね。雰囲気!」
ため息をつく犬飼の桐原を見る視線はメガネ越しでも強い熱を孕んでいた。
その眼鏡を外せばグレアがくる。
それを想像すると、桐原の心は我知らず’心が逸った。
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