逃げた先に、運命

夢鴉

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三章 感情に蓋をして

20-2 泥濘に足を取られ

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 掃除が終わり、財布とリストを受け取った僕は、裏口から旅館を出た。
 もちろん、ピンクのマフラーは置いて来た。
 母さんに知られたら怒られるだろうが、察して欲しいと切に願う。

「風、強いなぁ」

 びゅうっと吹き抜ける風。
 海の方から街を四方八方に駆け抜ける風に、軽い髪は否応なしに舞ってしまう。夏の間は有難かったが、冬じゃ凶器同然だ。
 僕は早く買い出しを終わらせてしまおうと、歩く速度を速めた。

 目的の店は、母さんが贔屓にしている雑貨店だった。
 白塗りの壁に、緑の三角屋根を付けたその店は、一見ケーキやお菓子を作っていそうにも見える。
『OPEN』と書かれた札を確認して、僕は格子に硝子が嵌められた緑色の扉を開いた。

「ごめんくださーい。宵月旅館ですー」
「あらあら、はいはい。今行くわね~」

 中に入れば、女性の声が聞こえる。
 パタパタと騒がしい足音が近づいてくるのを感じながら、僕は言われた通り出入り口で待っていた。

「お待たせしました~、って、あら! 蜜希くんじゃない! お久しぶりねぇ~」
「はい、かなさん。お久しぶりです」

 腰を追って、軽くお辞儀をすれば「いいのよ、そんなことしなくて」と微笑まれた。
 赤い三角頭巾を被った小柄な彼女は、かなさんこと――高橋加奈子さん。
 母さんの同級生で、この店のオーナーだ。

「注文してたものを取りに来たんですけど、届いてますか?」
「はいはい、今持ってくるわね。ちょっと待ってて~」

 はい、と僕が答える前に、かなさんはパタパタと走り去っていく。
(相変わらず忙しない人だなぁ)
 小さな背中を見送り、僕は待っている間、店内を見て回ることにした。

 雑貨店とは言っても、取り扱っているのは文具や本、キッチン周りの日用品、ラッピング商品など、多岐に渡る。
 種類は決して多くは無いけど、急遽足りなくなった時やちょっと洒落たものを使いたい時などは、かなり便利なお店だ。
 値段も良心的だし、売れ残って賞味期限の近くなったお菓子を貰うこともある。
 まあ、そこは田舎ならではだろうけど。
(暁月くんが知ったらびっくりしそう)

 適当に棚を見ていれば、ふと入口の鈴の音が聞こえた。お客さんだ。
 かなさんはまだ戻って来る様子はない。
(どうしよう)
 知り合いなら大丈夫だろうが、もし観光客なら戸惑ってしまうだろう。

 僕は仕方なしに棚の奥から顔を覗かせた。
 入り口付近を見れば、おばさまたちの中の一人と目が合う。

「あらぁ、あなたは確か、宵月さんところの……!」
「はい、蜜希です。いつもお世話になっています」
「あらあら。こちらこそ、いつもご贔屓にありがとうねぇ~」

 朗らかな顔で応えてくれた女性は、父さんがよく行く魚屋の奥様だった。朗らかで快活な彼女は、時々魚のおまけをしてくれる。
 主人を尻に敷いているイメージもあって、意外と強かな女性像だ。

 彼女との会話を挨拶を皮切りに、彼女たちは話を始める。
 八百屋さんの奥さんや、酒屋の奥さん、お三方のご友人の近所の奥さん……と、僕は頭をフル回転させながら、彼女たちの話から身元を割り出していく。

 こういう時、自分がまるで探偵にでもなったような気分になる。
 まあ、大半は知らない人ばっかりなんだけど。

「そういえば聞いたわよ。宵月旅館に居たバイトの子! やめちゃったんですって?」
「あら、あのかっこいい子? そうなの?」
「え、ええ。まあ」
「残念だわ。あの子働き者だし、凄く良い子だったから」

 頬に手を当て、ほうっと息を吐く魚屋の奥様。
 暁月くんは何度か父さんの買い出しに付き合っていたので、彼女とも顔見知りだったのだろう。

 荷物を運ぶのを手伝ってくれたとか、魚屋の店主が意気揚々と語る魚の蘊蓄を真剣に聞いてくれたとか、エトセトラ、エトセトラ……。
 聞けば聞くほど知らない暁月くんの事が出て来る。
 まるで古い布団から埃を叩き出しているみたいだ。あ、埃は失礼か。

「ほんともう、私の孫を嫁にもらってくれないかって何度言いそうになったか!」
「あらやだ。あなたのお孫さん、まだ六歳じゃなかった?」
「中学生よぉ、もう」
「そうだったかしら」

 時が過ぎるのは早いわねぇ、とおば様たちがしみじみと話をする。
 僕はそれをただただ聞き流していく。

(ていうか暁月くん、僕の知らない間にすごく好かれてない?)
 魚屋の奥さんだけではない。
 暁月くんがいなくなってから、あちこちで『彼はどうしたの?』『彼、やめちゃったって本当?』と何度も聞かれた。
 その度に「夏の間だけのアルバイトだったので」と伝えているが、それにしてもたった二か月ちょっとで周知され過ぎじゃないだろうか。

(それだけ、暁月くんが頑張っていたってことなんだろうけど)
 僕は胸の奥がチクリと痛む。
 それでも彼は帰ることを選んだ。たった二か月の日々は、彼にとってはちょっとした羽休め程度だったんだろう。

 僕はきっとそこにあった、珍しい果実。
 欲しいと思われたのは珍しかったからで、きっと今頃は忘れられてしまっているかもしれない。
(取れない餌に構っている時間はないだろうし)

 僕は雪路先生の言葉を思い出す。
 彼は僕のせいで傷ついて、この地を離れたのかもしれない。
 そのことが心の蟠りとなって、いつまで経っても抜け出せないでいた。

「お嫁と言えば、宵月さんのところの息子さんにオメガの子がいるんですって?」

 ふと、聞こえた自身の話に、僕は息を詰める。
 心臓が駆け足になっていく。

(どうして、今更)
 もう散々言われて、みんなも飽きたと思っていたのに。

「そうそう。奥様は不貞なんて働いてないって言うけど……実際どうなのかわからないわよねぇ」
「でもそのオメガの子、番が出来たんでしょう? どこだったかしら、隣町のショッピングモールの近くの喫茶店……」
「“マーチ”でしょう? 知ってるわよ」
「そうそう! そこの息子さん!」

 話が盛り上がっていくにつれ、僕は心臓が早鐘のように煩くなっていくのを感じていた。
 どうしてここの人たちはこうも噂好きなのか。
(忘れたくても、忘れさせてくれない)
 まるで町中で自分の過去を保管されているみたいだ。

「でもその息子さん、事故で死んじゃったんでしょう?」
「あら、そうなの? じゃあ、そのオメガの子、大変じゃない。番って一生に一度しか作れないんでしょう?」
「さあ、どうなのかしら」

 ちらりと視線が向けられる。
 情報提供を期待する視線に、僕は曖昧に笑う。
 無遠慮に描き回された感情が、悲鳴を上げている。今すぐ立ち去りたかったが、彼女たちが宵月旅館のお得意様である事実が足を止めている。

「そう、ですね……僕は、宵月のオメガの方なので、それは僕の話になります、ね」
「えっ、あ、そ、そうなの?」
「やだ、私達ったら、ごめんなさいね?」
「嫌がらせとかじゃないのよ! ただどっちがどっちなのか、私達は知らなくって」
「大丈夫です。気にしてないですから」

 にこりと微笑んで告げれば、彼女たちは気まずそうな顔で笑みを零す。そんな顔するくらいなら言わなきゃいいのに。

「本当にごめんなさいね」
「いいんですよ。それにもう、五年も前の事ですから。僕も吹っ切れてますし」

 嘘だ。吹っ切れてなんかいない。
 でも、今この場ではそう言うしかない。

「そ、そう?」
「はい」
「それならいいんだけどね」

 魚屋の奥さんはほっとしたように息を吐いた。
 噂好きなところは良くないけど、人を気遣えるところは良い人なのだろうと思う。
 彼女のお陰で空気が少しだけ和んだ。

「大丈夫よ。凛くんがいるんだから」


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