午前十時を過ぎたなら ―義父との秘密が始まる―

山田さとし

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第一部 恵の選択

第七章 約束

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【啓介と同居 三ヶ月目】 
【20●1年3月15日 AM11:30】

リビングで。

※※※※※※※※※※※※※※※

恵は今日、ずっと不機嫌であった。

朝から降り続く雨は、恵から何よりも楽しみである洗濯物を干す作業を取り上げていた。
ただそれだけでは無く、これまで積もりに積もっていた不満が身体中に充満して破裂しそうなのだ。

勿論、義父の事が殆どであったが、最近は夫の武への苛立ちが増えていた。

あれほど願ったのに義父に注意する訳でも無く、逆に毎晩のように遅くまで飲んできて夫がいない義父と二人きりの夕食の時間を増やしていた。

恵なりに夫を気遣っていたつもりではあったが、いくら何でもひど過ぎると思った。

ただでさえ毛嫌いしている義父との会話は苦痛でしかない。

義父の方でも同居を始めてから数ヶ月程過ぎ、この頃では何かと優しい事を言うようになったのであるが、自分から折れようにも恵の頑なな態度に、つい意地を張ってしまうのであろう。

二人の冷戦は予想以上に長く続いていた。
こんな時にこそ、夫に取りなして欲しいのに。

いつも接待をいい訳にしている。
毎回のように香水の匂いをつけて帰って来る夫に昨日はくどい程、念を押したのだ。

そう、昨日は二人の結婚記念日であった。

だが、間の悪い時はあるもので昨夜は本当に重要な接待があり、武はその日の内に帰る事が出来なかった。
酒臭い息で言い訳する夫に背中を向けたまま小さな肩を震わせて黙り込む事ぐらいが、恵のはかない意志表示であった。

(夫婦って、何だろう・・・?)
何度この言葉を呟いたであろう。

これまでは貧しいなりに家を買うという一つの目標に向かって二人で力を合わせてきたのに。
それが叶うと直ぐに夫は離れていってしまった。

自分には魅力が無いのであろうか。
昨夜はご馳走を用意して待っていた。

その日は義父も不在で、二人きりの夜であった。
この頃少なくなった「営み」を久しぶりにしようと、ムードたっぷりに計画したのに。

その為に夫の希望していた「口でする」事すら努力してみようと、こうしてその手の専門誌を買ってきていたのだ。
久しぶりに目にしたそれは若い時の印象そのままに恵には、くだらなく感じた。

恵にとってセックスは好きというほどでは無い。

気持ちが良いと思う事もあったが、どちらかと言えば痛みの方が強く、特に最近の夫の接し方が新婚当時よりも遥かにぞんざいになった気がしていた。

だからマンガや小説に表現されているエクスタシー等感じた事も無く、どれもこれもが嘘臭く思える。

しかし今日、苛ついた気持ちで本を開いて見ると妙に引き込まれてしまい食入るように読んでしまった。

昨日、夫を待ちわびていた分、無意識に興奮していたのであろうか。
まだ、胸の動悸が静まってはいない。

恵が自分の息で更に曇ったガラスを手で拭くと、意外な光景が目についた。

土砂降りに煙る庭に義父が立っていた。
傘に隠れるようにして、何やら垣根の葉っぱをいじっている。

雨に濡れた顔が、いつに無く穏やかに見えた。
恵はつい引き込まれるように窓を開け、義父の名を呼ぼうとした。
だが雨の音が強いのと変に興味が湧いて急いで玄関に廻り、傘をさして出ていった。

「お義父・・・さん」

予期せぬ声に振りかえると、息子の嫁が立っていた。
啓介は思わず息を呑んでしまった。

天使が、そこにいた。

強い雨に打たれている傘を細い指で持つ様は、何故か男の目に儚く写った。
こんな弱々しい表情は初めて見た。

いつもは眉をひそめる例のキツイ印象が強かった。
潤んだ瞳がジッとこちらを見つめている。

さっきまで泣いていたのであろうか。
切れ長の目蓋の下を赤く腫らしている。

透通るような白い肌であるがゆえに直ぐに解かった。
長い睫毛を何度も瞬きさせながら茶色い瞳をイジらしく向けてくる。

啓介はその理由を知っていた。
昨日は前から恵がクドイ程に息子の武に言っていた、結婚記念日であった。

気をきかせたつもりで啓介は出かけていたのである。
夜遅く家に帰って寝床について暫らくすると、車の音に目が覚めた。

それから微かに息子達の口論する声が聞こえていた。
さすがに気の毒に思って嫁の顔を見る事が出来ず、朝食も取らずに出かけていたのだ。

「何・・・しているんですか?」
オズオズと恵が聞いた。

土砂降りの雨が何故か素直に声を出させてくれる。
啓介も自然に口元を綻ばすと、この頃徐々に使い慣れた優しい口調で答えた。

「ああ・・・。
カタツムリが・・・な」

義父の言葉に雨の中、目を凝らすと垣根の葉の上にカタツムリが一匹いた。
恵がいぶかしげに目を向けると、照れくさそうに義父は言った。

「買いもんから帰ってきたらな・・・。
垣根の下からコイツが、
道路のとこに這って行きよんねん。
車にでも潰されたら可哀想や思てなぁ」

意外な義父の言葉に、つい声が出た。

「へぇー、優しい・・・ん、ですね?」
「アホッ。そ、そんなんや無い・・・」

啓介は顔を真っ赤にすると、恵の背中を押し出すように玄関に向かった。

「ひゃー、濡れたなー・・・」
ずぶ濡れになった義父の首筋をハンカチで拭いてやりながら恵はクスッと笑った。

義父の意外な一面を見た気がしたのだ。
見つめてくる恵の視線が啓介の顔を更に赤くした。

その様を悟られぬ内にと、上着のポケットにしまい込んでいた物を無造作に差し出した。
キョトンとしている嫁の顔から逃げるように言葉を残して、階段を昇っていった。

「あ、あの・・・な。

これ、今通うとる飲み屋の女にな・・・
やろぉ思て、こうてきたんやけど。
やっぱ、勿体無いよってアンタにやるわ。

昨日・・結婚記念日やったやろ?
安もんで悪いけど・・・」

返事をする暇も与えず、義父は去っていった。

雨で染みが出来た包み紙を握りしめて暫らく呆然としていた恵であったが、やがて形の良い唇から白い歯を見せると小さく呟いた。

「お義父(とう)・・さん・・・」
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