【完結】初恋は檸檬の味 ―後輩と臆病な僕の、恋の記録―

夢鴉

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四章 残された時間

五十八話 最後のお願い ※甘利視点

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「……お疲れ様です、先輩」
「お、おお、お疲れ」

 ぎこちない俺に、ぎこちなく先輩が返す。
 俺は自分が夢を見ているんじゃないかと思った。
(……なんで先輩が俺のマフラーを?)

 偶然出会った初詣の日。
 何故か薄着でいた先輩。首元に何もつけていないのが寒そうで、ついマフラーを貸してしまった。
 マフラーを首にかけた時は驚いた顔をしていたけど、なんだかんだつけたままでいてくれたからほっとしたのを覚えている。
 お互い借りた、貸したのを忘れて別れた後、気づいた先輩から連絡があったのだ。

『そのまま持っててください』

 そういった言葉に、下心はもちろんあった。マフラーを返すため、先輩はもう一度必ず自分に会いに来てくれる。
(女々しいよな、本当)
 フられた癖に、諦め悪いなと自分でも思う。けれど、そんなに簡単に諦められるんだったら、そもそも半年近くもアタックし続けていない。

(それにしても、先輩の家か)
 一日だけお邪魔したことのある部屋。そこに自分のマフラーが連れられて行ったのかと思うと、ちょっとだけ嬉しくなったり、嫉妬したり、複雑な心境になる。
 あわよくばマフラーに先輩の匂いが付いて一生消えなくなればいいのに、なんて思っていたくらいには、がっつり期待していた。

(でも、まさかそんな)
 こんな大事な日に付けているとは思わなかった。

 息を飲む。寒さに凍えていた体が歓喜に震え、一気に熱を持った。
 今ならグラウンド百周も楽勝に出来てしまいそうな気分だ。

「せ、先輩、どうしたんですか」
「どうしたって、それはこっちのセリフだけど」

「どうしたんだよ、こんな所で」と先輩が言う。「あ、えっと」と俺は言葉を探す。
(気づいてない、のか?)
 恥ずかしがり屋の先輩なら、すぐにマフラーを取って隠そうとするだろうなと思っていたのに。

(え、忘れるほど馴染んでるってこと?)
 それは……喜んでいのだろうか。いいんだよな。喜ばないとか無理なんだが。

(やばい、ニヤける)
 俺は口元を抑えた。
 先輩の可愛さと嬉しさに、理性がグラグラと揺れている。
 今すぐ抱きしめたいと体が疼き、それを頭が止めているこの状況。
 まるで天使と悪魔が頭の中で囁き合っているようで、俺は冷静を保つために必死に今日の授業内容を反芻する。先輩の事ばっかり気にしてて、ほとんど覚えてなかったけど。

「甘利? どうした、急に黙り込んで」
「あ、す、すみません」
「いや。別にいいけど。もしかして体調でも悪い? 寒すぎて腹壊したとか」

「トイレ行く?」と言われ、俺はブンブンと首を横に振る。
「大丈夫です。腹は強い方なので」と告げれば、先輩は「あ、そう?」と呟いた。

「そ、それより、今日試験だったんですよね? その……どう、でした?」
「え? ああ、よく知ってんな」
「ニュースでやってましたから」

 それでなくとも寮にいた三年生たちは皆、朝の時間に落ち着きがなかった。
 どれだけ鈍い俺でも、それくらいわかる。

「なるほどなあ。まあ……試験は難しかったけど、一応? できる範囲はやったつもり。結果はわかんねー。これから自己採点するとこ」
「そう、ですか」
「でもまあ、これでひと段落って感じだなー。課題の写真はいくつか候補撮ってあるし、ストックもそこそこあるから、どうにかなりそうだしな」
「先輩、一時ずっとカメラ持ってましたもんね」
「見てたのかよ」

「ストーカーめ」と口を尖らせる先輩。

(ストーカー、か)
 確か梅雨の時にも言われたな。あの時は偶然公園で出会っただけだけど、まさかまた聞くことになるとは。

「まあ……お前の写真は、撮ってやれなかったけどな」
「……そうですね」

 俺は小さく頷く。結局、先輩が最後に選ぶ写真の中に、自分の存在はきっとないのだろう。
(でも、よかった)
 いろいろ心配はしていたけど、杞憂だったらしい。
 先輩の強さに心打たれる反面、一番近くで支える事すら出来なかった自分が情けなく思える。

(先輩は、強いな)
 今もまだこの感情を引き摺っている俺は、きっとそんなふうにはなれないから。

「……先輩なら絶対大丈夫ですよ」
「はは、サンキュー。つーか、お前はなんでここにいるんだよ?」
「えっ?」
「こんなとこで何してんだって聞いてんの」

 先輩の言葉に、俺は固まってしまう。
(ま、まずい……)
 何も考えてなかった。

(偶然通りかかって? いや、待ってるのばっちり見られているし、それは無理がある)
 じゃあ、『春先輩のこと、待ってました』って言うか?
(そんなの、絶対に気持ち悪がられるだろ)
 こっちはもうフられてるんだ。
 フった相手がいつまでも自分に執着していると知ったら、さすがの先輩でもドン引き案件だろう。

 とはいえ、何か良い言い訳が浮かぶわけでもない。
 どうしよう、と困惑していれば、ふと、百瀬の言葉が頭を過った。

『そんなことで邪魔だと思う春ちゃん先輩じゃないって、お前が一番知ってんじゃん』

(……知ってるよ、そんなの)
 あの日、会場で先輩に助けてもらった時から、ずっと。
 拳を握りしめる。冷たい指先が手のひらに刺さる。先輩の横顔を細い夕陽の光が照らしていた。


「先輩を、待っていました」
「俺を?」
「はい」

 春先輩の目が大きく見開かれる。
 その視線に心臓が締め付けられた。
(ああくそ……っ、やっぱり好きだ)

 どれだけ報われないと突き付けられても、叶わないとわかっていても、愛しいと思う気持ちだけは止められない。
 俺は一歩踏み出した。手を伸ばせば、簡単に先輩の頬に触れてしまう。

 触れた温かい肌に、もっと触れたいと欲が込み上げる。
 唇から吐き出された白い息が風に攫われた。今すぐ口を塞いで、その意気すら自分のモノにしたい。……けれど、その資格は俺にはない。それが悔しくて、もどかしくて、泣きそうになる。
(やっぱり駄目だな、俺は)

 前に進もうとしている先輩の足を引っ張ってしまう。
 寂しいと思ってしまう。行かないで欲しいと思ってしまう。
(こんなの、先輩にとってもきっと良くない)
 早く、去らないと。俺は先輩に必要ない存在なのだから。

「……先輩。マフラー、使ってくれていて嬉しいです」
「あ゛っ!?」

 ブワッと顔が赤くなる先輩。今になってようやく気が付いたらしい。
 真っ赤な顔でマフラーを外す先輩。その姿に、俺はとめどない愛おしさが込み上げてくる。

「わ、悪かったな、持って帰っちまって」
「いえ。届けに来てくださって、ありがとうございます」
「おー」

 先輩の視線が足元を泳ぐ。
 俺は小さく息を吸い込んだ。

「先輩。俺、やっぱり先輩が好きです」
「へ」

 ぐっと拳を握りしめる。
 冬の閑散とした空気が、少しだけ寂しさを纏って体に纏わりついて来る。
 先輩が息を飲む声がする。

「甘利……」
「わかってます。だから、これ以上は先輩を困らせたくない」

「好きだから、諦めたいんです」と呟く。
 矛盾していることは自分でもわかっている。でも、それ以外にどういえばいいのか、わからなかった。

「だからね、先輩――最後にキス、させてくれませんか」
「っ、!?」
「それで、先輩の事はきっぱりと諦めますから」

 俺は俯きたくなる気持ちを奮い立たせ、真っすぐ春先輩を見た。
 驚いた顔をする春先輩は、一体何を考えているのだろう。
(気持ち悪い? それとも怒ってる?)

 ――何でもいい。
 先輩の気持ちが今、確実に自分に向いているというこの状況が、心を裂くほど嬉しい。

「き、キスって、お前、何言って……っ」
「駄目ですか?」

 俺は春先輩の手を取る。
 指先が凍えそうなほど冷たくて、俺は熱を分け与えるように少しだけ強く握った。

 先輩が俺の“お願い”に弱いことは、随分と前から知っていた。知っていて、何度も利用した。
(でも、それも最後だ)
 先輩が応えてくれても、応えてくれなくても、これで最後だから。
(受け入れて、先輩)

 お願いだから。




「……わかった」
「!」

 先輩の言葉に、俺は目を見開く。
(本当に、先輩は……)
 優しすぎて、泣きたくなる。

「本当に? いいんですか?」
「いいって言ってんだろ。それでお前が納得するなら、俺だって……」
「……します。納得」

 先輩の言葉を引き継ぐように頷く。本当は全然出来る気がしないけど、自分で言った手前、納得しないわけにはいかない。
 俺は再び先輩の頬に手を伸ばす。「冷たいな」と言われ、俺は「すみません」と苦く笑う。

(緊張で、心臓が飛び出そうだ)
 こんな状況じゃなかったら、もっと喜べたのに。
 二回目のキスが、お別れのキスだなんて。あの時は思ってもいなかった。

「目、閉じてください」
「ん」

 素直に目を閉じる先輩。従順な姿につい「可愛いですね」と呟いてしまう。
 先輩の空いている手が、俺の脇腹を叩いた。痛みに小さく呻けば「いいから早くしろって」と急かされる。先輩の瞼は少し震えていた。

「先輩」
「っ」
「好きです」

 こんなことして、我儘で、ごめんなさい。

 呟いた謝罪の言葉は、先輩との間に溶けていった。

 触れるだけの、バードキス。
 たったそれだけなのに、唇から走る熱が幸福感と悲しみを持って全速力で体中を駆け巡った。

 離れたくない、と思う気持ちを押し込め、俺はゆっくりと離れる。
 俺と先輩の間に、冷たい風が吹き抜けた。
 ……今、声を出したら自分が崩れてしまいそうで、ぐっと喉を引き締める。

 先輩の目が俺を見て、目を見開いた。

「あ、まり、お前……」
「すみません。何でもないんです」

 頬を伝う生温い感覚に、俺は必死に奥歯を噛み締めた。
 心臓が痛い。幸福感が大きな哀しみに覆い尽くされ、瞬く間に消えてしまった。
(……これで本当に、終わりなのか)

 長いようで、短い恋だった。
 自分の名前と同じレモン味の飴から始まった恋は、涙の味で終わりを告げる。

「先輩。今までありがとうございました」
「っ」

 俺は深く頭を下げた。涙がコンクリートに落ちて、色を変える。

「先輩と一緒に居れて、先輩と一緒に過ごせて、先輩の事を知れて……俺、すごく楽しかったです」
「あま、り」
「俺、走ること以外でこんなに夢中になったの、先輩の事が初めてです」

 情けないところを見せたくなくて、俺は強引に目元を拭った。
 触れていた先輩の頬を柔く撫で、手を下ろす。……これ以上ここに居たら、きっとみっともなく縋ってしまうだろう。そんな姿、先輩にだけは見せたくない。

「……すみません。もう、行きますね」
「甘利っ」

 俺は踵を返す。いつもは軽い足が、まるで鉛のように重たかった。
 震える足を叱咤して、強引に前へと進む。先輩への好きが溢れて、心の中で大きく肥大化していく。
 止められない涙に、歯を食いしばった。


「甘利!」
「!」

 ぐん、と腕が引っ張られる。たたらを踏んだ俺は、振り返った。

「せ、んぱい……?」
「っ、悪い。コレ」

 先輩の声が震えている。差し出される拳に、俺は恐る恐る手を差し出す。
 掌に転がり落ちたのは――――レモン味の飴だった。

「マフラーのお礼に渡そうと思ってたんだ。こんなタイミングになっちまって、ごめん。その……」

 先輩が言葉を探すように視線を彷徨わせる。
 困った時の下がり眉が可愛くて、愛おしくて。

「ふっ……」
「? あ、甘利?」
「本当、ずるい人ですね、春先輩は」

「ありがとうございます」と飴を握り、俺は再び足を動かす。先輩の手は、もう追いかけては来なかった。

(これでいい)
 俺は握り込んだ飴を見つめる。
 黄色い宝石のようなそれは、あの時――初めて先輩に出会った時と、同じ色をしていた。

 俺は包装を破り、口の中に放り込む。
 レモンを砂糖で甘く煮詰めた味は、あの時と変わらない。それが余計に涙を誘った。

「っ……」

 俺は夕焼けが落ち切った空を見上げる。
 澄んだ冬の空は、いつの間にか分厚い雲に覆われていた。まるで、俺の心を映したようだ。
 流れる涙も余所に、飴の味を堪能する。

 甘い恋の味が、口の中で溶けて体の中へと落ちていく。俺はそれに自分の感情を乗せ、一緒に飲み込んだ。
 哀しみの棘がたくさんついた感情は想像以上に痛くて、俺は涙を流し続ける。道行く人が驚いて振り返ったけれど、どうでもよかった。


「ねぇ、春先輩……俺、春先輩を好きになれてよかったです」

 俺の気持ちは受け入れられなかったけど。
 先輩の隣にいることは出来ないけれど。

「好きです。先輩。好きで……っ」

 震えていた足が崩れ落ちる。膨れ上がる気持ちに、自分のデカい図体は耐えられなかったらしい。
 諦めるなんて、とても出来そうにないけど。
 先輩を好きじゃなくなる日が来るかは、まだわからないけど。

(先輩に恋してよかった)

 それでも、好きになった人が春先輩でよかった。今は悲しくて悔しくて、堪らないけれど。
 それだけは、絶対に変わらないから。

「幸せになって。先輩」

 顔を覆い、くぐもった声で呟く。
 俺の精一杯の強がりだった。


 周囲の家に、灯りが灯り始める。優しい光から、誰かの楽し気な笑い声が響く。
 俺は一人、抱えきれない感情に蹲っていた。


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