逃げた先に、運命

夢鴉

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二章 新しい自分

12-2 意気地なしのジレンマ

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「凛くん! それ終わったらこっちお願いできるかしら?」
「わかりました! 今行きます!」

 蜜希さんに番がいることを知ってから、数日。
 俺はただ我武者羅に働き続けていた。

 七月の後半になり、本格的な繁忙期を迎えた旅館は、あっちもこっちも大忙しだった。
 余計なことを考える暇もないくらい。
 俺は汗を拭いながら、下げた食器をカートに乗せ、食堂に向かって行った。



 ――あの日。
 蜜希さんに番がいることを知ってからの俺の記憶は、ほとんどなかった。
 覚えているのは、番の事を話す時にしていた蜜希さんの優しい横顔と、彼の首元にある赤い歯型のことだけ。

「歯形、どうやって隠してたんですか」
「ん? あれ、知らない? 番隠しのシートがあるんだよ」

 番がいることを見せびらかしたいオメガが大多数の中。
 番の証を隠したいと思う人も、一定数いる。
 理由は様々だが、そんな人たち宛に出来たのが――番隠しシートだった。

「防水対応だから、汗かいても平気なんだ。すごいよね」

 そう言いながら、シートを剥がした蜜希さんの首元には、赤い印。
 俺の知らないアルファの存在を、明確に突き付けていた。

 俺の記憶はここで閉じている。
 それからは気づいたら仕事に忙殺されていた。

(……俺、どうしたらいいんだろうな)
 ふと、俺は考えてしまう。
 手は素早くシーツを変え、部屋の清掃をしているのに、頭の中は数日前から停滞したままだ。

 番がいる以上、諦めるしかないのはわかっている。
 ……わかっているのに、心だけが言うことを聞かない。

「……厄介すぎんだろ」

 俺は飾りの壺を拭きながら、呟く。
 既にベッドメイクは終わらせ、机も床も綺麗に掃除されていた。


『暁月くんがなんで僕のフェロモンに気付いたのかはわからないけど、たぶん今回だけじゃないかな』

 ……そう言った蜜希さんは、『迷惑かけてごめんね』とどこか申し訳なさそうに俺を見ていた。

 それもそうだろう。
 番になったら原則、互いにしかフェロモンがわからなくなる。
 それこそ、どちらかの心が傾いてしまわない限り。

(でも、蜜希さんは番の人の事を大切に思ってた)
 あんなに愛おしそうな顔をする人を、俺は初めて見たと思う。
 それなのに俺が蜜希さんのフェロモンがわかったのは……――――

「愛の力、とか?」

 ハッと嘲笑が漏れる。
 そんな都合のいい話、あるわけがないのに。

 でも、どうしてか、『そうだったらいいのに』と願ってしまう自分がいて。

(女々しすぎるだろ、俺)
 はぁ――、と長いため息を吐く。
 俺は完璧に綺麗になった部屋を出て、次の部屋の清掃に向かった。

 結局、どれだけ部屋を掃除しても、俺の頭の中は蜜希さんのことでいっぱいだった。



「お疲れ様、暁月くん」
「っ、み、蜜希さん」

 仕事上がり。
 聞こえた蜜希さんの声に、俺は肩を跳ね上げる。
 振り返れば、同じように仕事が終わったらしい蜜希さんが立っていた。

「お、お疲れ様です」
「もう上がり?」
「は、はい」
「じゃあ一緒にご飯食べない?」

 ドクドクと心臓が嫌に早く脈を打つ。
 それも知らず、蜜希さんはいつもと変わらない笑顔で俺に問いかけた。
 その笑顔にツキリと心臓が痛む。

(……意識すら、されてないのか)
 そりゃあ俺は何も伝えてないけれど。
 気まずいとか、そういうことはないのか。……ないんだろうな。
 だって、蜜希さんは俺の事を何とも思っていないんだから。

「暁月くん?」
「……すみません。俺、ちょっとこの後やらないといけないことがあって」
「そうなの? もしよかったら手伝うけど――」
「大丈夫です。すぐに終わりますし、そんなに大変なことじゃないので」

 俺は笑顔を向け、そのまま踵を返した。
 何か言いたげな蜜希さんを振り切って、「それじゃあ」と頭を下げる。

 今は蜜希さんと一緒に居るのが苦しい。

 軋む廊下を歩きながら、俺は自身の胸元に手を当てる。
 涼しい夜の空気が、俺の体温を奪っていく気がした。
 蜜希さんの顔を見られなくて、俺はそれから蜜希さんを避けるようになった。



 そんな日々を続けて、早一週間。

「おい。ちょっとツラ貸せ」

 連打されたチャイムに起きて扉を開ければ、そこには不良ばりの悪党面をした朝陽が立っていた。
(その顔、通報されるレベルじゃないか?)
 寝起きの頭がそんな失礼なことを呟く。

「えっと……とりあえず入って」
「当然だ」

 扉を開けて告げれば、朝陽は相変わらずの憎まれ口。
(追い出してやろうか)
 そう思ったが、やめておいた。
 何となく、今は彼と争う気にはなれなかった。

 キッチンに入り、冷蔵庫から冷たいお茶を取り出す。五百ミリリットルの、ペットボトルのお茶だ。
 振り返れば、食事を摂るための椅子に朝陽はどかりと座っていた。
 そこは蜜希さんがいつも座っている場所でもあった。

 一瞬、蜜希さんとの日々が頭を過る。
 蜜希さんとの朝の時間は甘く、蕩けそうなほど優しくて。
 同時に一日の活力になっていた。

 もう二週間、一緒に過ごしていないけれど。

 俺は朝陽の前にペットボトルを差し出す。
 朝陽はそれを奪うように受け取った。

「それで? こんな時間に何? 俺、タカさんに買い出しの手伝い頼まれてるから時間ないんだけど」
「んなこたァどうでもいいんだよ」

 よくないから言ってるんだが。
 俺は言いかけて、やめた。とりあえずお茶を飲んで、言葉を濁す。
 朝陽はお茶を一気飲みすると、机にダンッと拳を打ち付ける。
 前のめりになる彼に、「壊れるからやめてくれ」と口が言葉を吐いた。朝陽からの反応は無い。

「テメェ、兄貴になにしやがった?」
「はあ? 何って……」

(何の話だ?)

「誤魔化すんじゃねェよ。テメェが兄貴から逃げ回ってんのは、見てりゃァわかんだよ」

 首を傾げる俺に、朝陽は言い募る。
 俺は一瞬動きを止めたが、すぐに取り繕うように言葉を返した。

「……それが何? 別に、俺と蜜希さんが喧嘩したところで君に関係ないだろ」
「大ありだっつーの」
「は?」

 予想外の反応に、俺は眉を寄せる。
 てっきり笑われるか、『ざまぁみろ』って言われるもんだと思っていたのに。

 どういう意味だと視線で問えば、朝陽は極悪面で舌を打った。

「兄貴はな、気がかりなことがあると周りにあるもん全部撫ではじめんだよ。無機物でも人間でも植物でも変わらねぇ。とりあえず撫でまくる」
「は? あー……もしかして、それでお前が撫でられてるってことか? 別にいいだろ。お前、蜜希さんのこと好きなんだし」
「うるせぇ。テメェと一緒にすんじゃねェよ」

 一瞬で跳ね返された言葉に、俺は反論しようとして出来なかった。
 ……確かに、朝陽と俺では蜜希さんに抱いている「好き」の種類が違う。
(だからって、言い方あるだろ)

「与えられるだけの餌に喜んでるテメェにはわかんねェだろうけどな。俺は兄貴にあんな放心状態で撫でられても嬉しくねぇんだよ」
「与えられるだけって……」
「実際そうじゃねぇか。お前が兄貴に何かしたっつーのか? あ?」

 俺は言葉を飲み込む。
 図星だったどころか、今指摘されて初めて気づいたのだから。

(そりゃあ、蜜希さんにわかってもらえるわけないか)
 思い返せば、蜜希さんにしてもらうのを受け止めるだけで、自分から行動をしたことは一度もない。
 そんな人間に、蜜希さんが何を思うというのか。
(自惚れにもほどがあるだろ)

「つーか、それより早く兄貴の事どうにかしろ」
「……お前がどうにかすればいいんじゃないか?」

 俯きながら、俺は告げる。
 こんな自分より、物事をはっきり言う朝陽の方が、蜜希さんの傍にふさわしいような気がしてしまう。
 再度、朝陽の舌打ちが響く。「出来るならとっくにしてんだよ」と吐き捨てるように言われた。

「言ってんだろ。『兄貴は気がかりなことがあるとそういう行動をする』って。気がかりになってんのはテメェの事じゃねェのか」
「……それは」

 そう、何だろうけど。
 俺はペットボトルを両手で握り、指をすり合わせる。
 お茶の冷たさが心地いい。

 しかし、逃げるように意識を逸らしていたのがバレたのか、朝陽は「あークソッ!」と机を蹴り飛ばした。
 派手な音が響く。
 壊れた様子はなかったが、俺は強引に意識が戻されたような感覚になった。

「うじうじ、うじうじ、うざってぇ! いいから早くどうにかしろっつってんだ! じゃねェと俺の頭が禿げんだよッ!!」
「ブッ!」
「何笑ってんんだ、クソ野郎ッ!!」

 朝陽が勢いよく立ち上がる。
 俺は「ご、ごめんごめん」と謝罪をしながらも、込み上げる笑いを噛み締めていた。
(そうか、そういうことか)

 朝陽がわざわざ乗り込んできたのは、自分の保身を得るため。
 そう思うと納得がいく。

「確かに、禿げたら大問題だもんな。……ふっ」
「よし分かった。ぶん殴る」
「わ、悪い」

 俺は笑いを噛み殺しながら、もう一度謝罪を口にする。
 朝陽は納得したのか、埒が明かないと思ったのか、椅子に座り直した。
(やっぱり、この兄弟は面白いな)

 撫でることをやめられない蜜希さんも。
 容赦なく突っかかって来る、同じアルファの朝陽も。

 自分の周りにはいなかったタイプだ。
 俺は新鮮な気持ちになりながら――しかし、朝陽の気持ちに応えられないことを申し訳なく思う。

「そっか。そう、か。うん……でも、悪いけど、俺にはどうも出来ないよ」
「あ? 何言って――」
「俺、フラれたばっかりだし」

 朝陽が訝し気に眉を寄せる。
 詳しく離せと目が言っていたが、俺はそれ以上を口には出来なかった。

 未だ、自分でも整理がついていなかったのだ。
 人に話すなんて、とんでもない。

 どうせ嗤われるだけだろうと思ったが、朝陽は神妙な面持ちで「そうかよ」とだけ呟いた。
 俺は面食らう。
 同時に気を使われていることに気付いて、居心地の悪さを感じた。

「……朝陽、お前な。ここは笑い飛ばすかするところだろ。アルファがオメガに振られるなんて、何の冗談だよって」
「あ? んだよテメェ。笑って欲しいのか?」

 朝陽の真っすぐな目が俺を射抜く。
 その瞳は、蜜希さんよりも濃くて鋭いのに、蜜希さんにそっくりだった。

(そんな目で、見るなよ)
 虚しくなる。

「っ、……いっそ笑ってくれれば、気は楽かもな」
「んじゃ笑ってやんねぇ」
「ひどいやつだな」

 俺は小さく笑う。
 朝陽の事が、少しだけわかったような気がした。


 俺はずずっと鼻を啜る。
 朝陽に格好悪いところを見られてしまったが、ここからは格好つけるところだ。
 俺は息を吸い込む。

「というわけだからさ。ちょっとの間、我慢してくれ。それと、蜜希さんのこと、頼むよ」
「あ? 振られた癖に彼氏面かよ?」
「違うって。そうじゃなくて」

 ――俺は、きっともう傍にいられないだろうから。

 そう呟く俺に、朝陽の顔が再び極悪人に寄って行く。
 眉間の皺が今日一番に濃い。

「……テメェは、それでいいのかよ」
「良いも何も……そうするしかないだろ」

 そうだ。
 もう諦めないといけない。
 わかってはいたことだ。

(蜜希さんの人生にはもう、俺以外の誰かがいるんだから)

「……フン。ああそうかよ。もうちっと骨がある奴かと思ったが、俺の想い違いだったらしいな」

 俺は顔を上げる。
 朝陽は落胆した様子を隠しもせず、それどころか俺を見下すように顎を上げた。
 その目は軽蔑にも似ている。

「意気地なしが」
「……」

 吐き捨てられた言葉が、心を貫く。
 言われても仕方ないことだけれど、まさか本当に言われるとは思わなかった。

 朝陽が出て行く音がする。
 扉が大きな音を立てて閉められ、机に残された空のペットボトルが倒れた。
 俺は口の中に広がる鉄の味を掻き消すように、お茶を煽る。

 苦い緑茶の味が、感情と共に腹の奥に落ちていく。

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