逃げた先に、運命

夢鴉

文字の大きさ
44 / 95
三章 感情に蓋をして

17-1 暁月くんの、ばか

しおりを挟む
 清々しいほどの晴れ間が広がっている。
 ぐっと伸びをし、僕は布団を出た。

 時刻は朝五時半。
 早い時間の起床に、知人たちにはよく「おじいちゃんじゃん!」と驚かれるが、もう何年もやっている事なので慣れた。

 顔を洗い、髪を軽く整える。
 暁月くんに羨ましがられるキューティクルストレートな黒髪だが、セットがしづらいので何がいいのか僕にはさっぱりわからない。
 服を着替えて台所へと向かえば、香ばしいお米の香りがする。
 ちょうどよくご飯が炊けたらしい。

 家族全員分の朝食を作り終えた後、いつも通りおにぎりを握る。
 握るおにぎりの個数は、四つ。
 二か月前からずっと変わらない個数だ。変わるのは中身の具材だけ。

(今日はどうしようかな)
 冷蔵庫を開ければ、大量の味噌が置かれていた。
 そういえば、焼きおにぎりは持って行ったことなかったっけ。

「父さん、この味噌貰っていい?」
「ん? いいぞ」
「ありがとうー」

 歯を磨いている父さんに許可をもらって、僕は味噌の蓋を開ける。

 父さんが拘って買ってきているその味噌は、近くの店で普通に買えるものだ。
 しかし、作り手が高齢だとかで生産数が少ない、貴重なお味噌らしい。
 そのほとんどを、うちの旅館が買い付けているそうだ。
(美味しいから作り手がいれば、もっとたくさん売れると思うんだけど)

 そんなことを思いながら、ご飯に味噌を塗っていく。
 両面を満遍なく焼いて、片面に大葉を乗せて軽く焼けば、完成だ。

「んー、美味しそう」

 香ばしい味噌の香りに息を思い切り吸い込む。
 最近、家族のご飯より暁月くんに持っていくおにぎりの方が手間がかかっている気がする。
 この前なんか暁月くんに『日々豪華になっていきますね』なんて言われてしまった。

(だって目の前で美味しく食べてくれるってわかってると、つい気合が入っちゃうんだもん)
 そんな言い訳を胸に、おにぎりをタッパーに入れて、玄関へと向かう。
 仕事用の草履を引っ掛ければ、母さんが顔を出した。

「あら。どこ行くの、蜜希」
「暁月くんのとこ」
「えっ」

 母さんが少し驚いたように声を上げる。
 毎朝行ってるのに、今更驚く?
(まあ、何でもいいけど)
 早く朝食を一緒に食べて、焼きおにぎりの感想を聞きたい。

 僕は行ってきますと告げて、玄関を出た。
 離れに向かい、鍵を使って勝手に扉を開ける。「お邪魔しますー」と声をかけるが、返事は聞こえない。
(まだ寝てるのかな)

 準備をしていれば、いつか起きるだろう。
 僕は家の半分ほどの広さの台所に入ると、味噌汁を作り始めた。
 ついでに卵焼きと、今日は魚がないから昨日の残りの副菜をいくつか持ってきた。

 味噌汁の火を止めて、二人分よそう。
 ふと、過去の事が頭を過った。
(アイツと一緒に暮らしていた時も、こんな感じだったな……)
 あの日からすっかりしまい込んでいた食器がこうして再び使えるようになるとは、あの時は思いもしていなかった。

「これも暁月くんのお陰かな」

 海で拾った、大きなワンちゃん。
 僕の事なんかを『好きだ』って言ってくれる、アルファ。
 その気持ちには応えられないけど、彼はいつだって一緒に居てくれた。
 多少の情が沸くのも必然だろう。

「暁月くーん? そろそろ起きないと時間がなくなっちゃうよー」

 僕は階段したから声を上げる。
 細長く、狭い家だから声が簡単に届いてしまうのを僕は知っている。

 しかし、シンと静まる家に、僕は首を傾げる。
 いつもはドタバタと聞こえて来る頃なのに。

「暁月くんー?」

 呼びながら、階段を上がっていく。
 ここまでして起きないなんて、珍しい。
(どうしたんだろう)
 そんなにぐっすり寝てるのかな。それとも、体調が悪いのかもしれない。

 そんな予測を立てながら、僕は部屋の前に立った。
 ノックをして、再び暁月くんの名前を呼ぶ。けれど、返事はなかった。

「開けるよー?」

 扉の取っ手に手をかける。
 初日に脱衣所で真っ裸の暁月くんと遭遇して悲鳴を上げられてから、扉を開けるときはちゃんと声をかけるようになった。

 扉を引けば、がらんとしている――部屋。
 そこに暁月くんの姿は見えなかった。

「えっ」

 僕は声を上げた。
 布団は畳まれたまま。
 部屋は夏の暑い熱気が籠っていて、冷房は使われた形跡はない。

「あ、かつきくん……?」

 頭が真っ白になった。
 急に消えた存在が思った以上に大きすぎて、僕は目の前に広がる光景が夢なんじゃないかと思ってしまう。
(どうして……)

「……帰った、の?」

 零れた声が、静かに畳に落ちる。
 熱気で暑いはずの部屋が、どこか冷めているように感じる。

「あ、あー……そっか。なんだ。いつの間に、帰ったんだ」

「一言くらい言って行けばいいのに。僕、結構と慕われてると思ってたんだけどな」と呟く。
 声が若干震えているのに気づかないふりをして、部屋の中に入った。

 どっと吹き出す汗。
 綺麗に畳まれた作務衣服が、布団を挟んで反対側に置かれているのに気が付く。
 その近くの壁には、暁月くんがこっちに来た時に持っていたトートバッグが置きっぱなしだった。
 中を見れば、荷物も入ったままだ。

「え、えー? 全部忘れてってるじゃん」

 馬鹿なの? と笑う。暁月くんの反撃が脳裏で聞こえた気がした。
 しかし、気持ちは上がらない。

 僕は蹲った。
 頬を膨らませ、いつもそこにいるはずの人物に聞かせるように呟く。

「あーもう……ご飯どうするんだよ。作っちゃったよ、僕」

 今日、焼きおにぎりだったんだよ。すごくおいしそうに出来たんだけど。
 卵焼きも綺麗な色合いで。どうせなら見てから言って欲しかったな。
 お味噌汁も、今日は豆腐を大きめに入れたんだよ。暁月くん、好きだったよね。

 そんな言葉も、彼には届かない。

「……暁月くんの、ばか」

 心の中に浮かぶ、喪失感。
 それは友人が急にいなくなってしまった穴にしては、ちょっとだけ大きくて、深い気がする。


 僕は大きく息を吸い込むと、階段を下りて行った。
 ここで膝を抱えている場合じゃない。
 早くしないと、仕事に間に合わなくなってしまう。

 作ってしまったご飯の半分を冷蔵庫に押し込んで、自分の分を食べ始める。
 味があんまりしなかったけど、美味しかったはずだ。

「ごちそうさまでした!」

 両手を合わせて、半ば自棄に叫ぶ。正面から聞こえるいつもの声は、無い。
 込み上げそうになる感情を振り切って、シンクへと食器を持っていく。
 食器を手早く洗って、玄関に向かう。

 扉を開け、振り返る。
 焦って作務衣服に腕を突っ込んでいる暁月くんの姿を思い出しかけて、首を振る。
 もう彼を待つ必要はないのだ。
(掃除、しにこないとな)

 僕は玄関の戸を閉めた。鍵をかけ、日常へと戻った。
 その日のミスは、過去最大数だっただろう。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

六年目の恋、もう一度手をつなぐ

高穂もか
BL
幼なじみで恋人のつむぎと渉は互いにオメガ・アルファの親公認のカップルだ。 順調な交際も六年目――最近の渉はデートもしないし、手もつながなくなった。 「もう、おればっかりが好きなんやろか?」 馴ればっかりの関係に、寂しさを覚えるつむぎ。 そのうえ、渉は二人の通う高校にやってきた美貌の転校生・沙也にかまってばかりで。他のオメガには、優しく甘く接する恋人にもやもやしてしまう。 嫉妬をしても、「友達なんやから面倒なこというなって」と笑われ、遂にはお泊りまでしたと聞き…… 「そっちがその気なら、もういい!」 堪忍袋の緒が切れたつむぎは、別れを切り出す。すると、渉は意外な反応を……? 倦怠期を乗り越えて、もう一度恋をする。幼なじみオメガバースBLです♡

僕の幸せは

春夏
BL
【完結しました】 【エールいただきました。ありがとうございます】 【たくさんの“いいね”ありがとうございます】 【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】 恋人に捨てられた悠の心情。 話は別れから始まります。全編が悠の視点です。

【完結】選ばれない僕の生きる道

谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。 選ばれない僕が幸せを選ぶ話。 ※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです ※設定は独自のものです ※Rシーンを追加した加筆修正版をムーンライトノベルズに掲載しています。

運命の番は僕に振り向かない

ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。 それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。 オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。 ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。 ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。 ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。 ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。

泡にはならない/泡にはさせない

BL
――やっと見つけた、オレの『運命』……のはずなのに秒でフラれました。――  明るくてお調子者、だけど憎めない。そんなアルファの大学生・加原 夏樹(かはらなつき)が、ふとした瞬間に嗅いだ香り。今までに経験したことのない、心の奥底をかき乱す“それ”に導かれるまま、出会ったのは——まるで人魚のようなスイマーだった。白磁の肌、滴る水、鋭く澄んだ瞳、そしてフェロモンが、理性を吹き飛ばす。出会った瞬間、確信した。 「『運命だ』!オレと『番』になってくれ!」  衝動のままに告げた愛の言葉。けれど……。 「運命論者は、間に合ってますんで。」  返ってきたのは、冷たい拒絶……。  これは、『運命』に憧れる一途なアルファと、『運命』なんて信じない冷静なオメガの、正反対なふたりが織りなす、もどかしくて、熱くて、ちょっと切ない恋のはじまり。  オメガバースという世界の中で、「個」として「愛」を選び取るための物語。  彼が彼を選ぶまで。彼が彼を認めるまで。 ——『運命』が、ただの言葉ではなくなるその日まで。

処理中です...