【完結】初恋は檸檬の味 ―後輩と臆病な僕の、恋の記録―

夢鴉

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三章 少年共、夏を謳歌せよ

二十五話 ごめんね

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「あ、甘利――――!?」
「甘利くん――!!?」

「!!?」

 ドサ、と聞こえた音と二人の叫び声に、俺はハッとして拳を下げる。突然の事にびっくりして、つい拳を振り上げただけなのに。
 慌てて甘利を見れば、甘利が机の上に伸びている。デカい図体が机から零れ落ちそうだ。ひっくり返りかけた弁当が、少し中身を散らしている。
(もしかして、これ)

 やらかした……?

 サァっと血の気が引いていく。確かに振り上げた手が、何かいい感じに当たった気がするけど。

「あ、甘利? 大丈夫……」
「なわけないでしょ! 何してんの春!?」
「えっ! い、いや、ちょっと驚いて――」
「驚いてアッパーするやつがいるかよ!」

(ごもっともです)
 俺は内心頷いてしまった。俺だってそんな奴がいたら、今の秋人と同じ反応をする。
 反論できないまま、俺は慌てる秋人と百瀬を見ていた。

 二人は甘利に声を掛けたり、肩を揺すったりしている。しかし、ピクリとも動かない甘利に、ドクドクと心臓が嫌な音を立てる。

「ああもう、気絶してる」

(気絶!?)

「もー、嘘でしょ……あんなへなちょこパンチでおちるなんて……」
「へなっ……!?」
「へなちょこパンチでも不意打ちとか当たり所が悪かったらあんの。とりあえず保健室に運ぶぞ!」

 秋人が声を上げ、甘利を起こそうとする。しかし、なかなか持ち上がらない体に、百瀬が手伝いに入った。
 二人がかりで百瀬を起こし、百瀬が甘利を支える。俺はその様子を呆然と見ているしか出来なかった。

(甘利が、気絶……?)
 俺がびっくりして手を上げてしまったから……?

「なにぼーっとしてんの、春! お前も来い!」
「あ、ああ……」

 俺はハッとして、二人の後を追いかけた。



 出来るだけ揺らさないよう気を付けながら、三人で保健室に向かう。
 幸い、保健の先生が戻って来ていて、すぐに保健室に入ることが出来た。
 昏倒した甘利を見てぎょっとした先生に「適当に説明しとく」と言った秋人を横目に、俺は百瀬を手伝う。甘利の身体をベッドに乗せ、足を引き上げた。
 ベッドの上に無事乗せられたのを見て、俺たちはドッと押し寄せる疲れに息を吐いた。

「はぁ、はぁ……も、まじでっ……こいつ何キロあんの……っ、クソ重いんですけど」
「はぁっ、はぁっ……ごめん、百瀬。ありがとう」
「いーえ。でも次は勘弁だから」

 百瀬は床に座り込み、ひらりと手を振る。今度何かお礼をしないと。
 甘利に布団をかければ、先生と秋人が来る。先生は甘利の容態を見ると、「軽い脳震盪ね」と呟いた。

「少ししたら目を覚ますと思うわ」
「そう、ですか」
「まったく。遊ぶのもいいけど、気を付けなさいね」
「はい」

「すみませんでした」と頭を下げれば、先生は「ちょっと席を外すわね」と保健室を後にした。
 静かになる室内に、俺たち三人のため息が響く。

「よかった~……」
「いや本当に。春、お前はちゃんと反省しろよ。あとちゃんと謝罪しとけ」
「う゛……わかってる」

 俺は気まずさに視線を逸らす。
「二人とも、本当にごめん」と告げれば「いーよ別に」「もう何度も言われたー」と軽く返された。その軽さが今は嬉しい。

「はぁー、もー疲れたー。こんなつもりで春ちゃん先輩の教室まで行ったんじゃなかったのにー」
「そういや、なんで着いて来たんだ? 春とそんなに話が合ったとか?」
「いや? 話なら春ちゃん先輩より秋ちゃん先輩の方が全然合うけどさ。どうせなら甘利を揶揄いたいなーって?」

 けろっとしていい放つ百瀬に、俺は頬を引き攣らせた。
(確かに、教室に来てからは甘利を揶揄ってばっかだったけど)
 こいつ、ろくな性格してないな、と思う反面、手伝ってくれたことには素直に感謝している。
(よくわかんねーな、こいつも)

 二歳違うだけでこんなに違うのか、と思っていれば、響くチャイムの音。時計を見れば、次の時間の予鈴だった。

「じゃ俺行くわ」
「あ、うん」
「俺も、もう行こうかなー」

 秋人が踵を返し、百瀬が立ち上がった。俺は甘利を振り返る。
(……俺も、行った方がいいのかな)
 いや、でも甘利を置いていくわけにはいかないし、かといって午前中の講習に出ておいて午後に出ないって言うのは、なんか……良くない気がする。

「あ、春はそこに居なよ」
「えっ」
「えってなにぃ? もしかして、甘利くんを一人にする気? ぶん殴って昏倒させといて? ひっどい先輩だなぁ」

 秋人の言葉に「うぐっ」と唸る。確かにそうだけど。寧ろ前半だけでかなりひどい奴だけど! 

「そうじゃない! ……けど、俺、午前の講義出てたから、午後休むのは良くないだろ」
「え? あー、あははは。春ってたまに良い子ちゃんだよねぇ」
「やめろよ。そんなんじゃない」
「ハイハイ。先生には俺が上手く言い訳しとくから、甘利くんについててやりな。あと謝罪と状況説明ね」

 ひらりと手を振る秋人。その背中に「わ、わかってるって!」と叫べば、「陸部には俺から言っとくねー」と百瀬が続けた。

 保健室を後にする二人の背中を見送り、俺は詰めていた息を小さく吐き出した。
(まさかこんなことになるなんて)
 ゆっくりと振り返る。静かに眠る甘利は、まるで人形みたいだった。

『ちゃんと謝罪しとけ』

「……わかってるよ」

 理由はどうであれ、手を出したのはこっちだ。不本意だったとしても、やってしまったことに変わりはない。

 ちらりとベッドに横になる甘利を見下げる。眠り方が良くなかったからか、甘利は少し苦しそうな顔をしていた。
(汗、かいてる)
 俺は何か拭くものがないかと保健室を漁った。しばらくして綺麗なタオルを見つけ、甘利の額の汗を拭ってやる。張り付いていた髪を取れば、眉間の皺がいくらかマシになった。
(よかった)
 昏倒させられた上、夢見まで悪かったら申し訳ないどころの話じゃない。
 俺は椅子を引き寄せて、ベッドの横に座った。

 甘利の頬を手の甲で撫で、俺は大きくため息を吐いた。

「なにやってんだ、俺」






「……ぱい……せん………――――春先輩」
「!!」

 聞こえる声に、ガバッと勢いよく顔を上げる。
 そのままの勢いで周囲を見れば、真っ白な部屋が目に入った。だんだん思い出されていく記憶。
(そうだ俺、甘利を殴ってしまって、百瀬と秋人と一緒に保健室にきて……)
 視線を感じて振り返れば、甘利と目が合う。

「先輩、おはようございます」

 優しく聞こえる声に、俺は一瞬フリーズし――――「うわっ!?」と声を上げた。

「うわって何ですか、うわって」

「ひどいなぁ」とクスクス笑う甘利。いつも通りの姿に、俺はほっと胸を撫で下ろした。
(よかった……いつも通りだ)
 時計を見れば、あれから一時間ほど過ぎていた。甘利が「先輩?」と声をかけて来る。

「あ、いや、ごめん。その、お前を運んだあと、うっかり寝ちゃったみたいで……」
「運んだ?」
「あ、ああ」

 俺は甘利に一時間前の事を話した。
 自分がびっくりしてアッパーを繰り出してしまったこと。甘利がそれで昏倒してしまい、百瀬、秋人が一緒に運んでくれたこと。
 部活には百瀬が伝えに言ってくれたことなど。

「悪い、部活休ませちまった」
「いえ。気にしないでください。それに俺が驚かせてしまったのが悪いので」
「いやっ、まあ……確かにあれは驚いたけど。でも、怪我負わせるのは違うだろ。しかもお前、部活頑張ってるのに」
「それは、そうですけど」
「だから、ごめん」

「本当に悪かった」と頭を下げる。甘利は慌てて首を振ってくれたが、その顎は少し赤くなっている。

「大丈夫か?」と甘利の顎に触れる。少し熱を持っているような気がするが、微妙過ぎて判断が付かない。
(一応、先生呼んできた方がいいか?)
 俺が席を立とうとすれば、触れていた手が引き留められた。

 振り返れば、俺の手を甘利が掴んでいる。

「おいっ」
「せ、先輩が俺の心配をしてくれている……!!  これはもしかして夢……!?」
「いや、夢じゃねーけど」
「ああ、先輩に殴られた時と心配された時の二回も触れられるなんて……! 一回目を覚えていないのが悔しい!」

 声を上げる甘利に、俺はだんだんと目を細めていく。

「俺は今日死ぬんですかね……? いやでも、まだ死ぬわけにはいかないんです! 先輩と恋人になれてないですし、結婚だってしてません! 疲れて帰ってきた先輩をドロドロに甘やかして俺が作ったご飯を食べさせてお風呂に入れて俺が隅々まで洗って、お風呂を上がったら髪を乾かして、二人でドラマを見たり漫画を見たり、同じベッドでイチャイチャした記憶もありませんから!」
「あったら怖いわ!」
「なんでですか!」
「してないからな!」

 急に始まった早口言葉に、俺はついいつものように突っ込んでしまった。
 一気に言われた言葉は一切理解できないし、何が言いたいのかさっぱりわからない。だた、ろくなことを言っていないのは確かだった。

「まだ先輩の部屋着を俺のに変えてませんし、先輩の身につけるもの全部俺が用意したものに変えてない! シャンプーもボディーソープもお揃いじゃないと嫌です!」
「あぁ゛!?  なんだそれ!! そんな事しなくていいっつーの!!」
「嫌です!  俺がやりたい!  先輩と同じ墓に入りたいんです!」
「願望が重すぎるッ!!」

 俺は全力で叫んでしまった。
(墓なんて何年後の話をしてんだ!)
 つーかそれまでずっといる気かよ! ストーカーかー!?  ストーカーにでもなるつもりなのか!? 遠慮なく通報するぞ!

 ブンブンと首を横に振っていれば、甘利が手を握りしめた。真剣な目が俺を捕らえる。

「『愛情は重い方がいい』ってひいひい婆ちゃんだったかな……が言ってました。あれ、ひいじいちゃんだったかな……先輩はどう思います?」
「せめて確定した情報持ってこいよ。あと、俺に聞くな」

 生憎、俺は甘利の家族とは一切話したことがないし、顔も知らない。そんな奴に聞くな。
「いいじゃないですか、予行練習だと思って」と甘利は言っていたが、何の予行練習なのかわからないので却下した。
(さっきまでしおらしい雰囲気だったのに)
 甘利の奇行に、全部持ってかれた。俺は大きく息を吐き出す。

「つーか、そういうのは女の子にするもんだろ?  俺にするなよ」
「俺が先輩にしたいからいいんです。……先輩は、嫌でした?」
「っ、!」

 握られていた手に、甘利の頬が擦り付けられる。びっくりして手を引こうとすれば、「逃げないで」と甘利の手が強く引き留めた。見上げて来る目はまるで『離れないで』と言っているようで。
(っ……こいつ、本当に……!)
 その顔をすれば俺が折れるとでも思っているんじゃないだろうか。いや、俺は折れんぞ。絶対に折れてなんかやらない。
 寂しそうな顔をする甘利の後ろに、犬の残像が見える。くぅん、とどこからか鳴き声まで聞こえて来たような気がした。

「くっ……!」
「先輩」

 こてんと首を傾げる甘利。不安そうな顔をしているのに、手を離そうとはしない。
(こういう、ところが)

 ――ムカつくんだ。

 俺は甘利の顔をガシッと掴んだ。「えっ」と驚く甘利。
 見開かれる目に、にやりと笑みを浮かべて、俺は思いっきり両頬を揉み込んでやった。

「っ、ひぇんはい、いらいれすっ! いらいれす、ひぇんはいっ! (先輩、痛いです! 痛いです先輩!)」
「うっせ! お前の顔なんかこうしてやる!」

 ぐにぐに~と頬を捏ねる。
(ああもう! この顔がだめなんだっつーの!)
 そうやって俺を誑かして! 何でも思い通りになると思うなよ!

 むぎゅっと圧し潰せば、甘利の頬が潰れ、口が尖る。
 涙目になった甘利の顔は、イケメンの影はなくなっていた。当の本人はキョトンとしている。それが何だか面白く見えて。

「ぶはっ!」
「ひぇんはい?」

 俺は吹き出した。
 甘利の眉が少しだけ眉間に寄る。

「ぶっさいくな顔だなぁ」
「っ、ひぇれのひぇいらと……(誰のせいだと……)」
「こんな顔じゃ、女子にも嫌われちまうかもなー?」

 それもいいかもしれない。女子に見向きされない甘利は、見ていて楽しい気がする。
 むしろ仲間意識を感じて今よりも仲良くなっているかもしれない。

 そんなことを考えていれば、甘利の眉間の皺が深くなった。より不細工になった顔に、俺は内心大はしゃぎだ。親指で眉間を押し込めば、「ん゛ん゛ーー!」と嫌そうな唸り声が聞こえる。
 両手を取られ、顔から離された。甘利の顔が弄られ過ぎて赤くなっている。

「っ、あんまり悪戯しないでください」
「はははっ、悪い」
「……ぶん殴って昏倒させたくせに」
「それは悪かったって言ったじゃん」

「許されないのかよ」と眉を下げれば、「許しません」と首を振られた。

 掴まれた手が甘利に優しく引かれる。手の長さが足りず、俺は前のめりになってしまった。

「こっち来て、先輩」
「おいっ、ちょっ、! んぶっ!」

 甘利の身体に顔面が激突した。楽しそうな甘利の声が頭上から聞こえる。
 痛みに鼻を擦りながら、俺は顔を上げた。右手は繋がれたままだから、身体が上手く起こせない。

「お前っ、何して――」
「はぁ……先輩の体温だ。あったかい……」
「っ、変態」
「いいです、変態で」

「先輩限定ですから」と甘利が微笑む。いつも通りの顔で。
「そうかよ」と視線を逸らせば、甘利に足を持ち上げられた。「おい!」と叫ぶ俺を余所に、甘利は「よいしょ」と俺をベッドの上に引き上げてしまった。甘利の上に跨るような状況になり、俺は居た堪れなさに甘利の肩を押す。

「な、何してんだ馬鹿っ、離れろっ」
「嫌です」
「嫌とかじゃなくて……っ!」
「いいじゃないですか。お詫びってことで」

 ――お詫び。
 その言葉に、俺はそれ以上手出しが出来なかった。

 甘利の腕が背に回り、ぎゅうっと抱きしめられる。
(……なんか、恥ずかしいなこれ)

 全身がゾワゾワする。触れたところが熱くてじんわりと汗が滲んでくる気がする。
 でも不思議と、嫌ではなかった。
(この匂い……レモンか?)
 すん、と甘利の首元で鼻を鳴らせば、爽やかな匂いが鼻孔を擽る。俺も使っている、有名ブランドのシートの匂いだ。
 俺はサボンとか石鹸の匂いを使っているけど、甘利は違うらしい。

(これ、いい匂いだな)
 すっきりとした匂いが夏らしさを感じる。しかし、檸檬がレモンの匂いを付けてるって。
(ダジャレかよ)
 ふふ、と笑いを零せば、「先輩?」と呼びかけられた。

「な、なんだよ」
「もしかして匂い嗅いでます? 俺、臭かったですか?」

 急に肩を掴まれ、距離を取られる。さっきまで全然動かなかったくせに。ちくしょう。

「はあ? いや別に……」
「そうですか? よかった」
「む、むしろお前はどうなんだよ」
「俺ですか?」
「っ、俺が、臭くないのかって話」

 ぶわわっと込み上げて来る熱に、視線を逸らす。
「さっき外出たし、汗かいたし?」と口早に告げれば、甘利は「ああ」と声を上げた。

「全然臭くないですよ。寧ろいい匂いです」
「はあっ? そ、そんなわけないだろっ」
「本当です。持って帰りたいくらい」

 ぎゅうっと抱きしめられ、胸元に顔を押し付けられる。
 すううう――っと大きく吸い込まれ、俺は恥ずかしさに甘利の背中を叩こうとして、止めた。さっきの事が頭を過る。
(だめだ、いくら恥ずかしいからって手を出したら――)

「抵抗しないんですか? いいんですか? 俺、めっちゃ吸いますよ?」
「っ、や、やめろっ」

 にやりと笑う甘利に、俺はハッとしてぐっと甘利の襟首を引っ張った。しかし、びくりとも動かない甘利。
(嗚呼もう! なんですぐにこうなるんだよ!)

「はぁ……先輩の匂い、落ち着く……っ」
「ッ~~!!」

 ぐわっと駆け上がって来る熱に、俺は顔が赤くなるのを感じる。このままじゃまた甘利をぶっ飛ばしてしまいそうだ。
 拳を握りしめてプルプルと震わせていれば、甘利がふっと笑う。
 肩が揺れ、堪えきれなかった笑いが聞こえて来る。

「……おい」
「ふふっ、すみません。先輩がすごく頑張ってくれているのが可愛くて、つい」
「ぶん殴るぞ」
「今は遠慮します。でも、俺はいつもの春先輩がいいです」

 甘利の言葉に、俺は首を傾げる。何の話だ、と視線を下げれば、だらしなく笑う甘利と目が合う。

「俺の事考えてくれる先輩もいいですけど、やっぱり春先輩にはそのままでいて欲しい」
「っ」
「ね、先輩の気持ち、俺に全部ぶつけてください」

「俺、どんなものでも受け止めますから」と笑う甘利。その顔はどこまでも幸せそうで――。
 俺はつい視線を逸らしてしまった。
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