婚約破棄から始まる嘘と本気の恋

フェレット

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8話 不穏な影

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 翌朝、アリアは寝室の窓から庭園を見下ろしていた。
夜の舞踏会で見た夢のような光景と、ミラナの無邪気な微笑みが頭の中に残り続けている。
彼女の瞳には冷静さが宿っているが、その奥底にはどこか小さな疑念と不安が滲んでいた。

「お嬢様、朝食の準備が整いました。」

 控えめなノックの音と共にメイドが声をかける。
アリアは短く「ありがとう」と答え、ドアの前に立つと、微笑みを浮かべて姿勢を正した。
日常の中で気高く振る舞うのは、シュタインベルク家の令嬢として当然のことだった。

 食堂に足を踏み入れると、そこで待っていたのはレオンだった。
昨日の舞踏会から、ほとんど休む間もなくこの場に現れたのだろうか。
彼の姿は疲れた様子を見せないが、どこか慎重さを増しているように感じられる。

「おはようございます、アリア嬢。」

 いつもの冷静な声で挨拶をするレオンに、アリアも微笑みを返す。

「おはようございます、レオン様。朝早くからお越しいただきありがとうございます。」

「いえ、貴女にお伝えすべきことがあったものですから。」

 レオンがアリアに勧められるまま席につくと、彼はすぐに本題を切り出した。
その表情には昨日の舞踏会とは異なる、少しだけ張り詰めた空気があった。

「昨夜の舞踏会で、ミラナ・エヴァンズが意図的に貴女に近づいてきたことについて、少し調べました。」

 その言葉に、アリアは一瞬だけ表情を動かした。
だが、すぐに落ち着きを取り戻し、冷静に問いかける。

「それで、何かわかったのですか?」

 レオンは彼女の質問に頷き、小さく息をついた。

「彼女の周囲の動きが少し不自然です。エヴァンズ侯爵家は財政的に厳しい状況にあると聞いていましたが、最近急速に資金を得た形跡が見られます。そして、その背景に王子の協力がある可能性が高い。」

 その言葉に、アリアは眉を寄せた。

「つまり……彼女は王子の婚約者としての立場を利用している、ということでしょうか?」

「その可能性が高いです。そして、ミラナがエヴァンズ家を安定させるために動いているとすれば、シュタインベルク家の影響力を減らそうと考えるのも自然な流れです。」

 その冷静な分析に、アリアの胸の奥に再び冷たい感情が広がった。
ミラナの無邪気な笑顔の裏に隠された意図が、彼女の想像を超えて深いものだと感じさせられたからだ。

 ふと、アリアはテーブルに置かれた紅茶のカップを手に取り、静かに口をつけた。
そして、深呼吸をしてからレオンを見つめる。

「それが事実だとして、私たちはどうすべきでしょう?」

 彼女の瞳には迷いがなく、レオンはその姿を一瞬だけ見つめた後、口を開いた。

「まず、今後の社交の場では、より強固な婚約者としての立場を示す必要があります。それが、ミラナやエヴァンズ家に対する最初の防御策になるでしょう。」

「つまり、もっと自然に『婚約者』として振る舞えということですわね。」

 アリアの声には少しだけ皮肉が混じっていたが、レオンは動じることなく続けた。

「そうです。そして、その過程で彼女の意図を探りながら、彼女がどのような手段を使おうとしているのかを見極める必要があります。」

 アリアは短く息を吐き、小さく頷いた。
彼の言葉が正しいと理解しているからこそ、それに従う覚悟を決めたのだ。

 その時、窓の外から一羽の白い鳥が飛び立つのが見えた。
その光景をぼんやりと見つめながら、アリアは静かに呟いた。

「いつか、私たちの『婚約』も、こうして自由に羽ばたける日が来るのでしょうか。」

 その声は、彼女自身にも届かないほど小さなものだった。
しかし、それを耳にしたレオンがそっと視線を向ける。
彼の瞳には、わずかに柔らかい光が宿っていた。

「その日はきっと来ます。ただ……その時には、貴女がどのような選択をされるかによるでしょう。」

 アリアはその言葉に驚いて彼を見上げたが、彼はすぐに表情を引き締めて立ち上がった。

「では、私はこれで失礼します。必要であればいつでもお呼びください。」

 その背中を見送りながら、アリアは再び窓の外を見つめた。
心の中に生まれた小さな疑問が、彼女自身の迷いを少しずつ増幅させていくのを感じていた。
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