【完結】初恋は檸檬の味 ―後輩と臆病な僕の、恋の記録―

夢鴉

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五章 春の芽吹き

最終話 もう、離さない

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「先輩」
「っ、!」

 耳元で聞こえる甘利の声に、俺は大きく肩を震わせる。
 恐る恐る振り返れば、甘利の満面の笑みが至近距離に見えた。
(そういえば俺、どさくさに紛れていろんなこと言っちまった……)

 甘利の事が好きだとか。
 俺が考えてた事とか、いろいろ。全部。ぶちまけてしまった。

 このあと起こることは、大体予想が付く。
 俺はじり、と足を後退させた。しかし、甘利の腕によってそれも無駄な抵抗となった。
 ぐっと顔を近づけられ、俺は煌めかしいその顔に思いっきり視線を背ける。

「先輩。もう一度、言ってください」
「近い近い近い」
「春先輩」

(グイグイ来すぎだろ!)
 今まで逃げ回ってたくせに! 確信を得た瞬間の手のひら返しがすごい! あと本当に顔が良いなッ!?
 声も低くして、完全に落とす気満々だ。ぎらついた視線が俺を突き刺して、もはや痛みすら感じる。
(押し切られそう……)

 いやまて。俺は先輩だ。
 ここで押し切られたら、今後の上下関係に支障が出る。それだけは駄目だ。犬の躾でも良く言うだろう。『ナメられたら終わり』だと。

「あ、甘利」
「はい」

 ピシッと甘利が背筋を伸ばす。
(くっ……嬉しそうな顔してんじゃねーよ)
 俺は頭を抱える。甘利の背後に大きく振られる尻尾が見える。
 かつてここまで俺の言葉を心待ちにされることはあっただろうか。……いや、ない。

 俺は大きく仰け反る。深呼吸をして――俺は心を決めた。

「せ、先輩、だいじょ――」
「……すき」

 時が止まる。
 甘利の言動が止まり、俺を見たまま瞬きすらしない。
(いや、こえーんだけど)
 せめて何か一言ないんか? 『ありがとうございます』とか『俺もです』とか。何でもいいから。

「あ、甘利?」
「……」
「お、いっ!?」

 固まっていた甘利に、伸ばした手が逆に引き込まれる。
 強く、強く抱きしめられ、俺は痛みに甘利の肩を叩いた。

「っ、おい! 痛ぇって! あま――」
「うれしいです」

 ぽつり。呟かれた言葉に、俺は暴れていた手を止める。
 甘利の声が耳元で聞こえる。

「本当に? 夢じゃないですか?」
「……勝手に夢にすんな、馬鹿」
「俺の都合のいい夢とか」
「じゃあぶん殴って確かめてやろうか?」

 恥ずかしさに拳を震わせれば、「お願いします」と言われる。『お願いします』じゃねーんだわ。

「馬鹿。やるわけねーだろ」
「なんでですか。やっぱり夢なんですか」
「……夢にしていいのかよ」
「駄目に決まってるじゃないですか。自分の発言には責任を持ってください」
「めんどくせぇなお前」

 ぐずる甘利に、俺は小さく息を吐く。
(これじゃあ余韻も何もあったもんじゃないな)

 一応今は俺が告白したって場面で。
 俺としてはもっと劇的な何かがあると思っていたのだが……どうやら甘利はそれどころじゃないらしい。
 ちらりと盗み見た甘利は、耳まで真っ赤で、抱きしめる腕も震えている。腕に触れれば、びくりと大きく震えた。

 勢いよく離れていく甘利の腕。その腕を捕まえて、俺は甘利と向き合った。

「ふはっ、なんだお前っ、その顔っ! すっげーだらしねーの!」
「っ、待って、待ってください。先輩。ちょっと、今、頭が混乱、してて……っ」
「好き。好きだ、甘利」
「止めてください追い打ちかけないで」
「はははっ」

 早口で捲くし立てる甘利に、俺は堪らず声を上げて笑ってしまう。甘利は心外だとばかりに俺を睨みつけた。
(甘利がこうなるのは俺だけだと思うと、気分が良いな)

 俺は甘利の両頬を掴む。
 顔を引き寄せ、額をくっつける。甘利の体が石のように固まった。

「なあ。好きだよ、甘利。俺、お前が好きだ」
「っ――!!」
「なぁ、お前は? お前はまだ、俺のこと好き?」

 顔を傾けたら、唇が触れてしまいそうな距離で俺は問いかける。
 甘利の目がぐるぐると回っている。混乱しているのが目に見えてわかって、俺は気分がいい。

 ふふふと笑っていれば、甘利の目が俺を睨みつけていた。
 腕を引かれ、顔の角度が付けられる。触れた唇は、予想していたよりも熱かった。

「春先輩。あんまり調子に乗らないでください」
「っ、!」

 にっと笑みを浮かべる甘利。
(やべぇっ、スイッチ入ったっ!)
 一体どこにあったのか。甘利はさっきとは一変。いつもの調子で俺を見下げる。

 顔が近づく。
 俺は反射的に目を閉じた。ちゅ、と唇の感触が口の端に落とされる。次は頬、その次は鼻先。
 額、こめかみ、目元……。

「っ、やめっ、お前っ、全部にキ、キス、するつもりかよ!?」
「いいですね。先輩の全部に俺のだって印付けたいです」
「し、っ!?」

(印!?)
 俺はぎょっとする。まさかそんな答えが返って来るなんて思っていなかった。
「違いましたか?」と問われ、俺は羞恥に顔が熱くなっていくのを感じる。

「ちっ、がわ、なくは、ない……けどっ」
「けど?」
「は、はずいだろ、そんなの」

 全部に印なんてつけられたら、俺が『甘利のだ』って言いながら歩いているようで、想像するだけでも恥ずかしくなる。
 そう甘利に告げれば、甘利は「それは、確かに恥ずかしいかもしれないですね」と呟いた。顔は真っ赤で、緩んだ口元が見える。

(コイツ今、ロクなこと考えてないな)
 察するには十分だった。

「ねぇ、先輩。本当にいいんですか。俺、別れてって言われても別れられないですよ?」
「い、いいって言ってんだろ」
「先輩が嫌がっても離してあげられませんよ」
「の、望むところだっ」
「ふっ、決闘でもするんですか」

「もう、可愛いな」と笑う甘利。何が可愛いのかはわからないけど、甘利が嬉しいならもうなんだっていい。
(頭が、沸騰しそうだ)

「先輩。好きです」
「っ」
「この前の最後って言ったこと、取り消しさせてください」

 甘利の真っすぐな目が俺を見つめる。
 綺麗な瞳には、俺しか映っていない。それが心底嬉しくて、俺は泣きたい気分になった。

「お、れも、すき、だ。その、俺と……恋人に、なって、く、れ」
「ふはっ。それ、俺が言いたかったやつです」

 甘利が笑う。
 その笑顔がずっと見たくて、俺は自分の気持ちにけりをつけてここまでやって来たのだ。
 甘利の手が俺をの手を取る。甘利の甘い瞳が俺を捕まえて、離さない。

「もちろんです。けど、俺にも言わせてください」
「お、おう?」

「先輩。俺と、付き合ってください」

 ザァっと風が吹く。
 真っすぐ俺を見つめる甘利の姿に、最初の頃の甘利が重なって見えた。

(ああ、そうか)
 あの時から、きっと甘利の気持ちは一切変わってない。
 変わったのは――変えられたのは、俺の方だ。

「……俺の方こそ」


 よろしくな。


 俺は甘利の手を握りしめた。
 甘利は泣きそうな顔をいっぱいに歪めて、俺を抱きしめる。その背中に、俺は迷いなく手を伸ばした。

「夢みたいです」
「だから、勝手に夢にすんなって」
「わかってます。でも……嬉しい」

 甘利の声に、俺はつい笑ってしまう。こんなに求められて、今まで平気だった自分がわからない。
 俺は甘利の背中を擦る。
 時折聞こえるしゃくりを知らないふりして、俺はただただ甘利の背中を撫で続けた。

「逃げ続けてごめんな」

 臆病で、ごめん。
 待たせて、ごめん。

「いいんです。そんな先輩が、俺は好きなので」
「なんだそれ。趣味悪いな」
「お互い様でしょう。先輩だってこんな俺のこと好きになってくれたんですから」
「お前……自覚あったのか」
「せめて一言だけでもフォローしてくれません?」

 甘利と目を合わせ、どちらともなく笑う。

「先輩。卒業、おめでとうございます」
「おう、ありがとな」


 たった一年。されど一年。
 俺の青春はこれから始まるらしい。俺は多少の気恥ずかしさに、笑みを浮かべる。

「そろそろ行きましょうか」と甘利が手を引く。俺は頷いて、はっとした。
(そうだ。忘れてた)

「甘利」
「なんですか」

 カシャ。

 シャッター音が響く。
 俺は掲げたスマートフォンに映った自分達の姿に、「おお、よく撮れてるな」と呟いた。

「よし。これで記念撮影も終わり。行こうぜ、甘利。……甘利?」
「い、今、何、したんですか」
「? 写真撮っただけだけど」

 甘利がピシリと固まる。
 目を見開いたまま、動かない甘利に「何だよ、さっさと行くぞ」と手を引けば、そのまま崩れ落ちた。

「!? どうした甘利!? 何かあったか!?」
「……して」
「え?」

「どうして今なんですか!!!! 俺ついさっき泣いたばっかりだったのに!!!」

 地面に両膝と片手を付き、慟哭を上げる甘利。

(え、そこ?)
 俺は予想外の言葉に、目を瞬かせた。
 自分の見た目なんか気にしない甘利が、ビジュアルを気にするなんて。

「先輩がせっかく俺を撮ってくれたのに……ッ」
「い、いや、見て見ろって。お前ちゃんと映ってるから。何なら俺よりもビジュいいし」
「良くないです。先輩と釣り合う男としてちゃんと映りたい」
「えぇ?」

 我儘だなぁ。
 そう言いかけた言葉を飲み込んだ俺は、結構偉いと思う。

「あー、んじゃ、また今度撮るか」
「! 本当ですか?」
「おう。ていうか、今後はたくさん撮ってやるよ。バイトしたらカメラ買う予定だし」

 俺は甘利を振り返る。見せつけるようにスマートフォンを振れば、甘利は嬉しそうに目を輝かせた。
 俺が言うのもなんだけど、本当に単純だな。

「それじゃあ、もっといい男になれるように頑張りますね」
「いや、それ以上はいらない」
「なんでですか」

 甘利は立ち上がると、俺の隣を歩き始める。
 さっきまで落ち込んでいた人間と同一人物だとは思えないほど、満面の笑顔だった。

 俺は無意識にシャッターを切る。
 甘利が振り返り、「何ですか」と笑った。

「いや。何でも」

 俺は甘利と一緒に、今度こそ歩き出す。
 甘利と同じスピードで歩けることが、俺は心底嬉しかった。






 翌日。
 写真部には大きな写真が三枚飾られていた。今年の三年生の、最後の作品だ。
 二枚は文化祭で見られたものと同じもの。
 当時は開いていた空間に、一枚の写真が飾られている。そこには、幸せそうな横顔の少年が一人。

「蒼井君には、甘利君がこう見えているんですね」

 写真を見た教師は一人、呟く。
 先刻、満足そうな顔をして写真を持ってきた一人の生徒は、来月から写真を学びに大学へと通う。
 写真を愛する者として、それほど嬉しいことはない。

「君たちの将来は、どんな景色があるんでしょうね」

 教師は愛おし気に呟く。
 自分の教え子が成長する様は、何度経験しても尊いものだった。

「西田先生、そろそろ行きましょう」
「東崎先生」

 西田先生と呼ばれた教師は頷き、腰を上げる。
 教え子の未来に沢山の幸福があることを祈り、写真部を後にする。鍵を差し込み、ぐるりと回した。

 


 ――カシャン。





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